天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大詰め ~将軍・家治、毒殺さる。1~

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 その頃、中奥なかおくにある膳建ぜんだて之間のまにおいてはぜん奉行の高尾たかお惣十郎そうじゅうろう信福のぶとみとその相役あいやく…、同僚どうりょうである山木やまき次郎八じろはち勝明かつあきらの立ち会いのもと宿直とのいにして膳番ぜんばん小納戸こなんどである岩本いわもと正五郎しょうごろう正倫まさともとその相役あいやく松下まつした左十郎さじゅうろう正邑まさむらの二人が将軍・家治にきょうする夕食のどくになっていた。

 いや、正確にはどくになっていなかった。岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人はその、将軍・家治が食するはずの夕食の毒見どくみをすることなく、また、膳番ぜんばん小納戸こなんどがきちんとどくみをするか、それをかんする役目をになはずぜん奉行の高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちにしてもそれを…、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人がまともにどくをしようとしないことをとがめようともしなかった。

 それもそのはず、何しろ膳番ぜんばん小納戸こなんどどくになう前に、まず初めにどくになはずぜん奉行の高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人からしてどくをしなかったのだから、膳番ぜんばん小納戸こなんどである岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人がまともにどくをしないからと言って、その高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人が岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人をとがめることなど元より出来できようはずもなく、またその資格さえなかった。

 いや、仮に高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人が岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人をとがめることがあるとすれば、それは岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人がまともにどくをしようとした場合であろう。

 それと言うのも、この将軍・家治が食するはずの夕食には本来、将軍たる家治の命を守るべき立場にあるぜん奉行の高尾たかお惣十郎そうじゅうろう毒物どくぶつを、それも効性こうせいではなく即効性そっこうせい毒物どくぶつ混入こんにゅうさせていたからだ。無論むろん、将軍・家治の命をうばうべく…。

 将軍の食事は膳所台ぜんしょだい所頭どころがしらとそのはいくみがしらだいどころにんらによって作られ、そうして作られた将軍の食事はまずぜん奉行のどくを受けるべく、ぜん奉行の詰所つめしょへと運ばれ、そこで最初のどくとも言うべく、ぜん奉行によるどくが行われる。

 その際、ぜん奉行は二人でどくになうことになる。一人のぜん奉行だけにどくまかせたのでは、仮にぜん奉行が悪心あくしんを起こした場合…、よう毒物どくぶつこんにゅうした場合、それを阻止そしすべき者がいないからだ。

 そこでたがいにたがいのしょくかんさせるべく、ぜん奉行による最初のどくは常に二人で行われる。

 だが今回…、今晩に限ってはその配慮はいりょも意味をなさなかった。何しろ高尾たかお惣十郎そうじゅうろうが将軍・家治が食するはずのその夕食に毒物どくぶつこんにゅうするのを山木やまき次郎八じろはちとがめるどころかそれを黙認もくにん、いや、黙認もくにんなどとそんな生易なまやさしいものではない、当然のこととして受け止めたのであった。

 つまりは将軍・家治のどく役として、家治の命を預かるべき立場にいるはず高尾たかお惣十郎そうじゅうろうがこともあろうにその家治の命を奪うべく、夕食に即効性そっこうせい毒物どくぶつこんにゅう、それをどうりょうである、やはり将軍・家治のどく役として家治の命を預かるべき立場にいる山木やまき次郎八じろはちもまたそれを当然のこととして受け止めたのであった。

 いや、将軍・家治の命をうばう…、そのことを当然のこととして受け止めたのは何も、ぜん奉行の高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人に限らず、膳番ぜんばん小納戸こなんどとしてやはり将軍・家治の命を守るべき立場にいるはず岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうにしてもそうであった。

 岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人の膳番ばん小納戸こなんどもまた、

「将軍・家治の命をうばう…」

 そのことを当然のこととして受け止めていた、いや、思いをきょうゆうしていたのだ。

 さて、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人は頃合ころあいはからってその即効性そっこうせいどく入りの夕膳ゆうぜんを両手でかかげて立ち上がると、膳建ぜんだて之間のまをあとにして、囲炉裏之間いろりのまへと足を運んだ。

 二度目のどくとも言うべき膳番ぜんばん小納戸こなんどによるどくんだその将軍が食する食事は膳番ぜんばん小納戸こなんどの手により囲炉裏之間いろりのまへと運ばれ、そこで二度のどくですっかりめてしまった食事を温めなおすのであった。

 なお、その際、二人のぜん奉行はと言うと、やはり囲炉裏之間いろりのままでついて来る。囲炉裏之間いろりのまにおいて…、食事を温めなおす際に小納戸こなんどがやはり悪心あくしんを起こさないとも限らず、それゆえぜん奉行が目を光らせるためである。

 そうして囲炉裏之間いろりのまにおいて温めなおされた将軍の食事はやはり小納戸こなんどの手により今度はいよいよ「終着しゅうちゃくえき」とも言うべき御小座おこざしき之間のまへと運ばれる。将軍はこの御小座おこざしき之間のまの上段にて食事をるのがならわしであったからだ。

 岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人は両手で夕膳ゆうぜんかかげつつ、つ、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人をしたがえ、と言うよりは二人にかんされながら、御小座おこざしき之間のまのそれも下段にめんした入側いりがわ…、ろうへと足を踏み入れると、そこから先…、しきいえた先にある御小座おこざしき之間のまの下段へは岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人のみが入ることが許され、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人は下段にめんした入側いりがわ…、廊下ろうかにてひかえねばならなかった。

 それと言うのも、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人がいているぜん奉行という「ポスト」はあくまで、表向おもてむきの「ポスト」であり、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろういている小納戸こなんどのような中奥なかおくの「ポスト」ではないからだ。

 本来ほんらい表向おもてむきの「ポスト」にいている者はここ中奥なかおくにみだりに立ち入ることは許されないはずであったが、しかし、ことぜん奉行という本来ほんらい表向おもてむきの「ポスト」にかぎって言えば、そのやくがら…、将軍の命を守るべく将軍が食する食事のどくつかさどるというそのやくがら表向おもてむきの「ポスト」でありながら、ここ中奥なかおくに立ち入ることが許されていたのだ。

 それでも如何いかにそのぜん奉行と言えども、流石さすがに、中奥なかおく最奥さいおう部とも言うべき御小座おこざしき之間のまほんである下段に立ち入ることまでは許されておらず、そこで下段にめんした入側いりがわ…、廊下ろうかにてひかえねばならなかった。

 それではぜん奉行が小納戸こなんどの動きに目を離すことになるが、しかし、下段のさらにその先の上段には将軍とそれに食事のきゅうにな小姓こしょうひかえていたので、ぜん奉行が下段にめんした入側いりがわ…、ろうにてひかえねばならないために小納戸こなんどの動きに目を離すことになると言っても、下段にて小納戸こなんどが将軍の食事にどうこうしようにも、その先の上段にて将軍その人やきゅう役である小姓こしょうの目があるので、どうにもできなかった。

 さて、夕膳ゆうぜんを両手でかかげた小納戸こなんど岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人が御小座おこざしき之間のまの下段からさらにその先の上段…、将軍・家治がちんする上段へと近付くにつれ、家治の両側にてきんしていたやはり宿直とのい小姓こしょう丸毛まるも中務少輔なかつかさしょうゆう政美まさたか平賀ひらが式部少輔しきぶしょうゆう貞愛さだゑの二人も立ち上がり、下段へと…、上段と下段をへだてるしきいへと進み、そして、そのしきいにて両者…、夕膳ゆうぜんを両手でかかげた岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人の小納戸こなんどと、きゅうにな小姓こしょうである丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの二人が向かい合うと、しきいしにその夕膳ゆうぜん岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの手から、丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの手へとそれぞれ移った。

 将軍が中奥なかおくにて食事をる場合、ここ御小座おこざしき之間のまの上段と下段とをへだてるしきいしに、ここまで食事を運んで来た膳番ぜんばん小納戸こなんどの手から、きゅうにな小姓こしょうの手へと移り、そうして小納戸こなんどより食事を受け取った小姓こしょうはその食事を将軍のぜんならべ、きゅうになうのであった。

 丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの二人の小姓こしょう勿論もちろん、その例にならい、一方、小姓こしょうへと将軍の食事を渡した小納戸こなんどはと言うとそれで「やくめん」であり、御小座おこざしき之間のまより退がることになり、やはり岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人もその例にならい、御小座おこざしき之間のまをあとにした。用もないのにいつまでも御小座おこざしき之間のまとどまることは許されないからだ。

 岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人は下段より退がり、そして下段にめんした入側いりがわにてあいわらずひかえていたぜん奉行の高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人と合流すると、御小座おこざしき之間のまをあとにし、四人はその足でもって、ぜん奉行の詰所つめしょへと足を伸ばした。

 ぜん奉行である高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人が己の勤務先とも言うべきぜん奉行の詰所つめしょへともどのは当然としても、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人はぜん奉行と同様、将軍の食事のどくになうとは言え、その身はあくまで小納戸こなんどであり、そうであれば詰所つめしょである小納戸こなんど部屋、それも西部屋へともどらねばならなかった。

 小納戸こなんど詰所つめしょである小納戸こなんど部屋は西部屋と東部屋とに分かれており、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人はそのうち西部屋を詰所つめしょとしていたからだ。

 だが、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人はその小納戸こなんど西部屋へともどらずに、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人の後をついていく格好かっこうで、ぜん奉行の詰所つめしょへと足を伸ばしたのであった。

 宿直とのいとは言え、膳番ぜんばん小納戸こなんどともなると、将軍のもとへと…、正確にはきゅうにな小姓こしょうの手に夕食を渡してしまえば、あとはほぼ、「フリータイム」であり、それゆえ詰所つめしょもどらずともさして問題はなかった。

 ぜん奉行の詰所つめしょ表向おもてむきのエリアにあり、やはり表向おもてむきにあるだいどころで作られた将軍の食事はまず、ぜん奉行の詰所つめしょへと運ばれるわけだが、このぜん奉行の詰所つめしょいし之間のま番所ばんしょよこにあり、ゆえにぜん奉行にまず初めにどくをしてもらうべく、ぜん奉行の詰所つめしょへと出来たばかりの食事を運ぶには必ずこのいし之間のま番所ばんしょを通らねばならず、勿論もちろんどくを終えたぜん奉行が膳番ぜんばん小納戸こなんどが待つ膳建ぜんだて之間のまへとその食事を運ぶ際にもまたしかりであり、このいし之間のま番所ばんしょはさしずめ、時斗之間とけいのまの役割を果たしていた。

 通常、表向おもてむきの「ポスト」にある者が中奥なかおくへと立ち入ろうと思えば、表向おもてむき中奥なかおくとをへだてる時斗之間とけいのま通過つうかしなければならず、その時斗之間とけいのまめる坊主衆の許しがなければ勝手に中奥なかおくへと立ち入ることは許されなかった。

 だがそんな中、唯一ゆいいつの例外が将軍が口にする食事をつかさどだいどころ役人であり、あるいはその食事のどくつかさどぜん奉行であった。

 だいどころも、ぜん奉行の詰所つめしょ表向おもてむきにあり、つまりはだいどころ役人やぜん奉行はあくまで表向おもてむきの役人ではあるものの、しかし実際には将軍が…、中奥なかおくのさしずめ「盟主めいしゅ」とも言うべき将軍が口にする食事をつかさどるというそのやくがら、特にどく役であるぜん奉行は時斗之間とけいのまを通らずにここ中奥なかおくへと立ち入ることが許されていた。

 まず初めにどくを終えた将軍の食事をかかげたぜん奉行が表向おもてむきの役人であるというだけで一々いちいち時斗之間とけいのまめる坊主衆から中奥なかおくへと立ち入るその用向きについて穿鑿せんさくされては、それだけ、

「ロスタイム」

 が生じることになり、その間に将軍が口にする食事に毒物どくぶつでもこんにゅうされる「リスク」が高まるからだ。

 それゆえぜん奉行は時斗之間とけいのまを通過することなく中奥なかおくへと、具体的には時斗之間とけいのまに代わるいし之間のま番所ばんしょを通り抜けると、だいどころへと通ずるだいどころろうを進んでだいどころへと、続いてそのすぐそばろうへだてたところにあるまかないつぎ之間のまをも通り抜けると、そこはもう風呂屋ふろや玄関げんかん、つまりは中奥なかおくである。

 風呂屋ふろや玄関げんかんとは将軍家の家族であるさんきょうのみが使うことが許されている玄関げんかんであり、中奥なかおくしつらえられていたのだ。

 そして仕事を終えたぜん奉行が再び、詰所つめしょへともどる際にもこの「ルート」を使ってもどることが許されており、それゆえぜん奉行は表向おもてむきのポストでありながら、中奥なかおくのポスト…、将軍にきんする小姓こしょう小納戸こなんどとも接触が多く、ゆえにこのぜん奉行を経てから出世するケースが較的かくてき多かった。

 さて、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはち勿論もちろん、その「ルート」でもってぜん奉行の詰所つめしょへともどり、小納戸こなんどである岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうがその後をついて行ったわけだが、何ゆえ、己の後をついて来るのか、高尾たかお惣十郎そうじゅうろうにしろ山木やまき次郎八じろはちにしろ、一々いちいち詮索せんさくしなかった。岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの気持ちが分かっていたからだ。

 すなわち、将軍・家治がどく入りの夕食を口に運ぶまでの時間をきょうゆうしたかった…、いや、今頃はもう口に運んでいるのやも知れぬ、そうだとすれば、そのどく入りの夕食を口に運んだがためにもだえ苦しむ家治から…、御小座おこざしき之間のまから少しでも遠ざかりたく、小納戸こなんど西部屋よりもその御小座おこざしき之間のまから離れているぜん奉行の詰所つめしょへと足を運びたかった…、それこそが岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろう高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの後をついて行った理由であり、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはち勿論もちろん、それが分かっていたからこそ、後をついて来る理由を一々いちいち詮索せんさくしなかったというわけだ。

 そうして四人はいし之間のま番所ばんしょを通り抜けてぜん奉行の詰所つめしょへと入った。本来ほんらい時斗之間とけいのまの代わりとなるべきいし之間のま番所ばんしょであったが、しかし、実際にはほとんど、いや、まったくと言っても良いほど時斗之間とけいのまの機能を果たしてはいなかった。一応、番人こそめてはいたものの、一々いちいちぜん奉行の出入りを「チェック」することはなく、そのぜん奉行が連れて来た格好かっこう岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの両名に対してもまたしかりであった。

 いや、それ以前に岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人は小納戸こなんど、つまりは中奥なかおく役人であり、そうであれば仮に時斗之間とけいのまを通り抜けて表向おもてむきへと足を運んだ場合であっても、中奥なかおく役人が表向おもてむきへと出入りする場合にはあまりうるさいことは言われないものなのだ。あくまで表向おもてむきの役人が中奥なかおくへと…、将軍のプライベートエリアとでも言うべき中奥なかおくへと足を踏み入れる場合のみ、時斗之間とけいのまの坊主衆から穿鑿せんさくを受けるのであった。
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