虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第1章

第6話:底冷えの地下水

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 湿って重さを増したシーツの塊を肩に担ぎ、僕は塔の最下層、地下へと続く螺旋階段を下りていた。 

 一段降りるごとに、肌をなでる空気の温度が目に見えて下がっていく。肺に吸い込む空気は重く、湿り気を帯び、どこか錆びた鉄のような匂いが混じっていた。カチ、カチと、僕の靴音だけが冷たい壁に跳ね返り、奈落へ吸い込まれていく。

 階段を降り切った先に広がっていたのは、洞窟の一部を削り出したような小さな石造りの水場だった。 

 岩肌の隙間から、絶え間なく地下水が滴り落ちている。それが長い年月をかけて底の浅い池を作り、静まり返った空間で銀色の光を放っていた。

「……よかった。水は、生きてる」

 僕はその場に崩れるように跪き、そっと水面に指を浸した。 

 刹那、脳を直接殴られたような衝撃が走る。容赦のない刺すような冷たさ。魔力という内側からの熱源を奪われ、防寒のための魔法さえ使えない今の僕にとって、その水は優しさなど微塵もない、鋭利な刃そのものだった。

 かつての暮らしにあったような、温水蛇口などここにはない。僕は隅に転がっていた古い木桶を手に取ると、感覚を失いかけそうになる手を叱咤し、何度も、何度も水を汲み上げた。 

 乾いて固着していた汚れをふやかすように、重たいシーツを水底へ沈める。

 バシャ、バシャッ……。 

 水音が異常なほど大きく地下室に反響し、僕の孤独を強調する。石鹸なんて気の利いたものはどこにもない。僕は指の節々を赤く腫らしながら、ただ冷たい水の中で布を押し込み、岩盤に叩きつけるようにして汚れを追い出した。

「冷たい……、っ、いたい……」

 もはや「冷たい」という感覚は「痛み」へと変貌していた。指先はどす黒い赤紫色に染まり、自分の手ではないような違和感が広がる。 

 前世では、指先一つで洗濯から乾燥までが完結していた。真冬でも蛇口を捻れば、湯気が立ち上るお湯が出るのが当たり前だった。そんな温室のような世界にいた自分が、今、名もなき塔の地下で、氷のような水に手を突き立てて泥を洗っている。

 あまりに落差の激しい現実が、冷水を浴びせられたように鮮明な事実として迫ってくる。 

 僕は一度死んで、この見知らぬ異世界に放り込まれた。名前も、自由も、未来も奪われ、一生をこの冷たい石の檻で、死ぬまで魔力を搾り取られるためだけに生かされるのだ。

 ふと、乱れた水面に映る「レリル」の顔と目が合った。 

 銀糸のような髪に、吸い込まれそうな瞳。紛れもなく絶世の美人だ。けれど、そこに写っているのは、ひどく青白く、生気を失い、絶望の影に塗りつぶされた幽霊のような顔だった。

「……泣いちゃダメだ。泣いたら、もっと体温が逃げる……」

 強がりは、水面に落ちたひと筋の涙が作った波紋にあっけなくかき消された。 

 冷水に触れ続けていると、水の冷たさが心の芯まで浸食し、内側から凍りついていくような恐怖を覚える。

 どれほどの時間が経っただろう。ようやく洗い終えたシーツを絞る気力さえ、もう残っていなかった。僕はびしょ濡れの布を這うようにして肩に担ぎ、折れそうな膝を突きながら、一歩ずつ、一段ずつ、地上へと這い上がった。

 その日の夜。 

 脱水もできず、湿り気が残ったままのシーツを広げる体力さえ僕にはなかった。 

 僕はただ、硬く冷たい床の上に、獣のように丸まって目を閉じた。全身の震えが止まらず、ガチガチと奥歯が鳴る。 

 それでも、今日一日の過酷な労働だけが、慈悲のように僕を深い眠りの淵へと引きずり込んでいった。
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