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第六章 家族と暮らす
42 物事の裏側 朱実
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「遅かったわね」
「ああ。寝ていて良かったのに」
夫婦の部屋の居間のソファに、今日も赤璃は居た。出産の後はなるべく体を休めた方が良いと聞いたのだが、朱音が寝ていても共に休むことなく、私を出迎えてくれる。
ありがたいが、どのくらいそうして待っていたのか。時刻はすでに十時を回っている。
緋色が手伝いに来るようになってからは特に、終業と決められている時間には仕事を切り上げることが多くなっていた。遅くとも夕食までには仕事を切り上げる緋色は、翌日でも間に合うことを急いでしたりはしない。その代わり、急がなくてはならないことへの対処が早く、急いでほしいと頼んだ者が戸惑うくらいだ。迷いの無い姿勢に感心したり、危ういと心配になったりする。
今日は、家族と共に夕食をとりたくなくて、翌日でも間に合う仕事を残って進めていた。緋色や力丸が居たら止めたのだろうが、今日私の周りに、終わりましょう、と言える者は誰もいなかった。護衛は、時間になったら夜番の者と交代したが、執務室の文官は、交代もできず私を置いて帰ることもできずに、こちらの様子を伺いながら仕事に付き合っていた。
何度も時計を見たり、私の様子を伺っていることには気付いていたが、帰りたいなら帰りたいと言えばいいじゃないか、とやさぐれた気持ちになってしまって、知らん顔で九時過ぎまで書類を読んでは署名を書き続けていた。
その頃にようやく一人の文官が立ち上がった。
「殿下、お食事無しではお体に障ります。何かお召し上がりになるべきかと……」
自分の腹が減ったと言えば良いものを、私の心配をしているふりとは何とも小賢しい。そんな気持ちで顔を上げる。そこには、本当に私を気遣う様子の表情が見えて、居たたまれない思いが湧いてきた。
これは、八つ当たりだ。
朝、父に言われた言葉が澱のように身の内に貯まって、自身を苛々とさせているのだろう。
私にとっても、都合の良い緋色の伴侶。
陛下が、成人を緋色の伴侶としてあっさりと認めた理由。戦争を終わらせた緋色の望むものを緋色に与えるのは当然のことだ、と常々皆に言っている。緋色の望んだ者が、緋色を誰より想ってくれる成人で良かった、とも。その裏に、国民に人気のある緋色を牽制して私を守る思惑があった。
私は、緋色が権力を望まないと知っている。だが、本人が望んでいなくとも周りの動きで起きた混乱や動乱など、歴史上に数多ある。
父の目からは、それほど緋色の人気は高く、私が危ういように見えたのだろうか。たまたま、緋色の望みを聞き入れることで様々な事象が上手くいっただけだろうか。
ふと妻を見る。
じっとこちらを見る目には、気遣うような色が浮かんでいた。
「顔色が悪いわ。食事も残したと聞いたし」
食事を別にとっても、私が食事を残したことを知っているのか。何でも筒抜けなのも疲れるな。
「何となく食欲が無い日というのはあるものだ」
「そうね。体調が悪くないならいいの」
「…………」
気まずい思いで向かいのソファに腰を下ろし、目の前の机の上を見た。毎日届く緋色の行動記録。
「楽しそうよ」
「そう……」
報告書を手に取ると、すでに目を通したらしい妻が弾んだ口調で言う。
力丸が九条三郎を連れて合流したこと。宿を辞して九鬼の領地に入り、神社を参拝したり猿回しの芸を楽しんだり、屋台の食べ物を食べたりして歩いていたこと。寝るための手頃な宿が見つからず、九鬼弐角に連絡をして、屋敷を一つ準備してもらったこと、が書かれている。
いきなりの訪問に、さぞかし九鬼は驚いたことだろう。迷惑をかけた礼をしなくてはならないな……。
「友達の所に遊びに行けていいわね」
「え?」
「緋色殿下は弐角と仲が良いでしょう?だから、突然行っても問題なく歓迎されてるみたい。羨ましいわ」
確かに、何か問題が起きたとは書いていない。淡々と、行動記録が綴られているだけの用紙から、妻はそれを読み取ったのか。
私には想像のつかないこと。そう、友達のいない私には。
