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告白
しおりを挟む最初は頑なだった野々村氏。
しかし藍沢の件を出した途端、ヒュッと息を呑んだ。
「そ…それは、本当かね?」
「えぇ、残念ながら。
うちが奴らのターゲットになったというのは、紛れもない事実です」
渡会の忠告どおり、奴らが水面下でうちの乗っ取りを画策している事は、わりとすぐに掴めた。
事実、グループ本社役員の数名と、極秘に接触があった事までは分かった。
なんせこちらには、有形無形どんな些細な情報でも掴まえられない物はないといわれる伝説の情報屋がついているのだ。
診療所から電話で依頼し、野々村家に着くまでのきっちり3時間。
その間に、奴はトップである俺や親父でさえも知り得ない事まで調べ上げた。
とはいえ、詳細はまだ分からない部分もあるが、それは今ここで口にせずとも良い事だ。
ハッタリも状況に応じては有効な手段になる。
ましてグループの跡取りの言葉ともなれば。
自分で言うのもなんだが、信憑性という点においてこれに勝る物はないだろう。
「あなただって銀行家である前に父親であり、1人の人間である筈。
たった1人の可愛い娘の、真の幸せを願わない筈がないでしょう?
ましてこの縁談には予想外のリスクがついてくる。
となれば、あと私にできる事といえば賢明な判断をお願いする事ぐらいだ」
はるか嬢が入院するにあたって、片桐は野々村氏に嘘をつくのは気が引けると、強硬に訴えた。
ここで嘘をつき時間を稼いでも、今は良くても後々為にならないという彼の主張は一理ある。
確かにあの時と今では、状況が違う。
【藍沢】という切り札を手にした我々に必要なのは、時間稼ぎではない。
という訳で、我々はその日のうちに内密に野々村氏に面会した。
愛娘の突然の入院という事態に、氏は狼狽し慌てて部屋を飛び出しかけたが何とか押し留め、全てを打ち明けた。
そして、今の今まで片桐による必死の説得が続いていたのだ。
婚約を控えた娘の妊娠。
しかも相手は使用人の息子であり、自分の秘書でもある片桐だと知り、野々村氏は顔を真っ赤にして怒り出した。
しかし、怒鳴られても罵られても片桐は懇々と説得を続け、それまで黙って様子を窺っていた俺は、頃合いを見計らって爆弾を落とした。
藍沢コーポレーションによる神崎グループ乗っ取り、という爆弾を。
正直、藍沢の力がいかほどの物であったとしても、資金といい規模といい決して遅れを取るような我が社ではない。
しかし今までに何度となく、自分より大きい相手を飲み込んできた得体の知れなさ、そして子どもじみたしつこさが藍沢にはあった。
あらゆる意味で常識の通用しない相手なのだ。
野々村氏とて奴らの手口の巧妙さ、そして狡猾さは熟知している筈。
最後は椅子に沈み込むように頭を抱えてしまった野々村氏に、半ば強引に婚約発表中止を約束させ、7日という時間をもぎ取った。
「いいか、お前はなんとしても野々村氏を口説き落とすんだ。
今はショックで言いなりになってくれてるが、いつ気が変わるかもしれん。
藍沢の事はこっちで何とかする。
それと出来るだけ彼女についててやれ、いいな?」
別れ際、茫然自失の氏に目をやりながら片桐にそう小声で言う。
「こちらでも、出来るだけ藍沢については手を尽くして調べてみますよ。
俺にだって優秀な仲間がいますし、降りかかる火の粉を払うだけですから」
この数時間で腹を括ったらしい。
しっかりと自らの愛する者を守る為、為すべき事を見出した「男」の顔で不適に笑う片桐は、今までになく頼もしい味方に思えた。
思えば親同士が勝手に決めたとはいえ、自分の女を取られる所だったその相手と、こんな形で協力し合うなど。
お互い思いも寄らない展開とはいえ、決して居心地の良い関係とはいえないだろう。
それでも奴の目には俺に対する不審や、それ以外の感情の色は見当たらなかった。
「んじゃ頼りにしてるからな」
敬意を込めて片桐の肩を1つ叩くと、車で待っている美月の元へ向かった。
* * *
「何のつもりだ、この私を呼びつけるなどと」
親父のテリトリーでは、情けないが雰囲気に呑まれ勝負する事は出来ない。
今までの経験から、俺は親父を神崎ホテルの1室へ呼びつけた。
それはグループ本社での不穏な動き…盗聴の類を用心する為でもあったのだが、親父は俺の傍らにいる美月の姿に険しい顔付きになった。
「…騙したのか?」
親父を呼びつけるにあたり、野々村家との縁談を口実にした事を指して親父は眉を潜める。
「いや、ともかく座ってくれ。
大切な話が2つほどあるんだ」
納得のいかないような表情ながら渋々腰を下ろした親父が、口を開くより早く分厚い封筒に入った資料を手渡す。
「何だ…これは?」
やや気勢を削がれたように、しかし親父は食いついてきた。
そんな親父に、俺の知っている限りの全ての情報を包み隠さず打ち明ける。
「な…なん、だと?」
親父もよく知る、そして多少なりとも信頼している筈の重役の名を何人かあげ、藍沢との取引の内容を告げると、親父の顔色がはっきりと変わった。
「お前、この情報をどこで…」
「俺には俺の伝手がある。
だがそうだな、エンジェルという名の情報屋の噂は耳にした事があるだろ?」
年齢も性別も全てが謎に包まれているが、その正確さから伝説とまで呼ばれている情報屋。
その名を知っていたらしい親父は、半信半疑ながらも手渡した資料を食い入るように見つめた。
ややあって資料から顔をあげた親父は、唸るように
