2 / 6
2
しおりを挟む
隣国ユルフェリア王国の都、セレスティアは春の陽光に包まれていた。
白く輝く石造りの街並み、穏やかな気候、そして穏やかな人々。
どこか張りつめていた空気の王都とは異なり、ここにはやさしさと静けさがあった。
「セレナ、疲れてない?」
「いいえ。むしろ……少し緊張してます。ここで新しい人生が始まるんだと思うと」
「じゃあ、緊張が和らぐ魔法をかけてあげようか?」
ノアはふっと笑って、私の手に自分の指を絡めた。
「僕がいる。だから、何も怖がらなくていい」
その優しさが胸に染みる。王太子との冷え切った関係では、こんな風に手をつないだ記憶さえなかった。
「この屋敷が、今日から君の新しい居場所だよ」
ノアが案内してくれたのは、王宮のすぐ近くにある豪奢な邸宅。
もともとは王妃候補を迎えるための離宮だそうだ。
天井の高い広間、花々が咲き誇る庭園、そして、女性用に整えられた部屋――
「……まるで、おとぎ話の中みたいです」
「本当に、君は何もわかっていないな」
「……え?」
ノアは私の腰を軽く抱き寄せた。
「君が来る前、この邸宅は数年ずっと閉ざされていた。けれど、僕はここを整えさせたんだ――君を迎えるために」
「……そんな前から?」
「君が王太子に利用されているのを知ったときから、ずっと。君が解放される日を待っていた」
まるで運命のように彼の言葉が心に響く。
私は愛されている。
ようやく本当の意味で――。
同じころ。
ロジス王国の王宮では、思いもよらない混乱が起き始めていた。
「おい……最近、また反乱の気配があるって……聞いたか?」
「うそだろ?でも前線の兵力が減らされてるのは事実だって話だ」
王太子アルヴィンの失策によって、各地の貴族の信頼が揺らぎはじめていた。
セレナを手放したことが、思わぬ波紋を呼んでいるのだ。
「ミルフォード公爵家が完全にユルフェリア側についたら、下手すりゃ政権の勢力図が変わるぞ……」
「だが王太子殿下には“聖女”マリア様がいるからな。あの力があれば……」
「……本当に“聖女”なんですかね、あの女」
そんな噂も漏れ聞こえてくる。
“聖女”マリアの奇跡が、最近はまったく起きていないことに、誰もが気づいていた。
そして、当の本人――マリアも苛立っていた。
「どうして? あの女がいなくなったのに、アルヴィン様はまだ私を正式に妃にしないの?」
「マリア……落ち着いてくれ」
「私は“聖女”なのよ? 私の力があれば、あなたの即位も盤石になるって言ったじゃない!」
「そ、それは……」
アルヴィンの声がかすれる。
彼の目の前にいるマリアは、もう“可憐な奇跡の娘”ではなかった。
思い通りにならないと癇癪を起こし、使用人に当たり散らすその姿に、彼の心は少しずつ冷えていく。
(セレナの方が、よほど品格があったな……)
――そんなことを、今さら思い始めている自分に気づく。
けれど、後戻りはできない。
あのとき、堂々と婚約破棄を宣言してしまったからだ。
(セレナ……戻ってきてくれないか?)
そんな思いを抱えたまま、彼は知らずに坂を転げ落ち始めていた。
その夜。
ユルフェリアの離宮では、庭園の灯が静かに揺れていた。
「この国は、本当に美しいですね」
私は、白い花が咲くアーチの下で、夜風に髪をなびかせていた。
すると背後から、そっと上着がかけられる。
「風邪をひくと困る。君には、まだたくさん素敵な景色を見せたいからね」
「ノア様……」
「ノアでいい。婚約者なんだから」
その言葉に、私は少し頬を染めた。
「ねえ、セレナ。僕と契約しよう」
「契約……?」
ノアは指輪を取り出した。
銀のリングに、小さな青い宝石が輝いている。
「この指輪は、アーデルハイト家の婚約の証。正式なものだ。これを君の指に通させてほしい」
私は驚きながらも、差し出されたその指輪を見つめる。
「……でも、私はまだ王国の戸籍の整理も終わっていませんし、周囲の反応も――」
「関係ない。僕は、君を選んだ。政治のためじゃない、愛のために」
静かながらも力強いノアの目を見て、私は思った。
この人は、本当に私の存在を一人の人間として尊重してくれる。
「……はい。私も、ノアと歩んでいきたいです」
指輪は、ぴたりと私の薬指に収まった。
ノアは、それをそっと唇に押し当てる。
「ようやく手に入れた。……もう二度と、誰にも渡さない」
その言葉に、胸が高鳴る。
でもその瞬間――
「お待ちください!」
庭園の門の外から、馬に乗った使者が駆け込んできた。
「ノア殿下……ロジス王国からの緊急通達です!」
ノアが眉をひそめ、封筒を受け取る。
そして、それを開いた彼の表情がわずかに険しくなる。
「……やはり、そうきたか」
「なにが……?」
「ロジス王国が、君の“国外追放命令”を発令した」
「……え?」
まるで、地面が崩れるような感覚。
「だが心配はいらない。君はもうユルフェリアの人間だ。どんな法的拘束も、こちらには及ばない」
そう言って私の手を取るノア。
でも、私は知っている。
これは、アルヴィンの“最後のあがき”だ。
――いいわ。なら、見せてあげましょう。
どちらが“正しく”愛されているのか。
どちらが“本物”の王にふさわしいのかを。
白く輝く石造りの街並み、穏やかな気候、そして穏やかな人々。
どこか張りつめていた空気の王都とは異なり、ここにはやさしさと静けさがあった。
「セレナ、疲れてない?」
「いいえ。むしろ……少し緊張してます。ここで新しい人生が始まるんだと思うと」
「じゃあ、緊張が和らぐ魔法をかけてあげようか?」
ノアはふっと笑って、私の手に自分の指を絡めた。
「僕がいる。だから、何も怖がらなくていい」
その優しさが胸に染みる。王太子との冷え切った関係では、こんな風に手をつないだ記憶さえなかった。
「この屋敷が、今日から君の新しい居場所だよ」
ノアが案内してくれたのは、王宮のすぐ近くにある豪奢な邸宅。
もともとは王妃候補を迎えるための離宮だそうだ。
天井の高い広間、花々が咲き誇る庭園、そして、女性用に整えられた部屋――
「……まるで、おとぎ話の中みたいです」
「本当に、君は何もわかっていないな」
「……え?」
ノアは私の腰を軽く抱き寄せた。
「君が来る前、この邸宅は数年ずっと閉ざされていた。けれど、僕はここを整えさせたんだ――君を迎えるために」
「……そんな前から?」
「君が王太子に利用されているのを知ったときから、ずっと。君が解放される日を待っていた」
まるで運命のように彼の言葉が心に響く。
私は愛されている。
ようやく本当の意味で――。
同じころ。
ロジス王国の王宮では、思いもよらない混乱が起き始めていた。
「おい……最近、また反乱の気配があるって……聞いたか?」
「うそだろ?でも前線の兵力が減らされてるのは事実だって話だ」
王太子アルヴィンの失策によって、各地の貴族の信頼が揺らぎはじめていた。
セレナを手放したことが、思わぬ波紋を呼んでいるのだ。
「ミルフォード公爵家が完全にユルフェリア側についたら、下手すりゃ政権の勢力図が変わるぞ……」
「だが王太子殿下には“聖女”マリア様がいるからな。あの力があれば……」
「……本当に“聖女”なんですかね、あの女」
そんな噂も漏れ聞こえてくる。
“聖女”マリアの奇跡が、最近はまったく起きていないことに、誰もが気づいていた。
そして、当の本人――マリアも苛立っていた。
「どうして? あの女がいなくなったのに、アルヴィン様はまだ私を正式に妃にしないの?」
「マリア……落ち着いてくれ」
「私は“聖女”なのよ? 私の力があれば、あなたの即位も盤石になるって言ったじゃない!」
「そ、それは……」
アルヴィンの声がかすれる。
彼の目の前にいるマリアは、もう“可憐な奇跡の娘”ではなかった。
思い通りにならないと癇癪を起こし、使用人に当たり散らすその姿に、彼の心は少しずつ冷えていく。
(セレナの方が、よほど品格があったな……)
――そんなことを、今さら思い始めている自分に気づく。
けれど、後戻りはできない。
あのとき、堂々と婚約破棄を宣言してしまったからだ。
(セレナ……戻ってきてくれないか?)
そんな思いを抱えたまま、彼は知らずに坂を転げ落ち始めていた。
その夜。
ユルフェリアの離宮では、庭園の灯が静かに揺れていた。
「この国は、本当に美しいですね」
私は、白い花が咲くアーチの下で、夜風に髪をなびかせていた。
すると背後から、そっと上着がかけられる。
「風邪をひくと困る。君には、まだたくさん素敵な景色を見せたいからね」
「ノア様……」
「ノアでいい。婚約者なんだから」
その言葉に、私は少し頬を染めた。
「ねえ、セレナ。僕と契約しよう」
「契約……?」
ノアは指輪を取り出した。
銀のリングに、小さな青い宝石が輝いている。
「この指輪は、アーデルハイト家の婚約の証。正式なものだ。これを君の指に通させてほしい」
私は驚きながらも、差し出されたその指輪を見つめる。
「……でも、私はまだ王国の戸籍の整理も終わっていませんし、周囲の反応も――」
「関係ない。僕は、君を選んだ。政治のためじゃない、愛のために」
静かながらも力強いノアの目を見て、私は思った。
この人は、本当に私の存在を一人の人間として尊重してくれる。
「……はい。私も、ノアと歩んでいきたいです」
指輪は、ぴたりと私の薬指に収まった。
ノアは、それをそっと唇に押し当てる。
「ようやく手に入れた。……もう二度と、誰にも渡さない」
その言葉に、胸が高鳴る。
でもその瞬間――
「お待ちください!」
庭園の門の外から、馬に乗った使者が駆け込んできた。
「ノア殿下……ロジス王国からの緊急通達です!」
ノアが眉をひそめ、封筒を受け取る。
そして、それを開いた彼の表情がわずかに険しくなる。
「……やはり、そうきたか」
「なにが……?」
「ロジス王国が、君の“国外追放命令”を発令した」
「……え?」
まるで、地面が崩れるような感覚。
「だが心配はいらない。君はもうユルフェリアの人間だ。どんな法的拘束も、こちらには及ばない」
そう言って私の手を取るノア。
でも、私は知っている。
これは、アルヴィンの“最後のあがき”だ。
――いいわ。なら、見せてあげましょう。
どちらが“正しく”愛されているのか。
どちらが“本物”の王にふさわしいのかを。
63
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された地味伯爵令嬢は、隠れ錬金術師でした~追放された辺境でスローライフを始めたら、隣国の冷徹魔導公爵に溺愛されて最強です~
ふわふわ
恋愛
地味で目立たない伯爵令嬢・エルカミーノは、王太子カイロンとの政略婚約を強いられていた。
しかし、転生聖女ソルスティスに心を奪われたカイロンは、公開の舞踏会で婚約破棄を宣言。「地味でお前は不要!」と嘲笑う。
周囲から「悪役令嬢」の烙印を押され、辺境追放を言い渡されたエルカミーノ。
だが内心では「やったー! これで自由!」と大喜び。
実は彼女は前世の記憶を持つ天才錬金術師で、希少素材ゼロで最強ポーションを作れるチート級の才能を隠していたのだ。
追放先の辺境で、忠実なメイド・セシルと共に薬草園を開き、のんびりスローライフを始めるエルカミーノ。
作ったポーションが村人を救い、次第に評判が広がっていく。
そんな中、隣国から視察に来た冷徹で美麗な魔導公爵・ラクティスが、エルカミーノの才能に一目惚れ(?)。
「君の錬金術は国宝級だ。僕の国へ来ないか?」とスカウトし、腹黒ながらエルカミーノにだけ甘々溺愛モード全開に!
一方、王都ではソルスティスの聖魔法が効かず魔瘴病が流行。
エルカミーノのポーションなしでは国が危機に陥り、カイロンとソルスティスは後悔の渦へ……。
公開土下座、聖女の暴走と転生者バレ、国際的な陰謀……
さまざまな試練をラクティスの守護と溺愛で乗り越え、エルカミーノは大陸の救済者となり、幸せな結婚へ!
**婚約破棄ざまぁ×隠れチート錬金術×辺境スローライフ×冷徹公爵の甘々溺愛**
胸キュン&スカッと満載の異世界ファンタジー、全32話完結!
「異常」と言われて追放された最強聖女、隣国で超チートな癒しの力で溺愛される〜前世は過労死した介護士、今度は幸せになります〜
赤紫
恋愛
私、リリアナは前世で介護士として過労死した後、異世界で最強の癒しの力を持つ聖女に転生しました。でも完璧すぎる治療魔法を「異常」と恐れられ、婚約者の王太子から「君の力は危険だ」と婚約破棄されて魔獣の森に追放されてしまいます。
絶望の中で瀕死の隣国王子を救ったところ、「君は最高だ!」と初めて私の力を称賛してくれました。新天地では「真の聖女」と呼ばれ、前世の介護経験も活かして疫病を根絶!魔獣との共存も実現して、国民の皆さんから「ありがとう!」の声をたくさんいただきました。
そんな時、私を捨てた元の国で災いが起こり、「戻ってきて」と懇願されたけれど——「私を捨てた国には用はありません」。
今度こそ私は、私を理解してくれる人たちと本当の幸せを掴みます!
「平民とでも結婚すれば?」と捨てられた令嬢、隣国の王太子に溺愛されてますが?
ゆっこ
恋愛
「……君との婚約は、ここで破棄させてもらう」
その言葉を、私は静かに受け止めた。
今から一時間前。私、セレナ・エヴァレットは、婚約者である王国第一王子リカルド・アルヴェイン殿下に、唐突に婚約破棄を言い渡された。
「急すぎますわね。何か私が問題を起こしましたか?」
「いや、そういうわけではない。ただ、君のような冷たい女性ではなく、もっと人の心を思いやれる優しい女性と生涯を共にしたいと考えただけだ」
そう言って、彼は隣に立つ金髪碧眼の令嬢に視線をやった。
冷徹侯爵の契約妻ですが、ざまぁの準備はできています
鍛高譚
恋愛
政略結婚――それは逃れられぬ宿命。
伯爵令嬢ルシアーナは、冷徹と名高いクロウフォード侯爵ヴィクトルのもとへ“白い結婚”として嫁ぐことになる。
愛のない契約、形式だけの夫婦生活。
それで十分だと、彼女は思っていた。
しかし、侯爵家には裏社会〈黒狼〉との因縁という深い闇が潜んでいた。
襲撃、脅迫、謀略――次々と迫る危機の中で、
ルシアーナは自分がただの“飾り”で終わることを拒む。
「この結婚をわたしの“負け”で終わらせませんわ」
財務の才と冷静な洞察を武器に、彼女は黒狼との攻防に踏み込み、
やがて侯爵をも驚かせる一手を放つ。
契約から始まった関係は、いつしか互いの未来を揺るがすものへ――。
白い結婚の裏で繰り広げられる、
“ざまぁ”と逆転のラブストーリー、いま開幕。
婚約破棄されたので、隠していた古代魔法で国を救ったら、元婚約者が土下座してきた。けどもう遅い。
er
恋愛
侯爵令嬢の前で婚約破棄された平凡な男爵令嬢エレナ。
しかし彼女は古代魔法の使い手で、3年間影から婚約者を支えていた恩人だった!
王国を救い侯爵位を得た彼女に、没落した元婚約者が土下座するが「もう遅い」。
地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします
有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。
唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。
もう二度と恋なんてしない。
そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。
彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。
彼は、この国の王太子だったのだ。
「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。
一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。
私に助けを求めてきた彼に、私は……
平民とでも結婚すれば?と婚約破棄されたけど、気づけば隣国の英雄と結婚していました
ゆっこ
恋愛
「……お前にはもう飽きた。平民とでも結婚すればいい」
――それが、婚約者である王太子エドワード殿下から告げられた最後の言葉だった。
王城の大広間、人々の視線が集まる前での婚約破棄。
私は公爵家の娘、クラリス・フォン・エルマー。幼い頃から王太子妃教育を受け、誰よりも真摯に彼の隣を歩く覚悟を持ってきた。だが、その努力を「平民とでも結婚すれば」という一言で切り捨てられたのだ。
悪役令嬢ベアトリスの仁義なき恩返し~悪女の役目は終えましたのであとは好きにやらせていただきます~
糸烏 四季乃
恋愛
「ベアトリス・ガルブレイス公爵令嬢との婚約を破棄する!」
「殿下、その言葉、七年お待ちしておりました」
第二皇子の婚約者であるベアトリスは、皇子の本気の恋を邪魔する悪女として日々蔑ろにされている。しかし皇子の護衛であるナイジェルだけは、いつもベアトリスの味方をしてくれていた。
皇子との婚約が解消され自由を手に入れたベアトリスは、いつも救いの手を差し伸べてくれたナイジェルに恩返しを始める! ただ、長年悪女を演じてきたベアトリスの物事の判断基準は、一般の令嬢のそれとかなりズレている為になかなかナイジェルに恩返しを受け入れてもらえない。それでもどうしてもナイジェルに恩返しがしたい。このドッキンコドッキンコと高鳴る胸の鼓動を必死に抑え、ベアトリスは今日もナイジェルへの恩返しの為奮闘する!
規格外で少々常識外れの令嬢と、一途な騎士との溺愛ラブコメディ(!?)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる