「婚約破棄してくれてありがとう」って言ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました

ほーみ

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 王都へ向かう馬車の中。
 静寂を破るのは、車輪の軋む音と、馬の蹄が土を叩く鈍いリズムだけだった。

 イザークと私は、向かい合って座っていた。
 昨日の会話の続きは、まだ終わっていない。

「イザーク、お願い。教えて」

 私は、彼の目を見つめながら言った。
 彼の瞳には迷いがあった。けれど、その奥に、何かもっと深く暗いものが潜んでいるのを私は感じていた。

 しばらくの沈黙の後、彼が口を開いた。

「……俺は、“第一王子”だった」

 呼吸が止まる。

「え?」

「今の王太子、アランの兄。俺はかつて、次期国王とされていた。……でも、すべてを捨てた」

 嘘、でしょう?

 彼の言葉が耳に残響のように残り、私は一瞬理解が追いつかなかった。

「……じゃあ、なぜ……今は“公爵家の次男”として名乗っているの?」

「王族であることを放棄したからだ。母が貴族出身だったことを理由に、王位継承権を剥奪された。……いや、正確には、“自ら降りた”と言った方がいい」

「どうして……」

「俺の母は、かつて王の愛妾だった。正妃からは目の敵にされ、幾度となく命を狙われた。……そしてある日、毒を盛られ、死んだ。証拠はなかった。けれど、俺には分かった。王宮には、母のように“愛された人間”が、簡単に踏みつけられる仕組みがある」

 イザークの声は、静かで、それでいて憎しみに満ちていた。

「だから俺は、王族としての血を否定した。あんな場所で、誰かを“守る”ことなどできないと思った。自分が王になる未来に、意味などなかった」

「……」

 胸が痛んだ。彼の過去に触れることで、こんなにも哀しみを知ることになるなんて。

「レティシア。だから、俺はずっと迷っていたんだ。君に近づく資格が、自分にあるのか」

「資格なんて……そんなの、あなたが決めることじゃないわ」

 私は静かに彼の手を取った。

「イザーク。わたしは、“あなた”に救われた。
 名前も地位も関係ない。あなたが、イザークとして、わたしに手を伸ばしてくれたことに、感謝してるの。
 ……それ以上に、あなたが“自分の過去”から逃げずにここまで来たことを、誇りに思う」

 イザークは、苦しそうに目を閉じたあと、私の手を強く握り返してくれた。

「……君は、本当に強いな」

「強くなんかない。あなたが支えてくれたから、わたしも前を向けるのよ」

 その瞬間、ふたりの距離がわずかに近づいた。

 ――でも、唇が触れそうになったその時。

「失礼いたします、お嬢様!」

 扉が激しく叩かれ、従者の声が響いた。

「王都近くの関所で、検問をしているとの情報です! 我々の馬車だけが対象だと!」

「……来たか」

 イザークが静かに立ち上がる。

「アランの差し金ね。舞踏会の前に、私を足止めしようとしてるのかもしれない」

「それなら――逆に“遅れて登場”してやろう」

 私が笑うと、イザークも口元にわずかな笑みを浮かべた。

 



 

 王都に入ったのは、舞踏会の当日、日の暮れる直前だった。

 私はこの旅のために仕立てた、新たなドレスを身にまとっていた。
 藍色を基調にしたシンプルで凛とした衣装は、王都の煌びやかな流行とは一線を画すものだったが――それこそが、私の意思の象徴だった。

「入場のタイミングは?」

 控室で、私はイザークに問う。

「開宴から三十分後。貴族たちが飽き始めた頃に、“姫が登場”するのが効果的だ。王太子は、君を“感動の再会”の舞台に上げるつもりだろう。……だが、君が主導権を握れば、彼の計画は崩れる」

「わかった。……じゃあ、行ってくるわ」

 私はドレスの裾を整え、イザークの手を離した。

 舞台に上がるのは、これが最初で最後じゃない。
 だけど今夜は、“わたし”を世界に知らしめる夜。

 



 

 舞踏会会場に入った瞬間、無数の視線が一斉にこちらを向いた。

 静まり返った空間に、わずかにざわめきが走る。

「レティシア様……?」

「まさか、本当に来るとは……!」

 そして、奥の玉座の前で立っていた男が、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 ――アラン。

 変わらぬ気品と、美しい笑み。
 かつて私が心を奪われた王太子の姿が、そこにあった。

「……来てくれて、ありがとう、レティシア」

 その声は、優しく、そしてどこか偽りに満ちていた。

「今日、君に伝えたいことがある」

 アランが右手を伸ばしてくる。私はそれを、受け取らなかった。

「その前に、私から皆様にお伝えしたいことがございます」

 私は静かに、会場の中央へ進み出る。

「私は、レティシア・グランメル。かつて王太子殿下の婚約者として王宮に仕えておりました。……しかし、婚約破棄を告げられたその日、私は新たな人生を選びました」

 その言葉に、場内がざわつく。

「今、私は東の領地で“領主代理”として、民と共に暮らしております。
 王族ではなく、民の側に立つ者として、今日ここに参りました。
 再び“王妃の座”を望むことはありませんし――その願いを受け入れることもありません」

 はっきりとした言葉に、アランの顔が一瞬凍りつく。

「……レティシア」

「今の私は、もう誰の飾りでもない。誰の所有物でもない。
 私は、“選ばれる姫”ではなく、“選ぶ者”です」

 その時だった。

「では――その“選ぶ相手”は、すでに決まっているのですか?」

 会場の奥から、ひとりの貴族が声を上げた。

 会場中が、息をのむ。

 私も、息をのんだ。

 ――だが。

「はい」

 私は、はっきりと答えた。

 そして、会場の片隅に立つ、あの人を見つめる。

「……私は、“イザーク”を選びます」

 その瞬間、貴族たちがどよめいた。
 王太子の兄であり、王族の血を引きながら名を捨てた男。
 その存在が明かされたのは、これが初めてだった。

 アランの顔から、完全に笑みが消える。

「……レティシア。君は、王家に弓を引くつもりか?」

「違うわ。私は、真実を語っただけ。……あなたが、私にしたことを」

 


 

 その夜。
 舞踏会は混乱の中で幕を閉じた。

 けれど、私の戦いは、ここからが本番だった。
 王宮の政治。アランの反撃。
 そして、イザークの“本当の運命”にどう向き合うのか――

 心は決まっていた。

 たとえどんな未来が待っていようと、私はもう、誰にも譲らない。

 彼も、立場も、想いも。

 ぜんぶ、私のものにする。

 
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