「これが仮に真実だとしたら、わが社にとって恐るべき脅威だ」
と言葉を紡ぎだした。
「冗談で言えるような内容じゃない。
早急に手を打つべきだ」
しばらく、親父は俺の顔を食い入るように見つめていた。
俺も敢えて目を逸らさずに、その視線を受けとめ続けた。
そういえば、こんな風に目を逸らさずに親父と正面から向き合うのは初めてなのだ、と今更ながら意識しながら。
親父は1度目を瞑り、深々と息を吐き出すと呟いた。
「そうまでして、そこにいる女との事を私に認めさせたいのか?」
「無論、美月との事もそうだ」
ここが正念場だ。
気を引き締めて親父の目を真っすぐに見つめ、俺は言葉を選びながら口を開いた。
「だが、それだけじゃない。
物心ついた頃から厳しく躾けられ、自由に遊ぶ事も友達を選ぶ事も出来なかったからな。
正直親父を恨んだ時期もあったよ。
神崎グループのトップに立つ。
それは親父にとっても俺にとっても至上命題で、その為にありとあらゆる物を犠牲にしてきた。
学校と家しか世界がない上、家に帰ってもまだ家庭教師による勉強。
ホントは習い事なんてうんざりだった。
思いっきり何の損得もないただの友人達と走りころげたり、バカやったりしてみたかった。
映画を見に行ったり、買い食いしたり、友達の家に遊びに行ったり。
そんな普通の事をしてみたかった。
いつもいつも、諦めて我慢してきたんだ。
入社してからだってそうさ。
俺の意思とは関係なくセッティングされる見合いにうんざりしていた。
社長とは名ばかりの、何の力もない自分が歯痒かった。
俺の意見など1つも聞いちゃくれない親父を見返してやりたかった。
その為に俺なりに懸命に努力してきたつもりだ。
なのに、あれをしろこれをしろと強制ばかりで、挙句がこの縁談だ。
四六時中、俺自身に問いかけてきたよ。
親父の言いなりで、俺の人生それで良いのか?って。
だけどさ、やっと分かったんだよ。
今まで頑張ってきたのは、俺のあるが儘を受け入れて欲しかったからだ。
親父に、俺自身を認めて欲しかったからなんだって。
俺は親父にとって、いやグループにとって都合の良い駒か?
居ても居なくても同じ、案山子か何かか?
都合のよい、口答えも反抗もしない操り人形じゃなく、ちゃんと俺を見て話を聞いて欲し…」
「違う!」
いつになく苦しげな響きを含む声に、ハッと息を呑む。
「お前は…私の事をそんな風に見ていたのだな。
確かに私の日常にお前は存在しなかった。
お前と顔をあわせる事も年に数回しかなかったし、赤ん坊の頃でさえ面倒をみた事は1度もない。
そういった事は、全てエレインと木嶋に任せていたからな。
仕事で頭が一杯だったし、家庭を顧みる余裕などこれっぽっちもなかった。
いや、正直に言おう。
煩わしく感じていた事さえあった。
けれどそれでも、私なりにお前の事を思っての事だったのだ。
誰にも文句など言わせない、どこへ出しても恥ずかしくない立派な跡取りに育て上げようと、そればかり考え…。
お前にも随分辛い思いをさせたとは気がつかなかった。
私は…今でこそワンマンといわれているが、そうなるまでには人に言えぬ苦労もしてきたからな。
エレインの事もそうだ。
日本人ではないというだけで全てを否定され、跡取りであるお前を産んでようやく認められかけた矢先、病で先に逝ってしまった。
だからお前にだけは、要らぬ苦労は味わわせたくはなかった」
痛むのか額に手をやりながら、疲れたように口を噤む親父の前に紅茶が置かれた。
誰がそれを用意したのかも気付かぬ様子で1口含み、おやという風に顔をあげた親父の顔には、僅かだが感嘆の色が浮かんでいた。
「上手いだろ?美月の淹れた紅茶は」
惚気と取られても仕方のない発言に眉を潜めつつ、親父はポツリと
「エレインの…お前の母親の淹れてくれた紅茶も美味しかった」
と漏らした。
いつもの親父らしくない疲れたような表情に、不意にこれまで感じた事のない感情が沸き起こる。
——なんだ、親父こんなに小さかったか?
いや、見た目はいつもと変わりはないが…何だ?この違和感は。
妙な不安に駆られ手を伸ばそうとするより早く、親父が口を開いた。
「私が先代の本妻の子ではないのはお前も知っているな?
そんな私が神崎グループのトップに大抜擢され、先代が生きている間はともかく、その死後グループを纏めていく事は容易ではなかった。
だから私はお前にきちんと引き継ぐ為、幼い頃から細かい事まで口を出してきたつもりだった」
カップをソーサーに戻そうとした親父の手が、突然細かく震えだした。
「…親父?」
カチャカチャ音を立てながらも何とかカップを戻し、そのまま震える手をじっと見つめる親父の目の色に、引っかかる物を感じた。
「どうしたんだ?」
不意に両手で頭を抱えるように蹲った親父の様子に、ヒヤリとする。
「親父!どうしたってんだ?」
突然の大声に、驚いて隣室から飛び出してきた美月に気付けぬほど余裕をなくした俺の目の前で。
スローモーションのようにゆっくりと親父が倒れた。
「おいっ、しっかりしろ親父!」
慌てて駆け寄り揺さぶろうとした俺の手を、ひんやりとした手が止めた。
「動かしてはダメです。
会長!神崎さん、聞こえますか?
聞こえていたら目を開けてください、神崎さん」
親父の耳元で何かを確かめるように大声を出し、反応がないと見るや
「救急車を呼びますので、襟元やベルトを緩めて差し上げてください」
美月はそう言い、デスクの上にある受話器を取った。
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