追放された香りの令嬢は、氷の宰相に溺愛されています ~政略結婚のはずが、心まで奪われました~

深山きらら

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第一章 追放 ― 令嬢は都を追われる

都からの来訪者

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 その日、空は曇っていた。
 雨の匂いが近付いている。
 リシェルは庭で咲き始めた小さな花を摘み、香りを確かめているところだった。

「リシェル。客人だ」

 背後から、叔父の声がした。
 振り向くと、その表情がいつになく硬いことに気付く。

「客人……?」
「王都からだ。……覚悟しておいた方がいい」

 胸の奥が、ひやりと冷えた。
 まさか、王妃の手がここまで及んだのか。それとも、正式な処罰の知らせか。

 屋敷の応接間に向かう廊下が、やけに長く感じられた。

 扉の向こうから、冷たい空気のような気配が漂ってくる。

 叔父が重い扉を開けると、椅子に腰かけていた男が立ち上がった。

 背の高い男だ。肩幅が広く、均整の取れた筋肉質な体つき。
 軍服に近い黒っぽい服を着ているので、一瞬、軍人かと思わせるが――剣は帯びていない。
 漆黒の髪は、無駄のない短さに整えられている。
 整った鼻梁と引き結ばれた唇。冷たい灰色の瞳が、こちらをまっすぐに見つめていた。

 飾り立てた貴族ではなく、実務に携わる者の静かな威厳があった。
 そして──彼の周囲を取り巻く香りは、王都で嗅いだどれとも違っていた。
 乾いた鉄と、微かな檜。
 焦げたような苦みを持ちながら、不思議と清浄でもある。

(……この香り)

 リシェルの喉が、きゅっと細くなった。
 怒りと後悔と、固く押し殺された情熱の匂い。
 それらが折り重なり、鋼のような意志に変わっている。

 男は一歩前に出る。
 灰色の瞳が、リシェルを捉えたまま離さない。

「お初にお目にかかる、リシェル・グランベール嬢」

 低く、よく通る声だった。
 感情を削ぎ落としたような無機質な響きの中に、わずかな熱が混じる。

「アウレリア王国宰相、バートラム・クロフォードだ」

 バートラム・クロフォード──。
 王都で知らぬ者のない名。
 王国最年少の宰相にして、「氷の檜」と呼ばれる男。

 リシェルは、思わず一歩後ずさった。
 叔父があわてて、後ろから彼女の肩を支える。

「宰相殿が、こんな辺境までいかなるご用向きで?」

 ハロルドの問いにも、バートラムは視線をリシェルから外さない。
 その灰色の瞳には、鋭く探るような色があった。

「伯爵家から書簡を受け取った。──いささか、もったいない話だと思ってね」
「……もったいない?」

 かすかに眉を寄せたリシェルに、バートラムは一歩、歩み寄ってきた。

「殿下に毒物が混入した香水事件。その中心にいたはずの令嬢が、『病気療養』の名目で辺境に追いやられた。香りの名家の才女を、そんな形で埋もれさせるのは、わが国にとっての損失だ」

 言葉自体は、事務的だった。
 だが、その奥にある香りに、嘘はなかった。

 彼は、本気で「損失」だと思っている。

「……では、わたしを処罰するために来られたのではないのですね?」

 リシェルの問いに、バートラムは首を横に振る。

「処罰なら、わざわざ私が来る必要はない。──私は、君を迎えに来た」
「迎え……?」

 胸の奥で、不穏な予感が脈打つ。
 リシェルの指先が、ぎゅっと自分のドレスをつかんだ。

 バートラムは、少しだけ顎を上げて言った。

「君を、私の妻として」
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