黒豚辺境伯令息の婚約者

ツノゼミ

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黒豚令息の領地開拓編

狂乱の鹿肉

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「ぜんぜん…お腹が空きません…」
「トレントの実は物凄い栄養の塊なんだ。人間だけじゃなく、いろんな生き物に必要な栄養素がたっぷり含まれてて、少量でも満腹感が得られる優れものだ。普通はそんな食うもんじゃないから気づかれないだけで、ひとつで3日分の栄養が摂れるらしい。」
「そんなもの一気にいくつも食べたらそりゃ食事も入りませんね。」

シェルリアーナも同様に、全くと言っていい程食欲が湧かず、しかし具合が悪いわけでもなく、いつまでも満腹の状態に困惑していた。

それを見越して、今夜の夕食は米を炊いて簡単に焼き飯と野菜スープのみ。
エリックは品数は少ないが、肉と卵のたっぷり入った焼き飯に、具沢山のトマトスープで満足したようだった。

「こんな事があるなんて…」
「苦しいわけでもないのに…食べたくない…食べる気が起きない…なんか頭と体が分離してるみたいで気持ち悪いです…」
「無理に食うと具合悪くするぞ?今夜はもう休んじまえよ。」

2人は仕方なくそれぞれのベッドへ戻ると、大人しく本を読んだり課題をしたりと静かに過ごしていた。

「うーん…僕もいつもより入らない感じがします…1個食べただけなのに、すごいですねトレントの実!!」
「若木の実じゃこうはならない。年数の経ったトレントからしか取れない摩訶不思議超高級フルーツだ。」
「その上をいく超希少レアフルーツがドライアドの果実…最早幻超えて伝説になってるのがアルラウネの果実。そしてその頂点に君臨するのが世界樹の実…」
「なんか、ありがたみっつーか、レア感がねぇな…」
「こんな謎と神秘に包まれた出来事ばっかりのミラクル人生歩むと思ってなかったんで、途中から思考放棄して敢えてスルーする能力だけがただただ上がってる状態になりました。」

魔力を一切持たないクセに、己に関わる“縁”のみで、どんな魔術師も精霊術師も、貴族の権力さえ敵わない仲間と力を手にしていくデイビッド。
そんな主人のおこぼれに預かるだけで、エリックの能力は更に強く、より洗練されたものになっていく。
(本当に)なにもしない内に、精霊魔術の腕は上がり、精度がどんどん研ぎ澄まされて、今や学園内、否王都の中でもエリックに敵う精霊術師はいないだろう。
妖精もルーチェと知り合って以降、契約を結ばずとも力を貸してくれるモノ達が寄って来るようになった。
(食っちゃ寝してるだけで強くなるとか、正直言って恐怖しかないんだよなぁ…)
流れ作業の様に甘やかされる事にも慣れてしまい、エリックはもうこの生活を手放すことが出来ない所まで来てしまっていた…


「ハァ……帰りたくねぇなぁ…」
「珍しく意見が一致しましたね。」
「ぜっっったい面倒事が待ってるに決まってんじゃねぇか…」
「面倒事が悪化しないよう身柄を物理的に遠ざけられたようなもんですからね。解決してない所に帰るんですから、覚悟はして行かないと。」
「嫌だなぁ……」

それでもやらなければならない事や、今後の準備もある。
夏を前にしてこんなにのんびりさせてもらえたのだから、少しくらいは仕事もしないと自分に支障が出てしまう。

「明後日…学園へ戻る。」
「え?もう?!」
「部屋が空っぽだから何とかしねぇといけないのと、そろそろ顔出して情報集めとかねぇと。恐らく夏にはやる事が山積みで教員としてもクソがつく忙しさになるだろうからな。」
「確かに…今は授業どころじゃなくバタバタですし、教員も生徒も休みがちで補講天国になること間違いなさそう。」
「来月には親善会もある。本来なら今が一番忙しい時期にこの騒動…恐らく夏季休暇削って授業になるぞ。」
「厳しー…」

このキャンプにもすっかり馴染み、日々なんのしがらみも煩わしさもなく、のんびりと気心知れた相手とだけ顔を合わせる生活もそろそろ終わりにしないといけない。
(ただ生きるのが楽しいと思ったのは久々だったな……)
旅の最中のあのワクワクと高揚した感覚と、慣れた場所で落ち着いた穏やかな時間を過ごす感覚、二つ同時に味わえておまけに婚約者も一緒という幸せな時が、デイビッドの中で大きな思い出に変わっていった。
この先何かあって、、この記憶だけで生きていける気がする…)
そんな事がふと頭をよぎったが、すぐに忘れてカンテラに火を入れた。

マロニエの向こうに見える満天の星と、淡く輝く細い三日月と、少しずつ光度が増していくディルケの星が初夏の訪れを教えてくれる。
心地良い風に吹かれながら少し惜しむように目を閉じると、まだ明かりの中起きている3人よりも早くデイビッドは眠りについてしまった。


次の日、まだ日が昇り切らない内に起き出したデイビッドは、真っ先に湖へ行き、ひとりまた釣りを始めた。
手土産に持って来たハックルベリーと夏果のイチジクのコンポートと、ここへ来てから手に入れた果実を少しずつ漬け込んで置いた果実酒にトレントの実を加えた大瓶を携え、また岩場へ置いておくと、キレイにカラになった瓶とすり替わっていて少しおかしくなった。

釣りは相変わらず順調で、大きなマスが釣れたのでその場で締め、再び網カゴにロブスターをごっそり詰めて引き上げると、今度はまたキノコと山菜を採ってキャンプへ戻って行った。

キャン!キャンキャン!!
途中、子犬の鳴き声の様な甲高い鳴き声が聞こえて、辺りを見回すと、小型の鹿が何頭もこちらに向かって威嚇し、臨戦態勢になっていた。
額には目玉のような模様があり、角は短いが先が鋭く尖っていて、何頭かはその先が赤黒く汚れている。
(ヨツメホエジカ!?こんな近くで見るのは初めてだな!めちゃくちゃ怒ってる…縄張りが動いてその中に俺が入っちまったのか?)
身体は小さいがとにかく気性が荒く、時に狼さえ撃退するというヨツメホエジカ。

「悪いな、向かって来るなら応戦はさせてもらうぞ?」

デイビッドは腰のマチェットを引き抜くと、突進して来た1頭の喉笛を一瞬で掻き切った。
その隙に後ろから突き込んで来た1頭を躱し、更に体制が崩れた所を狙って来たもう1頭を振り払うと、なんと倒れた仲間ごと突き刺そうとする個体まで現れた。
(森の戦闘狂いってのは聞いたことがあったが伊達じゃねぇな…)
結局デイビッドが手を掛けたのは2頭、他はなんと仲間割れの末大乱闘となり、5頭が絶命していた。
こんなものには狼だって巻き込まれたくはないだろう。
仕方がなく、デイビッドは最寄りのベルダのいる建物へと移動し、井戸を借りて解体作業を始めることにした。

この鹿は中型の犬程の大きさなので、皮さえ剥いでしまえば後は他の獲物より遥かに楽だった。
角と皮と健は使えるため取って置き、内臓を抜いたら丁寧に部位に分け、肉を洗って切り分けていく。
ゴソゴソ作業していると、窓からベルダが顔を出した。

「ヤァヤァ!おはようデイビッド君。今朝はまたすごい獲物だねぇ!?」
「よぉ、森ん中で縄張りが変わってて、うっかり入ったら襲われちまったんで仕方なく…でも俺が仕留めたのは2頭だけなんだよ。後は仲間同士でやり合って自滅しちまった…」
「あ~ヨツメかぁ、聞いたトコある。すごい気が短くて毎日死闘を繰り広げてるんだってね。群れにライバルがいなくなったら世代交代になるから、雄はいつも周りに喧嘩吹っかけてるんだって!」
「おっかねぇなぁ。」

肉にしても食べきれないので、再びコルビスへ…と考えて、ここへ来る前の話を思い出した。
ーー「捕れたら持って来てくれよ!」ーー
(市場の方へ持ってくか…)

ベルダと別れ、一度キャンプへ戻ると皆を起こさないようムスタを連れて市場を目指す。

移民街のマーケットはまだ開いておらず、準備中の畳みかけのテントがそこかしこに置かれている。
デイビッドは肉屋を見つけると、解体した鹿肉を下ろして中身を見せた。

「おお!こりゃいい鹿肉だ!」
「ホエジカは特にこの時期が美味い。仕事も丁寧だな!これならこのまま売りに出せるぞ。」
「本当に全部引き取っちまっていいのかい?ギルドに持ってくと上手くすりゃ貴族がいい値で買ってくらしいって言うが…」
「依頼の中に鹿肉はなかったからいいさ。角と毛皮もらったから充分だ。」
「いやぁ、助かる。この時期本当に人気が高いんでどこも品薄なんだ。特にこのホエジカは肉質が柔らかくて余分な脂肪が無いから美味いんだ。」
「ありがとよ兄さん!約束通り買い取りに色付けさせてもらうぜ!?」
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