捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

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呪いが解けた朝 ――公爵邸では、侍女達がお怒りです。――

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 一ヶ月の魔物討伐を終え、久しぶりに屋敷に戻った翌朝。
 “今度こそ新妻と話をしなければ”と、公爵──コンラッド・ウィン・ヴァーミリオンは、朝の身支度を整え、彼女の部屋へ向かおうとした。

 その矢先。

「公爵様!! 一大事です!!」

 ドアが爆発したかのように開き、侍女たちが雪崩れ込んだ。

「……なんだ、騒々しい。」

「奥様の姿が、どこにもありません!!」

「私物もなく、手がかりも……!」

「そして、机にはこれが……」

 一枚の封筒が震える手で差し出される。

 嫌な予感とともに、それを開いた瞬間──胸の奥がざくりと削がれた。

『公爵様へ
 呪いはもう解けています──』

 そこに綴られていたのは、ユリアーナの静かで、優しく、そして絶望的な別れの言葉だった。

『公爵様へ  
 呪いはもう解けています。  
 ターニャ王女様から直接、はっきりとお言葉をいただきました。  
 どうかご安心なさってください。  
 皇族の皆様にも、そのままお伝えくださいませ。  
 公爵様は、もう何も恐れる必要はありません。  
 どうか、これからはご自分の人生を大切に、長生きしてください。  
 
 そして私は、この家を出ます。  
 最初からいなかった者として扱ってください。  
 結婚の件も、どうかお気になさらず。  
 公爵様にとっては、ほんの些細な出来事
 そう、蚊に刺された程度のものとして忘れてください。
  
