440 / 1,325
第五章 それは日々の話
90 お忍びでのお出かけ 緋色
しおりを挟む
「ここ、この前、入るのをやめたとこじゃない?」
「ああ、そうだよ。でも、力丸と村次が食べに来て、茶碗蒸しがあるって教えてくれたから、入ってみることにした」
「じゃ、私、茶碗蒸し」
「俺も」
お品書きを見る気のあまりない乙羽と、漢字が多いと読めない成人は、それだけを注文すると、きょろきょろと店内を見回した。並んでから入ったので満席で、店員が忙しく料理を運んだり、空いた席を片付けたりしている。なかなかの値段がするが、よく繁盛しているようだ。
さて、こちらは四人分の食事を注文しなければならない。常陸丸も、今はお品書きに集中している。
「海老フライってのありますよ、殿下。これならかじれるんじゃないですか」
「海老は二人とも好物だし、いいな。フライってのは、コロッケと同じ衣がついてるんだったな」
「確かそうです。それと、豚カツの肉二種類とのセットにして、茶碗蒸し追加で……」
「あ、あ、あ、あの……」
急な上ずった声に、ふと顔を上げると、料理用の白衣を着た男が直立不動で立っている。俺が顔を上げると同時に、弾かれたように包拳礼の姿勢となった。
「この度は、ご来店頂きまして、まことにありがとうございます!当店の店主でございます!こ、このことは、生涯の誉れとして、その」
「殿下は、礼をお受けになりました。もう結構よ」
緊張のあまりか、大きな声で喚き始めた店主の話の隙を突いて、乙羽が柔らかく口を挟む。
「は、は。あの」
「わたくしたちは、あの行列に並んで入ってきたの」
「は、はい。お待たせしてしまい、誠に申し訳」
「違うわ。そうじゃない。一般客として入店した、と言っているのよ。とても繁盛しているようで、素晴らしいわ。これ以上、店員や店内の方々の手を止めることを、殿下もわたくしも望みません。挨拶は、もう受けました。何があっても、決して問題には致しませんので、一般の方々と同じに扱って頂きたいの。ここまで、並んでいる間も、周りの方々は見てみぬふりをしてくださって、とても助かりましたわ。ご店主もそうしてくださることを望みます」
背筋をすっと伸ばして、淡く微笑む顔の美しさに、店主も周りの客も息を呑むのが見えた。
流石、緋見呼叔母上仕込みの淑女の仮面。頼りになることだ。
新聞や大衆紙に、皇族のお忍びの姿を載せることは禁じられているとはいえ、人の口に戸は立てられない。下手に俺が口を開いて、お言葉を貰っただの、目をかけて貰っただのとおかしな解釈を広められては困る。とはいえ、だんまりで立ち去ることもできず、大抵一緒にいる乙羽が代わりに返事をすることになる。
二条家でろくな教育を受けなかったが、泉門院家に保護された後は、叔母上が度々様子を見に来ては、上流階級の立ち居振る舞いを仕込んでいた。たぶん、乙羽を俺の嫁にと考えていたんだろう。血筋は上等、目を引く美貌に、子が為せないだろうことも、皇帝の三男には丁度いい。更に実家との関係が良好ではないとなれば、実家がでしゃばってくる心配もない。条件は最高だ。
あの人は、そういったことに敏いから、すぐに目を付けたのだろう。父上より余程、皇帝の器だな。
乙羽が常陸丸しか見ていないことに気付いて、俺達には何も言わずに済ませてくれた所まで含めて、感謝している。ついでに仕込まれた常陸丸も、侍従の役目ができる護衛になったのだから。
何度も頭を下げて下がっていく店主を横目に、注文を受ける係の店員を呼び止めた常陸丸が先ほど言っていた内容の品を注文した。
その間も、神妙な顔で背筋を伸ばしている成人に思わず吹き出しそうになる。
その店員が去ると、へにゃ、と成人の緊張が解けるのが見えて、思わずくくくっと笑ってしまった。
俺たちの雰囲気に合わせて頑張っていたらしい。
「殿下、私たちが頑張っているんですから、殿下ももう少し堪えて」
ひそひそと言う乙羽にも、更に笑いが込み上げる。
ああ、今日も楽しい。
「ああ、そうだよ。でも、力丸と村次が食べに来て、茶碗蒸しがあるって教えてくれたから、入ってみることにした」
「じゃ、私、茶碗蒸し」
「俺も」
お品書きを見る気のあまりない乙羽と、漢字が多いと読めない成人は、それだけを注文すると、きょろきょろと店内を見回した。並んでから入ったので満席で、店員が忙しく料理を運んだり、空いた席を片付けたりしている。なかなかの値段がするが、よく繁盛しているようだ。
さて、こちらは四人分の食事を注文しなければならない。常陸丸も、今はお品書きに集中している。
