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譲れない未来
しおりを挟む助けて!と穏やかならぬセリフと、今いるらしい場所を残し一方的に電話は切れた。
自分の頼みなら、誰もが喜んで叶えてくれる筈と信じて疑わない、いかにもお嬢様らしい考えだ。
聞こえていたらしい神崎さんは苦笑を浮かべ、そう評した。
けれど電話を受けた私は、悲壮感漂う声に気が気ではない。
「お願い、神崎さん」
「聡一郎、だろ?」
間髪いれず突っ込む神崎さんに、思わず目を白黒させてしまう。
それでもすぐに気を取り直し
「と、とにかく今から言う場所に向かってください。
お願いですから、聡一郎…さん」
と頭を下げる。
俺に頭なんか下げる事ないのに、とぶつぶつ言っていたものの、それでもすぐ
「美月の頼みなら何なりと」
と、彼は車を出してくれた。
指定された場所はすぐにわかり、電話から10分も立たずに到着する事が出来た。
その場所に確かにはるかさんもいた。
しかし顔色の悪い彼女を支えていたのは、野々村氏のは秘書である片桐さんだった。
——彼が付いていて何故「助けて」なのだろう?
そう思ったけれど、具合の悪そうなはるかさんの様子が気になり、私は急いで車を降りた。
「はるかさん!
一体どうなさったんですか?」
「本城さん、ごめんなさい、私……」
明らかに普段と違う様子で、はるかさんは縋り付くように駆け寄った私に手を差し伸べ…。
そしてその上体がぐらりと傾いだ。
「はるか!」
私が抱き止めるより早く、片桐さんが半ば意識を失いかけた彼女を抱き上げる。
「とりあえず車へ。
落ち着いて話が出来る場所へ行こう」
聡一郎さんの声に、はるかさんを抱えた片桐さんの肩がビクリと揺れた。
それでも…何かよほど切羽詰った事情があるのだろう。
人目を気にするように周囲を窺う彼の態度に、焦りのような物を感じ
「早く乗って」
とドアを開けてあげる。
物言いたげな様子で、しかし素早く後ろに乗り込んだ2人に「出すぞ」と声をかけ、聡一郎さんはゆっくりと車を出した。
* * *
「ここ…は?」
「俺の隠れ家。
ここならセキュリティもしっかりしてるから、人目も耳も気にせずお互い話が出来るだろ?
それにお嬢さんの具合も悪そうだし、少し横になって休んだ方が良い」
案内されたのは、郊外に建つ大きなマンションの1室だった。
こんな隠れ家の存在は、秘書であった私にとっても初耳だった。
勿論、だからといって聡一郎さんが私に何でも報告しなければならないという義務はないのだけど。
…思わずチラリと彼の顔に目を向けてしまう。
「誤解しないで欲しいんだけど、つい最近買ったんだ」
私の視線に気付いたのか、何やら言い訳めいた事を口にしつつ、聡一郎さんは玄関のドアを開けた。
「あ、と…彼女はリビングに。
ソファベッドがあるからそこで休ませよう。
君も彼女の様子が確認できた方が何かと安心だろ?」
「え?あ、はい」
いきなり話題をふられた片桐さんが、驚いたように返事するのも待たず
「毛布を取ってくるから、突き当りの部屋で待っててくれ。
それと美月はお茶の用意を頼む」
聡一郎さんはいくつかあるドアの向こうへ姿を消した。
とりあえず聡一郎さんの言う通り、突き当たりのリビングにはるかさんをを抱えたままの片桐さんを案内する。
ソファの背もたれを倒してベッドにし、タイミングよく現れた聡一郎さんの手から毛布を1枚とり、冷たい皮のシートの上に敷いた。
その上に片桐さんそっとはるかさんを降ろし、毛布をかけると
「ありがとう」
と彼女は小さく微笑み、また辛そうに目を瞑った。
心配を顔中に貼り付けた片桐さんに
「じゃあお茶の用意をしてきますので、はるかさんをお願いしますね」
と言葉をかけ、聡一郎さんの腕を引っ張ってその場を離れる。
「…ナニ?」
「いいから。
それよりお茶ってどこにあるんですか?」
ひそひそと小声で言葉を交わしながら、それとなく2人の様子を窺う。
「美月って覗きのシュミがあったのな」
「人聞きの悪い事を言わないでください」
別にまじまじと観察していた訳ではない。
けれど時折り視線を向けるたび、彼は彼女の傍らに跪き毛布の上から背中を擦ったり、額の汗を拭いたりと甲斐甲斐しく世話をしていた。
その仕草に、彼の彼女に対する思いの深さが垣間見える。
しばらくすると、苦しそうに潜められていた眉の強張りも解れ、いつしかはるかさんは安らかな寝息を立てていた。
片桐さんは長い間、はるかさんの寝顔をじっと見つめていた。
相当な時間がたっても身動き1つしない彼の様子に、もしかしたら彼は私達の存在を忘れてしまっているのかもしれないと思い至り
「お茶が入りましたよ」
と声をかけてみる。
「……え?」
どうやら片桐さんは、本当に私達の存在を忘れてしまっていたらしい。
振り向いた彼の顔にはばつの悪そうな表情が浮かんでいた。
「これは…失礼致しました」
内心冷や汗ものだったろうが、それでも彼はすぐ表情を改め頭を下げた。
そして促されるまま、聡一郎さんと私の向かいに腰を下ろす。
そんな片桐さんに
「お嬢さんには昨夜の非礼を詫びねばならないと思っていたんだが…。
どうやら、そちらはそちらで事情がおありのようだ」
聡一郎さんは、単刀直入に切り込んだ。
「…それは、そちらもでしょう?
