【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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53 ◇大変の言葉の意味

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 注文を聞いて一度部屋から下がった店員が、すぐに、赤く熱くなった炭を入れた七輪を抱えて現れた。煙を吸い込むダクトの下に置くと、冷房の効いた室内でも、机回りが一気に温かくなった。
 店に入った時から、きょろきょろとあちこちを見回していた一太が、ふわ、と声を上げて腰を浮かせる。
 可愛い。

「七輪……」
「これで肉を焼くなんて、美味しそうだね」
「うん」

 飲み物を置いたあと、タレを三種類並べて説明してくれる店員に、真剣な顔で頷くのも可愛い。
 それぞれの飲み物も興味深く覗き込んでいる。いっちゃんはもう二十歳はたちなのだし、ビールも含めて全部味見してみたらいい、と晃は思ったが、先日、晃の飲んでいた炭酸入りのジュースを飲んでむせ、喉が痛いと言っていたことを思い出し、味見するかと誘うのはやめることにした。
 注文した品が、生肉や切っただけの野菜なのですぐに運ばれてきて、どんどん机に並んでいく。
 
「あの。あの、ご飯は……」
「あ、はい。白ご飯でよろしいですか。サイズはどうなさいますか」
「ち、小さいの」
「畏まりました」

 おお。いっちゃんが注文している。
 晃は、軽く感動して一太を見た。いつもと違い、外食に怯えている様子がない。少しは慣れてくれたのだろうか、と思うと嬉しい。
 一緒に暮らし始めてからちょくちょく、贅沢な食事を挟んだ甲斐があった。
 基本的には、キッチンに一つしか無いコンロを駆使して、一太が料理をしてくれている。バイト先のスーパーでメインの惣菜をもらったり、安く買ってきたりしたとしても、味噌汁を煮てレタスを千切ったり、キャベツを千切りにしたりと野菜を一品付けて、米もいつの間にか炊飯器で炊き上がっている。昼に多めに炊いて、保温してあることも多い。
 週末に母が来たときしか使用されていなかった炊飯器が、今では毎日稼働中だ。
 電子レンジも一太は、上等だあ、と喜んで取り扱い説明書を読み込み、オーブン機能まで使いこなし始めている。オーブン機能を使ったという鮭のホイル焼きは、とても美味しかった。
 新しい携帯電話も、買って良かった、と一太は度々口にする。晃くん、勧めてくれてありがとう、と言われるたびに、晃まで嬉しくなってしまう。
 料理のレシピが見られるし、店屋の割引券が使えるし、ポイントも貯まる、と一太はこちらもすっかり使いこなしていた。支払いするだけでポイントが還元されるQRコード決済のアプリにも感動して、早速登録していた。毎日のくじ引きでポイントを当てるのが楽しいらしい。
 一太が、楽しそうにしているのが嬉しくて、晃の頬は自然とだらしなく緩んでしまう。