「海老フライってのありますよ、殿下。これならかじれるんじゃないですか」
「海老は二人とも好物だし、いいな。フライってのは、コロッケと同じ衣がついてるんだったな」
「確かそうです。それと、豚カツの肉二種類とのセットにして、茶碗蒸し追加で……」
「あ、あ、あ、あの……」
急な上ずった声に、ふと顔を上げると、料理用の白衣を着た男が直立不動で立っている。俺が顔を上げると同時に、弾かれたように包拳礼の姿勢となった。
「この度は、ご来店頂きまして、まことにありがとうございます!当店の店主でございます!こ、このことは、生涯の誉れとして、その」
「殿下は、礼をお受けになりました。もう結構よ」
緊張のあまりか、大きな声で喚き始めた店主の話の隙を突いて、乙羽が柔らかく口を挟む。
「は、は。あの」
「わたくしたちは、あの行列に並んで入ってきたの」
「は、はい。お待たせしてしまい、誠に申し訳」
「違うわ。そうじゃない。一般客として入店した、と言っているのよ。とても繁盛しているようで、素晴らしいわ。これ以上、店員や店内の方々の手を止めることを、殿下もわたくしも望みません。挨拶は、もう受けました。何があっても、決して問題には致しませんので、一般の方々と同じに扱って頂きたいの。ここまで、並んでいる間も、周りの方々は見てみぬふりをしてくださって、とても助かりましたわ。ご店主もそうしてくださることを望みます」
背筋をすっと伸ばして、淡く微笑む顔の美しさに、店主も周りの客も息を呑むのが見えた。
流石、緋見呼叔母上仕込みの淑女の仮面。頼りになることだ。
新聞や大衆紙に、皇族のお忍びの姿を載せることは禁じられているとはいえ、人の口に戸は立てられない。下手に俺が口を開いて、お言葉を貰っただの、目をかけて貰っただのとおかしな解釈を広められては困る。とはいえ、だんまりで立ち去ることもできず、大抵一緒にいる乙羽が代わりに返事をすることになる。
二条家でろくな教育を受けなかったが、泉門院家に保護された後は、叔母上が度々様子を見に来ては、上流階級の立ち居振る舞いを仕込んでいた。たぶん、乙羽を俺の嫁にと考えていたんだろう。血筋は上等、目を引く美貌に、子が為せないだろうことも、皇帝の三男には丁度いい。更に実家との関係が良好ではないとなれば、実家がでしゃばってくる心配もない。条件は最高だ。
あの人は、そういったことに敏いから、すぐに目を付けたのだろう。父上より余程、皇帝の器だな。
乙羽が常陸丸しか見ていないことに気付いて、俺達には何も言わずに済ませてくれた所まで含めて、感謝している。ついでに仕込まれた常陸丸も、侍従の役目ができる護衛になったのだから。
何度も頭を下げて下がっていく店主を横目に、注文を受ける係の店員を呼び止めた常陸丸が先ほど言っていた内容の品を注文した。
その間も、神妙な顔で背筋を伸ばしている成人に思わず吹き出しそうになる。
その店員が去ると、へにゃ、と成人の緊張が解けるのが見えて、思わずくくくっと笑ってしまった。
俺たちの雰囲気に合わせて頑張っていたらしい。
「殿下、私たちが頑張っているんですから、殿下ももう少し堪えて」
ひそひそと言う乙羽にも、更に笑いが込み上げる。
ああ、今日も楽しい。
1,463
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
そばかす糸目はのんびりしたい
楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。
母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。
ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。
ユージンは、のんびりするのが好きだった。
いつでも、のんびりしたいと思っている。
でも何故か忙しい。
ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。
いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。
果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。
懐かれ体質が好きな方向けです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる