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大詰め ~将軍・家治、毒殺さる。1~
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その頃、中奥にある御膳建之間においては御膳奉行の高尾惣十郎信福とその相役…、同僚である山木次郎八勝明の立ち会いの下、宿直にして御膳番の小納戸である岩本正五郎正倫とその相役の松下左十郎正邑の二人が将軍・家治に供する夕食の毒見を担っていた。
いや、正確には毒見を担っていなかった。岩本正五郎と松下左十郎の二人はその、将軍・家治が食する筈の夕食の毒見をすることなく、また、御膳番の小納戸がきちんと毒みをするか、それを監視する役目を担う筈の御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八にしてもそれを…、岩本正五郎と松下左十郎の二人がまともに毒見をしようとしないことを咎めようともしなかった。
それもその筈、何しろ御膳番の小納戸が毒見を担う前に、まず初めに毒見を担う筈の御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八の二人からして毒見をしなかったのだから、御膳番の小納戸である岩本正五郎と松下左十郎の二人がまともに毒見をしないからと言って、その高尾惣十郎と山木次郎八の二人が岩本正五郎と松下左十郎の二人を咎めることなど元より出来よう筈もなく、またその資格さえなかった。
いや、仮に高尾惣十郎と山木次郎八の二人が岩本正五郎と松下左十郎の二人を咎めることがあるとすれば、それは岩本正五郎と松下左十郎の二人がまともに毒見をしようとした場合であろう。
それと言うのも、この将軍・家治が食する筈の夕食には本来、将軍たる家治の命を守るべき立場にある御膳奉行の高尾惣十郎が毒物を、それも遅効性ではなく即効性の毒物を混入させていたからだ。無論、将軍・家治の命を奪うべく…。
将軍の食事は御膳所台所頭とその配下の組頭や台所人らによって作られ、そうして作られた将軍の食事はまず御膳奉行の毒見を受けるべく、御膳奉行の詰所へと運ばれ、そこで最初の毒見とも言うべく、御膳奉行による毒見が行われる。
その際、御膳奉行は二人で毒見を担うことになる。一人の御膳奉行だけに毒見を任せたのでは、仮に御膳奉行が悪心を起こした場合…、要は毒物を混入した場合、それを阻止すべき者がいないからだ。
そこで互いに互いの職務を監視させるべく、御膳奉行による最初の毒見は常に二人で行われる。
だが今回…、今晩に限ってはその配慮も意味をなさなかった。何しろ高尾惣十郎が将軍・家治が食する筈のその夕食に毒物を混入するのを山木次郎八は見咎めるどころかそれを黙認、いや、黙認などとそんな生易しいものではない、当然のこととして受け止めたのであった。
つまりは将軍・家治の毒見役として、家治の命を預かるべき立場にいる筈の高尾惣十郎がこともあろうにその家治の命を奪うべく、夕食に即効性の毒物を混入、それを同僚である、やはり将軍・家治の毒見役として家治の命を預かるべき立場にいる山木次郎八もまたそれを当然のこととして受け止めたのであった。
いや、将軍・家治の命を奪う…、そのことを当然のこととして受け止めたのは何も、御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八の二人に限らず、御膳番の小納戸としてやはり将軍・家治の命を守るべき立場にいる筈の岩本正五郎と松下左十郎にしてもそうであった。
岩本正五郎と松下左十郎の二人の御膳番の小納戸もまた、
「将軍・家治の命を奪う…」
そのことを当然のこととして受け止めていた、いや、思いを共有していたのだ。
さて、岩本正五郎と松下左十郎の二人は頃合を見計らってその即効性の毒入りの夕膳を両手で掲げて立ち上がると、御膳建之間をあとにして、囲炉裏之間へと足を運んだ。
二度目の毒見とも言うべき御膳番の小納戸による毒見が済んだその将軍が食する食事は御膳番の小納戸の手により囲炉裏之間へと運ばれ、そこで二度の毒見ですっかり冷めてしまった食事を温めなおすのであった。
尚、その際、二人の御膳奉行はと言うと、やはり囲炉裏之間までついて来る。囲炉裏之間において…、食事を温めなおす際に小納戸がやはり悪心を起こさないとも限らず、それゆえ御膳奉行が目を光らせるためである。
そうして囲炉裏之間において温めなおされた将軍の食事はやはり小納戸の手により今度はいよいよ「終着駅」とも言うべき御小座敷之間へと運ばれる。将軍はこの御小座敷之間の上段にて食事を摂るのが慣わしであったからだ。
岩本正五郎と松下左十郎の二人は両手で夕膳を掲げつつ、且つ、高尾惣十郎と山木次郎八の二人を従え、と言うよりは二人に監視されながら、御小座敷之間のそれも下段に面した入側…、廊下へと足を踏み入れると、そこから先…、閾を越えた先にある御小座敷之間の下段へは岩本正五郎と松下左十郎の二人のみが入ることが許され、高尾惣十郎と山木次郎八の二人は下段に面した入側…、廊下にて控えねばならなかった。
それと言うのも、高尾惣十郎と松下左十郎の二人が就いている御膳奉行という「ポスト」はあくまで、表向の「ポスト」であり、岩本正五郎や松下左十郎が就いている小納戸のような中奥の「ポスト」ではないからだ。
本来、表向の「ポスト」に就いている者はここ中奥にみだりに立ち入ることは許されない筈であったが、しかし、こと御膳奉行という本来、表向の「ポスト」に限って言えば、その役目柄…、将軍の命を守るべく将軍が食する食事の毒見を掌るというその役目柄、表向の「ポスト」でありながら、ここ中奥に立ち入ることが許されていたのだ。
それでも如何にその御膳奉行と言えども、流石に、中奥の最奥部とも言うべき御小座敷之間の本間である下段に立ち入ることまでは許されておらず、そこで下段に面した入側…、廊下にて控えねばならなかった。
それでは御膳奉行が小納戸の動きに目を離すことになるが、しかし、下段のさらにその先の上段には将軍とそれに食事の給仕を担う小姓が控えていたので、御膳奉行が下段に面した入側…、廊下にて控えねばならないために小納戸の動きに目を離すことになると言っても、下段にて小納戸が将軍の食事にどうこうしようにも、その先の上段にて将軍その人や給仕役である小姓の目があるので、どうにもできなかった。
さて、夕膳を両手で掲げた小納戸の岩本正五郎と松下左十郎の二人が御小座敷之間の下段から更にその先の上段…、将軍・家治が鎮座する上段へと近付くにつれ、家治の両側にて近侍していたやはり宿直の小姓の丸毛中務少輔政美と平賀式部少輔貞愛の二人も立ち上がり、下段へと…、上段と下段を隔てる閾へと進み、そして、その閾にて両者…、夕膳を両手で掲げた岩本正五郎と松下左十郎の二人の小納戸と、給仕を担う小姓である丸毛政美と平賀貞愛の二人が向かい合うと、閾越しにその夕膳が岩本正五郎と松下左十郎の手から、丸毛政美と平賀貞愛の手へとそれぞれ移った。
将軍が中奥にて食事を摂る場合、ここ御小座敷之間の上段と下段とを隔てる閾越しに、ここまで食事を運んで来た御膳番の小納戸の手から、給仕を担う小姓の手へと移り、そうして小納戸より食事を受け取った小姓はその食事を将軍の御前に並べ、給仕を担うのであった。
丸毛政美と平賀貞愛の二人の小姓も勿論、その例に倣い、一方、小姓へと将軍の食事を渡した小納戸はと言うとそれで「御役御免」であり、御小座敷之間より退がることになり、やはり岩本正五郎と松下左十郎の二人もその例に倣い、御小座敷之間をあとにした。用もないのにいつまでも御小座敷之間に留まることは許されないからだ。
岩本正五郎と松下左十郎の二人は下段より退がり、そして下段に面した入側にて相変わらず控えていた御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八の二人と合流すると、御小座敷之間をあとにし、四人はその足でもって、御膳奉行の詰所へと足を伸ばした。
御膳奉行である高尾惣十郎と山木次郎八の二人が己の勤務先とも言うべき御膳奉行の詰所へと戻のは当然としても、岩本正五郎と松下左十郎の二人は御膳奉行と同様、将軍の食事の毒見を担うとは言え、その身はあくまで小納戸であり、そうであれば詰所である御小納戸部屋、それも西部屋へと戻らねばならなかった。
小納戸の詰所である御小納戸部屋は西部屋と東部屋とに分かれており、岩本正五郎と松下左十郎の二人はそのうち西部屋を詰所としていたからだ。
だが、岩本正五郎と松下左十郎の二人はその御小納戸西部屋へと戻らずに、高尾惣十郎と山木次郎八の二人の後をついていく格好で、御膳奉行の詰所へと足を伸ばしたのであった。
宿直とは言え、御膳番の小納戸ともなると、将軍の下へと…、正確には給仕を担う小姓の手に夕食を渡してしまえば、あとはほぼ、「フリータイム」であり、それゆえ詰所に戻らずともさして問題はなかった。
御膳奉行の詰所は表向のエリアにあり、やはり表向にある御台所で作られた将軍の食事はまず、御膳奉行の詰所へと運ばれるわけだが、この御膳奉行の詰所は石之間番所の真横にあり、ゆえに御膳奉行にまず初めに毒見をしてもらうべく、御膳奉行の詰所へと出来たばかりの食事を運ぶには必ずこの石之間番所を通らねばならず、勿論、毒見を終えた御膳奉行が御膳番の小納戸が待つ御膳建之間へとその食事を運ぶ際にもまた然りであり、この石之間番所はさしずめ、時斗之間の役割を果たしていた。
通常、表向の「ポスト」にある者が中奥へと立ち入ろうと思えば、表向と中奥とを隔てる時斗之間を通過しなければならず、その時斗之間に詰める坊主衆の許しがなければ勝手に中奥へと立ち入ることは許されなかった。
だがそんな中、唯一の例外が将軍が口にする食事を掌る台所役人であり、或いはその食事の毒見を掌る御膳奉行であった。
台所も、御膳奉行の詰所も表向にあり、つまりは台所役人や御膳奉行はあくまで表向の役人ではあるものの、しかし実際には将軍が…、中奥のさしずめ「盟主」とも言うべき将軍が口にする食事を掌るというその役目柄、特に毒見役である御膳奉行は時斗之間を通らずにここ中奥へと立ち入ることが許されていた。
まず初めに毒見を終えた将軍の食事を掲げた御膳奉行が表向の役人であるというだけで一々、時斗之間に詰める坊主衆から中奥へと立ち入るその用向きについて穿鑿されては、それだけ、
「ロスタイム」
が生じることになり、その間に将軍が口にする食事に毒物でも混入される「リスク」が高まるからだ。
それゆえ御膳奉行は時斗之間を通過することなく中奥へと、具体的には時斗之間に代わる石之間番所を通り抜けると、御台所へと通ずる御台所廊下を進んで御台所へと、続いてそのすぐ傍、廊下を隔てたところにある御賄次之間をも通り抜けると、そこはもう御風呂屋御玄関、つまりは中奥である。
御風呂屋御玄関とは将軍家の家族である御三卿のみが使うことが許されている玄関であり、中奥に設えられていたのだ。
そして仕事を終えた御膳奉行が再び、詰所へと戻る際にもこの「ルート」を使って戻ることが許されており、それゆえ御膳奉行は表向のポストでありながら、中奥のポスト…、将軍に近侍する小姓や小納戸とも接触が多く、ゆえにこの御膳奉行を経てから出世するケースが比較的多かった。
さて、高尾惣十郎と山木次郎八も勿論、その「ルート」でもって御膳奉行の詰所へと戻り、小納戸である岩本正五郎と松下左十郎がその後をついて行ったわけだが、何ゆえ、己の後をついて来るのか、高尾惣十郎にしろ山木次郎八にしろ、一々、詮索しなかった。岩本正五郎や松下左十郎の気持ちが分かっていたからだ。
即ち、将軍・家治が毒入りの夕食を口に運ぶまでの時間を共有したかった…、いや、今頃はもう口に運んでいるのやも知れぬ、そうだとすれば、その毒入りの夕食を口に運んだがために悶え苦しむ家治から…、御小座敷之間から少しでも遠ざかりたく、小納戸西部屋よりもその御小座敷之間から離れている御膳奉行の詰所へと足を運びたかった…、それこそが岩本正五郎と松下左十郎が高尾惣十郎と山木次郎八の後をついて行った理由であり、高尾惣十郎と山木次郎八も勿論、それが分かっていたからこそ、後をついて来る理由を一々、詮索しなかったというわけだ。
そうして四人は石之間番所を通り抜けて御膳奉行の詰所へと入った。本来、時斗之間の代わりとなるべき石之間番所であったが、しかし、実際には殆ど、いや、全くと言っても良い程に時斗之間の機能を果たしてはいなかった。一応、番人こそ詰めてはいたものの、一々、御膳奉行の出入りを「チェック」することはなく、その御膳奉行が連れて来た格好の岩本正五郎と松下左十郎の両名に対してもまた然りであった。
いや、それ以前に岩本正五郎と松下左十郎の二人は小納戸、つまりは中奥役人であり、そうであれば仮に時斗之間を通り抜けて表向へと足を運んだ場合であっても、中奥役人が表向へと出入りする場合にはあまりうるさいことは言われないものなのだ。あくまで表向の役人が中奥へと…、将軍のプライベートエリアとでも言うべき中奥へと足を踏み入れる場合のみ、時斗之間の坊主衆から穿鑿を受けるのであった。
いや、正確には毒見を担っていなかった。岩本正五郎と松下左十郎の二人はその、将軍・家治が食する筈の夕食の毒見をすることなく、また、御膳番の小納戸がきちんと毒みをするか、それを監視する役目を担う筈の御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八にしてもそれを…、岩本正五郎と松下左十郎の二人がまともに毒見をしようとしないことを咎めようともしなかった。
それもその筈、何しろ御膳番の小納戸が毒見を担う前に、まず初めに毒見を担う筈の御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八の二人からして毒見をしなかったのだから、御膳番の小納戸である岩本正五郎と松下左十郎の二人がまともに毒見をしないからと言って、その高尾惣十郎と山木次郎八の二人が岩本正五郎と松下左十郎の二人を咎めることなど元より出来よう筈もなく、またその資格さえなかった。
いや、仮に高尾惣十郎と山木次郎八の二人が岩本正五郎と松下左十郎の二人を咎めることがあるとすれば、それは岩本正五郎と松下左十郎の二人がまともに毒見をしようとした場合であろう。
それと言うのも、この将軍・家治が食する筈の夕食には本来、将軍たる家治の命を守るべき立場にある御膳奉行の高尾惣十郎が毒物を、それも遅効性ではなく即効性の毒物を混入させていたからだ。無論、将軍・家治の命を奪うべく…。
将軍の食事は御膳所台所頭とその配下の組頭や台所人らによって作られ、そうして作られた将軍の食事はまず御膳奉行の毒見を受けるべく、御膳奉行の詰所へと運ばれ、そこで最初の毒見とも言うべく、御膳奉行による毒見が行われる。
その際、御膳奉行は二人で毒見を担うことになる。一人の御膳奉行だけに毒見を任せたのでは、仮に御膳奉行が悪心を起こした場合…、要は毒物を混入した場合、それを阻止すべき者がいないからだ。
そこで互いに互いの職務を監視させるべく、御膳奉行による最初の毒見は常に二人で行われる。
だが今回…、今晩に限ってはその配慮も意味をなさなかった。何しろ高尾惣十郎が将軍・家治が食する筈のその夕食に毒物を混入するのを山木次郎八は見咎めるどころかそれを黙認、いや、黙認などとそんな生易しいものではない、当然のこととして受け止めたのであった。
つまりは将軍・家治の毒見役として、家治の命を預かるべき立場にいる筈の高尾惣十郎がこともあろうにその家治の命を奪うべく、夕食に即効性の毒物を混入、それを同僚である、やはり将軍・家治の毒見役として家治の命を預かるべき立場にいる山木次郎八もまたそれを当然のこととして受け止めたのであった。
いや、将軍・家治の命を奪う…、そのことを当然のこととして受け止めたのは何も、御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八の二人に限らず、御膳番の小納戸としてやはり将軍・家治の命を守るべき立場にいる筈の岩本正五郎と松下左十郎にしてもそうであった。
岩本正五郎と松下左十郎の二人の御膳番の小納戸もまた、
「将軍・家治の命を奪う…」
そのことを当然のこととして受け止めていた、いや、思いを共有していたのだ。
さて、岩本正五郎と松下左十郎の二人は頃合を見計らってその即効性の毒入りの夕膳を両手で掲げて立ち上がると、御膳建之間をあとにして、囲炉裏之間へと足を運んだ。
二度目の毒見とも言うべき御膳番の小納戸による毒見が済んだその将軍が食する食事は御膳番の小納戸の手により囲炉裏之間へと運ばれ、そこで二度の毒見ですっかり冷めてしまった食事を温めなおすのであった。
尚、その際、二人の御膳奉行はと言うと、やはり囲炉裏之間までついて来る。囲炉裏之間において…、食事を温めなおす際に小納戸がやはり悪心を起こさないとも限らず、それゆえ御膳奉行が目を光らせるためである。
そうして囲炉裏之間において温めなおされた将軍の食事はやはり小納戸の手により今度はいよいよ「終着駅」とも言うべき御小座敷之間へと運ばれる。将軍はこの御小座敷之間の上段にて食事を摂るのが慣わしであったからだ。
岩本正五郎と松下左十郎の二人は両手で夕膳を掲げつつ、且つ、高尾惣十郎と山木次郎八の二人を従え、と言うよりは二人に監視されながら、御小座敷之間のそれも下段に面した入側…、廊下へと足を踏み入れると、そこから先…、閾を越えた先にある御小座敷之間の下段へは岩本正五郎と松下左十郎の二人のみが入ることが許され、高尾惣十郎と山木次郎八の二人は下段に面した入側…、廊下にて控えねばならなかった。
それと言うのも、高尾惣十郎と松下左十郎の二人が就いている御膳奉行という「ポスト」はあくまで、表向の「ポスト」であり、岩本正五郎や松下左十郎が就いている小納戸のような中奥の「ポスト」ではないからだ。
本来、表向の「ポスト」に就いている者はここ中奥にみだりに立ち入ることは許されない筈であったが、しかし、こと御膳奉行という本来、表向の「ポスト」に限って言えば、その役目柄…、将軍の命を守るべく将軍が食する食事の毒見を掌るというその役目柄、表向の「ポスト」でありながら、ここ中奥に立ち入ることが許されていたのだ。
それでも如何にその御膳奉行と言えども、流石に、中奥の最奥部とも言うべき御小座敷之間の本間である下段に立ち入ることまでは許されておらず、そこで下段に面した入側…、廊下にて控えねばならなかった。
