55 / 252
55 正解
しおりを挟む
泣いて泣いて、泣き疲れてぐったりした後の記憶が、一太にはない。気付いたら晃のベッドを占領して寝ていて、瞼が腫れて開きにくかった。
寝ていたのに、まだ頭が重くて戸惑う。
部屋には人の気配がなくて、エアコンと冷蔵庫の作動音だけが聞こえていた。カレーの良い匂いが漂っている。
「ただいま」
しばらくベッドから起き上がれずにぼんやりしていると、晃が玄関を開ける音と小さな声が聞こえた。ただいま、は一太がこの一ヶ月で覚えた言葉の一つだ。息を殺して家の出入りをする生活の後で一人暮らしになったので、一太にそういった挨拶の習慣はなかったのだ。晃は、家に誰もいないと分かっていても、ただいまと言いながら家に入るし、おかえり、も自分で言う。一太はそれを不思議な気持ちで見ていたが、最近では晃の真似をして、ただいまと言うようになった。一緒に帰ってきたのに、おかえりと晃が答えてくれるのが、おかしくて嬉しかった。
「おかえり」
反射的に返せたのも、日々の積み重ねがあってこそだろう。
「あ、いっちゃん。起きてたの? ただいま」
「おかえり」
晃がもう一度言ってくれたので、一太ももう一度言葉を返す。
「大丈夫?」
優しい声が嬉しい。
一太はどう返事をしたらいいのか分からず、ただ笑った。
「母さん、カレーだけ作って帰ったよ。いっちゃんと一緒に作れなくて残念がってた」
「え?」
お客さんが来ていたのに、泣きわめいた挙げ句、寝てしまったのだと状況に気付いて、慌てて体を起こした。頭が重くて痛い。
一太の表情に気付いた晃が、ベッドの横に座って心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ご、ごめん。俺、とんでもない失礼を」
「え? 失礼って?」
「子どもみたいに、な、泣いて、さ。それで、その、泣いたまま寝ちゃうなんて、いい大人が……。陽子さん、呆れてなかった? こんなのと晃くんが一緒に住むなんて、やっぱり駄目だーってなってないかな……」
「なるわけないじゃん」
晃が、またうつ向く一太を下から覗いてくる。
「ちゃんとご飯食べてるから、僕の体調がすごく良い。いっちゃんに合わせて早寝早起きだし。バイトを始めたことをすごく心配してたみたいなんだけど、何ともないから驚いてた。全部いっちゃんのお陰だって」
普通に生活していただけだ。一太の普通で。
一太はうつ向いたまま首を横に振る。自分に付き合ってくれる晃くんは優しい。きっと普通じゃない、この生活に。
晃の手が、一太の頬を両手で挟んで持ち上げた。
「こう見えて、病気持ちだったからね。心配されてるんだよ、鬱陶しいくらいに」
そうだった。生まれつきの病気を持っていたと、晃は言っていた。
「一人になったから、少し羽目は外してたんだよね。夜更かししたり、好きなものをずっと食べ続けたり」
晃くんが?
いつもちゃんとしてそうなのに。
「週末に母さんが来るときだけちゃんとしてても、何故かバレるんだよなあ。でも、折角の大学生活だから楽しもうと思ってた。けど、いっちゃんと暮らして分かったんだ」
「何を?」
「自分が、体調を崩してたこと」
一太が倒れた日、一緒に点滴を受ける羽目になったのは、一人暮らしで羽目を外してたツケが回ってきたのだと、からりと笑って晃は言った。
「それがもう、この一ヶ月で絶好調。ありがとう、いっちゃん」
「あ、うん……」
俺も、と一太は思った。
「俺も、絶好調……」
「やっぱり僕たち、一緒にいるのが正解じゃない?」
晃の笑顔を見ていると、本当に正解のような気がしてくるから不思議だ。
寝ていたのに、まだ頭が重くて戸惑う。
部屋には人の気配がなくて、エアコンと冷蔵庫の作動音だけが聞こえていた。カレーの良い匂いが漂っている。
「ただいま」
しばらくベッドから起き上がれずにぼんやりしていると、晃が玄関を開ける音と小さな声が聞こえた。ただいま、は一太がこの一ヶ月で覚えた言葉の一つだ。息を殺して家の出入りをする生活の後で一人暮らしになったので、一太にそういった挨拶の習慣はなかったのだ。晃は、家に誰もいないと分かっていても、ただいまと言いながら家に入るし、おかえり、も自分で言う。一太はそれを不思議な気持ちで見ていたが、最近では晃の真似をして、ただいまと言うようになった。一緒に帰ってきたのに、おかえりと晃が答えてくれるのが、おかしくて嬉しかった。
「おかえり」
反射的に返せたのも、日々の積み重ねがあってこそだろう。
「あ、いっちゃん。起きてたの? ただいま」
「おかえり」
晃がもう一度言ってくれたので、一太ももう一度言葉を返す。
「大丈夫?」
優しい声が嬉しい。
一太はどう返事をしたらいいのか分からず、ただ笑った。
「母さん、カレーだけ作って帰ったよ。いっちゃんと一緒に作れなくて残念がってた」
