捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

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呪いが解けた朝 ――お城では、ターニャ王女がお怒りです!――

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 ユリアーナが去り、公爵邸でコンラッドが侍女たちにこっぴどく説教されている頃。

 その裏で――
 ターニャは、かつてユリアーナが暮らしていた別邸へと足を運んでいた。

 部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が歪む。

 黒い霧が、音もなく床を這うように広がり――そこから、一人の男が姿を現した。

 黒髪、赤い瞳。
 長身痩躯の身体を、燕尾服が完璧に包み込んでいる。
 人間とは思えぬほど精巧に整った顔立ちに、知性を宿した眼鏡。

 ――悪魔。

 それも、いにしえの悪魔であった。

 かつて。
 初代皇帝カナタが女を次々と孕ませ、増え続けた末に腐敗していった皇族の血を呪うため、ターニャが契約を交わした存在。

「久しぶりじゃのう。」

 ターニャの声に、悪魔は静かに笑みを浮かべ、深く一礼する。

「お久しゅうございます。前回の“お呼びだし”も、実に芳醇でした。――さて、今回は?」

 悪魔は楽しげに眼鏡の位置を直した。

「まずはこの屋敷と庭、それからクズどもがいる本宅へ行ってたもれ。」

 ターニャは淡々と言い放った。

「過去、この家で起きたすべての出来事を記録するのじゃ。あの子――ユリアーナが受けた仕打ち、その一切を!」

 悪魔は愉快そうに唇を歪める。

「なるほど。ターニャ様直々のお声がけが出るほどの、極上の素材の可能性が……。それはとても良い情報ですね。最近の皇族はおとなしすぎて……私には食べることができませんので。」

「“正しい魂は口にするな”――あの契約のせいじゃな。」

「ええ。創造神は気難しい。ですので私は――醜い魂だけをいただきます。」

 久しぶりの獲物に、悪魔は舌なめずりをし、ふっと姿を消した。

 二時間後。

 彼は任務完了と言わんばかりに、ターニャの前へと現れた。

「お気に召す内容が、盛りだくさんだと思いますよ。」

 満足げに微笑む悪魔に、ターニャも微笑み返した。

「では、参るぞえ。」

 そうして集められた“悪意の記録”と悪魔自身を携え、ターニャは堂々と城へと入り込んだ。

 目立つように、血のように真っ赤なドレスを身にまとって。

 本来は、今の皇帝と話をするだけのはずだった。
 交渉を行い、成立すれば呪いを解除する。
 ただ、それだけの予定だったのだ。

 ――しかし。

「なぜ、こんなものがあるのじゃ?」

 ターニャが睨みつけたのは、初代皇帝カナタの銅像である。

「だいぶ、いけめんようそが盛られておるではないか!」

 拳が唸りを上げ、銅像が砕け散る。

「事実改変は罪が重いですね……。」

「そもそも、あやつはイケメンではない!」

「ええ。中身が腐っておりますので。」

 ヒールで破片を踏み砕くターニャ。

「全く、汚物なんぞを飾り立てよって!」

 破片を忌々しそうに、グリグリとヒールの先を動かしている。

 その騒ぎに、衛兵たちが駆けつけ、二人を次々と取り囲んだ。

「うるさい蠅どもですね……」

 悪魔がそう呟くと、黒い霧が広がり、衛兵たちは一瞬で深い眠りに落ちていく。

「はあ~? この絵は美化しすぎじゃ!」

「この絵も、偽りに染まっておる!」

 ターニャは、怒りに任せて肖像画を次々と焼き払う。
 そのたびに現れる近衛兵を、悪魔は笑顔で眠らせた。

 騒ぎはあっという間に城の奥へ駆け上がり、重い足音が廊下を埋めた。

 そして――ついに。

 皇帝一行と鉢合わせた。

「これは一体……貴方は、どちら様なのでしょうか?」

 夕日に染まったような赤い髪に金の瞳。
 公爵に似てはいるが、こちらはより男らしく精悍さがうかがえる顔立ち。
 そんな見た目とは異なり、穏やかな笑みを浮かべた皇帝が、恐る恐る問いかける。

