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第1章:氷の王座と、崩れゆく嘘
第9話:アルヴィスの激昂
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セシルが意識を取り戻したのは、丸一日が経過した後のことだった。
全身を刺すような痛み。特に、無理やり魔力を遮断された回路は、今も熱鉄を流し込まれたように熱く脈打っている。
「……あ、ぐ……」
掠れた声を漏らし、セシルはゆっくりと目を開けた。
そこは自分の寝室だった。だが、いつもの清潔な静寂はない。部屋中には、何かを叩きつけたような破壊の跡があり、重苦しい殺気が充満していた。
寝台の傍らの椅子に、アルヴィスが座っていた。
彼は甲冑を脱ぎ、薄汚れたシャツ一枚の姿だったが、その手にはまだ自分の血とセシルの血がこびりついている。彼は微動だにせず、ただ、覚醒したセシルを濁った瞳で見つめていた。
「……アルヴィス。……儀式は、どうなった」
開口一番、自分の体よりも「国の都合」を案じたその言葉が、アルヴィスの堪忍袋の緒を最後の一分で引きちぎった。
「――儀式だと?」
アルヴィスが立ち上がった。その拍子に椅子が倒れ、大きな音が響く。
彼は一歩、また一歩とセシルを追い詰めるように寝台へ近づき、その細い肩を、骨が鳴るほどの力で掴み上げた。
「儀式がどうなったか、だと!? 貴方は……貴方は自分が今、どんな姿をしているか分かっているのか! 死人だ! どこからどう見ても、貴方はもう、生きた人間の顔をしていない!!」
「……っ、離せ……、アルヴィス……!」
「離さない! 二度と離すものか!」
アルヴィスの叫びは、もはや怒りというより悲鳴に近かった。
彼はセシルを寝台に押し倒し、その胸ぐらを引き寄せて顔を近づける。アルヴィスの瞳からは、大粒の涙が零れ落ち、セシルの頬を濡らした。
「自分を殺してまで守る価値が、この国にあるのか!? 貴方が血を吐いて、寿命を切り売りして…。奴らの平和は、貴方の死肉を喰らって成り立つ、薄汚い虚飾だ! 健やかに笑う子供も、豊作を喜ぶ農民も、俺には貴方の命を啜る寄生虫にしか見えない……! そんなものに何の意味があるんだ! 答えろ、セシル!」
「……それが、王の、仕事だ……」
「そんな仕事、クソ食らえだ!!」
アルヴィスの拳が、セシルの頭のすぐ横の枕を殴り抜いた。
衝撃で寝台が大きく揺れる。セシルは恐怖に身を竦めたが、アルヴィスの瞳にあるのは、自分への加害心ではなく、どうしようもないほどの「絶望」だった。
「セシルが死んで、緑が溢れる国に、誰が住みたいと思うんだ! ……俺にとって貴方のいない世界なんて、灰の山と同じだ!」
「……アルヴィス……お前は、騎士だろう……。アドレアンを、愛していると……そう、あるべきだ……」
「愛していたさ! 貴方が健やかに笑っていられた、あのアドレアンならな!!」
アルヴィスは吠えるように叫び、セシルの肩を指が食い込むほど強く掴んだ。
「だが、今のこの国はどうだ!? 貴方を祭壇に縛り付け、その命を供物にして、生贄の血で喉を潤しているだけの化け物じゃないか! 貴方を食い潰して生き長らえるこんな国など、俺の剣で、今すぐ叩き壊して灰にしてやりたいぐらいだ!!」
アルヴィスの告白は、あまりにも重く、主従としての越えてはならない線を完全に踏み越えていた。
セシルは、自分を押しつぶさんばかりのアルヴィスの熱量に、言葉を失った。
今のアルヴィスには、何を言っても届かない。
彼は、セシルという存在を失う恐怖で狂っている。
だが、セシルにとっても、この十二年続けてきた「自己犠牲」だけが、自分が生きていていい唯一の理由だったのだ。それを否定されることは、セシルの存在そのものを消されるのと同じことだった。
「……なら、お前は……私の隣にいるべきじゃない。……私は、王だ。国を、棄てられない」
「…………」
アルヴィスの動きが、ぴたりと止まった。
彼は、絶望に染まった瞳でセシルを見つめ、ゆっくりとその手を離した。
「……そうか。……あくまで、俺よりもその『嘘』を選ぶというのだな」
アルヴィスの声から、温度が消えた。
それは、燃え盛る炎が突如として氷結したような、静かで恐ろしい冷気だった。
「分かった。……頭を冷やしてくる。……陛下、御身を大切に。私が戻るまで、その『大切な国』と心中でもしているがいい」
アルヴィスは一度も振り返ることなく、寝室を飛び出していった。
バタン、と重い扉の閉まる音が、セシルの心臓に深く突き刺さる。
静寂が戻った部屋の中で、セシルは一人、震える手でシーツを握りしめた。
(……ああ。……つい、に……独りになった)
