天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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公事上聴 6

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 だが桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかず謹厳きんげん実直じっちょくであり、目付めつけとしては適任てきにんと言えたが、しかしこの手の調整ちょうせい仕事はお世辞せじにも適任てきにんとは言いがたかった。

 それは誰よりも桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかず自身が良く自覚しているところであり、さりとて目付めつけの筆頭としてここで調整ちょうせいりょく発揮はっきしなければ、他の目付めつけからその力量りきりょうを疑われることになり、何より、出世にも影響してくるやも知れなかった。桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずは確かに謹厳きんげん実直じっちょくではあったが、同時に人並ひとなみ以上の出世欲も持ち合わせていたので、それを恐れたのだ。

 そこできゅうした桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずは上水方と道方の御用ごようがかり兼務けんむする柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねに相談を持ちかけたのであった。

 柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねは明和4(1767)年の9月28日に目付めつけに取り立てられ、目付めつけとしてはまだ2年弱しかていなかったものの、それでも既に、上水方と道方を兼務けんむしていた。上水方とは江戸の上水道じょうすいどう管掌かんしょうするかかりであり、一方、道方とは江戸の道路を管掌かんしょうするかかりである。

 これは所謂いわゆる下三奉行したさんぶぎょうとも称される作事さくじ普請ふしん小普請こぶしんのうちの普請ふしん奉行の職掌しょくしょうでもあり、ゆえに上水方と道方の御用ごようがかり兼務けんむする目付めつけ普請ふしん奉行と打ち合わせをすることが多かった。

 柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね目付めつけとしてはまだ若手であったが、それでも普請ふしんに強いということで、上水方と道方の御用ごようがかり兼務けんむしていたのだ。

 この柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねにしても無論、依田よだ政次まさつぐ専横せんおうには心底、苛立いらだちを覚えており、他の目付めつけが彼ら目付めつけの筆頭である桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずに泣きつく気持ちも、いや、何とかしろと解決を強要する気持ちも分からぬでもなかったが、さりとて、桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずに葉その手の解決が苦手なことも、つまりは「調整ちょうせいりょく」を期待できないこともまた事実であり、柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねはそれが分かっていたので、同僚による桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずへの「強要」には加わらずに、遠巻とおまきにしてながめるだけにとどめたのだ。

 すると桑原くらばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずはそんな柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねに相談を持ちかけたのであった。いや、正確には助け舟を求めたのであった。

 それに対して柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねにしてもこうなることを、つまりは桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずより助けを求められるのではないかと、内心、予期していた。

 それと言うのも柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね目付めつけとしては若手だが、しかし桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずが苦手とするその手の、

調整ちょうせいりょく

 それが要求される仕事を得意としており、先輩である桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずから相談を持ちかけられることがしばしばであり、今回もそうであった。

 果たして桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかず柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねが予期した通り、相談を持ちかけたのであった。

 だが柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね如何いかにその手の「調整ちょうせいりょく」が要求される仕事が得意とは言え、今回ばかりは大目付おおめつけがかかわっている、と言うよりは諸悪しょあく根源こんげんなので、安請やすうけ合いはできなかった。

 柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねは悩んだ末に、北町奉行となっていた曲淵まがりぶち景漸かげつぐを頼ることを思いついたのであった。

 それと言うのも江戸町奉行なれば今日のような評定所ひょうじょうしょ式日しきじつに大目付と顔を合わせる機会があり、その折に北町奉行である曲淵まがりぶち景漸かげつぐより監察かんさつ役として陪席ばいせきする大目付おおめつけ依田よだ政次まさつぐに対して、

目付めつけ職掌しょくしょうにまで手をまれるのは如何いかがなものか…」

 そう注意してもらおうと、柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねは考えたためである。

 もっとも、それなら北町奉行の景漸かげつぐに限らず、南町奉行や、あるいは公事くじ方勘定奉行、可能ならば寺社奉行や老中でも良かったはずである。彼らもまた、評定所ひょうじょうしょ式日しきじつに顔を見せるからだ。

 そんな中で柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざねが北町奉行の景漸かげつぐを頼ろうと思ったのは他でもない、そく豊三郎とよさぶろう正陽まさてるの婚約者が誰あろう、景漸かげつぐの娘であったからだ。

 この時…、明和6(1769)年の時点では豊三郎とよさぶろう正陽まさてるはまだ5歳に過ぎず、婚約相手である景漸かげつぐの娘にしても同い年であったが、将来、無事に成長したあかつきには夫婦めおとにさせようと、親同士…、柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね景漸かげつぐはそう取り決めていたのだ。

 柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね景漸かげつぐとはこのような縁で結ばれていたために、その景漸かげつぐを頼ることを思い立つと、そのむね…、景漸かげつぐを頼ることを桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかずに提案し、それに対して桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかず即座そくざにその提案に飛びつき、それなればと、二人して景漸かげつぐもとへと出向いて、相談してみようとなったのだ。

 桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかず柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね景漸かげつぐに相談を持ちかけることにしたのにはこのような背景があった。

 ともあれ桑原くわばら善兵衛ぜんべえ盛員もりかず柘植つげ三蔵さんぞう正寔まさざね景漸かげつぐのその「職住しょくじゅう兼用けんよう」とも言うべき常盤橋ときわばし御門内にある北町奉行所へと足を向け、そこで景漸かげつぐに相談を持ちかけたのであった。

 それに対して景漸かげつぐはこれを快諾かいだくし、実際、評定所ひょうじょうしょ式日しきじつにおいて監察かんさつ役として陪席ばいせきしていた依田よだ政次まさつぐに対してやんわりと、かどを立てずに注意したのであった。

目付めつけの仕事まで抱えられるのは如何いかがかと存ずる…」

 だがそのような景漸かげつぐの注意に対して、政次まさつぐは素直に耳をかたむけるような老人ではなかった。

「黙れっ!口出し無用むようっ!」

 政次まさつぐ景漸かげつぐをそう一喝いっかつしたのであった。これにはさしもの景漸かげつぐもカチンときた。いや、最早もはや、このご老体ろうたい遠慮えんりょ無用むようと、景漸かげつぐをそう決意させたのであった。

「そこもとが目付めつけ職掌しょくしょうにまで手をまれるゆえ、目付めつけは皆、迷惑しており申すっ!年寄としよりのや水もいい加減になされぃっ!」

 その頃の景漸かげつぐは今ほどにはしたたかではなく、それゆえ老練ろうれん政次まさつぐ仕掛しかけたわなにまんまとまった。

 わなとは他でもない、政次まさつぐはわざと景漸かげつぐを怒らせてその一言ひとことを、すなわち、

年寄としよりのや水…」

 その発言を引き出させたのであった。いや、この発言に限らず、ともかく年寄としよりを侮辱ぶじょくするような発言さえ引き出せればそれで良かったのだ。そうすれば同じように年寄としよりな、さしずめ、

「仲間」

 とでも呼ぶべき他の大目付おおめつけが味方をしてくれるに違いないからだ。それと言うのもこの時点…、明和6(1769)年のこの時点における大目付おおめつけは4人おり、依田よだ政次まさつぐは67歳であったが、それでも大目付おおめつけの中では二番目に若く、あとの二人、すなわち、大井おおい伊勢守いせのかみ満英みつひで稲垣いながき出羽守でわのかみ正武まさたけは67歳の政次まさつぐよりも年上であり、大井おおい満英みつひでは78歳、稲垣いながき正武まさたけは71歳であった。

 それゆえこの二人…、大井おおい満英ひつひで稲垣いながき正武まさたけよりも若い…、とは言え67歳とやはり高齢であり、その己に対して景漸かげつぐが怒りの余り、その己の高齢さをあげつらうかのような一言を、もっと言えば、高齢さをとらえて侮辱ぶじょくするような発言を引き出さえれば、己よりも年上の二人…、大井おおい満英みつひで稲垣いながき正武まさたけをも怒らせ、そうなれば二人が景漸かげつぐに対して悪感情を持つのは間違いなく、ひるがえって同じ年寄り仲間とも言うべき己の味方をしてくれるに違いない…、政次まさつぐはそこまで読み切って、わざと景漸かげつぐを怒らせたのであった。
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