【完結】怠惰な天才の夜想曲(ノクターン)~伯爵家の次男は英雄になりたくない~

シマセイ

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第二十一話:英雄の感謝と探偵の置き土産

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夜明け前の薄紫の空気が、戦いの後の静寂を優しく包んでいた。

その静寂を破ったのは、こちらに向かってくる大勢の足音と、松明の明かりだった。

やがて、騎士団を率いた兄のルドルフが、俺たちの前に姿を現した。

彼は、無事なセレスティーナ様の姿を見て、まず安堵の表情を浮かべた。

だが、すぐにその視線は俺へと移る。

ボロボロになった黒い軽装束。

消耗しきってはいるが、その佇まいに隠しきれない、圧倒的な強者の気配。

兄さんは、全ての答えを悟ったように、静かに呟いた。

「……お前、だったのか。

やはり」

その声には、もはや驚きはなかった。

ただ、長い間の疑念が、確信に変わったという、深い納得だけがあった。

「やあ、兄さん。

おはよう。

朝の散歩をしていたら、偶然、セレスティーナ様を見つけてね。

いやあ、奇遇だなあ」

俺は、最後の悪あがきとばかりに、しらばっくれてみせた。

だが、その言葉がもはや誰の心にも響いていないことは、自分でもよく分かっていた。

セレスティーナ様はくすりと笑い、兄さんは深いため息をついただけだった。



その後、俺とセレスティーナ様は、駆けつけた騎士団によって丁重に保護された。

彼女はリヒトフェルト侯爵家の屋敷へ。

そして俺は、ヴァインベルク家が王都に構える屋敷へと、半ば強制的に連行された。

もちろん、騎士団からの事情聴取が待っていたが、俺はそれを「疲れたから寝る」の一点張りで拒否し続けた。

「申し訳ありません。

アレン様は昔から、一度寝ると決めたら、テコでも動かない方ですので……」

幸い、王都の屋敷にもソフィアが先回りしてくれていた。

彼女が完璧なメイドスマイルでそう言ってくれると、騎士たちもそれ以上は強く出られず、俺は無事にベッドへと直行することができた。

数日後。

俺が王都の屋敷の自室で、いつも通りぐうたらしていると、ノックと共に兄さんが入ってきた。

セレスティーナ様の報告では、俺の正体に関する部分は伏せられていたらしい。

「ヴァインベルク家の次男、アレン殿の機転と、勇敢な協力により、危機を脱することができました」

彼女は、そう王家に報告したという。

そのおかげで、俺は面倒な英雄扱いはされずに済んだが、代わりに「英雄の弟もまた、稀に見る勇敢な男だった」という、これまた面倒な評判が立ち始めていた。

兄さんは、部屋に入ってきても、もう何も詰問はしなかった。

ただ、静かに俺の前の椅子に腰を下ろす。

「……何か、言うことはないのか」

「別に。

疲れたから、早く領地に帰って、家のソファで寝たい」

俺がそう答えると、兄さんはもう一度、深いため息をついた。

そして、一枚の報告書をテーブルの上に置く。

「『古き理の探求者』の残党は、騎士団が掃討中だ。

だが、捕らえた幹部たちは皆、お前が言っていた通り、口を割る前に自らの魔法で命を絶った。

奴らが話していた『大導師』なる人物は、影も形も見つからない。

……事件は、まだ何も終わっていない」

その言葉は、事実の報告であると同時に、俺に対する警告のようにも聞こえた。

兄さんは立ち上がると、部屋を出ていく、その間際。

ぽつりと、呟いた。

「……ありがとう、アレン。

助かった」

それは、俺が生まれて初めて聞く、兄からの素直な感謝の言葉だった。

兄さんが去った後、今度はソフィアが、小さな木箱を手に部屋へ入ってきた。

「セレスティーナ様から、アレン様へのお届け物です」

「あの探偵さんから?
また面倒なものを……」

俺が箱を開けると、中には最高級の茶葉と、一枚の封筒が入っていた。

その手紙を開く。

『拝啓 アレン・フォン・ヴァインベルク様

先日は、私の命を救っていただき、誠にありがとうございました。

今はどうぞ、ゆっくりとお休みくださいませ。

ですが、あなたのその平穏な昼寝が、そう長くは続かないであろうことも、覚えておいてください。

世界は、あなたほどの『力』を持つ存在を、決して放ってはおきませんから。

追伸:この紅茶は、安眠に大変効果があるそうですわ。

私の誓いの、ほんの始まりです。

セレスティーナ・フォン・リヒトフェルト』

「……本当に、食えない女だ」

俺はその手紙を読み終えると、思わず苦笑した。

俺はソフィアに、早速その最高級の紅茶を淹れさせた。

窓の外では、テロの傷跡を残しながらも、復興へと向かう王都の喧騒が聞こえる。

大きな嵐は、一旦過ぎ去った。

日常が、戻りつつあった。

香り高い紅茶を一口飲み、俺は自室のソファへと、深く、深く、体を沈めた。

「はぁ……。

やっと、ぐっすり眠れそうだ」

だが、この束の間の平穏が、新たな、そしてさらに大きな物語の序章に過ぎないことを、俺はもう、知っていた。
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