「婚約破棄してくれてありがとう」って言ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました

ほーみ

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 夜の静けさが、逆に不安を煽った。

 イザーク――いや、“フェルデン公爵家の次男・イザーク”の正体を知った今でも、彼が私にとって特別であることに変わりはなかった。

「……なぜ、今まで隠してたの?」

 焚き火の前で、私は静かに問いかけた。

「君に“先に選ばせたかった”からだ。立場じゃなく、人としての俺を、君に見て欲しかった。……そうでなければ、意味がなかったから」

 その言葉に、胸が熱くなる。

 私のために、自分の名を伏せ、危険に身を投じてくれた彼の誠実さが、痛いほど伝わってきた。

「イザーク……あなたが誰でも関係ない。今のあなたが、私にとっての“支え”なの」

 私がそう口にすると、彼の瞳が少し揺れた。

 でも、それだけだった。

 恋という言葉は、まだお互いの唇から出ていない。
 ただ、確かに今――私たちはお互いを“特別”だと思っている。それだけで、十分だと思った。

 



 

 数日後。

 王都から再び使者が到着した。今度は、あからさまな命令だ。

『王太子アラン殿下は、レティシア・グランメル嬢を王都へ正式に迎える準備を進めておられる。従わぬ場合、貴族院にて法的措置を検討する可能性がある』

「脅迫文じゃない、これ……?」

 文を読み終えた私は、深く息を吐いた。

「もはや、体裁を繕う気すらないようだな」

 イザークが静かに言う。

「これは、法を盾にして“従わせる”という宣言。従わなければ“反逆の兆しあり”と貴族院に報告される」

「どうにかして、無効にできないの?」

「王都の法律に対抗するには、三つの方法がある。
 一つは、王家より格上の庇護を得ること。
 二つ目は、他国の後ろ盾を明示すること。
 そして三つ目は――」

「……民の声で覆す、ってこと?」

 イザークは、少し驚いたように頷いた。

「そう。民の支持が爆発的に高まれば、貴族院ですら黙っていられない。あくまで王族は“民を導く存在”という建前があるからな」

 つまり、私がこの地で人望を積み上げ続ければ、“王太子の再婚要請”ですら、政治的に不利になる可能性があるということ。

「面白いじゃない」

 私は立ち上がった。

「だったら、やってやるわ。今度はこの領地で、わたし自身の“正しさ”を証明するの」

「……やっぱり、君は強い」

 イザークが、そう微笑んだ。

 



 

 その日から、私は意識的に“領主代理”として前に出るようになった。

 町の視察、農民との対話、若者たちへの勉強会。忙しさは増したが、同時に民の間に私の名前が広まっていくのを肌で感じた。

「レティシア様は、以前の王都の姫君とは違うのですね」

 ある老農が、そう呟いた。

「話せば分かってくださる。ご自分で泥を踏んで、私らと同じ目線で語ってくださる」

 嬉しかった。こんな風に、人から“必要とされる”実感は、王太子妃だった頃には得られなかったものだ。

「王都から嫁いだだけの“飾り”じゃない。わたしは、ちゃんと役に立つ領主になるわ」

 



 

 そんな中、王都の情勢が再び動いた。

 イザークの旧友であり、現在は貴族院付きの情報屋でもある男――ケルヴィンから密書が届いたのだ。

 文面は短かった。

『アラン殿下、次なる策を用意中。
 “次期王妃候補の再選定”の名目で、王宮主催の舞踏会が予定されている。
 レティシア嬢への“再度の求婚”が、そこに組み込まれている可能性あり』

「舞踏会で……また見世物にされる気?」

 私の眉がぴくりと動いた。

 アランは、王都の貴族たちの前で、“感動の再会”でも演出するつもりなのだろう。
 王太子が“元婚約者に頭を下げて復縁を願う”という筋書きにすれば、同情票も得られ、私への圧力も倍増する。

「そうはさせない」

 私は立ち上がった。

「舞踏会に出るわ。……でも、“アランのため”じゃない」

「当然だ」

 イザークの声には、微かに笑みがあった。

「舞踏会は民への“見せ場”だ。君の真の実力と意志を示せる場にもなる」

「だったら利用してやるわ。“王妃にはならないけど、民に愛される女”を見せつけてやる」

「……君の覚悟、本物だな」

 そう言ったイザークの目は、どこか切なげだった。

 まるで、何かを隠しているような。

「イザーク……何かあるの?」

「……いずれ話す。今はまだ、その時じゃない」

 彼の声が、少しだけ震えていたのが気にかかる。

 でも、今は問い詰めない。
 信じて待とう。イザークが私に“すべて”を明かす日を。

 



 

 舞踏会への準備は急ピッチで進められた。

 王都へ出るには、まず旅の安全を確保しなければならない。そしてもうひとつ、“自分が誰よりも輝いている”と証明するための装いが必要だった。

 私はかつての婚約時代に仕立てたドレスではなく、地元の職人たちと共に新たな衣を作ることに決めた。

「素材はこの地方の絹でお願い。染料は、前にあなたが見せてくれた藍をベースにして」

 領民たちは嬉しそうにうなずき、腕をふるってくれた。

 王都の誰にも真似できない、唯一無二の衣装。
 それを纏って私は、舞踏会という“戦場”に乗り込むつもりだった。

 



 

 その夜。

 イザークが私を呼び止めた。

「……レティシア。もし、君が舞踏会でアランに求婚されたら、どうする?」

「断るわ。決まってるでしょう?」

「それでも、アランは“君が了承した”という筋書きを、貴族たちに流すかもしれない」

「だったら、わたしは“違う人を選んだ”って公言するしかないわね」

 その瞬間、イザークの目が揺れた。

「……選ぶ人は、決まってるのか?」

「……」

 私は言葉に詰まった。

 でも、気づいている。私の心は、もうずっと――

「……あなたじゃ、ダメなの?」

 私がそう聞くと、イザークは苦しげに目を閉じた。

「……ダメでは、ない。だが……」

 その先を、彼は口にしなかった。

 胸が締めつけられる。

(どうして? なにが、彼を縛ってるの……?)

 その答えを、知るのが怖かった。

 でも、知らなければ前には進めない。

 私の想いは、もう彼に向かっている。
 ならば――

「イザーク。私、あなたが何を抱えていても、きっと受け止めるわ。だから、逃げないで。ちゃんと、教えて」

 
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