虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

文字の大きさ
8 / 72
第1章

第7話:静寂の迷宮

しおりを挟む
 三日目の朝。 

 体に蓄積された疲労は、昨日よりもさらに鋭い重みとなって僕を押し潰していた。まぶたを開けるだけで体力を使い果たしそうで、床から這い上がるまでに数分もの時間を要した。 

 二階の居住スペースには、昨日干したシーツが幽霊のようにぶら下がっている。半乾きの布が放つ湿り気と、冷えた石壁の匂いが混じり合い、空気はどこまでも重苦しい。僕はその閉塞感から逃げ出すように、まだ足を踏み入れていない塔の上層階へと向かうことにした。

 石造りの螺旋階段は、上へ進むほどに窓が小さくなり、光が失われていく。 

 一歩踏み出すごとに、カツン、カツン、と乾いた足音が不自然なほど鮮明に響いた。この塔の心臓の音を刻んでいるのは、世界で自分一人だけなのだと、その反響が冷酷に突きつけてくる。

「……三階、か」

 階段の終点に、分厚い木の扉が待ち構えていた。 

 建付けが悪くなっているのか、肩を押し当てて力を込めると「ギギギ……」と、何十年も眠っていた怪物が目を覚ましたような、耳障りな悲鳴を上げて扉が開く。

 扉の先に広がっていたのは、驚くほど広大な空間だった。 

 壁という壁を埋め尽くしているのは、天井まで届く巨大な書架。そこには、背表紙の擦り切れた膨大な数の古書が、隙間なく並んでいる。高い位置にある小窓から差し込む一筋の光が、金色の帯となって宙に舞う埃を照らし出していた。それは幻想的であると同時に、あまりに静謐な、死んだような景色だった。

 僕は吸い寄せられるように、一列の書棚へと歩み寄り、指を滑らせた。 

 指先を伝わる、古い羊皮紙とインクの枯れた匂い。かつてこの場所で、誰かが呼吸をし、これらの本を熱心に読み耽っていたという確かな気配。

「これは……」

 一冊、特に背表紙の傷みが激しい本を棚から引き抜いてみる。 

 タイトルは『魔力欠乏症における生理的影響とその緩和策』。その隣にあるのは『非魔導的処置による解剖医学』。

 魔力が文明の礎であり、すべてが魔法で解決されるこの世界において、あえて「魔法を使わない医学」や「魔力のない肉体」について論じた本がこれほど集められているのは、異様な光景だった。異端の極みといってもいい。

 以前ここに住んでいた人間は、一体誰だったのだろう。 

 僕のように魔力を奪われ、じわじわと死にゆく病に侵されていたのか。それとも、魔力に依存しきったこの世界の在り方に疑問を抱き、別の生き方を模索していたのか。

 震える手で本を開くと、余白には細かな文字でびっしりと書き込みがなされていた。 

 掠れたインクの跡は、絶望の暗闇の中で一筋の光を掴み取ろうとする、誰かの凄まじい執念の痕跡のように見えた。何度も何度もペン先を走らせたせいで、紙が薄くなっている箇所さえある。

 今の僕と同じように。 

 この塔という孤独な檻に閉じ込められ、自分に抗えない不条理な運命と戦っていた誰かが、確かにここにいたのだ。 

 そう思った瞬間、得体の知れない親近感と、それ以上に深い、胸を締め付けるような寂しさが込み上げてきた。

 僕は埃の積もった床にそのまま座り込み、まだ見ぬ前住人の足跡を辿るように、頁をめくった。 

 ページをめくるたびに、僕の心の中に眠っていた「生への渇望」が、静かに火を灯し始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

僕を振った奴がストーカー気味に口説いてきて面倒臭いので早く追い返したい。執着されても城に戻りたくなんてないんです!

迷路を跳ぶ狐
BL
*あらすじを改稿し、タグを編集する予定です m(_ _)m後からの改稿、追加で申し訳ございません (>_<)  社交界での立ち回りが苦手で、よく夜会でも失敗ばかりの僕は、いつも一族から罵倒され、軽んじられて生きてきた。このまま誰からも愛されたりしないと思っていたのに、突然、ろくに顔も合わせてくれない公爵家の男と、婚約することになってしまう。  だけど、婚約なんて名ばかりで、会話を交わすことはなく、同じ王城にいるはずなのに、顔も合わせない。  それでも、公爵家の役に立ちたくて、頑張ったつもりだった。夜遅くまで魔法のことを学び、必要な魔法も身につけ、僕は、正式に婚約が発表される日を、楽しみにしていた。  けれど、ある日僕は、公爵家と王家を害そうとしているのではないかと疑われてしまう。  一体なんの話だよ!!  否定しても誰も聞いてくれない。それが原因で、婚約するという話もなくなり、僕は幽閉されることが決まる。  ほとんど話したことすらない、僕の婚約者になるはずだった宰相様は、これまでどおり、ろくに言葉も交わさないまま、「婚約は考え直すことになった」とだけ、僕に告げて去って行った。  寂しいと言えば寂しかった。これまで、彼に相応しくなりたくて、頑張ってきたつもりだったから。だけど、仕方ないんだ……  全てを諦めて、王都から遠い、幽閉の砦に連れてこられた僕は、そこで新たな生活を始める。  食事を用意したり、荒れ果てた砦を修復したりして、結構楽しく暮らせていると思っていたのだが…… *残酷な描写があり、たまに攻めが受け以外に非道なことをしたりしますが、受けには優しいです。

姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました

彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。 姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

声だけカワイイ俺と標の塔の主様

鷹椋
BL
※第2部準備中。  クールで男前な見た目に反し、透き通るような美しい女声をもつ子爵子息クラヴィス。前世を思い出し、冷遇される環境からどうにか逃げだした彼だったが、成り行きで性別を偽り大の男嫌いだという引きこもり凄腕魔法使いアルベルトの使用人として働くことに。 訳あって視力が弱い状態のアルベルトはクラヴィスが男だと気づかない。むしろその美声を気に入られ朗読係として重宝される。 そうして『メイドのリズ』として順調に仕事をこなしていたところ、今度は『無口な剣士クラヴィス』としても、彼と深く関わることになってしまって――

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

悪役の僕 何故か愛される

いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ 王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。 悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。 そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて… ファンタジーラブコメBL 不定期更新

処理中です...