天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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殺しの報酬と醵金

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「だが、一つ、問題がありますな…」

 善之よしゆきはそう言った。

「問題とは?」

 意知おきともは首をかしげてみせた。

「されば、小野先生は町医者にて…」

 善之よしゆきにそう言われて、意知おきともはそのことを思い出した。

「そう言えば…、本銀町一丁目にて開業かいぎょうしている町医者でしたな…」

左様さよう…、されば仮にでござるが、小野先生が大納言だいなごん様のお命を頂戴ちょうだいすべくその、シロテングタケ、あるいはドクツルタケを用意したとして、それを一体、如何いかにして城内じょうないに持ち込むか…」

 善之よしゆきの言う通りであった。幕府の官医かんいでもない小野おの章以あきしげが江戸城に登城とじょうできるはずもなく、そうであれば登城とじょうが許されている者に毒キノコをたくすしかない。それも一橋ひとつばし豊千代とよちよ家基いえもとに代わる次期将軍、ひいては将軍に擁立ようりつせんとするやからである必要もあった。それも絶対条件と言えよう。

「されば…、その小野先生の交友関係ですが…」

 意知おきともがそう言いかけるや、

「小野先生と一橋ひとつばし家とのえにし、でござるな?」

 善之よしゆきがズバリ斬り込んできた。その通りではあったが、しかし、そうはっきり言われてしまうと、さしもの意知おきともいささめんらい、

「ええ、まぁ…」

 意知おきともにしてはめずらしく口ごもった。

「されば…、残念ながら交友関係までは…」

 どうやら善之よしゆきには分からない様子であった。だがそれに対して意知おきともはと言うと、落胆らくたんしなかった。元より、善之よしゆきは医学や本草ほんぞう学の研究以外にはあまり興味のない男であり、ことに「人間関係学」はもっと不得手ふえてとする分野と言ってもつかえあるまい。

 いや、それは何も善之よしゆきに限った話ではなく、学者であれば多かれ少なかれ、「その手の」人種じんしゅが多かった。今、ここにいる多紀たき親子にしても、医師としてはまだまだ未熟みじゅく長谷川はせがわ玄通げんつうですらそうかも知れない。

 ともあれ意知おきともは別の「ルート」から果たして小野おの章以あきしげと一橋家との間にえにしがあるのか、それともないのか、「アプローチ」することに決めた。

 それから元悳もとのりが意外な、それも驚くべきことを言い出した。

「ところで…、仮にでござるが、小野おの章以あきしげおそれ多くも大納言だいなごん様をがいたてまつりし、それな毒キノコを用意したとして、小野おの章以あきしげも罪に問われるのでございましょうか…」

 元悳もとのりが恐る恐るそう尋ねた。それに対して意知おきともは、「成程なるほど…」と元悳もとのりが恐る恐る尋ねたことに合点がてんがいった。

 それは他でもない、仮に小野おの章以あきしげ捕縛ほばくされるようなことにでもなれば、もうこれまでのように小野おの章以あきしげがこの躋寿せいじゅかんへと、玄通げんつうのような新米しんまいの研修医の実習じっしゅうのために…、その診療しんりょうを見学させるべく、ほぼ無料にて往診おうしんに来てくれることがなくなってしまうからだ。

 元悳もとのりはそれを案じて恐る恐ると、そう尋ねたに違いないと、意知おきともはそう合点がてんがいったわけだが、しかしそれは意知おきともの「はや合点がてん」であった。

 その直後であった。元悳もとのりが意外な、それも驚くべきことを言い出したのは。

「まいりましたな…」

 元悳もとのり渋面じゅうめんを作ってそう告げたので、

「されば…、仮に小野先生が捕縛ほばくされるようなことともあいれば最早もはや、これまでのように小野先生が往診おうしんに参られなくなるからですか?」

 意知おきともがそういの手を入れると、元悳もとのりは、「ええ、それもありますが…」と実にふくみのある答え方をした。

「それもある、とは?」

「いや…、されば我が躋寿せいじゅかん醵金きょきんにてその運営がまかなわれており申す。されば…」

「まさか…、小野先生からも醵金きょきんが…、資金の醵出きょしゅつがある、と?」

 意知おきともがそう察したので、さきまわりして元悳もとのりに尋ねると、元悳もとのりうなずいた上で、意知おきともを驚かせるような金額を口にしたのであった。

「されば小野先生からは毎年、50両もの醵金きょきんを受けており申す…」

「50両っ!?」

 意知おきともは思わず声を上げた。いや、意知おきとものみならず、玄通げんつうも同様で、おかげではもった。どうやら玄通げんつうもそこまでは知らなかったようだ。

「それはまことで?」

 意知おきともは思わずそう聞き返したほどであった。

まことでござる」

 元悳もとのりが改めてそう答えたので、意知おきとも脳裏のうりには、

報酬ほうしゅう

 その二文字がぎった。

 すなわち、家基いえもとを無事に始末しまつ、それも毒殺することに成功したので、その兇器きょうきとも言うべき毒キノコを用意してくれた、あるいは毒キノコの存在を教えてくれた小野おの章以あきしげに対する報酬ほうしゅう、それもさしずめ、