できること、分かることが少ない自分に、胸の辺りがちりちりと痛んだ。
「ああ。寝ていて良かったのに」
夫婦の部屋の居間のソファに、今日も赤璃は居た。出産の後はなるべく体を休めた方が良いと聞いたのだが、朱音が寝ていても共に休むことなく、私を出迎えてくれる。
ありがたいが、どのくらいそうして待っていたのか。時刻はすでに十時を回っている。
緋色が手伝いに来るようになってからは特に、終業と決められている時間には仕事を切り上げることが多くなっていた。遅くとも夕食までには仕事を切り上げる緋色は、翌日でも間に合うことを急いでしたりはしない。その代わり、急がなくてはならないことへの対処が早く、急いでほしいと頼んだ者が戸惑うくらいだ。迷いの無い姿勢に感心したり、危ういと心配になったりする。
今日は、家族と共に夕食をとりたくなくて、翌日でも間に合う仕事を残って進めていた。緋色や力丸が居たら止めたのだろうが、今日私の周りに、終わりましょう、と言える者は誰もいなかった。護衛は、時間になったら夜番の者と交代したが、執務室の文官は、交代もできず私を置いて帰ることもできずに、こちらの様子を伺いながら仕事に付き合っていた。
何度も時計を見たり、私の様子を伺っていることには気付いていたが、帰りたいなら帰りたいと言えばいいじゃないか、とやさぐれた気持ちになってしまって、知らん顔で九時過ぎまで書類を読んでは署名を書き続けていた。
その頃にようやく一人の文官が立ち上がった。
「殿下、お食事無しではお体に障ります。何かお召し上がりになるべきかと……」
自分の腹が減ったと言えば良いものを、私の心配をしているふりとは何とも小賢しい。そんな気持ちで顔を上げる。そこには、本当に私を気遣う様子の表情が見えて、居たたまれない思いが湧いてきた。
これは、八つ当たりだ。
朝、父に言われた言葉が澱のように身の内に貯まって、自身を苛々とさせているのだろう。
私にとっても、都合の良い緋色の伴侶。
陛下が、成人を緋色の伴侶としてあっさりと認めた理由。戦争を終わらせた緋色の望むものを緋色に与えるのは当然のことだ、と常々皆に言っている。緋色の望んだ者が、緋色を誰より想ってくれる成人で良かった、とも。その裏に、国民に人気のある緋色を牽制して私を守る思惑があった。
私は、緋色が権力を望まないと知っている。だが、本人が望んでいなくとも周りの動きで起きた混乱や動乱など、歴史上に数多ある。
父の目からは、それほど緋色の人気は高く、私が危ういように見えたのだろうか。たまたま、緋色の望みを聞き入れることで様々な事象が上手くいっただけだろうか。
ふと妻を見る。
じっとこちらを見る目には、気遣うような色が浮かんでいた。
「顔色が悪いわ。食事も残したと聞いたし」
食事を別にとっても、私が食事を残したことを知っているのか。何でも筒抜けなのも疲れるな。
「何となく食欲が無い日というのはあるものだ」
「そうね。体調が悪くないならいいの」
「…………」
気まずい思いで向かいのソファに腰を下ろし、目の前の机の上を見た。毎日届く緋色の行動記録。
「楽しそうよ」
「そう……」
報告書を手に取ると、すでに目を通したらしい妻が弾んだ口調で言う。
力丸が九条三郎を連れて合流したこと。宿を辞して九鬼の領地に入り、神社を参拝したり猿回しの芸を楽しんだり、屋台の食べ物を食べたりして歩いていたこと。寝るための手頃な宿が見つからず、九鬼弐角に連絡をして、屋敷を一つ準備してもらったこと、が書かれている。
いきなりの訪問に、さぞかし九鬼は驚いたことだろう。迷惑をかけた礼をしなくてはならないな……。
「友達の所に遊びに行けていいわね」
「え?」
「緋色殿下は弐角と仲が良いでしょう?だから、突然行っても問題なく歓迎されてるみたい。羨ましいわ」
確かに、何か問題が起きたとは書いていない。淡々と、行動記録が綴られているだけの用紙から、妻はそれを読み取ったのか。
私には想像のつかないこと。そう、友達のいない私には。
できること、分かることが少ない自分に、胸の辺りがちりちりと痛んだ。
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