【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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54 感涙

「だからね、いっちゃん。はい、これ」

 晃の母は、白い封筒を一太に差し出した。

「浮いた分のお金、半分こしましょ」
「へ?」

 一太からおかしな声が出た。

「ん?」

 晃の母は、にこにこしながら封筒を差し出している。

「ええ! いやいやいや」

 何でそうなるのか。
 一太は慌てて、財布を握っていない方の手を振った。

「もらえない、もらえないです」
「え? 何で?」

 一太は居候させてもらっているのだ。家賃も、来月から半分こね、と言われて、まだ払っていない。食材を購入するときは、一ヶ月暮らしてみて、今までの一人暮らし分との差額をいっちゃんは払えばいいんだから、今は僕が払うね、と晃が全部出してくれている。      
 食材は、割り引きの品や、本日の特売、と書いてある品を選ぶようにしているが、上手く手に入る日ばかりではなかった。自分一人の時や、母や弟に作っていた時なら、賞味期限が少々切れていても気にしなかったが、晃にそんなものを食べさせたくはない。
 美味しいと笑って食べてくれる晃くんにもっと美味しいものを作ってあげたい、と思うと、それなりの調味料や食材が欲しくなる。初期投資だから必要だよと笑う晃に、家に置いていない調味料をいくつか買ってもらった。
 それにプラスして、二人分の食事を作っている。一太の分が増えているのだ。
 それなのにマイナスだなんて! 
 有り得ない。

「あの。俺も毎日しっかり食べてて……」
「当たり前でしょ」
「う、あの。それで、俺の分の食材も買ってもらってて……」
「だから、当たり前だってば」
「なのに減ってるなんて、有り得ない」
「だって本当なんだもの」
「…………」

 一太が封筒を受け取らずにいると、晃が横からそれを受け取った。

「じゃあ俺がもらっとく。これでピザでも取る? それともまた、焼き肉食べに行く?」
「えええ……」

 そうだった。そんな贅沢もした。ピザも焼き肉も、舌が蕩けるくらい美味しかった。
 焼肉のたれは、冷蔵庫に常備されるようになった調味料の一つである。一太は、焼き肉店で食べた焼き肉のあの美味しさが忘れられず、特売の肉と玉ねぎを炒めて焼肉のたれをかけて食べたらどうか、と考えてみた。簡単なのに、美味しかった。素晴らしい。晃の評判も上々だった。
 食パンにケチャップを塗り、チーズを乗せて焼く、という贅沢もした。ピザからの発想である。晃が購入してくれたチーズはそれなりの値段がしたけれど、やっぱり美味しかった。

「俺、どんどん贅沢になって、もう前みたいに暮らせなくなってるから困る……」

 この家から出て、一人で暮らせるだろうか。一人の食卓に耐えられるだろうか。
 もう手遅れな気がした。
 贅沢な物を食べられなくなることが困るのではなく、一人での食卓に耐えられなくなりそうなことが困る。
 一太の作った食事を食べてくれた人が、美味しい、と言ってくれないと、もう食事を作る気など起きないだろう。もともと、自分のための食事を作るという考えがなかった。たった一ヶ月で、一太はすっかり変わってしまった。
 一人になればまた、そちらの生活に戻れるものなのだろうか。
 無理な気がする……。
 うつ向いた一太に、晃の明るい声が降ってきた。

「え? いっちゃんは、もう前みたいには暮らさないでしょ? ずっと一緒にご飯を食べようよ」

 ずっと一緒に。
 晃の言葉に、一太は驚いて顔を上げた。
 そんなことを言ってくれる人はいなかった。
 一太は、生まれてすぐに捨てられた。育ててくれた人はいたけれど、先生たちはたくさんの子どもを交代で見ていて、自分だけを特別に見てくれるわけでは無かった。担当の先生は度々変わったし、仕事の時間が終われば帰って行った。
 そう、仕事なのだ。賃金を貰って、子どもの世話をするという仕事をしている。だから、たとえ一太が発熱していても、次の時間の先生に申し送りをするだけ。
 それでも、その状況しか知らない一太にはそれが当たり前だったし、すくすく育っていた。衣食住に困ることなく、普通に成長していった。
 お母さんの所で暮らせそうだよ、と言われたあの日までは。
 良かったね、と先生たちは言った。児童福祉司の人も。皆、喜んで笑顔を向けていた。どうしてそんなに喜ぶのか一太には分からなかったが、一応頷いた。お母さん、が特別な存在らしいとは気付いていたから。
 ある程度成長してから児童養護施設に保護された子どもたちは、皆一様に、お母さんを恋しがった。

「お母さん」

 と、泣く子を何人も見た。

「帰りたい」

 と、泣く子も多かった。
 身体中に折檻の痕を残していたり、大人が手を上に上げるだけでひい、と頭を抱えてうずくまったりする子も一人や二人では無かったのに、それでもそんな家に帰りたいのかと、一太には理解できなかったものだ。
 お母さん、とは、家族、とは、そんなに特別な存在なのかと驚いた。
 そして、こんなに大人たちが喜ぶのだから、きっと今より良いことになるのだろうと思って頷いたのだ。
 全く歓迎されないまま見知らぬ他人の家に放り込まれて、児童養護施設にいた頃より更に一人になったけれど。
 一太に同情して、お金を稼ぐ手伝いをしてくれた大人はいた。新聞配達をさせてくれた新聞屋さんの人達には大変お世話になったし、お陰で中学校を卒業することができた。でも、子どもを働かせていることがバレたらいけないから、と言って、同じ仕事の大人たちよりだいぶ安い賃金だった。中学を卒業して、就職するから辞めると挨拶した時に散々引き留められたのは、役に立てていたのだなと嬉しかったのに。
 たまたま聞いてしまったのだ。
 安くこき使える労働力だったのに惜しいな、と話しているのを。児童福祉司に、あの子は家族と上手くいっていないのかと聞かれて、よく知らないと答えたらしいことも。
 そこからは、親切に見えても本当は利用されているのかもしれない、と警戒したのだと思う。
 職場の人が良くしてくれても、夜間高校の先生が心を砕いてくれても、淡々と受け止めてきた。気付いていなかったけれど、家ですり減る心を、仕事場と学校で癒されていたのだろうに。
 お給料を隠してくれていたり、携帯電話のお古を渡してくれたり、社長はあんなに良くしてくれていたのに。逃がしてくれたことを、もっと感謝したら良かった。
 そのことに気付くと共に、一緒にいよう、と言ってくれた人はいなかったな、ということも思い出す。
 二十年の人生の中で、一太に、一緒にいよう、と言ってくれた人はいなかった。
 今、隣に座って笑う晃だけ。晃だけが、一緒にいようと言ってくれた。実際、一緒にいてくれた。思い返せば、共に暮らし始める前からずっと。
 一太は、また利用されているのでも構わない、と思った。
 これを信じられなかったら、もうこの先、信じられるものなんてないのではないか、と思った。
 
「ありがとう。俺も晃くんと一緒にいたい」

 一太は、自分の知る限り生まれて初めて、声を上げて泣いた。
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