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六十四話〜現実〜
しおりを挟む「ーーそれで彼女は毎回、自分の物は強請らずに人の為に強請ってくるんだ。慈悲深いと思わないか? いや、絶対に思う筈だ。もし思わない人間がいるなら、それは頭がおかしい人間だ」
「いや、頭がおかしいのはお前だろう」
暫く黙って話を聞いていたセルジュが呆れたようにため息を吐く。
「私は至って正常だ」
実は今夜は久々にセルジュを誘い、いつもの店で食事をしていた。そして、長々とユーリウスが近況報告をしていた所だ。
「確かに元々正常じゃないのがお前だが、今のお前も正常じゃないだろう」
いくら古い付き合いとはいえかなり失礼な発言にいつものユーリウスならば腹を立てていた事だろう。だが、今日はまるで腹が立たない。言いたければ好きなだけ言えばいいと思う程に気分が良い。
「少し前までの私は知らなかったんだ。だが、今の私は違う」
意味深長に言って不敵に笑って見せるとセルジュは怪訝な表情を浮かべる。
「以前君が話していた事を今正に実感している」
以前セルジュから誰か一人を本気で愛して護る事は快楽にも勝ると言われ、あの時は鼻で笑ったが今はその意味を理解した。
エレノラと初めて街へ出掛けたのは一ヶ月半前の事だ。あれから週に一回、今日までに計七回も一緒に出掛けている。
無論報酬を払い好きな物を買ってやってはいるが、少しずつ進展もしていた。
「実は昨日のデートで、遂に手を繋いだんだ」
ユーリウスは鼻高々に話す。
中々言い出せずに苦労をしたが、昨日のデートでようやく手を繋ぐ許可を貰えた。
身体は抱き締めたら折れてしまいそうな程に細いのに、彼女の小さな手は程よく肉付きがあり柔らかかった。
情けないが暫く女性と閨を共にしていない事もあり、手を繋いだだけで少し高揚感を覚えてしまった。今思い出すだけでも……。
「はぁ……それもどうせ、お金を払ったんだろう?」
セルジュは椅子に凭れ掛かり哀れみの視線を向けてくる。
「それの何が悪いんだ」
「いや、そもそも報酬払わないと妻とデート出来ないとか俺からしたら異様だと思うぞ」
「それは……」
「俺も妻とのデートで好きな物を買ってやったりはするが、デートそのものに対価は払わない。ユーリウス、お前がしている事は娼館で女を買っている事と大差ないんじゃないか?」
「っーー」
その言葉に冷や水を浴びせられたように感じ、浮かれていた気持ちが一気に冷めていく。
最近ではただ出掛けるだけではなく普通に笑って会話もしてくれるようになったと思っていた。だがそれが急に全て偽物だったように思えて放心状態に陥る。
「今のままだと、いつまでも本当の意味で夫婦にはなれないぞ。そうなれば、何れ離縁なんて事もあり得るかもな」
”離縁”の言葉に我に返りピクリと身体を震わした。
「それなら、どうしたらいいんだっ」
彼に腹を立てても仕方がないと分かっているが、無意識に鋭い視線を向けてしまう。
「そんな事、自分で考えろ。俺が教えたら意味がないだろう」
セルジュの言っている事は正論だ。そんな事は分かっている。分かっているが、どうすればいいのか……。
(自分でも、分からないんだ……)
本当は気付いていた。
実はこの一ヶ月半の間に、アンセイムとエレノラは何度も会っていた。殆どは診療所の中だが、三回程二人で街へ出掛けている事を知っている。
確かめた訳ではないが、恐らく二人の間に金銭のやり取りはない。そしてそれが意味する事がなんなのか分からない程馬鹿ではない。
だが彼女とのあの穏やかな時間を壊したくなくて現実から目を背けていた。
だが今、現実に引き戻されてしまった……。
「ユーリウス」
「……すまない、今夜はーー」
居心地の悪さを感じ席を立とうとするが、ふとテーブルの上の手付かずの食事が目に入る。きっとこの場にエレノラがいれば「勿体ないです!」と騒ぐに違いない。
「……」
ユーリウスは自嘲し座り直すと、食欲が失せながらも食べ始めた。
「あらユーリウス様、今お戻りですか?」
「……ああ」
おぼつかない足取りで自邸の廊下を歩いていると、エレノラと出会した。
あの後、無心で食事をしながらワインを飲んだ。いつもはグラス一杯くらいしか飲まないが、今夜は異常に酒が進んだ。そして気付けばボトル二本を開けており、三本目に手を伸ばした所で見兼ねたセルジュに止められた。
その時点ではまだ意識もハッキリしていたが、馬車に乗った辺りから視界が歪んで見え思考も鈍り始めた。
「ユーリウス様⁉︎」
蹌踉めきながら彼女へ近付くと肩を掴んだ。そしてそのまま凭れ掛かり、小さな肩に顔を埋める。
「少しだけ、こうさせてくれ……お金は払う……」
エレノラの顔を見たら抑えきれなかった。
セルジュから言われた言葉が重くのしかかり、虚しさに胸が苦しくなる。
不意に顔の近くで大きなため息が聞こえ、思わず身体を震わせた。
「まさかこんな所で寝るつもりじゃないですよね? どれだけ飲んだんですか? 飲まれるのは構いませんが、自己管理は確りなさって下さい。ユーリウス様、歩けますか? ほら、私の肩に掴まって下さい」
「……ん」
フラつきながらエレノラに肩を借り自室へと向かった。
どうにか部屋に辿り着くとベッドの上に下ろされ、そのまま倒れるようにして横になった。
「エレノラ、どこに行くんだ……」
離れて行く温もりに思わず手を伸ばしその手を掴んだ。
頭の中で、手を握った事へ報酬を払わなくてはとぼんやりと考え胸がまた締め付けられる。
彼女が今自分を介抱してくれているのはお金の為で、決してユーリウスを心配している訳ではない。だが仮にこれがアンセイムだったなら、きっと有益の有無など関係なく介抱するのだろう。
「スチュアートにお水を頼んできます。ですからユーリウス様は大人しくしていて下さい」
最もらしい事を言いながらゆっくりと手を放された。
「ダメだ、行くな」
「我儘言わないで下さい、子供ではないんですから」
「ダメだ」
「ユーリウス様」
「頼む、私を置いて行かないでくれ……」
身体を起こす気力もなく、放された手をまた必死に伸ばし今度は彼女のスカートの端を掴んだ。
きっとまた破廉恥料を請求されるだろう。情けない名目だ。
だが置いていかれるくらいなら、もうそれでもいい。
今はどうしてもエレノラに側にいて欲しかった。
「仕方がないですね。でももう生家に駄犬はいるので、これ以上は困るんですけど」
(駄犬とは、なんだ……? いや、今はそんな事は、どうでもいいか……)
頭が朦朧としてボンヤリと彼女の声が聞こえてくる。その声は穏やかで優しい。
エレノラは困ったように笑みを浮かべながら、スカートからユーリウスの手を放させるとそっとベッドの上に戻した。
だが離れていく手を逃すまいと反射的にそれを掴む。
「全く、世話の焼ける超大型の駄犬だわ」
そのまま重い瞼を閉じ、意識を手放す直前そんな彼女の声が聞こえた気がした。
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