唯一の味方であり、唯一の理解者であった男が、去っていった。
それは、セシルが最も恐れ、そしてどこかで願っていた「完全な孤独」の始まりだった。
全身を刺すような痛み。特に、無理やり魔力を遮断された回路は、今も熱鉄を流し込まれたように熱く脈打っている。
「……あ、ぐ……」
掠れた声を漏らし、セシルはゆっくりと目を開けた。
そこは自分の寝室だった。だが、いつもの清潔な静寂はない。部屋中には、何かを叩きつけたような破壊の跡があり、重苦しい殺気が充満していた。
寝台の傍らの椅子に、アルヴィスが座っていた。
彼は甲冑を脱ぎ、薄汚れたシャツ一枚の姿だったが、その手にはまだ自分の血とセシルの血がこびりついている。彼は微動だにせず、ただ、覚醒したセシルを濁った瞳で見つめていた。
「……アルヴィス。……儀式は、どうなった」
開口一番、自分の体よりも「国の都合」を案じたその言葉が、アルヴィスの堪忍袋の緒を最後の一分で引きちぎった。
「――儀式だと?」
アルヴィスが立ち上がった。その拍子に椅子が倒れ、大きな音が響く。
彼は一歩、また一歩とセシルを追い詰めるように寝台へ近づき、その細い肩を、骨が鳴るほどの力で掴み上げた。
「儀式がどうなったか、だと!? 貴方は……貴方は自分が今、どんな姿をしているか分かっているのか! 死人だ! どこからどう見ても、貴方はもう、生きた人間の顔をしていない!!」
「……っ、離せ……、アルヴィス……!」
「離さない! 二度と離すものか!」
アルヴィスの叫びは、もはや怒りというより悲鳴に近かった。
彼はセシルを寝台に押し倒し、その胸ぐらを引き寄せて顔を近づける。アルヴィスの瞳からは、大粒の涙が零れ落ち、セシルの頬を濡らした。
「自分を殺してまで守る価値が、この国にあるのか!? 貴方が血を吐いて、寿命を切り売りして…。奴らの平和は、貴方の死肉を喰らって成り立つ、薄汚い虚飾だ! 健やかに笑う子供も、豊作を喜ぶ農民も、俺には貴方の命を啜る寄生虫にしか見えない……! そんなものに何の意味があるんだ! 答えろ、セシル!」
「……それが、王の、仕事だ……」
「そんな仕事、クソ食らえだ!!」
アルヴィスの拳が、セシルの頭のすぐ横の枕を殴り抜いた。
衝撃で寝台が大きく揺れる。セシルは恐怖に身を竦めたが、アルヴィスの瞳にあるのは、自分への加害心ではなく、どうしようもないほどの「絶望」だった。
「セシルが死んで、緑が溢れる国に、誰が住みたいと思うんだ! ……俺にとって貴方のいない世界なんて、灰の山と同じだ!」
「……アルヴィス……お前は、騎士だろう……。アドレアンを、愛していると……そう、あるべきだ……」
「愛していたさ! 貴方が健やかに笑っていられた、あのアドレアンならな!!」
アルヴィスは吠えるように叫び、セシルの肩を指が食い込むほど強く掴んだ。
「だが、今のこの国はどうだ!? 貴方を祭壇に縛り付け、その命を供物にして、生贄の血で喉を潤しているだけの化け物じゃないか! 貴方を食い潰して生き長らえるこんな国など、俺の剣で、今すぐ叩き壊して灰にしてやりたいぐらいだ!!」
アルヴィスの告白は、あまりにも重く、主従としての越えてはならない線を完全に踏み越えていた。
セシルは、自分を押しつぶさんばかりのアルヴィスの熱量に、言葉を失った。
今のアルヴィスには、何を言っても届かない。
彼は、セシルという存在を失う恐怖で狂っている。
だが、セシルにとっても、この十二年続けてきた「自己犠牲」だけが、自分が生きていていい唯一の理由だったのだ。それを否定されることは、セシルの存在そのものを消されるのと同じことだった。
「……なら、お前は……私の隣にいるべきじゃない。……私は、王だ。国を、棄てられない」
「…………」
アルヴィスの動きが、ぴたりと止まった。
彼は、絶望に染まった瞳でセシルを見つめ、ゆっくりとその手を離した。
「……そうか。……あくまで、俺よりもその『嘘』を選ぶというのだな」
アルヴィスの声から、温度が消えた。
それは、燃え盛る炎が突如として氷結したような、静かで恐ろしい冷気だった。
「分かった。……頭を冷やしてくる。……陛下、御身を大切に。私が戻るまで、その『大切な国』と心中でもしているがいい」
アルヴィスは一度も振り返ることなく、寝室を飛び出していった。
バタン、と重い扉の閉まる音が、セシルの心臓に深く突き刺さる。
静寂が戻った部屋の中で、セシルは一人、震える手でシーツを握りしめた。
(……ああ。……つい、に……独りになった)
唯一の味方であり、唯一の理解者であった男が、去っていった。
それは、セシルが最も恐れ、そしてどこかで願っていた「完全な孤独」の始まりだった。
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