虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第1章

第7話:静寂の迷宮

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 三日目の朝。 

 体に蓄積された疲労は、昨日よりもさらに鋭い重みとなって僕を押し潰していた。まぶたを開けるだけで体力を使い果たしそうで、床から這い上がるまでに数分もの時間を要した。 

 二階の居住スペースには、昨日干したシーツが幽霊のようにぶら下がっている。半乾きの布が放つ湿り気と、冷えた石壁の匂いが混じり合い、空気はどこまでも重苦しい。僕はその閉塞感から逃げ出すように、まだ足を踏み入れていない塔の上層階へと向かうことにした。

 石造りの螺旋階段は、上へ進むほどに窓が小さくなり、光が失われていく。 

 一歩踏み出すごとに、カツン、カツン、と乾いた足音が不自然なほど鮮明に響いた。この塔の心臓の音を刻んでいるのは、世界で自分一人だけなのだと、その反響が冷酷に突きつけてくる。

「……三階、か」

 階段の終点に、分厚い木の扉が待ち構えていた。 

 建付けが悪くなっているのか、肩を押し当てて力を込めると「ギギギ……」と、何十年も眠っていた怪物が目を覚ましたような、耳障りな悲鳴を上げて扉が開く。

 扉の先に広がっていたのは、驚くほど広大な空間だった。 

 壁という壁を埋め尽くしているのは、天井まで届く巨大な書架。そこには、背表紙の擦り切れた膨大な数の古書が、隙間なく並んでいる。高い位置にある小窓から差し込む一筋の光が、金色の帯となって宙に舞う埃を照らし出していた。それは幻想的であると同時に、あまりに静謐な、死んだような景色だった。

 僕は吸い寄せられるように、一列の書棚へと歩み寄り、指を滑らせた。 

 指先を伝わる、古い羊皮紙とインクの枯れた匂い。かつてこの場所で、誰かが呼吸をし、これらの本を熱心に読み耽っていたという確かな気配。

「これは……」

 一冊、特に背表紙の傷みが激しい本を棚から引き抜いてみる。 

 タイトルは『魔力欠乏症における生理的影響とその緩和策』。その隣にあるのは『非魔導的処置による解剖医学』。

 魔力が文明の礎であり、すべてが魔法で解決されるこの世界において、あえて「魔法を使わない医学」や「魔力のない肉体」について論じた本がこれほど集められているのは、異様な光景だった。異端の極みといってもいい。

 以前ここに住んでいた人間は、一体誰だったのだろう。 

 僕のように魔力を奪われ、じわじわと死にゆく病に侵されていたのか。それとも、魔力に依存しきったこの世界の在り方に疑問を抱き、別の生き方を模索していたのか。

 震える手で本を開くと、余白には細かな文字でびっしりと書き込みがなされていた。 

 掠れたインクの跡は、絶望の暗闇の中で一筋の光を掴み取ろうとする、誰かの凄まじい執念の痕跡のように見えた。何度も何度もペン先を走らせたせいで、紙が薄くなっている箇所さえある。

 今の僕と同じように。 

 この塔という孤独な檻に閉じ込められ、自分に抗えない不条理な運命と戦っていた誰かが、確かにここにいたのだ。 

 そう思った瞬間、得体の知れない親近感と、それ以上に深い、胸を締め付けるような寂しさが込み上げてきた。

 僕は埃の積もった床にそのまま座り込み、まだ見ぬ前住人の足跡を辿るように、頁をめくった。 

 ページをめくるたびに、僕の心の中に眠っていた「生への渇望」が、静かに火を灯し始めていた。
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