虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

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第2章

第39話:涙の温もり

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「大丈夫か! レリル! しっかりしろ!」

 鼓膜を激しく震わせる、切実で必死な叫び声。重い瞼をようやく持ち上げると、すぐ目の前には、見たこともないほど苦渋に顔を歪めたヨハンの姿があった。 

 魔力を根こそぎ奪われた後の凄まじい激痛の余韻と、たった今まで見ていたあの忌まわしい過去の残像――顔面を硬い軍靴で蹴り飛ばされた衝撃と、世界から見捨てられたような底なしの絶望が、まだ生々しい熱を持って脳裏にべったりと張り付いている。

 混濁した意識の中で、僕は恐怖に支配された過去の自分に引きずられるように、反射的に、ひどく掠れた声で言葉を発していた。

「……はい、わかりました……すみません、許して……っ」

「謝るな! 貴様は何も悪いことなどしていない!」

 ヨハンの声は地を這うように低く、けれど、まるで自分自身が傷ついているかのように酷く痛みを堪える響きを帯びていた。 

 今の僕は、目の前のヨハンに暴力を振るわれると思ったわけじゃない。今の彼が優しいことくらい、心では分かっている。ただ、夢の中で見たあの「大人」の、絶対的な支配者としての暴力が、あまりにも怖くて、抗いようがなかったのだ。

「……気分はどうだ。少しでも、食事が取れそうか? 身体を温めるスープを用意した」

 ヨハンが震える僕を落ち着かせるように差し出してきたのは、白い湯気が立ち上る、滋味豊かな香りのする温かなスープだった。 

 彼は衰弱しきった僕の身体を大きな腕で支え、まるで幼子に接するように、慎重な手つきでスプーンを口元へと運んでくれる。その無骨な指先は、僕を傷つけぬよう驚くほど優しく、細やかな配慮に満ちていた。

 魔力抽出の後必ず見る――夢の中のあの子はどうしてこんなひどい目に遭っているんだ。 

 大人たちに都合よく買い叩かれ、守ってくれるはずの存在に蹴り飛ばされ、体も心もズタズタに引き裂かれるような暗闇の中に、たった独りで置き去りにされていた。

 そんな惨たらしい過去を、あたかも自分自身の体験として共有してしまったパニック。そして、その地獄のような記憶とはあまりにかけ離れた、目の前のヨハンの無骨な温かさ。その埋めようのない残酷な差に、僕はもう耐えきれなかった。

「……っ、う……あ、ああ……」

 瞳から大粒の涙がボロボロと溢れ出し、止めることができない。 

 突然、子供のように声を上げて泣き出した僕を見て、ヨハンはまるで心臓を素手で握り潰されたかのような、悲痛極まりない表情を浮かべた。

「……すまない。本当に、すまない……っ。月に一度、貴殿に魔力を提供させ、その命を削るような真似を強いる……この国の冷酷な命令に、今の俺の力では抗うことができないのだ。……それに我が領は、もうすぐ魔物の活動が活発になる『大冬』の時期に入る。民を守るためには、どうしても魔石の貯蓄が不可欠で……」

 ヨハンは、僕が「魔力を奪われる時の耐えがたい激痛」と、彼への恐怖のせいで泣いているのだと固く信じ込み、己の無力さを呪うように何度も、何度も掠れた声で謝り続けてくれた。 

 でも、今の僕にとっては、その自責の念すらも救いのように温かいと感じていた。 

 少なくともこの人は、僕を使い捨ての道具としてではなく、痛みを感じ、涙を流す、血の通った一人の「人間」として正視してくれている。

 差し出されたスープは、こぼれ落ちた涙の味と一緒に、ゆっくりと、けれど確かに、僕の奥底で凍りついていた心を芯から温めていった。
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