天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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一橋治済への疑惑 3

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民部みんぶ、この上、何か申し開きがあるか?あるなら申してみぃ…」

 家治は治済はるさだに対してそうたずねた。いや、それは詰問きつもんと言うべきであろう。

 するとそれまで目を閉じていた治済はるさだは目を開け、家治の方へと体を向けるや、「おそれながら申し上げまする…」と切り出した。

「これはわなにて…」

 治済はるさだがそう告げたので、これには家治も思わず首をかしげ、

わなだと?」

 そう聞き返した。

 すると治済はるさだは正に、

「悪びれもせず…」

 そのような態度で平然へいぜんと、「御意ぎょい…」と答えた。

 家治としては「わな」であるとの治済はるさだのその弁明べんめい半信はんしん半疑はんぎ、どころかまったく信じられなかったが、それでもとりあえず聞いてやることにした。

「許す。くわしく申せ…」

「さればそれな紫の袱紗ふくさは確かに、主殿とものがこの治済はるさだおくりし袱紗ふくさなのやも知れませぬ…」

 治済はるさだがそう認めたことから、評席ひょうせきからどよめきの声があがった。それはそうだろう。何しろその紫の袱紗ふくさ奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつした、編笠あみがさ姿の侍とおぼしき下手人げしゅにんが落としたものなのである。

 その紫の袱紗ふくさを己におくられた品だと認めることは、己が奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶったか、あるいは手の者にらせたか、いずれにしろ池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつ事件の首謀しゅぼう者であると認めるようなものである。

 のみならず、家基いえもとの死にも深く関与かんよしていることをも認めるようなものであった。何しろ池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつ事件は家基いえもとの死の延長線上にある…、もっと言えば、

家基いえもとは殺害され、その実行犯こそが奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶであり、その池原いけはら良誠よしのぶもまた、口封くちふうじのために斬殺ざんさつされた…」

 その前提ぜんていで審理が進められていたので、そうであれば池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつ事件への関与を認めるということはすなわち、家基いえもとの殺害への関与をも認めることに他ならない。


民部みんぶよ…、それがどういう意味か、分かっているのか?」

 家治は治済はるさだの「理解力」を決して疑っていたわけではないものの、それでも一応、確かめるように尋ねた。

 それに対して治済はるさだは「無論、承知しょうちしておりまする…」と答えた。

「されば、何者かがその紫の袱紗ふくさ奪取だっしゅ、故意に落としたのではないかと…」

 治済はるさだはそんな「言い訳」をした。

「それな紫の袱紗ふくさを何者かがうばい取ったと申すか?」

 家治は確かめるように尋ねた。決して治済はるさだのその「言い訳」を信じたわけではなかったものの、それでも興味を覚えたからだ。

 一方、治済はるさだはそんな家治の心境しんきょうの変化を看取かんしゅしたのか、身を乗り出すようにして、「御意ぎょい」と答えた。

「なれど…、仮にそうだとして、それな紫の袱紗ふくさは当たり前だが、その方の屋敷やしきに…、一橋ひとつばし邸にて保管されているものであろう。されば、如何いかにして盗み出したと?誰ぞ、一橋ひとつばし邸に忍び込み、そしてどこぞに保管されてあった、それな紫の袱紗ふくさを盗み出し、そしてそなたに罪を着せるべく、わざわざ比丘尼びくに橋のたもとに落としたと申すか?」

 家治からそう問われた治済はるさだはやはり「御意ぎょい」と答えた。

 するとそれまで黙っていた益五郎ますごろうたまらずに、「あの、良いっすか?」と家治と治済はるさだとの間に割り込むようにして声を上げたので、評席ひょうせきにてひかえる老中や一座いちざたちから非難ひなん眼差まなざしを向けられた。

 益五郎ますごろうの隣に座る博打ばくち仲間の玄通げんつうからもそんな非難ひなん眼差まなざしを向けられる始末であった。

おそれ多いぞ…」

 今にもそう言いたげな非難ひなん眼差まなざしであったが、一方、家治は一向いっこうに気にする様子もなく、それどころか興味深い表情で、「許す」と益五郎ますごろうに発言を許した。

「あの…、俺、別に一橋ひとつばし殿を擁護ようごするつもりは更々さらさらないんすけどね、それでもずっと気になっていたことがあって…」

 益五郎ますごろうが思わせぶりにそう切り出すと、家治はれた様子で、「何だ?」とうながした。

「あの、俺、下手人げしゅにんの野郎を比丘尼びくに橋のたもとで見失った時に、その野郎がその紫の袱紗ふくさを落としたわけなんですけどね、でも、何だかその時の様子がどうにも変っつうか…」

「変?」

「ええ、まるで俺にその袱紗ふくさを拾わせるのが狙いっつうか、そんな感じで故意に落とした感じなんすよね…」

 益五郎ますごろうのその証言は治済はるさだの「言い訳」にある程度の説得力を与えた。治済はるさだにしてもそうと察して胸を張って見せた。

「それでは…、一橋ひとつばし邸よりそれな紫の袱紗ふくさを盗み出した者こそが、池原いけはら長仙院ちょうせんいん斬殺ざんさつせし下手人げしゅにんと申されるので?一橋ひとつばし殿は…」

 北町奉行の曲淵まがりぶち景漸かげつぐ誓詞之間せいしのまにて家治の隣にひかえる治済はるさだの方へと体を向けて尋ねた。

「そうかも知れぬし、あるいは別人やも知れぬ…」

 治済はるさだ断定だんていけた。

 すると景漸かげつぐ治済はるさだに対してさらに質問を重ねた。

「仮にそれな紫の袱紗ふくさが盗まれたとして、その袱紗ふくさ田沼たぬま主殿頭とのものかみより一橋ひとつばし殿へと、菓子折かしおりをおくられし際にその菓子折かしおりに包まれていたものにて、つまりは紫の袱紗ふくさにしても贈答ぞうとう品というわけにて、されば一橋ひとつばし邸における贈答ぞうとう品の管理体制について尋ねたい…」

 それは当然の質問であった。仮に治済はるさだが主張する通り、意次よりおくられたその紫の袱紗ふくさが盗まれたとして、その場合には贈答ぞうとう品の管理体制に不備ふびがあったということになる。

「されば当家の納戸なんどがしら贈答ぞとう品の管理をつかさどっておる」

 治済はるさだがそう答えるや、景漸かげつぐは家治の方へと体を向け、のみならず、両手りょうてを畳にいた。

おそれながら上様に願いのが…」

 景漸かげつぐがそう言いかけるや、家治は「分かっておる」と言葉をかぶせた。

一橋ひとつばし邸につかえし納戸なんどがしら召喚しょうかんすれば良いのであろう?」

 家治が先回りして景漸かげつぐに確かめるように尋ねると、景漸かげつぐ平伏へいふくしつつ、「御意ぎょい」と答えた。
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