 どうか、公爵様が“本当に大切にしたい誰か”と巡り会い、
 幸せな未来を歩まれますように。  
 短い間でしたが、お世話になりました。  

 ユリアーナ・アメシリア』

「…………は?」

 紙が手から落ちる音が、やけに大きく響いた。

 思考が止まる。
 理解が追いつかない。

「待て……どういう意味だ……?」

 呆然とする公爵の手から、侍女長がそっと手紙を拾い上げた。
 侍女たちが息を呑み、その内容を読み──。

「「「はああああああああああああ!?!?」」」

 屋敷が揺れた。

 侍女長は、眼鏡をクイッと押し上げ、深く息を吸う。

「……公爵様。一つ、確認よろしいですか。」

「な、なんだ……?」

 声がわずかに裏返った。

「奥様と昨夜──“何か”ございましたか?」

 氷のような声だった。

「な、何もしていない!! 本当に、何も!!」

「“何も”!? 本当に“なにも”!?!?」

 侍女たちが一斉に悲鳴を上げる。

「彼女に確認したんだ! 間違いない!」

 得意げに言ったつもりの言葉は──

「逃げられた理由はそれですわよね!!?」

「奥様があれほど覚悟を決めていたのに!! なにも!!?」

 怒号となって跳ね返ってきた。

「ま、待て!! 俺の話を聞け!! 実は昨晩の記憶が……途中からないのだ!!」

「「「はあ?」」」

 しばし、重い沈黙が落ちた。

 が、次の瞬間──。

「つまり……」

 侍女長の声が、死刑宣告のように落ちる。

「奥様は、公爵様に“期待できない”と判断して身を引かれた……と?」

「違う!! 本当に違う、誤解だ!!」

「誤解であれなんであれ、結果は同じですわよね?」

「“最初からいなかった者として扱ってください”とまで……なんて健気……!」

「公爵様、まずはそこにお座りなさい!」

 侍女長の一言により、公爵の苦悩に満ちた長い一日が今、始まろうとしていた。

「まず、公爵様。昨夜、奥様の体調……お気づきでしたか?」

「た、体調……?」

 その瞬間、侍女たちの目が鋭く光った。

「「「気づいていない!!!」」」

「奥様は不安で眠れず、食事ものどを通らなかったのです!」

「それなのに! 魔物の返り血にまみれた姿で帰宅し!」

「匂いだけで奥様は卒倒案件なのですよ!!?」

 公爵は思わず視線をそらした。
 昨夜の彼女の怯えた横顔が、脳裏に蘇る。

「す、すまない……」

「“すまない”で済みません。奥様はあなた様に“命を差し出す覚悟”で嫁いでこられたのです。」

「「「それを!!!」」」

「呪いが戻らぬように……身を引こうとまで……!」

「奥様はあなた様を守ったのです!」

「それなのに、気づかず、必要とも伝えず!!」

 侍女たちの言葉は槍のように次々と突き刺さる。
 公爵は胸を押さえ、苦しげに息を吸った。

「ひ、必要だ……!私には、誰よりも!」

 その声には、本心からの焦りと後悔が滲んでいた。

「では、昨日そう伝えましたか?」

 侍女長の問に、ぴたりと空気が止まった。

「……」

「「「沈黙!! やっぱりダメだこの人!!!」」」

 侍女たちが絶望のどん底で頭を抱えていると──新たな刺客(情報)が飛び込んできた。

「寝室の掃除をしておりましたら……ベッドの下から、シーツが……」

 侍女が恐る恐る掲げたそれは──“血と、言葉にしがたい何か”という、あまりにも生々しい証拠だった。

「「「奥様!! やはり事は成されていた!!!」」」

 侍女たちは一斉に叫び、公爵へギロリと視線を向ける。

「ち、違う!! 本当に知らないんだ!!」

 公爵が後ずさる。
 だが侍女たちは容赦しない。

「知らずに奥様に“あんなこと”を!?」

「最低ですわ!!」

「奥様が逃げたのも当然です!!」

 怒号のような非難が次々と飛び、部屋の空気は一気にヒートアップした。

 ──そのときだった。

 空気が、すっと冷えた。

 侍女たちが口をつぐむ。
 視線の先で、侍女長が静かに一歩前へ出たのだ。

 眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。

「……公爵様」

 その低い声は、怒鳴るよりも怖かった。

「隠すとは一体どういうおつもりです? これは、おねしょとは違いますよ?」

「ち、違う!! 本当に知らな──」

「黙りなさい、公爵様」

 ピシャリと叩きつけるような一言が落ち、公爵は思わず口を閉ざした。

 侍女たちが息を飲む。

「まず確認します。奥様を追うおつもりか、それとも忘れるおつもりか。」

「追う!! 必ず連れ戻す!! 彼女を……手放す気はない!!」

 即答だった。

「「「最初からそう言えばよかったんですの!!!!」」」

 侍女全員が、同時に爆発したように叫ぶ。

 侍女長は小さく咳払いをし、冷静な声で続けた。

「では、公爵様。“奥様に言うべき言葉”から練習を始めます。」

「れ、練習……?」

「“昨日のことは覚えていない”は禁止です。」

「“逃げないでくれ”も禁止です。」

「“愛している”くらい言ってくださいまし!」

 侍女たちが次々と言葉を重ね、部屋は再び騒がしくなる。

「ま、待て! その前に俺は城に向かわねばならん!王女殿下からの言づてだぞ!!」

 公爵はユリアーナの置き手紙を掲げ、逃げるように扉へ向かった──が。

「……お待ちなさい、公爵様。」

 侍女長の声が、地を這うように低く響いた。

「な、なんだ……?」

「奥様が“城ではなく消えることを選んだ理由”を理解なさっていますか?」

 公爵は言葉を失う。

「“あなた様とは話にならない”──そう判断したからです。」

「「「根本原因を解決せずに城に行っても無意味ですわ!!!」」」

 侍女の怒りが一斉に爆発した。

「そ、そんなことは……!」

「昨日“なにもしていない”と誇らしげに言った殿方が何を言いますの!」

「愛を伝える練習も終わっていないくせに! 奥様を探すなど百年早いです!!」

「まずは己と向き合っていただきます!!」

 公爵が後ろに下がると──その背後で、扉がバタンと閉じられた。

 ガチャリ。
 …………鍵がかかる音がした。

「おい……!? 開かな……!?!?」

 公爵は青ざめた。

「本日の予定はすべてキャンセル済です、公爵様。」

 侍女長の眼鏡がギラリと光る。

「これより、“奥様を取り戻すためにも、理想の旦那様講座”を開始いたします。」

「「「我々も全力でお手伝いします!!!」」」

「い、いや待て!! 俺は公爵だぞ!?!?」

「本日に限り、“ただのダメ夫”です。」

「そ、そんな……!!」

 こうして、公爵家史上最大の──侍女による 公爵しつけ大会 が盛大に幕を開けた。

 なお、この部屋を訪れた騎士たちは、一人残らず引きずり込まれ、もれなく「話し合いの巻き添え」に遭ったという。
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