それでは御膳奉行が小納戸の動きに目を離すことになるが、しかし、下段のさらにその先の上段には将軍とそれに食事の給仕を担う小姓が控えていたので、御膳奉行が下段に面した入側…、廊下にて控えねばならないために小納戸の動きに目を離すことになると言っても、下段にて小納戸が将軍の食事にどうこうしようにも、その先の上段にて将軍その人や給仕役である小姓の目があるので、どうにもできなかった。
さて、夕膳を両手で掲げた小納戸の岩本正五郎と松下左十郎の二人が御小座敷之間の下段から更にその先の上段…、将軍・家治が鎮座する上段へと近付くにつれ、家治の両側にて近侍していたやはり宿直の小姓の丸毛中務少輔政美と平賀式部少輔貞愛の二人も立ち上がり、下段へと…、上段と下段を隔てる閾へと進み、そして、その閾にて両者…、夕膳を両手で掲げた岩本正五郎と松下左十郎の二人の小納戸と、給仕を担う小姓である丸毛政美と平賀貞愛の二人が向かい合うと、閾越しにその夕膳が岩本正五郎と松下左十郎の手から、丸毛政美と平賀貞愛の手へとそれぞれ移った。
将軍が中奥にて食事を摂る場合、ここ御小座敷之間の上段と下段とを隔てる閾越しに、ここまで食事を運んで来た御膳番の小納戸の手から、給仕を担う小姓の手へと移り、そうして小納戸より食事を受け取った小姓はその食事を将軍の御前に並べ、給仕を担うのであった。
丸毛政美と平賀貞愛の二人の小姓も勿論、その例に倣い、一方、小姓へと将軍の食事を渡した小納戸はと言うとそれで「御役御免」であり、御小座敷之間より退がることになり、やはり岩本正五郎と松下左十郎の二人もその例に倣い、御小座敷之間をあとにした。用もないのにいつまでも御小座敷之間に留まることは許されないからだ。
岩本正五郎と松下左十郎の二人は下段より退がり、そして下段に面した入側にて相変わらず控えていた御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八の二人と合流すると、御小座敷之間をあとにし、四人はその足でもって、御膳奉行の詰所へと足を伸ばした。
御膳奉行である高尾惣十郎と山木次郎八の二人が己の勤務先とも言うべき御膳奉行の詰所へと戻のは当然としても、岩本正五郎と松下左十郎の二人は御膳奉行と同様、将軍の食事の毒見を担うとは言え、その身はあくまで小納戸であり、そうであれば詰所である御小納戸部屋、それも西部屋へと戻らねばならなかった。
小納戸の詰所である御小納戸部屋は西部屋と東部屋とに分かれており、岩本正五郎と松下左十郎の二人はそのうち西部屋を詰所としていたからだ。
だが、岩本正五郎と松下左十郎の二人はその御小納戸西部屋へと戻らずに、高尾惣十郎と山木次郎八の二人の後をついていく格好で、御膳奉行の詰所へと足を伸ばしたのであった。
宿直とは言え、御膳番の小納戸ともなると、将軍の下へと…、正確には給仕を担う小姓の手に夕食を渡してしまえば、あとはほぼ、「フリータイム」であり、それゆえ詰所に戻らずともさして問題はなかった。
御膳奉行の詰所は表向のエリアにあり、やはり表向にある御台所で作られた将軍の食事はまず、御膳奉行の詰所へと運ばれるわけだが、この御膳奉行の詰所は石之間番所の真横にあり、ゆえに御膳奉行にまず初めに毒見をしてもらうべく、御膳奉行の詰所へと出来たばかりの食事を運ぶには必ずこの石之間番所を通らねばならず、勿論、毒見を終えた御膳奉行が御膳番の小納戸が待つ御膳建之間へとその食事を運ぶ際にもまた然りであり、この石之間番所はさしずめ、時斗之間の役割を果たしていた。
通常、表向の「ポスト」にある者が中奥へと立ち入ろうと思えば、表向と中奥とを隔てる時斗之間を通過しなければならず、その時斗之間に詰める坊主衆の許しがなければ勝手に中奥へと立ち入ることは許されなかった。
