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28-2.
しおりを挟むその選択は、あまりにも二人にとって残酷なものだった。
一つ目は、リナリア自身が召喚聖女であったことを忘れ、何の憂いもなく「この世界に生まれ落ちたリナリア」として生きていくことを指し示していた。聖騎士達含め関わった人間全てから、彼女と過ごした時間の記憶も奪われることで、リナリアの欠けた記憶について彼女を揺さぶる存在もいなくなる。リナリア自身が大切にした経験そのものを奪う選択。
二つ目は、記憶を取り戻すことではなく、まさに過去の「やり直し」だ。だがそれは、自分達がよりよい未来を取捨選択できるようなものではない。理に干渉する能力を失い、フィグルドが予知夢通り、命を落とすかもしれないもう一つの結末を辿れということ。おそらく、やり直したとしても今の自分達の記憶を残したまま、なんて優しい話ではないだろう。
つまり、これは「聖女として歩んできた自分を捨てる」か、「聖女としての過去の自分が窮地を乗り越える力を持っていると信じるか」の二択だ。
リナリアはあまりにも理不尽な選択肢に怒りに震え、とうとう沸点を越え爆発した。
「いい加減にしてよ!私たちはあんたたちの玩具じゃない!勝手に召喚して、勝手に聖騎士にして、それで最後は全部忘れろ?人間の力ではどうにもできない過去をやり直せ?どこまで自分勝手なのよ!」
一度止まっていた涙が再び溢れ出す。だけどそれは、悲しみの涙ではなく、怒りの涙だ。リナリアは拳を握りしめ、震える足を叱咤しながら空中に浮かぶレプスとその肩に乗るティガーを睨みつけた。
「フィグルドは慢心なんてしてない!彼はずっと私を守ってくれてた!愛してくれていた!私は……リナリアは必死でこの世界で聖女を生きていた!ふざけないで!」
一気にまくし立てて、リナリアは肩で息をする。ずっと我慢していた。望みもしないのに召喚されたこと。ただの女子高生である自分に、世界を救うなんて重圧がのしかかった事。仕方がないからと聖女となったけれど、自分なりに浄化の旅を通じてこの世界の人々と触れて、自分なりにやれることがあるならば力になりたい……救いたいと願った。
その中で、聖騎士達がどれだけこの世界を大切に思い、その身を投げうって戦っているかを知った。
彼らの想いを、何故、踏みにじるようなことをよりにもよって「神」が言うのか。
これ以上ないほど敬虔なフィグルドの心を試し傷つける言葉を吐くのか。
「私は……私は……っ神様なんて大っ……!」
嫌い、とそう叫ぼうとした瞬間、フィグルドが立ち上がって、リナリアの口を大きな手で塞いだ。祈るように、リナリアの頭に己の額をこすりつける。
「駄目だ。リナリア……頼む……」
「んん~!」
リナリアの抗議の声に、フィグルドは痛みをこらえるような表情で言い聞かせる。神を拒絶する言葉を口にして、今この精神世界からはじき出されれば、下手したら身体に戻れなくなってしまう。永遠の闇をさ迷うことになってしまうかもしれないのだ。
フィグルドは興奮を鎮めるために、再びリナリアを自分の胸元に顔を押し付けて抱きしめると、レプスとティガーへと視線を移した。
「レプスよ、その二つ目の選択肢を、俺だけ受けることは可能か?」
二人の様子を黙ってみていたレプスが、静かに答える。
『どういう意味?』
「俺は、自分の力で運命を覆せるか挑戦したい。彼女に犠牲を強いるくらいなら、真っ向から立ち向かいたい。だが、彼女に……その結末を見せたくはない」
フィグルドの言葉に、リナリアが抗議するように胸を叩いた。だが、フィグルドの厚い胸板に顔を押し付けられて、声も出せない。
レプスははぁ、と呆れたため息をついた。
『駄目よ。挑戦はしたいけど、失敗したら今のリナリアを、フィグルドという聖騎士の記憶を失ったまま生きていけるようにしろ、ということでしょう?そうすれば、貴方が失敗して居なくなったことも忘れるから、リナリアは辛くないだろうって?そんな矛盾は作れないわ。言ったでしょ。理に干渉する力の代償に記憶を失うのだから。その力を発動させない時間軸で、リナリアがあなたとの記憶を失うことはないわ』
「……っ」
さすがにそんな甘くはないか、とフィグルドは顔を顰める。
真実を知ったフィグルドにとって、己を罰することでリナリアを犠牲にしてしまったことの罪を贖うことが望みだ。
たとえその先に死が待とうとも――――
この世で唯一、愛した彼女を、暗闇から救いたい
胸を叩いていたリナリアが不意に動きを止めた。だらり、と両腕が投げ出され、身体から力が抜け落ちる。
しまった、押し付けすぎて呼吸ができなかったか!?と慌ててフィグルドが腕の力を緩めた瞬間、リナリアはその腕から素早く抜け出ると。
「フィグルドさんのばかぁ!」
ばちん、と両手で挟むように頬を叩かれた。
「神様になんて負けないでよ!記憶なんてなくたって、今度は私が求婚するから」
まっすぐに、黒曜石の瞳が涙を溢れさせてフィグルドを射貫く。
「記憶を失う前の私を、無かったことにしないで!貴方のことを愛した私を!」
がつんと、頭を殴られたような衝撃だった。動けずにいるフィグルドの金褐色の瞳に映ったリナリアは、何かを斬り捨てて諦めるなんて考えていない。強い意思を宿したその瞳が、唇が、フィグルドの心臓を掴む。
「愛してやるわよ!記憶を失う前の私よりももっと!貴方の気持ちを知った私を……最高に幸せな聖女にしてくれるんでしょう?」
泣き笑いの表情で、言い放たれた言葉に、フィグルドはやっと、理解した。
あぁ……そうか。彼女はもう覚悟を決めているんだ。記憶を失った自分のまま、俺と未来を歩むことを。
どうして……君はいつだって俺の想像を軽々と飛び越えていくんだ。
「……あぁ、当然だ」
フィグルドがはっきりと、リナリアの想いに応えた瞬間、バリバリッと雷が落ちるような音が間近で轟いた。
驚く二人の眼前で、虎の頭をした本来の姿の雷神ティガーがレプスの横に顕現していた。パチパチとその周囲に火花が散って、消える。
『……女神レプスの提示するものに加えて、儂からもう一つ、選択肢を与えよう』
ティガーが人差し指をつくって、それをゆっくり二人の足元へ向けた。すると、足元に落ちたままだった手記がふわりと浮いて、ちょうど目線の高さになった。
パラパラと手記のページが捲られていく。
『レプスの伝えたやり直しの地点を「三回目の能力行使」の夜へと変更する。その上で、フィグルド……お主が「真実」に辿り着くことが出来たら』
パラリ、と手記が捲れるのが止まる。そこには、三回目の予知夢をリナリアが書き込んだページが開かれていた。
『――――聖女リナリアの失った記憶を儂とレプスの力で取り戻してやろう』
それは、まさしく運命の試練だ。
三回目の行使ということは、リナリアがフィグルドに関する全ての記憶を忘れ、離縁することを決意した夜。そして、条件は予知夢の回避ではなく、この試練の「真実」に辿り着くこと。
『当然、お前たちに今ここで得た記憶は存在しない』
つまり、フィグルドがリナリアの自己犠牲に気づくことが出来なければ、同じ未来を辿る可能性が十二分にあるということ。それでも、レプスが示した「無の力」を完全になくした状態でのチャレンジより、可能性があるように感じた。
何故なら、一回目の時よりも、三回目の時の方が、すれ違ってはいても、互いを思う気持ちが同じだったからだ。ボタンの掛け違えさえ正せれば、もしかしたらと思える条件だ。
『かまわんな?レプス』
ティガーの静かな問いかけに、レプスは薄く唇に笑みを浮かべることで答えた。
ティガーから与えられた第三の選択肢に、リナリアとフィグルドは互いに顔を見合わせる。
フィグルドは、リナリアを安心させるように、しっかりと一つ頷いてから、ティガーの方を再び向いた。
「その試練、挑戦させてくれ」
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