ただの社長と秘書、という関係には失礼ながら見えませんが」
一瞬言葉に詰まりつつ、冷静に切り返す片桐さんと聡一郎さんの間で目に見えない火花が散った。
しかし年長者の余裕か、聡一郎さんはニヤリと食えない笑みを浮かべ
「もちろんただの「社長と秘書」以上の関係さ。
言っとくがもちろん本気だ。
お宅のお嬢さんとの話も、申し訳ないが正式に断らせてもらう」
とまるで挑発するかのように、距離を置いて座っていた私を抱き寄せた。
「…っ!神崎さん」
隙間なく密着してしまった事に慌てて身体を突っぱねるように両手で押すが、彼は気にも留めずに
「聡一郎、だろ?
いい加減名前で呼んでくれないと、お仕置きするぞ」
と私の額をピンと弾いた。
「あなたって人は!
…大体人前で何を仰るんですか?
あぁもう、離して下さい」
実に嬉しそうに顔を近づけてくる聡一郎さんに本気で焦り、思いきり身体を仰け反らせる。
「あ…の」
この時ばかりは、普段無愛想な片桐さんが救いの神に見えた。
聡一郎さんの手が緩んだ隙に急いで立ち上がり
「お茶!淹れ直して来ますね」
とキッチンへ逃げ込む。
その直前、顔を真っ赤にした片桐さんが、片手で顔を覆いながら深々と息を吐き出すのが視界の端っこに映った。
片桐さんにも、そして私にも、居た堪れなくなるような思いをさせたというのに、表情1つ変えやしない聡一郎さんを思わず睨みつける。
けれど私の視線に気付いた聡一郎さんは、綺麗にウィンクをすると
「ところで失礼を承知で聞くが、彼女の体調不良の原因は君か?
片桐 玲くん?」
わざとらしく話題を変えた。
…そうだった。
これでも、というと失礼だけど聡一郎さんは大企業の社長なのだった。
あの手この手の駆け引きは彼のもっとも得意とする事だ。
人を動揺させておいて、直後核心に触れる質問で真意を引き出す事など、彼にかかれば朝飯前だろう。
鋭すぎる問いに言葉を失った片桐さんの態度に、自分の勘が正しい事を悟ったのか、聡一郎さんは振り返って私の目を見つめた。
彼の言わんとする事を察し、私も同意を込めて頷く。
「良かったら詳しく話してくれないか?
力になれるかもしれない」
聡一郎さんの言葉に、彼らとの初対面の時の様子を思い出していた。
あの時彼女…はるかさんは片桐さんに縋りつき泣いていた。
今思えば何かを言い争うような声も、辛そうな2人の表情も、恋人同士の2人を引き裂く婚約が原因だとすれば納得がいく。
そして…今にも泣きそうな声で、他に誰も頼れる人がいないと、はるかさんが私に電話してきたその訳も。
確かに、あの家で彼女にとって真の味方となりうる人物は、片桐さんの他にはいないように思えた。
しかしいきなり力になるといわれても、お互いの立場上俄かには信じられないのか、片桐さんは俯きながらしばらく考え込んでいた。
彼もおそらく昨晩の私と同じく、重大な選択を迫られているのだろう。
そんな片桐さんと聡一郎さんの前に新しい紅茶を置き、私もまた聡一郎さんの隣に腰を下ろす。
私達はしばらくの間、静かに片桐さんの返事を待ち続けた。
ややあって顔を上げた彼は、何かを決意した様子で私達に全てを打ち明けてくれた。
今ははるかさんの父・和哉氏の秘書であり、使用人の子とはいえ兄弟同然に育ってきた彼女との関係。
そして…彼女のお腹に自分の子が宿っている事を。
「…妊娠ね、こりゃ急いで手を打たないとマズイ事になるな」
「やはり、そう思われますか?」
聡一郎さんと片桐さんの顔には、深刻な危惧があった。
「だって野々村氏はこの縁組に非常に乗り気なんだろ?
恐らくは君達の関係にも薄々感づいていて、それでも」
「…えぇ」
頷く片桐さんの表情は硬い。
「表現は悪いが、野々村氏は最愛の娘を生贄にしたとしても得る物の方が大きいと思い込んでいるのだろう。
そんな氏が、彼女の妊娠を認めたり許す筈がない」
…ましてこの縁談に乗り気なのは、何も野々村氏だけではないのだ。
そう思いついた途端、私にも2人の危惧が理解できた。
はるかさんの妊娠が知られれば、最悪堕胎も避けられない、という事だ。
「友人に信頼の置ける医師がいる。
そいつに診断書を書かせるから、適当に理由をつけて入院させよう。
少しでも時間を稼ぎながら、お互い説得を始めるんだ」
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