「え?」
お客さんが来ていたのに、泣きわめいた挙げ句、寝てしまったのだと状況に気付いて、慌てて体を起こした。頭が重くて痛い。
一太の表情に気付いた晃が、ベッドの横に座って心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ご、ごめん。俺、とんでもない失礼を」
「え? 失礼って?」
「子どもみたいに、な、泣いて、さ。それで、その、泣いたまま寝ちゃうなんて、いい大人が……。陽子さん、呆れてなかった? こんなのと晃くんが一緒に住むなんて、やっぱり駄目だーってなってないかな……」
「なるわけないじゃん」
晃が、またうつ向く一太を下から覗いてくる。
「ちゃんとご飯食べてるから、僕の体調がすごく良い。いっちゃんに合わせて早寝早起きだし。バイトを始めたことをすごく心配してたみたいなんだけど、何ともないから驚いてた。全部いっちゃんのお陰だって」
普通に生活していただけだ。一太の普通で。
一太はうつ向いたまま首を横に振る。自分に付き合ってくれる晃くんは優しい。きっと普通じゃない、この生活に。
晃の手が、一太の頬を両手で挟んで持ち上げた。
「こう見えて、病気持ちだったからね。心配されてるんだよ、鬱陶しいくらいに」
そうだった。生まれつきの病気を持っていたと、晃は言っていた。
「一人になったから、少し羽目は外してたんだよね。夜更かししたり、好きなものをずっと食べ続けたり」
晃くんが?
いつもちゃんとしてそうなのに。
「週末に母さんが来るときだけちゃんとしてても、何故かバレるんだよなあ。でも、折角の大学生活だから楽しもうと思ってた。けど、いっちゃんと暮らして分かったんだ」
「何を?」
「自分が、体調を崩してたこと」
一太が倒れた日、一緒に点滴を受ける羽目になったのは、一人暮らしで羽目を外してたツケが回ってきたのだと、からりと笑って晃は言った。
「それがもう、この一ヶ月で絶好調。ありがとう、いっちゃん」
「あ、うん……」
俺も、と一太は思った。
「俺も、絶好調……」
「やっぱり僕たち、一緒にいるのが正解じゃない?」
晃の笑顔を見ていると、本当に正解のような気がしてくるから不思議だ。
771
あなたにおすすめの小説
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
本気になった幼なじみがメロすぎます!
文月あお
BL
同じマンションに住む年下の幼なじみ・玲央は、イケメンで、生意気だけど根はいいやつだし、とてもモテる。
俺は失恋するたびに「玲央みたいな男に生まれたかったなぁ」なんて思う。
いいなぁ玲央は。きっと俺より経験豊富なんだろうな――と、つい出来心で聞いてしまったんだ。
「やっぱ唇ってさ、やわらけーの?」
その軽率な質問が、俺と玲央の幼なじみライフを、まるっと変えてしまった。
「忘れないでよ、今日のこと」
「唯くんは俺の隣しかだめだから」
「なんで邪魔してたか、わかんねーの?」
俺と玲央は幼なじみで。男同士で。生まれたときからずっと一緒で。
俺の恋の相手は女の子のはずだし、玲央の恋の相手は、もっと素敵な人であるはずなのに。
「素数でも数えてなきゃ、俺はふつーにこうなんだよ、唯くんといたら」
そんな必死な顔で迫ってくんなよ……メロすぎんだろーが……!
【攻め】倉田玲央(高一)×【受け】五十嵐唯(高三)
ちっちゃな婚約者に婚約破棄されたので気が触れた振りをして近衛騎士に告白してみた
風
BL
第3王子の俺(5歳)を振ったのは同じく5歳の隣国のお姫様。
「だって、お義兄様の方がずっと素敵なんですもの!」
俺は彼女を応援しつつ、ここぞとばかりに片思いの相手、近衛騎士のナハトに告白するのだった……。
【完結】言えない言葉
未希かずは(Miki)
BL
双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。
同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。
ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。
兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。
すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。
第1回青春BLカップ参加作品です。
1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。
2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる