天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大詰め ~依田政次は家基の毒殺にも関与していたことを自白する、そして家基の毒殺に手を貸した理由についても~

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「兄…、と申すからには越前えちぜん福井ふくい藩主はんしゅ松平まつだいら越前守えちぜんのかみ重富しげとみ様か…」

 直熙なおひろは分かってはいたが一応、そうたずねた。すると政次まさつぐも「ほかにはおるまいて」と応じた。確かにその通りであった。

「その…、治済はるさだ卿の兄に当たりし越前守えちぜんのかみ様に毒キノコを用意してもらったと…」

 直熙なおひろは確かめるようにたずねた。

左様さよう…、いや、わしもくわしくは知らなんだが、何でも越前守えちぜんのかみ様が国許くにもとである越前えちぜんにはその毒キノコがせいしているらしくての、それで参勤さんきんおりに…」

「この江戸へと…、さんせし折に毒キノコを?」

治済はるさだ卿の話では確かそうであったわ…」

 何と、参勤さんきん交代こうたいを毒キノコの輸送に利用するとは、直熙なおひろは開いた口がふさがらない思いであった。

「ときに豊前ぶぜんよ…、うぬはそれな毒キノコ…、おそれ多くもだい様と萬壽ますひめ様のお命をうばたてまつり、そして今また、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様のお命をもうばたてまつらんとほっしてそのきょうとして使われしその毒キノコが実は、おそれ多くも大納言だいなごん様のお命をもうばたてまつりしきょうとしても使われしこと、存じておろうな?」

 直熙なおひろはそうカマをかけた。果たして、政次まさつぐ家基いえもとまでもが倫子ともこ萬壽ます姫と同じく毒キノコでもって…、シロタマゴテングタケかあるいはドクツルタケでもって毒殺どくさつあれたことを知っている可能性は、

五分五分ごぶごぶ…」

 直熙なおひろはそうにらんでいた。

 果たして政次まさつぐは知っているような素振そぶりを示した。すなわち、直熙なおひろよりそそがれていた視線をらすかのように思わず顔をそむけたのであった。

 これは最早もはや、知っているとはくしたも同然どうぜんであり、直熙なおひろ政次まさつぐに追い討ちをかけるかのように、

「さればおそれ多くも大納言だいなごん様の殺害せつがいにも手を貸したのか?」

 さらにそうカマをかけたのであった。

 それに対して政次まさつぐはと言うと、それが…、今の直熙なおひろの問いが「カマ」であることを承知しょうちしつつも、はやとぼけるりょくもなければ、抵抗ていこうするりょくも残ってはいない様子で、

左様さよう如何いかにも手を貸したわ…」

 実にあっさりとそう認めたので、これにはカマをかけたはず直熙なおひろの方がいささめんくらったほどであった。

「いや、なれど…、今は亡き、おそれ多くも大納言だいなごん様にあらせられては西之丸にしのまるにおわされた。されば留守居るすいのうぬに何が出来たと申すのだ?」

 西之丸にしのまるにて、大納言だいなごん様こと、かつての次期将軍であった家基いえもとそばよう取次とりつぎとしてつかえていた小笠原おがさわら若狭守わかさのかみ信喜のぶよし家基いえもと毒殺どくさつ主犯しゅはん、いや、真の主犯しゅはん一橋ひとつばし治済はるさだに違いないので、してみると、小笠原おがさわら信喜のぶよしはさしずめ、

「実行犯の主犯しゅはん…」

 それであろうことは察しがついていたものの、しかし、依田よだ政次まさつぐがどうつながるのか、直熙なおひろにはそこまでは分からなかった。カマをかけたは良いが…、である。

 すると政次まさつぐもそうと察したのかしょうを浮かべたかと思うと、

「されば土佐とさには最早もはや、察しがついておろうが、おそれ多くも大納言だいなごん様のお命をうばたてまつりしは…、治済はるさだ卿にそそのかされる格好かっこうにて、大納言だいなごん様のお命をうばたてまつりし実行犯、その中でも主犯しゅはんに当たりしはそばよう取次とりつぎ小笠原おがさわら若狭わかさよ…」

 小笠原おがさわら若狭わかさこと若狭守わかさのかみ信喜のぶよしこそが大納言だいなごん様こと家基いえもと毒殺どくさつの実行犯の主犯しゅはん…、政次まさつぐもどうやら己と同じ認識であったのだと、直熙なおひろはまずはそう思い、

「やはり小笠原おがさわら若狭わかさめが実行犯の主犯しゅはんであったか…」

 続けてそう思ったものである。

小笠原おがさわら若狭わかさには確か遠縁とおえん一橋ひとつばし縁者えんじゃが…」

 直熙なおひろおく手繰たぐせるかのようにそう切り出した。

 それに対して政次まさつぐは「左様さよう…」と応ずるや、

「確かに、小笠原おがさわら若狭わかさ縁者えんじゃに今はまだ小普請こぶしんの身ではあるが、小笠原おがさわら熊蔵くまぞう貞郷さださとなる者があり、彼者かのもの一橋ひとつばし家のちゅう天野あまの傳七郎でんしちろう富安とみやすが娘をめとっておるわ…」

 サラリとそう答えたのであった。これで直熙なおひろにはいよいよもって、政次まさつぐつながりが分からなかった。いや、突っ込んだ言い方をすれば、政次まさつぐの出る幕がないように思われた。

 すると政次まさつぐもそうと察したのか、今度はしょうを浮かべて、

「なれどただ、それだけのことよ」

 そう付け加えた。

「それだけのこと?」

 直熙なおひろは思わず聞き返した。

左様さよう…、されば確かに小笠原おがさわら若狭わかさめには今、わしが申した通り、その縁者えんじゃ一橋ひとつばし家とえにしがある者がおり、その存在そんざいもまた、小笠原おがさわら若狭わかさめに大納言だいなごん様の殺害せつがいに手を貸すことを決意させた一つの要因よういんにはなったであろうが、なれど小笠原おがさわら若狭わかさめに大納言だいなごん様に殺害せつがいに手を貸すことを決意させた最大の要因よういんはそれではないわさ…」

「さればその最大の要因よういんとはこれ如何いかに?」

「わしの孫よ…」

「孫?」

左様さよう…、さればわしには平次郎へいじろうなる孫がおってな…」

「その孫が如何いかがいたしたと申すのだ?」

「されば孫…、平次郎へいじろうを通じて、小笠原おがさわら若狭わかさめに決意させたのよ…」

おそれ多くも大納言だいなごん様の殺害せつがいに手を貸すことを、か?」

左様さよう…」

「何ゆえにうぬの孫にそのようなことが…」

「されば平次郎へいじろう西之丸にしのまるにて大納言だいなごん様に小納戸こなんどとしてつかえていたのよ…」

「何と…」

 直熙なおひろは目を丸くした。流石さすがにそこまではあくしていなかったからだ。

「さればうぬの孫は、小笠原おがさわら若狭わかさ面識めんしきがあった、と?」

左様さよう…」

「されば…、つまりはこういうことか?治済はるさだ卿より大納言だいなごん様の殺害せつがいをも持ちかけられしうぬが…、恐らくは我が子、とよ千代ちよぎみ大納言だいなごん様にわる次期将軍にけるために相違そういあるまいが…、その治済はるさだ卿より大納言だいなごん様の殺害せつがいをも持ちかけられしうぬは、それなれば大納言だいなごん様のおわす西之丸にしのまるにてつかえる者を味方に…、いや、共犯者として引き入れる必要があるむね治済はるさだ卿に進言しんげんし、それに対して治済はるさだ卿もまったく同意見であると…」

 直熙なおひろがそこまで頭の中で思いえがいた絵図えずをスラスラと口にするや、「流石さすがだの」との政次まさつぐいの手が入ったかと思うと、

「そこから先はわしが話そう…」

 政次まさつぐはそう引き取ってみせた。どうやら直熙なおひろの思いえがいた絵図えずは「ビンゴ」のようであった。

「されば治済はるさだ卿はそれなればそばよう取次とりつぎがうってつけであろう…、共犯者にさそうにはうってつけであろうと、それでわしもそれなればと、西之丸にしのまるにてつかえし孫の平次郎へいじろうがことを思い出し、そのことを治済はるさだ卿に打ち明けた上で、平次郎へいじろうと一度、相談申しますと、その場はとりあえずそれで引き取り…」

「その後、実際にその孫に相談を持ちかけたわけだの?さしずめ…、手を…、大納言だいなごん様の殺害せつがいに手を貸してくれそうなそばよう取次とりつぎはおらぬか、と…」

如何いかにもその通りぞ。その結果…」

小笠原おがさわら若狭わかさの名を即答そくとうしたわけだの?孫は…」

「またまた、如何いかにもその通りぞ…、されば小笠原おがさわら若狭わかさそばよう取次とりつぎとして大納言だいなごん様につかたてまつりしも、大納言だいなごん様よりのご寵愛ちょうあいはいまひとつにて…」

「それを孫は承知しょうちしていたわけだの?」

左様さよう…、のみならず、ひらそばに過ぎぬ大久保おおくぼ志摩しま大久保おおくぼ下野しもつけの方が大納言だいなごん様の覚えが目出度めでたい…、よう寵愛ちょうあいを受け、いや、ほしいままにしていることがいよいよもって、小笠原おがさわら若狭わかさの気に入らぬところ、と…」

 あの賢明けんめい家基いえもとが特定の者を贔屓ひいきにするとはにわかには信じがたいが、しかし、政次まさつぐは決して嘘をついているわけではなかった。

 すなわち、家基いえもとが特定の者を…、そばよう取次とりつぎ小笠原おがさわら信喜のぶよしをさしおいて、ひらそばに過ぎぬ大久保おおくぼ志摩しまこと志摩守しまのかみ忠翰ただなり大久保おおくぼ下野しもつけこと下野守しもつけのかみ忠恕ただみの二人を寵愛ちょうあいしていたのは事実であったのだ。

 あの賢明けんめい家基いえもとにしてはつかわしくない所業しょぎょうと言えたが、しかし、それもかたのないところではあった。

 何しろ大久保おおくぼ忠翰ただなりはその妻女さいじょが何と家基いえもと乳母うばであり、その上、その間に生まれたちゃくなん銕蔵てつぞう忠道ただみち家基いえもととぎ、それも最期さいごとぎであったのだ。

 それゆえ家基いえもとひらそばに過ぎぬ大久保おおくぼ忠翰ただなり寵愛ちょうあいせるのもいたかたのないところであり、またその同族どうぞくにして相役あいやく…、どうりょうでもあるひらそば大久保おおくぼ忠恕ただみにまで並々なみなみならぬ寵愛ちょうあいせたのもこれまたいたかたのないところであったのだ。

 そしてこのことは直熙なおひろ勿論もちろんあくしており、それゆえ、

いたかたあるまい…、大納言だいなごん様とて人間であるからの…」

 そう家基いえもとの態度を弁護するかのように応じたのであった。

「確かに…、なれど小笠原おがさわら若狭わかさめは左様さように割り切ることはできなんだ…、いや、頭では分かっていても感情が理解に追い付かなかったのであろう…」

 理性と感情は別物べつもの…、そういうことらしい。

「つまり…、おそれ多くも大納言だいなごん様のご寵愛ちょうあいほしいままにせし大久保おおくぼ一党いっとうへの嫉妬しっと心や、あるいは大納言だいなごん様への憎悪ぞうおまさってしまい、それでうぬの孫の誘いに…、おそれ多くも大納言だいなごん殺害せつがいのその姦計かんけいに乗ったというわけだの?小笠原おがさわら若狭わかさめは…」

「その通りぞ。それに晴れて大納言だいなごん様をほうむたてまつり、その上、とよ千代ちよぎみ大納言だいなごん様に代わりし将軍家養君ようくん…、次期将軍として西之丸にしのまる入りを果たせしあかつきには小笠原おがさわら若狭わかさめをとよ千代ちよ附属ふぞくさせると…、それもそばよう取次とりつぎ上首じょうしゅに取り立ててつかわそうぞ、と…」

治済はるさだ卿は左様さよう小笠原おがさわら若狭わかさめに手形をきったわけだの?」

左様さよう…」

 どうやら小笠原おがさわら信喜のぶよしはただ単に、己よりもひらそばに過ぎぬ大久保おおくぼ一党いっとうにばかり寵愛ちょうあいせる家基いえもとに対する憎悪ぞうおや、あるいはそんな大久保おおくぼ一党いっとうに対する嫉妬しっと心といった感情だけから家基いえもとの暗殺計画、それも毒殺どくさつ計画に乗ったわけではなく、

立身りっしん出世…」

 つまりは欲得よくとくというきわめてご立派りっぱな「理性」もあいって、家基いえもと毒殺どくさつ計画に乗ったようである。

「して、うぬの孫は小笠原おがさわら若狭わかさめを大納言だいなごん様の殺害せつがい計画に引き入れしことに成功したわけだの?」

 直熙なおひろは確かめるように尋ねた。

如何いかにも…」

「されば小笠原おがさわら若狭わかさめを勿論もちろん治済はるさだ卿に引き合わせたわけだの?」

左様さよう…、されば小笠原おがさわら若狭わかさめの強い求めにより…」

 それはそうだろうと、直熙なおひろは納得した。仮に、一橋ひとつばし治済はるさだ家基いえもと毒殺どくさつを計画しているので、それに一枚まないかと、そのように誘われたところで果たして本当に治済はるさだがそのようなことを計画しているのか、確かめずにはいられないだろう。

「それで…、うぬは孫を通じて小笠原おがさわら若狭わかさめの意向いこうを知らされるや、それを治済はるさだ卿にそのまま伝えたわけだの?それな小笠原おがさわら若狭わかさめの意向いこうを…」

左様さよう…、されば治済はるさだ卿は大層たいそう喜ばれたわ…」

大層たいそう喜ばれた、と?」

左様さよう…、さればわざわざに会いたいと、そう願うからには、大納言だいなごん様の殺害せつがい計画に乗る腹積もりなのであろうと…」

 成程なるほど、と直熙なおひろはそう思った。仮に小笠原おがさわら信喜のぶよしにその気が…、家基いえもと毒殺どくさつ計画に加わる気がないのならば、平次郎へいじろうよりのそんな危険きわまりない「勧誘かんゆうなぞげん却下きゃっかしたに違いなかったからだ。

 ところが信喜のぶよし平次郎へいじろうからのその危険きわまりない「勧誘かんゆう」を断るどころか、治済はるさだに会いたいと…、治済はるさだに会ってじかにその意向いこうを確かめたいとぬかしたのである。治済はるさだがこれは信喜のぶよし家基いえもと毒殺どくさつ計画に乗ってくれる前兆ぜんちょうとそうとらえて大喜びしたのも当然と言えた。

「して治済はるさだ卿はやはり一橋ひとつばし門内もんないやしきにて小笠原おがさわら若狭わかさめに会ったわけか?」

左様さよう…、一応、案内あないいたいたはこのわしだが、なれど、小笠原おがさわら若狭わかさめがいざ、治済はるさだ卿に会う段となるや、わしはその部屋より追い出されたわ…」

 政次まさつぐは投げ遣りな口調でそう答えた。

「追い出されたとは…、されば、うぬは治済はるさだ卿と小笠原おがさわら若狭わかさめのくわしいやり取りについてまではあくしておらぬと申すか?」

左様さよう…、のみならず、大納言だいなごん様の殺害せつがい計画…、そのくわしいだんりをつける段階だんかいにても、このわしの出る幕はなかったわ…」

 政次まさつぐはやれやれといった風情ふぜいでそう答えた。

「と申すと、うぬは大納言だいなごん殺害せつがい計画には…、その具体策について話し合われし段階だんかいにおいては言葉は悪いがその…」

爪弾つまはじきにされていたのよ…」

 直熙なおひろ政次まさつぐが悪びれもせずにそう答えてみせたことから、これには直熙なおひろの方が困惑こんわくした。

 ともあれ政次まさつぐ家基いえもと毒殺どくさつ計画について、そのくわしい事情はあくしていないと、つまりは、

家基いえもと毒殺どくさつ計画について、実際に関与かんよしたわけではない…」

 精精せいぜい小笠原おがさわら信喜のぶよし治済はるさだに会わせただけだと、政次まさつぐはそう告げていた。

 それに対して直熙なおひろ政次まさつぐが嘘をついているようには思えなかった。今さら…、将軍・家治の正室せいしつであった倫子ともことその間に生まれた萬壽ますひめ毒殺どくさつさらには家治の愛妾あいしょう千穂ちほや、種姫たねひめ毒殺どくさつ未遂みすい関与かんよしたことが明らかとなった今、家基いえもと毒殺どくさつには関与していないと、責任を逃れるかのような嘘をついたところで、

はや、切腹はまぬがないところであろう…」

 直熙なおひろはそう考えると、

政次まさつぐは嘘をついていない…」

 その結論に達したのであった。

「されば…、大納言だいなごん様の毒殺どくさつくわしい経緯けいいにつきては小笠原おがさわら若狭わかさよりじかに問いただすよりほかに道はないわけだの…」

 直熙なおひろくくるかのようにそう言ったかと思うと、

「それにわしの孫の平次郎へいじろうあるいはくわしき事情を存じておるやも知れぬ…」

 政次まさつぐは信じられたいいの手を入れた。政次まさつぐにはどうやら、孫を守るという発想はっそうには大よそ欠けているものと思われる。

 ともあれ孫の平次郎へいじろうからも当然に事情を…、小笠原おがさわら信喜のぶよしに対して家基いえもと毒殺どくさつ計画に加担かたんするよう勧誘かんゆうしたその時の状況などについてさらくわしい事情を問いただす必要があったので、

「そうだの…」

 直熙なおひろは孫を守る発想はっそうに欠ける政次まさつぐに対して内心ないしん、疑問を抱きつつも、そう答えた。

「ときにいまひとつ、分からぬことがある…」

 直熙なおひろは思い出した様にそう声を上げた。

「何だ?」

「されば豊前ぶぜんは何ゆえに左様さような…、だい様や萬壽ますひめ様の毒殺どくさつ、その上、お千穂ちほ方様かたさま種姫たねひめ様の毒殺どくさつ未遂みすいさらにはその間に行われし大納言だいなごん様の毒殺どくさつにまで多少とは申せ、それら恐るべき姦計かんけいくみしたのだ?」

 それが直熙なおひろには分からなかった。

「されば…、上様うえさま絶望ぜつぼうしたからよ…」

絶望ぜつぼう…、とな?」

 政次まさつぐのその告白こくはく直熙なおひろにはすぐには理解できずに、思わずそう聞き返した。

左様さよう…、さればおそれ多くも上様うえさまにあらせられては田沼たぬまのようなどこぞの馬の骨とも知れぬ、盗賊とうぞく同然どうぜん下賤げせんきわまりない男をお取り立てあそばされ、のみならず、そく意知おきともまでもお取り立てあそばされ…」

左様さよう上様うえさま絶望ぜつぼうしたからと申して、何も大納言だいなごん様らを手にかける必要はなかったのではあるまいか?少なくともうぬには…」

「いや、ある」

「と申すと?」

「さればそれな…、おそれ多くも上様うえさま気性きしょう…、下賤げせん卑賤ひせんなる者でも取り立てるとせしその上様うえさま気性きしょう大納言だいなごん様にも脈々みゃくみゃくと受けがれているに相違そういあるまいて…」

 確かに家基いえもと意知おきともに対してもまた寵愛ちょうあいを、それも父・意次以上に寵愛ちょうあいせていたことから察するに、政次まさつぐの今の告白こくはくもあながち間違いとも言い切れなかった。

 つまり家基いえもとが晴れて征夷大将軍に就任したあかつきには意知おきとももまた、幕閣ばっかく登用とうようされる可能性があり、政次まさつぐはそれを恐れて家基いえもとの暗殺計画…、治済はるさだえがいた家基いえもと毒殺どくさつ計画という絵図えずに乗ったということだ。

「それで…、うぬはそれら…、大納言だいなごん様の殺害せつがい計画を始めとせし姦計かんけいに乗ったわけだの?」

 直熙なおひろが改めてそうたずねると、政次まさつぐうなずいた。

「なれど…、上様うえさまがご健在けんざいであらば、いずれは意知おきとも幕閣ばっかく登用とうようされるであろうよ…」

 直熙なおひろはあえて何も知らぬていよそおい、政次まさつぐ挑発ちょうはつするようにそう告げた。

 すると政次まさつぐ直熙なおひろのその安っぽい挑発ちょうはつに乗せられることなく、それどころかうすわらいを浮かべる始末しまつであった。

「その方は何も分かってはおらんようだの…」

 政次まさつぐうすわらいを浮かべつつ、そう言い放った。

「何が分かっておらんと申すのだ?」

 勿論もちろん、今、水面すいめんで将軍・家治の毒殺どくさつ計画が進行しんこう中…、そのことを言っているのは直熙なおひろにも分かっていたが、ここはあえて知らぬていよそおったまま、政次まさつぐにそうたずねたのであった。

 だが政次まさつぐ直熙なおひろの問いに答えることはせず、あいわらずうすわらいを浮かべたままであった。

 それで直熙なおひろ政次まさつぐもまた、将軍・家治の毒殺どくさつ計画の一味いちみ、と言っては言い過ぎなのであれば、少なくともその計画の存在そんざい承知しょうちしていることを確信かくしんしたものである。

 のみならず、将軍・家治さえ消えてしまえば、すなわち、治済はるさだ実子じっしとよ千代ちよが11代将軍に就任すれば、今のはくこうになると、政次まさつぐはそう確信かくしんしていればこそ、

「ベラベラとはくしたに相違そういあるまいて…」

 直熙なおひろはそうも確信かくしんしたものであり、してみるとやはり政次まさつぐも将軍・家治の毒殺どくさつ計画の一味いちみであると言ってもつかえなさそうだった。
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