「あ、僕もご飯ください。中で」

 一太のことばかりにこにこと見てしまっていて、ご飯の注文を忘れそうだった。そんな晃を見て、一太がくすりと笑う。

「肉、焼こうか。野菜も」
「うん」
「まずは乾杯だ」

 晃の父が、ビールのジョッキを掲げた。首を傾げる一太に、にこりと笑いかける。

「村瀬一太くん。これからも晃のことをよろしく。乾杯」
「えええ。そういう感じ? まあいいや、乾杯」

 確かに、いっちゃんには、生活面で大変お世話になっている。なるべく手伝えるように頑張って、これからも長く一緒にいられたらいい、と晃は一太を見た。

「あ、あの。今日は本当にありがとうございました。乾杯」

 一太の烏龍茶のグラスも持ち上がって、三人でこつんとぶつけ合うと、後は焼き肉の食べ放題を九十分間堪能した。美味しかったし、楽しかった。

 *
「いっちゃん、光熱費や食費のお話なんだけれどね。大変よ!」

 久しぶりに訪ねてきた母は、息子より先に一太へと話し掛けていた。
 今までと違って、ずいぶんと荷物が少ない。これまでは、下ごしらえを終えた食材や、昨日までに作って冷凍していた料理を詰め込んだ大きなクーラーバッグと、一泊するための着替えなどの大荷物を抱えていた。今日は、買い物へ出掛けるためのバッグ一つの身軽な出で立ちだ。
 食事作りや掃除、洗濯をして二日間過ごすつもりでやってきたのではない様子が、よく分かった。
 確かに、今のこの部屋で母がすることなんて何も無い。一太が、その家事スキルを存分に発揮して、それらを毎日完璧にこなしてしまっているからである。てきぱきと動く様子に見惚れていると何もしないままに作業は終わってしまうので、晃は毎日、邪魔だろうかと思いつつ、手伝いをするのに必死である。
 今のところ、必ず晃の仕事だと勝ち取れたのは、食後の皿洗いとお風呂洗いくらいのものだった。そのお風呂洗いも、風呂水を使用して洗濯を終えた一太がうっかりそのままやってしまうことがあるので、それは僕の仕事だと訴えて、何とかやらせてもらっている状態である。一太曰く、寒い時期の風呂洗いは大嫌いな家事の一つだが、夏は気持ちいいのだとか。一太は寒さに弱いらしいので、一太の動きが鈍くなったら、自分のペースで風呂洗いをしようと晃は思っている。今は、洗濯機が吸水を終えるのを横で待って風呂を洗っている、というおかしなことになっているが、一太が、人に仕事を任せるということを覚えてくれるまで続けるつもりだ。
 
「あの、やっぱり、だいぶ金額が上がってましたか?」

 小さな机を挟んで母と向かい合った一太は、深刻な顔で財布を握りしめていた。
 家で沸かした麦茶が、氷入りで母の前に置かれている。晃の前にも。こういう時に自分の分も準備するという考えが、一太には一ミリも無かった。今までの生活が透けて見えて、晃は胸に苦いものが沸き上がるのを感じる。
 共に暮らし始めた頃、当たり前のように晃の分の食事だけ準備した一太に、一緒に食べないなら僕も食べない、と晃は言った。一太は、ひどく驚いた顔をした。晃にはその表情の意味が分からず、どうして自分の分を準備しないのか、とその時は謎でしか無かった。相談した父に、これまでがそういう生活だったのだろう、と言われて愕然とした。余ったら村瀬くんも食べられるのじゃないか、と父は言った。自分の想像の範囲を越えた虐待の事実に怯えたし、いっちゃんにはもう二度と飢えてほしくない、と思った。美味しいものをたくさん一緒に食べたい、と。
 その日、二人で分けた食事は全然足りなくて、でももう、開いているのはコンビニだけで、割高な出来合いの料理を買い足すことになった。申し訳なさそうにしていた一太は、自分の分も作らなければ食費がより高くつく、と学習したようだった。
 その後は、しっかり二人分の食事を出してくれて、二人で美味しく頂けている。
 だから、こういった時の一太の飲み物も、一太がどうしても忘れてしまうなら自分が出せばいいだけだな、と晃は思う。立ち上がり、ガラスのコップが二つしか無いので、一太のマグカップに氷とお茶を入れて出した。

「あ、ありがとう。陽子さん、それで……」

 流石に自分の分だと理解した一太が晃にお礼を言って、また母に向き直った。お金の話の時、一太はいつも深刻だ。常に、不安で堪らないというように、体を固くしている。
 家賃は、来月から一太に半分負担してもらうことで話がついていたが、光熱費や食費は、かかった分にしたらどうかという話になっていた。つまり、晃が一人で住んでいた時の金額より上がった分だけ、一太が払うという仮の契約だ。共に暮らしはじめて一ヶ月。母は、計算結果を持ってやってきたのだ。

「違うの。違うのよ、いっちゃん。下がったの! 全部! 食費も、光熱費も!」
「…………え?」

 母の言葉に、贅沢をしていたつもりは無かったんだけどなあ、と晃は頭を抱えた。
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