4 / 9
第一章 追放 ― 令嬢は都を追われる
父の決断
しおりを挟む
「……説明なさい、リシェル」
薄暗く感じられる客間で、父のグランベール伯爵が言葉を絞り出した。
舞踏会から数時間後。王城から戻った父の顔は、青ざめている。
「わたしは……本当に、何も」
「殿下は毒物による体調不良と診断された。幸い命に別状はないようだが……問題は、その毒が、殿下の香水瓶から検出されたということだ」
父の言葉に、リシェルは息を呑んだ。
「そんな……あり得ません。調香のとき、周りに毒など置いていませんでした。誤って混入することなど、絶対になかったはずです。もちろん、わざと入れたりもしませんし……」
「分かっている。お前がそんな真似をするはずがないことくらい、父は……父は、知っているとも」
伯爵の手が、小刻みに震えていた。
彼の香りは、湿った紙と、安物のワインの匂い。
それは、後悔と恐怖の匂いだった。
「だが、王妃陛下はたいそうお怒りだ。『王家を害しかけた者を、このまま放置することはできない』と」
「王妃陛下が……?」
リシェルは思わず唇を噛む。
あの薔薇と胡椒の香りを思い出す。
「お前を正式に告発なさることもできる、と。それでは、グランベール家は終わりだ。爵位も、資産も、何もかも失う。……それだけは、なんとしても避けねばならん」
「では、わたしを切り捨てる、と?」
自分の声が、意外なほど静かに響いた。
父が顔を上げ、怯えたように娘を見る。
「そ、そんな言い方をするでない。これは……お前を守るためでもある。王都から遠ざければ、陛下の目も、そのうち──」
「わたしは、追放されるのですね」
はっきりと言葉にした瞬間、胸の奥にじんとした痛みが走った。
だが、不思議と涙は出なかった。
「正式な追放ではない。『病気療養』だ。辺境に住むお前の叔父のもとで静養する、という形にする。王都から姿を消せば、いずれ皆、忘れる」
「忘れられて、それで?」
「生き延びられる。それで十分ではないか」
伯爵の声は、懇願に近かった。
リシェルはふと、彼の香りの奥に、かすかな甘さを感じる。
それは、紛れもなく「娘への愛情」の匂いだった。
父は、弱い。
弱くて、権力に従うことしかできない。
けれど、それでも彼なりに、娘を守ろうとしているのだと分かってしまう自分が、少し嫌だった。
「……分かりました、お父様」
リシェルは、静かに膝を折って礼をした。
「わたしは、明日、王都を発ちます」
「リシェル……」
「ただ、一つだけ、お約束ください。屋敷の調香室に関しては、どうか、わたしの留守の間も、大切に扱ってください。あそこは、グランベール家の誇りですから」
伯爵は、しばし黙り込んでから、小さくうなずいた。
「ああ……約束しよう」
その香りは、湿った紙とワインに、ほんの少しだけ、温かい煙の匂いを混ぜていた。
薄暗く感じられる客間で、父のグランベール伯爵が言葉を絞り出した。
舞踏会から数時間後。王城から戻った父の顔は、青ざめている。
「わたしは……本当に、何も」
「殿下は毒物による体調不良と診断された。幸い命に別状はないようだが……問題は、その毒が、殿下の香水瓶から検出されたということだ」
父の言葉に、リシェルは息を呑んだ。
「そんな……あり得ません。調香のとき、周りに毒など置いていませんでした。誤って混入することなど、絶対になかったはずです。もちろん、わざと入れたりもしませんし……」
「分かっている。お前がそんな真似をするはずがないことくらい、父は……父は、知っているとも」
伯爵の手が、小刻みに震えていた。
彼の香りは、湿った紙と、安物のワインの匂い。
それは、後悔と恐怖の匂いだった。
「だが、王妃陛下はたいそうお怒りだ。『王家を害しかけた者を、このまま放置することはできない』と」
「王妃陛下が……?」
リシェルは思わず唇を噛む。
あの薔薇と胡椒の香りを思い出す。
「お前を正式に告発なさることもできる、と。それでは、グランベール家は終わりだ。爵位も、資産も、何もかも失う。……それだけは、なんとしても避けねばならん」
「では、わたしを切り捨てる、と?」
自分の声が、意外なほど静かに響いた。
父が顔を上げ、怯えたように娘を見る。
「そ、そんな言い方をするでない。これは……お前を守るためでもある。王都から遠ざければ、陛下の目も、そのうち──」
「わたしは、追放されるのですね」
はっきりと言葉にした瞬間、胸の奥にじんとした痛みが走った。
だが、不思議と涙は出なかった。
「正式な追放ではない。『病気療養』だ。辺境に住むお前の叔父のもとで静養する、という形にする。王都から姿を消せば、いずれ皆、忘れる」
「忘れられて、それで?」
「生き延びられる。それで十分ではないか」
伯爵の声は、懇願に近かった。
リシェルはふと、彼の香りの奥に、かすかな甘さを感じる。
それは、紛れもなく「娘への愛情」の匂いだった。
父は、弱い。
弱くて、権力に従うことしかできない。
けれど、それでも彼なりに、娘を守ろうとしているのだと分かってしまう自分が、少し嫌だった。
「……分かりました、お父様」
リシェルは、静かに膝を折って礼をした。
「わたしは、明日、王都を発ちます」
「リシェル……」
「ただ、一つだけ、お約束ください。屋敷の調香室に関しては、どうか、わたしの留守の間も、大切に扱ってください。あそこは、グランベール家の誇りですから」
伯爵は、しばし黙り込んでから、小さくうなずいた。
「ああ……約束しよう」
その香りは、湿った紙とワインに、ほんの少しだけ、温かい煙の匂いを混ぜていた。
0
あなたにおすすめの小説
あっ、追放されちゃった…。
satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。
母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。
ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。
そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。
精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす
三谷朱花
恋愛
ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。
ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。
伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。
そして、告げられた両親の死の真相。
家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。
絶望しかなかった。
涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。
雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。
そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。
ルーナは死を待つしか他になかった。
途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。
そして、ルーナがその温もりを感じた日。
ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。
ストーカーに狙われたので歳上騎士様に護衛をお願いしました。
ねーさん
恋愛
「氷の彫刻」と呼ばれる美貌の兄を持つ公爵令嬢のクラリッサは不審な視線に悩まされていた。
卒業を二日後に控えた朝、教室のクラリッサの机に置かれた一通の偏執狂者からの手紙。
親友イブを通じてイブの婚約者、近衛騎士団第四分団員のジョーンズに相談すると、第四分団長ネイトがクラリッサのパートナーとして卒業パーティーに出席してくれる事になって───
〈注〉
このお話は「婚約者が記憶喪失になりました。」と「元騎士の歳上公爵様がまさかの××でした!?」の続編になります。
【完結】令嬢憧れの騎士様に結婚を申し込まれました。でも利害一致の契約です。
稲垣桜
恋愛
「君と取引がしたい」
兄の上司である公爵家の嫡男が、私の前に座って開口一番そう告げた。
「取引……ですか?」
「ああ、私と結婚してほしい」
私の耳がおかしくなったのか、それとも幻聴だろうか……
ああ、そうだ。揶揄われているんだ。きっとそうだわ。
* * * * * * * * * * * *
青薔薇の騎士として有名なマクシミリアンから契約結婚を申し込まれた伯爵家令嬢のリディア。
最低限の役目をこなすことで自由な時間を得たリディアは、契約通り自由な生活を謳歌する。
リディアはマクシミリアンが契約結婚を申し出た理由を知っても気にしないと言い、逆にそれがマクシミリアンにとって棘のように胸に刺さり続け、ある夜会に参加してから二人の関係は変わっていく。
※ゆる〜い設定です。
※完結保証。
※エブリスタでは現代テーマの作品を公開してます。興味がある方は覗いてみてください。
嫌われ公女に転生したけど、愛されたい願望を捨てたら全員がデレてきた
桃瀬さら
恋愛
嫌われ公女ナディアは、婚約破棄され学園で孤立し、家族からも見放されていた。
どれほど努力しようが周囲からは「嫌われ公女」と蔑まれ、誰も味方なんていない。
「もういい。愛されたいなんて、くだらない」
そう心に誓った瞬間から、状況が一変した。
第二王子が婚約破棄を撤回し跪き、寡黙な騎士団長が「君を守りたい」と熱く迫ってくる。
そして、冷ややかな兄まで「婚約など認めない。家を出ることは許さない」と……。
愛されることを諦めた途端、なぜか執着される。
没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。
亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。
しかし皆は知らないのだ
ティファが、ロードサファルの王女だとは。
そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……
元虐げられた公爵令嬢は好きに生きている。
しずもり
恋愛
アメリアを疎む父と後妻の母娘によって虐げられてきた前世の記憶を持つ彼女が、望まぬ結婚を押し付けられた事をきっかけに家を出た事で始まる前作『虐げられた公爵令嬢は好きに生きたい〜え?乙女ゲーム?そんなの知りません。〜』の小話的な続編作品になります。
乙女ゲーム要素ほんのり程度、シリアスな話も無し(今のところは)のアメリアを中心とした日常での出来事など、本編で書かれていないアメリアの日常や王子妃教育の話、アネット等の他キャラ視点の話を基本は一話完結の形で不定期に投稿する予定です。
*なんちゃって異世界の独自設定で書いています。
*言葉遣いなど時代設定を無視して現代風になっている部分が多くあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる