Fly high 〜勘違いから始まる恋〜

吉野 那生

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反撃の狼煙

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「初めまして、渡会だ」

聡一郎さんと同年代か、或いはやや上だろうか?
私達を待っていたのは、掴み所のない雰囲気の男性だった。

聡一郎さんの知り合いというから、てっきり有名な大病院の、高名な医師か何かなのだと思っていたのに。

しかし、予想に反してこじんまりとした診療所にはるかさんも片桐さんも、もちろん私も驚きを隠せなかった。


「趣味が高じて、各地から豆を集め自分でブレンドしちまうようなコーヒー狂だが、こいつの腕は一流だ、俺が保証する。
ここも見た目はボロいが、設備は最新のが揃ってるしな。
何より口が堅い」

「褒めても何も出んよ。
それで患者はどちらかな?」

だからなのか。
コーヒーの香りが漂う診察室で、どことなく面白そうな表情を浮かべながら渡会氏…ドクターは私達1人1人に目を向けた。

「残念ながらお前の患者じゃないんだな。
園田に頼みたい」

「…という事は、この綺麗なお嬢さん方のどちらかという事か?」

「だが、事情があってな。
表向きはお前の患者、という事にしといて欲しいんだ」


唇の端を片方だけあげて笑うドクターの表情に、聡一郎さんと共通する物を見出し、類は友を呼ぶのだなと少し可笑しくなった。


「愛美の…つまり産科もしくは婦人科の患者であるにも拘らず、内科の私の患者である事にし入院させる、と?」

お前一体何をしでかしたんだ?と皮肉気な笑みを浮かべるとドクターは

「愛美、君にお客さんだ」

と奥に声をかけた。


「可愛いお嬢さんね。
貴女でしょ?赤ちゃん出来たのは」

すぐ出てきた愛美と呼ばれた女性は、真っすぐにはるかさんの元へ歩み寄り、にこりと人懐こそうな笑みを浮かべた。

けれど事情を知らない筈の彼女の言葉に、はるかさんはギョッとしたように後ずさり、言い訳めいた言葉を口にした。

「あ…の、私…まだ……」

「あら?もしかして、まだちゃんとした検査は受けてないの?
市販の検査薬では正確な事はわからないのよ。
じゃあちょっとそこに横になって。
ホラ、関係ない人達は出てちょうだい」


視線で会話するかのようにお互いを見つめ、小さく頷きあったドクターと愛美さんの姿は、何故か誇り高くしなやかな肉食獣を連想させた。
それも鋭い牙を上手に隠し、人を油断させるだけの強かさを併せ持つ。

これはなかなか一筋縄ではいかない人達だ。
直感的にそう悟り、聡一郎さんが何故はるかさん達をここへ連れてきたのか、朧気ながら分かった気がした。

「全員とりあえず撤収。
続きは隣の院長室で伺おう」

そして成り行き上、はるかさんを除く全員が診察室から追い出された。


「大丈夫だって。
彼女、見た目あんなだけどキャリア長いから」

場の空気を和ませようとしたのか…それとも案外本音なのか。
聡一郎さんの漏らした台詞に反応したのは、ドクターただ1人だった。

「そのセリフは聞き捨てならないな。
彼女のどこが「あんな」だというんだ?」

「自覚ない訳ね。
というか、全くもって似た者夫婦だけどな」

と耳打ちされ、思わずくすりと笑みを漏らしてしまう。


確かに。
目の前で憮然としているドクターは、特徴のある髪型に何とも派手なアロハシャツ。
白衣を着ていなかったら芸能人と言われても納得してしまうくらい、存在感のある人だ。

一方あの愛美という女医も、モデル並のプロポーションを誇示するかのような、胸元の大きく開いたブラウスに、膝上何センチかわからない革のミニスカート、といういでたちだった。

2人とも医師だと聞かされていなかったら、きっと職業を勘繰ってしまったに違いない。

けれど人は見た目では判断できない。
およそ世間的な「医師」とはかけ離れた姿ではあったが…だからこそ、常識に囚われない彼らにはるかさんを託すのが最良の策なのだ。

神崎や野々村の名に、臆する事もへつらう事も決してしないであろう彼らなら、上手くやってくれるだろう。
確信というほどの物ではないけれど、何故かそんな気がしてきた。


「とりあえずコーヒーでも飲みながら、事情とやらを聞かせてくれないか?」


   * * *


「なるほど、とどのつまりは壮大な親子喧嘩という訳か」

ドクターが手づから淹れてくれたコーヒーをいただきながら、事情を語った聡一郎さんに対して、彼は見も蓋もない感想を述べた。

「お前なぁ……。
まぁいい、お前に頼みたいのは彼女の安全の確保と診断書の偽造だ」

頭痛でもしているのか額に手を当てながら、聡一郎さんは目の前に座るドクターをひたりと見つめた。

「さらっととんでもない事を言ってくれるもんだな、この男は。
で、なんとでっち上げれば良い?」

お互い楽しんでいるのではなかろうか、と思ってしまうほどぴったりと息のあった会話が不意に途切れ、片桐さんが素早く立ち上がった。

振り向くと診察を終えたらしいはるかさんが、愛美さんに支えられながら診察室から出てきた所だった。


全員の視線が自然と愛美さんに集まる。

「診断の結果妊娠11週目、3ヶ月の終わりだという事がわかったわ。
そろそろ悪阻も始まっているみたいだし、この子貧血が酷いようだから安静にしていた方が良いわね。
でもそれ以外は順調よ」

「11週……」

愛美さんの説明に、驚いたようにポツリと漏らす片桐さんの顔を、はるかさんが不安そうに見上げた。


「思い当たる節はあるでしょ?パパ」

思いがけない呼びかけにギョッとしたように顔をあげる片桐さんに、愛美さんは意味ありげな笑みを浮かべた。

けれど片桐さんが口を開くより早く

「じゃあこうしよう、彼女の病名はウィルス感染による内臓疾患。
一応3週間の入院という事で診断書を書くが、それで良いかね?」

ドクターが口を挟んだ。 

「あぁ、頼む。
片桐も、それで良いな?」

「…はい」


「よーし、決まりだ。
たった今から、お嬢さんはうちの大切な患者様だ。
君達以外の関係者の手から守り、尚且つ彼女の体調面・精神面でのサポートをする、という事で良いんだな?」

「よろしくお願いいたします」

深々と頭を下げた片桐さんの肩をポンと叩くと、ドクターはやけに爽やかに「いやいや、こちらこそ」と顔の前で手を振り

「これで君に貸し1つだな」

徐に振り返ると、食えない笑みを聡一郎さんに向けた。


「あぁ、すまんな。恩に着るよ」 

素直に頭を下げる聡一郎さんの態度に可笑しそうな笑みを閃かせ、更に笑みを深めるとドクターは

「ところで彼女が君の駆け落ちの相手か?」

チラリと私に視線を向けると、とんでもない爆弾を落とした。

「かっ…?」


——駆け落ち?

思いもよらない言葉に、ポカンとドクターと聡一郎さんを交互に見つめていると、横から苦笑混じりの訂正が入る。

「正確には駆け落ちはまだ、していない。
だが相変わらず耳が早いな」


——まだ?

慌てて聡一郎さんを振り仰ぐと、なんともいえない優しい瞳で見つめられ、くすぐったくて首を竦めた。

「あー君達、そういうのは他所でやってくれたまえ」 


いかにも面白そうにクスクスと笑いながら、ドクターは聡一郎さんを小突き、しかしすぐに笑みを消し

「藍沢コーポレーションに気をつけろ。
最近穏やかならぬ噂を耳にする。
奴らのやり方はお前も知っているだろ?
そして今度のターゲットは神崎グループとの専らの噂だ」 

幾分声を潜めつつ、忠告してくれた。

「藍沢…?奴らなんだって今頃」

藍沢コーポレーションという名前は、私も聞いた事がある。

主に医薬品業界で突出した存在である、藍沢製薬の母体となる大企業。
そして今まで幾つもの企業が、強引かつ巧妙に張り巡らされた罠に掛かり、時に札束で頬を張られるように飲み込まれ消えていった。


「しかしまぁ、もしその噂が真実であるのならこれはチャンスでもあるか」

「…え?」

今まで黙って聡一郎さんとドクターの会話を聞いていた片桐さんが訝しげに声をあげる。

「だってそうだろ?
藍沢に狙われるなんて、ある意味そんな危ない企業と手を結んだりしたら、野々村銀行だって何らかの被害は免れない。
そうは思わないか?」

「…確かに。その噂が事実なら、ですが」

「火のない所に煙は立たない。
という事は、そこに説得のポイントがあるという事さ」

話だけを聞いていると、とんでもない事態の筈なのに、他人事のようにさらりと口にする聡一郎さんの態度に些か眉を潜めながら

「しかし…そんなに上手く行くでしょうか?」

片桐さんはポツリと漏らした。

「上手く行くんじゃない、上手く行かせるんだ。
死に物狂いで説得しなけりゃ、それこそ彼女は一生お前の物にはならん。
大体諦めてしまったら、そこで全てが終わるんだぞ、お前それで良いのか?」

「いえ!」


片桐さんの必死な面持ちに、皆の顔に苦笑めいた…けれど優しい笑みが浮かんだ。


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