「成功報酬ほうしゅう…」

 それが一橋ひとつばし家より小野おの章以あきしげより支払われたのではあるまいかと、意知おきともはそう考えたのであった。

 そして仮にそうだとすれば、小野おの章以あきしげの毎年、50両もの醵金きょきん…、小野おの章以あきしげがこの躋寿せいじゅかんに毎年、50両もの資金醵出きょしゅつをし続けることができる、それだけの資金的余裕がある、その理由について説明がつくというものであった。

 すると善之よしゆきはそんな意知おきともの胸のうちに気付いたようで、代弁だいべんしてみせた。

「まさかに…、その毎年50両もの醵金きょきん原資げんし一橋ひとつばし家よりの、わば成功報酬ほうしゅうたぐいだと?」

 善之よしゆきは冷静にそう尋ねた。善之よしゆき小野おの章以あきしげがこの躋寿せいじゅかんに毎年50両もの醵金きょきん…、資金醵出きょしゅつを続けていることについて、その事実を口にした元悳もとのりとそのそく元筒もとやすと同じく、驚いた様子を見せなかったあたり、善之よしゆきもその事実を承知していたからこそ、冷静でいられたのであろう。

 ともあれ善之よしゆきよりそう尋ねられた意知おきともうなずいてみせた。その通りであるからだ。すると善之よしゆきは、

「されば…、成功報酬ほうしゅうとは…、大納言だいなごん様を毒殺することに成功したその報酬ほうしゅうという意味ですか?」

 そう言わずもがなのことを尋ねた。いや、この場合の「言わずもがな」とは意知おきともにのみ、いや、それに玄通げんつうをもふくめた二人にのみ、当てまることであった。

 だがその時の意知おきともはそうとは気付かずに、

「今さら何を言っているのか…」

 当たり前のことを尋ねる善之よしゆきに対して意知おきとも怪訝けげんな表情を浮かべつつも、「如何いかにも」と答えた。

 すると善之よしゆきは、「おかしいな…」とそうつぶやいたかと思うと、元悳もとのり元筒もとやす、この二人の親子へと視線を向けた。善之よしゆきのその視線は同意を求めるかのようなそれであり、それに対して元悳もとのり元筒もとやす親子も思うところは善之よしゆきと同じであったらしく、二人は同時にうなずいてみせた。

 一方、そうと気付いた意知おきともは、「一体、何がおかしいので?」と尋ねた。

「いえ…、仮に大納言だいなごん様を毒殺した…、毒殺できたことへの成功報酬ほうしゅう一橋ひとつばし家より小野先生へと支払われたとして…、その場合は勿論もちろん、50両以上でしょうが…」

 善之よしゆきはそう切り出した。確かにその通りであり、成功報酬ほうしゅうがたったの50両であるはずがなかった。何しろ次期将軍の暗殺に手を貸したのだ。50や100の話ではあるまい。恐らくは、

「千両…」

 そう考えてつかえなかった。それも一時的ではなく、毎年、その額が支払われているものと、そう考えてもつかえないだろう。

 つまり今…、天明元(1781)年の今年も一橋ひとつばし家より小野おの章以あきしげに千両もの金が支払われたのではあるまいか…、意知おきともはそうにらんだものである。

 ともあれ、善之よしゆきが言う通り、「成功報酬ほうしゅう」が50両以上であることは間違いないであろうから、意知おきともも、「だと思います」と首肯しゅこうした。

 すると善之よしゆきはその上で、

「そしてその場合、大納言だいなごん様が薨去こうきょ…、毒殺された前後…、それも恐らくは毒殺の前から成功報酬ほうしゅうが支払われ始めたのではないかと思われます…」

 そう推論すいろんかさね、その推論すいろんにしてもやはりまとているように意知おきともには思われたので、うなずいた。

 次期将軍殺し…、そんなだいそれた犯罪に手を貸そうと言うのである。「成功報酬ほうしゅう」があとばらいのわけがなかった。

「それでも…、その場合でも安永7(1778)年頃より成功報酬ほうしゅうはらわれ始めたと考えるのが自然ではありますまいか?」

 確かにこれも善之よしゆき推論すいろん通りと言えよう。
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