完結 シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣

織部

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蠱惑の魔剣

シシルナ島の春風

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 シシルナ島に、春が訪れた。
 冬の間、眠っていた草木が一斉に芽吹き、港にはやわらかな陽光が射している。波は穏やかで、定期船の白い航跡が、島に新しい季節の始まりを告げていた。

 島全体が、長い眠りから静かに目を覚ましたかのようだった。
「おっはよー」

 明るい声とともに島を駆け抜けていくのは、配達屋のサラだ。
 島の誰もがその声を聞けば一日の始まりを実感する。

 その声は、目覚まし時計よりも正確で、そしてずっと温かい。
 彼女は配達の仕事のほか、ヴァレンシア孤児院でリコの代わりに働くこともある。孤児たちにとっては、姉のようでもあった。

 叱るよりも先に笑い、困っていれば黙って手を貸す。そんな存在だった。
 丘を降り、まず向かうのは港町にある赤い郵便局。

 島の外から定期船で運ばれてきた郵便や荷物が、ここに集まる。
 手紙一通、箱一つが、島の外の世界とつながっている証だった。

「おはようございます!」
 元気よく挨拶を返したのは、シシルナ島新聞の子供たちだ。

 この郵便局では、局員のリコを中心に、彼らや島中の路線馬車の御者までもが兼任で働いている。人手不足を工夫で補うのが、この島のやり方だった。

 肩書きよりも顔なじみが優先される、そんな島だ。
 貴重品の配達は、サラの担当だった。
 足が速く、犬人族らしい勘があり、何より信用がある。

 この島で「信用がある」というのは、何よりも重い評価だった。

「お願いしますね」
 郵便局長が机の上の荷物を指さす。
「あいよー。これは……サナトリウム行きですね」

 思わず、尻尾がぱたぱたと揺れる。そこが今日の楽しみだということを、隠す気もない。
 サラは大きなリュックに荷物を詰め込むと、勢いよく駆け出した。
 島の側道は細く曲がりくねっているが、彼女の足取りに迷いはない。

 何軒か配達を終え、最後に向かうのがサナトリウムだ。
 そこは仕事であり、息抜きであり、少しだけ特別な場所だった。

 顔なじみの門を抜けると、まずセラの姿を探す。
 丘の上に建つ歴史的な建物と庭の緑は、島の喧騒と隔絶した静かで穏やかな空気をまとっている。

 ここでは、時間の流れさえ少し遅く感じられた。
「セラ、ノルドから荷物だよ!」
 セラはキッチンで、お菓子を焼いていた。甘い香りが、庭まで流れてくる。
 その匂いだけで、訪れる者の肩の力が抜けてしまう。

「そう、ちょっと待ってて!」
「はい、はーい!」
 配送の順番を最後にしたのは、ここで少しゆっくりするためだ。

 もちろん、セラもそれを承知している。
 言葉にしなくても通じ合う距離が、二人の間にはあった。

「こっちで食べましょう。荷物は後でいいわ!」
 庭のテーブルに並べられたのは、セラの手料理だった。
 シシルナ島風のパスタと、冷たいジュース。海の幸と野菜を活かした、島らしい献立だ。

「お肉ばかりじゃ、体に良くないからね」
 そう言いながらも、イワシやメカジキがしっかり入っている。
 栄養と味、その両方を忘れないのがセラだった。

「わーい。おいしそう」
 その食事会を嗅ぎつけた英雄たちとサルサが、次々と集まってくる。
 静かな庭が、一気に賑やかになる。
 笑い声が増えるほど、春の気配も濃くなっていった。

「えー、なくなっちゃう」
「ふふふ。サラの分とは別だから、安心しなさい」

「良かった」
 心底ほっとした声に、皆の笑いが広がった。
 こうした何気ない一幕が、彼らにとっての「守るべき日常」だった。

 食事を終えると、お待ちかねの荷物の開封だ。
 ノルドの荷物には、長い手紙が添えられていた。

 紙には、彼の几帳面な字がびっしりと並んでいる。
 一文字一文字に、彼の性格がにじんでいた。

 シシル島を発ってから聖王国に到着するまでの出来事が、彼らしい丁寧さで細かく記されていた。
 サン=マリエル公国でのローカンの結婚式、魔物退治。
 ピサリオン村の斜塔での大蜘蛛退治。
 コレン村でのビブリコ除去。
 どれもが、実はただの旅ではない。

 だが、それを誇る言葉は一切なかった。
「教えてくれ!」
 暇を持て余していた英雄たちにとっては、格好の暇つぶしの物語だ。

 サラはセラの許可をもらい、手紙を読み上げる。
 セラは微笑み、サルサは感心した様子で耳を傾けていた。

「そんな高い顕微鏡を欲しがるなんて……もう」
 セラは呆れたように言うが、ノルドをそんな風に育てたのは誰だったか。

 その場にいた全員が、心の中で同じことを思っていた。
「セラ、そんなに高くないよ。グラシアスにもアルカナ精密工房にも話は通しておく。それより、荷物は何なんだい?」

「はーい。それじゃ、開けますよー」
 サルサには、ビブリコの研究結果とサンプル。
「まあ、そんなことだと思ったよ。だが、歴史に名を刻まぬことを選ぶとは……」

 だが、ノルドがそれだけの存在でないことを知っているみんなは、何も言わなかった。言葉よりも、理解が先にあった。

 セラには、ハイエルフの作る糸だった。
「これは貴重なものだな」
 英雄たちは目を見張ったが、「糸の編み方は、書いておきます リコ」というメモを見つけ、大笑いした。

「料理の才能はあるが、裁縫の才能はないらしい」
「あやつらしい!」

 春の光の下、笑い声が庭に溶けていく。
 だが、これだけの手紙でも、セラやサルサ、英雄たちの目には別のものも見えている。

 魔物の生息圏の変化、人工的に作られた魔物、それを仕掛けた者の存在。
「ノルドが、導かれて旅立った本当の理由かもしれないな」

「大丈夫でしょうか?」
「お前の育てた牙狼の王が、きっとこの大陸を救うだろうさ」

旅立った彼らを遠くから見守る者たちの姿がここにあった。
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