「わらわは、こなたらの“呪いの元”ぞ?」

 その言葉に、皇帝はびくりと身を震わせ、顔色をなくした。

「……もしや、初代皇妃ターニャ様……」

「いかにも。わらわはターニャじゃ」

 その瞬間、護衛騎士が前に出て剣を向けた。

「我が主に剣を向けるなど、しつけがなっておりませんね?」

 悪魔が瞬間移動し、剣先を指でつまむ。

 次の瞬間、剣は錆び、崩れ落ちた。

 騎士たちは青ざめる。

「皇帝よ。皇族の呪いは解いた。これも、ユリアーナ・アメシリア侯令嬢の功績じゃ。代わりに、わらわの望みを叶えてたもれ。」

 獅子のような見た目なのに、皇帝は息を呑み、青ざめた。

「え……呪いを……解いた……? ユリアーナ・アメシリア侯令嬢とは、コンラッドの……」

 ターニャの突然の宣言に、皇帝は混乱した。

 こうしてターニャは、応接室へと招かれる。

 ――今後の話し合いのために。

 応接室に集まったのは、皇帝と皇妃、そして宰相と騎士団長の四名。
 彼らの目の前に座るのは、優雅にお茶をたしなんでいる、ターニャであった。

「まずはこなたらに、これを見てもらいたくてのぉ~。」

 パチンと指を鳴らすと同時に、悪魔が証拠映像を映し出す。

 ――まず、ユリアーナの母と祖父を騙し、侯爵家へ入り込むところから始まった。
 その時点で既に、現侯爵は愛人と深い関係にある。

 次に映ったのは、ユリアーナが生まれた日。
 出産間近の妻を置き去りにし、愛人のもとへ通い詰める男の背中だった。

 そして、母と祖父の死を境に、地獄は露骨になる。

 侍女たちは消えていった。
 ――義母と異母妹に逆らった者から順に。
 庭に“捨てられ”、泣きながら墓を作る幼いユリアーナの姿だけが、淡々と残る。

 別邸には見張りが置かれた。
 だが食事も、人手も、援助もない。
 ユリアーナは古い薬書を頼りに薬を作り、夜に屋敷を抜け出して売り、命を繋いでいた。

 嫌がらせは日常だった。
 罵倒に陰口。
 さらには、毒の混入や日用品への細工。
 畑は荒らされ、屋敷は壊され、逃げ道は塞がれる。

 そして映像は、個人の虐待から領地の惨状へ移る。
 法外な税で搾り取り、贅沢に溺れる侯爵一家。
 払えない者、逆らいそうな者は――禁忌の奴隷売買で“消された”。

 ……そこで、皇妃が顔を押さえ、席を立った。

 皇帝は青ざめたまま、最後まで映像から目を逸らさない。
 宰相はこめかみを押さえ、騎士団長は奥歯を噛みしめていた。

 映像が途切れた時、窓の外はすでに真っ暗だった。
 皇帝は、掠れた息を吐いた。

「――直ちに侯爵一家を取り押さえろ!」

 やっと言葉を絞り出した皇帝の一言で、騎士団長が動き出す。
 途端にお城は、慌ただしくなった。

「国のために、できる限りのことはいたします。それで、ターニャ様の願いとは?」

 やっとの事で落ち着きを取り戻した皇帝が、目の前で静かにお茶を味わうターニャへと問う。
 ターニャは、やっときたかと言わんばかりに、ニヤリと口角をつり上げた。

「明日、あのクソ一家を断罪したら、わらわに……悪魔にくれてやってほしいのじゃ!」

「え……」

 その一言に、皇帝は言葉を失う。

「彼らには私の玩具として、前回同様、いやそれ以上に楽しませていただきます!前のおもちゃは、とっくに美味しくいただいてしまいましたので。ちょうど、新しいのを探していたんですよ。」

 それはそれは美しい笑顔で、悪魔は高揚気味に微笑んだ。
 その笑みに、皇帝と宰相はぞくりと体をこわばらせる。

「それで、皇族の呪いは終いじゃ。簡単であろう?」

「え、ええ……」

「皇帝になり、女にうつつを抜かし、やれ、はーれむは男の夢などとぬかしおって!仕事もろくにせん、腑抜けたやつの子孫を呪うのをやめてやったのじゃ!これくらい安いものであろう?」

「あの……、もしかしてそれが千年も続いた呪いの原因……。」

「あのたわけは、美女の上で『腹上死』するのが夢とか、ようぬかしておったわ! 忌々しい……」

 ターニャの周りから黒い霧がブワリと広がる。

「え? 確か初代カナタ皇帝は、病死と……」

 不思議そうに訪ねる宰相。

 そんな宰相に対し、悪魔は涼しい顔で紅茶を口にした。

「ええ。“女狂い”という難病の末期症状です。なので、叶えて差し上げましたよ?」

「補足するとじゃな、」

 ターニャが口を挟む。

「美女だと思い込んでおった相手が、実は――」

「男性でした!!」

 二人の声が、ぴたりと重なった。

「男の上と知って、あやつは絶望のまま、あの世に旅立ちよったわ。」

「本当に。あの絶望に打ちひしがれた醜い魂は、本当に美味しかった……。」

 楽しそうに笑う悪魔とターニャを見て、皇帝と宰相は冷や汗が止まらない。

「よって明日、そうそうにあの家族を罰せよ!そして、そなたの弟も……」

 その一言に、思わず体を跳ね上がらせる皇帝。

「弟とは……コンラッドがなにかしたのでしょうか?」

「うむ。あやつは、ユリアーナに酷いことをしたのじゃ!わらわは、一言ゆうてやらんと気が済まぬのじゃ!」

 かなりのお怒りようである。

 その証拠に、黒い霧が広範囲に広がっていく。

「こなたら皇族は、どういう教育を……。」

 こうして皇帝と宰相は、朝方までターニャの説教を拝聴することになった。

 ……夜が明けるころ、宰相の胃薬だけが、やけに減っていた。
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