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第1章
第5話:埃の中の記憶
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翌朝、高い位置にある細長いスリット状の窓から、薄汚れた灰色の光が差し込んだ。その弱々しい光がまぶたを叩き、僕は重い意識を浮上させる。
昨日、限界を迎えて崩れ落ちた床は、一晩中僕の体温を奪い続けていた。起き上がろうとするたびに、体の節々が錆びついた蝶番のように悲鳴を上げ、鈍い痛みが全身を駆け巡る。
鉛のような体を引きずり、ようやく上体を起こして周囲を見渡すと、改めてこの場所に漂う「死」の気配を突きつけられた。
高い天井や柱の装飾には、かつてここが栄華を誇っていた名残が微かに見え隠れする。しかし今は、万年雪のように降り積もった分厚い埃と、幾重にも重なり天幕のようになった蜘蛛の巣が、部屋の四隅を支配していた。僕という異物が強引に運び込まれるまで、ここは数十年の間、時を止めていたのだ。
「……まずは、ここを人の住める場所にしないと」
掠れた声が、虚しく静寂に吸い込まれていく。
僕は震える膝を叩いて立ち上がると、まずは掃除道具を探して彷徨った。台所の隅にある建付けの悪い物入れをこじ開けると、そこには柄に大きなひび割れが入った竹箒と、何度も洗濯を繰り返して薄くなった古ぼけた布切れが、忘れ去られたように転がっていた。
箒を動かし始めると、それだけで視界が白く濁るほどの埃が舞い上がった。粒子が鼻や喉を刺激し、僕は胃の底から込み上げるような激しい咳に襲われる。
前世の僕なら、掃除機一つのスイッチで終わる作業だった。ボタン一つで汚れが消える、清潔な世界。けれど今の僕にあるのは、折れそうなほど細い腕と、いつ折れてもおかしくない一本の箒だけだ。
サッ、サッ、という乾いた音だけが、不気味なほど静まり返った塔内に虚しく響く。
もしこの音を止めてしまったら、この世界の誰からも忘れ去られたという孤独に押しつぶされてしまいそうで、僕は取り憑かれたように必死に手を動かし続けた。
二階の居住スペースの床をひと通り掃き出すだけで、たっぷり数時間はかかった。
しかし、埃の下から現れたのは、磨けば光りそうなほど美しい石の象嵌模様だった。誰も見ていない。僕を褒めてくれる者も、ここには一人としていない。けれど、自分の手で少しだけ「生の世界」に近づけた床を見て、僕は凍りついた心の端っこに、ほんの僅かな温かい達成感を覚えた。
「次は、あのベッド……だよね」
寝室らしき部屋の隅に鎮座しているのは、鼻をつくカビ臭さを放つ天蓋付きのベッドだった。
かつて住んでいた人はこの場所で、どんな思いで眠りについていたのだろうか。布地は指先が沈み込むほど上等なものだが、長年の放置と湿気により、今や見る影もないほどに薄汚れている。
意を決して重たい掛け布団を剥ぎ取ると、先ほどとは比較にならないほどの埃の猛吹雪が舞った。
これをこのまま使う勇気はない。少なくとも、このままここで横たわれば、肺をやられて死ぬだろう。不格好でもいいから、せめて洗わなければならない。
水を吸っていない状態でも、厚手のシーツは、今の僕の腕には岩のような重みとなってのしかかる。
体力の低下は、想像以上に深刻だった。一歩歩くごとに肺が焼け付くように熱くなり、視界の端が火花を散らすようにチカチカと明滅する。それでも僕は、脂汗を流しながら、汚れた布の塊を抱えてさらに下層へと続く階段を降りることにした。
今夜は、清潔な場所で眠りたい。
明日への希望など持てないこの場所で、そんな人間として当たり前の欲求だけが、僕の足を動かし続ける唯一の原動力だった。
昨日、限界を迎えて崩れ落ちた床は、一晩中僕の体温を奪い続けていた。起き上がろうとするたびに、体の節々が錆びついた蝶番のように悲鳴を上げ、鈍い痛みが全身を駆け巡る。
鉛のような体を引きずり、ようやく上体を起こして周囲を見渡すと、改めてこの場所に漂う「死」の気配を突きつけられた。
高い天井や柱の装飾には、かつてここが栄華を誇っていた名残が微かに見え隠れする。しかし今は、万年雪のように降り積もった分厚い埃と、幾重にも重なり天幕のようになった蜘蛛の巣が、部屋の四隅を支配していた。僕という異物が強引に運び込まれるまで、ここは数十年の間、時を止めていたのだ。
「……まずは、ここを人の住める場所にしないと」
掠れた声が、虚しく静寂に吸い込まれていく。
僕は震える膝を叩いて立ち上がると、まずは掃除道具を探して彷徨った。台所の隅にある建付けの悪い物入れをこじ開けると、そこには柄に大きなひび割れが入った竹箒と、何度も洗濯を繰り返して薄くなった古ぼけた布切れが、忘れ去られたように転がっていた。
箒を動かし始めると、それだけで視界が白く濁るほどの埃が舞い上がった。粒子が鼻や喉を刺激し、僕は胃の底から込み上げるような激しい咳に襲われる。
前世の僕なら、掃除機一つのスイッチで終わる作業だった。ボタン一つで汚れが消える、清潔な世界。けれど今の僕にあるのは、折れそうなほど細い腕と、いつ折れてもおかしくない一本の箒だけだ。
サッ、サッ、という乾いた音だけが、不気味なほど静まり返った塔内に虚しく響く。
もしこの音を止めてしまったら、この世界の誰からも忘れ去られたという孤独に押しつぶされてしまいそうで、僕は取り憑かれたように必死に手を動かし続けた。
二階の居住スペースの床をひと通り掃き出すだけで、たっぷり数時間はかかった。
しかし、埃の下から現れたのは、磨けば光りそうなほど美しい石の象嵌模様だった。誰も見ていない。僕を褒めてくれる者も、ここには一人としていない。けれど、自分の手で少しだけ「生の世界」に近づけた床を見て、僕は凍りついた心の端っこに、ほんの僅かな温かい達成感を覚えた。
「次は、あのベッド……だよね」
寝室らしき部屋の隅に鎮座しているのは、鼻をつくカビ臭さを放つ天蓋付きのベッドだった。
かつて住んでいた人はこの場所で、どんな思いで眠りについていたのだろうか。布地は指先が沈み込むほど上等なものだが、長年の放置と湿気により、今や見る影もないほどに薄汚れている。
意を決して重たい掛け布団を剥ぎ取ると、先ほどとは比較にならないほどの埃の猛吹雪が舞った。
これをこのまま使う勇気はない。少なくとも、このままここで横たわれば、肺をやられて死ぬだろう。不格好でもいいから、せめて洗わなければならない。
水を吸っていない状態でも、厚手のシーツは、今の僕の腕には岩のような重みとなってのしかかる。
体力の低下は、想像以上に深刻だった。一歩歩くごとに肺が焼け付くように熱くなり、視界の端が火花を散らすようにチカチカと明滅する。それでも僕は、脂汗を流しながら、汚れた布の塊を抱えてさらに下層へと続く階段を降りることにした。
今夜は、清潔な場所で眠りたい。
明日への希望など持てないこの場所で、そんな人間として当たり前の欲求だけが、僕の足を動かし続ける唯一の原動力だった。
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