だがそんな中、唯一の例外が将軍が口にする食事を掌る台所役人であり、或いはその食事の毒見を掌る御膳奉行であった。
台所も、御膳奉行の詰所も表向にあり、つまりは台所役人や御膳奉行はあくまで表向の役人ではあるものの、しかし実際には将軍が…、中奥のさしずめ「盟主」とも言うべき将軍が口にする食事を掌るというその役目柄、特に毒見役である御膳奉行は時斗之間を通らずにここ中奥へと立ち入ることが許されていた。
まず初めに毒見を終えた将軍の食事を掲げた御膳奉行が表向の役人であるというだけで一々、時斗之間に詰める坊主衆から中奥へと立ち入るその用向きについて穿鑿されては、それだけ、
「ロスタイム」
が生じることになり、その間に将軍が口にする食事に毒物でも混入される「リスク」が高まるからだ。
それゆえ御膳奉行は時斗之間を通過することなく中奥へと、具体的には時斗之間に代わる石之間番所を通り抜けると、御台所へと通ずる御台所廊下を進んで御台所へと、続いてそのすぐ傍、廊下を隔てたところにある御賄次之間をも通り抜けると、そこはもう御風呂屋御玄関、つまりは中奥である。
御風呂屋御玄関とは将軍家の家族である御三卿のみが使うことが許されている玄関であり、中奥に設えられていたのだ。
そして仕事を終えた御膳奉行が再び、詰所へと戻る際にもこの「ルート」を使って戻ることが許されており、それゆえ御膳奉行は表向のポストでありながら、中奥のポスト…、将軍に近侍する小姓や小納戸とも接触が多く、ゆえにこの御膳奉行を経てから出世するケースが比較的多かった。
さて、高尾惣十郎と山木次郎八も勿論、その「ルート」でもって御膳奉行の詰所へと戻り、小納戸である岩本正五郎と松下左十郎がその後をついて行ったわけだが、何ゆえ、己の後をついて来るのか、高尾惣十郎にしろ山木次郎八にしろ、一々、詮索しなかった。岩本正五郎や松下左十郎の気持ちが分かっていたからだ。
即ち、将軍・家治が毒入りの夕食を口に運ぶまでの時間を共有したかった…、いや、今頃はもう口に運んでいるのやも知れぬ、そうだとすれば、その毒入りの夕食を口に運んだがために悶え苦しむ家治から…、御小座敷之間から少しでも遠ざかりたく、小納戸西部屋よりもその御小座敷之間から離れている御膳奉行の詰所へと足を運びたかった…、それこそが岩本正五郎と松下左十郎が高尾惣十郎と山木次郎八の後をついて行った理由であり、高尾惣十郎と山木次郎八も勿論、それが分かっていたからこそ、後をついて来る理由を一々、詮索しなかったというわけだ。
そうして四人は石之間番所を通り抜けて御膳奉行の詰所へと入った。本来、時斗之間の代わりとなるべき石之間番所であったが、しかし、実際には殆ど、いや、全くと言っても良い程に時斗之間の機能を果たしてはいなかった。一応、番人こそ詰めてはいたものの、一々、御膳奉行の出入りを「チェック」することはなく、その御膳奉行が連れて来た格好の岩本正五郎と松下左十郎の両名に対してもまた然りであった。
いや、それ以前に岩本正五郎と松下左十郎の二人は小納戸、つまりは中奥役人であり、そうであれば仮に時斗之間を通り抜けて表向へと足を運んだ場合であっても、中奥役人が表向へと出入りする場合にはあまりうるさいことは言われないものなのだ。あくまで表向の役人が中奥へと…、将軍のプライベートエリアとでも言うべき中奥へと足を踏み入れる場合のみ、時斗之間の坊主衆から穿鑿を受けるのであった。
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今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
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