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第五章:国を救う予言
第二十二話:すれ違う手紙
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北の国境、凍てつく風が刃のように吹き荒れる砦の中で、ライオネルは出口のない苛立ちを募らせていた。
ユリアンの元を飛び出してきてから、一ヶ月以上が過ぎた。彼を自らの制御できない獣性から守りたい、傷つけたくない一心での行動だった。
だが、物理的に距離を置いたことで、ライオネルは思い知らされていた。自分がどれほどユリアンという存在に心身ともに依存し、救われていたのかを……。
ユリアンのいない夜は、まともな眠りが訪れない。
彼の柔らかな肌の温もりも心を安らがせる甘い香りもない寝台は、ひどく冷たく、がらんとして広いだけだ。山積みの軍務報告書に目を通している合間に、ふと彼の穏やかな笑顔が脳裏をよぎり、そのたびに心臓を鷲掴みにされるような痛みが走る。
(――あいつは、今どうしているのだろうか)
その問いは、呪いのように日ごと胸を締めつける。
城のどこかで俺に見捨てられたと泣いていないか。
あるいは、もう俺のことなど忘れ、別の誰かと笑い合っているのではないか……。
想像するだけで、腹の底から黒い嫉妬の炎が燃え上がり、築き上げた理性の壁を焼き尽くさんばかりに感情が暴走する。
会いたい。今すぐにでも馬を駆って城に戻り、あの華奢な体を二度と離さないとばかりに抱きしめ、自分のものだと刻みつけたい。しかし、その激しい衝動は、根深い恐怖とも絡み合っていた。
――脳裏に蘇るのは、実の父が犯した過ちだ。
番の母を愛するあまり、その自由を奪い、愛という名の『鳥籠』に閉じ込め、誰にも会わせようとはしなかった。その息苦しさに耐えかねて、母は心を病み、若くして亡くなった。日に日に光を失っていく母の瞳を、幼いライオネルは無力なまま、ただ見つめることしかできなかった。
自分の中にも、あの父と同じ獣の血が流れている。
愛という名の独占欲でユリアンを縛り付け、彼の輝きを曇らせてしまうのではないか。その恐怖が、心の奥で必死に警鐘を鳴らしていた。だが、理性が制御しきれない部分が、怒りや欲望、そしてあまりにも深い愛情となって、彼の胸を引き裂くのだった。
そんなライオネルの元に、王都からの伝令が到着したのは、凍てつく冬の空気が大地を支配し始めた、砦に来てから二ヶ月が経とうとする頃だった。
伝令が恭しく差し出したのは、ユリアンからの手紙。その優美で懐かしい筆跡を見ただけで、ライオネルの心臓は大きく跳ね上がった。
震える手で封を切り、そこに綴られた言葉を、渇いた喉で水を求めるように貪るように読む。
『――ライオネル。どうか、帰ってきてください』
そこには、ユリアンの切実な想いが、インクの滲みからも伝わってくるほどに溢れていた。
自分の過去を知り、その上で、自分の弱さも醜い独占欲も全てを受け止めたいと。あなたは一人ではない、と。
そして、予言の真実と自分こそがその番であったこと、国に災いが迫っているかもしれないことまで、包み隠さず記されていた。
手紙を読み終えたライオネルは、その場に立ち尽くした。
「なんという……愚か者だ、俺は……」
声にならない呟きが、がらんとした執務室に虚しく響いた。ユリアンは、自分が思うよりずっと強く、そして深い愛で、自分を丸ごと包み込もうとしてくれていた。それなのに、自分は勝手に絶望し、彼を信じることもできずに逃げ出してしまったのだ。怒りにも似た激しい後悔が、心臓を締め付ける。だが、もう迷いはなかった。
「――すぐに、王都へ戻る!出立の準備をせよ!」
ライオネルは、即座に叫んだ。
今すぐ、あいつの元へ帰らなければ。そして今度こそ、回りくどい言い訳などではなく、素直な言葉で、この愛を伝えなければ。
北の砦で過ごした孤独な日々の中で抱え続けていた葛藤と後悔が、ユリアンの切実な言葉によって雪解け水のように流れ出し、やがて揺るぎない決意へと変わっていく。
「もう二度と、お前から逃げたりはしない」
そう囁くように自分に言い聞かせ、ライオネルは荒々しい手つきで出立の準備を始めた。
凍える北の風を背に受けながらも、彼の琥珀の瞳は、ユリアンという確かな光を見据えて力強く燃えていた。
しかし、その決意と希望は、第二の伝令の到着によって、無残にも打ち砕かれる。
ライオネルが出立の鎧を身に着けようとしていたまさにその時、血相を変えて駆け込んできた伝令がもたらしたのは、隣国セレスタの、一方的な宣戦布告の報せだった。
セレスタ――それは、ユリアンの故郷。その国が、今、牙を剥いてこの国に襲いかかってこようとしている。
「――なぜだ!?」
ユリアンの手紙に書かれていた「大いなる災い」とは、このことだったのか。
王都に戻るどころではない。敵は、もう目の前に迫っているのだ。
「ユリアン……!」
ライオネルは、愛しい番の名を呼び、きつく拳を握りしめた。あいつは今、王都で、この報せを聞いてどれほど不安に震えているだろう。俺が、俺だけが、あいつを守らなくてはならないのに……。
ライオネルは一瞬で個人的な感情を獣の理性で押し殺すと、王としての冷徹な貌に戻り、限られた護衛団に即座に指示を飛ばした。
「全軍、迎撃態勢に入れ!砦の防備を最大限まで固めろ!」
彼の厳然とした声に、砦の空気が一気に張り詰める。どよめく側近たちを前に、ライオネルは続けた。
「セレスタの狙いは、この俺の首、そして、俺の番であるユリアンだ。奴らは、ユリアンが予言の番であることを、どこかから嗅ぎつけたに違いない。
ユリアンを奪い、その力を利用して、この大陸全土を支配するつもりだろう。
故郷を盾にすればユリアンが抵抗できぬと踏んだのだ。卑劣な!」
その言葉に、護衛団の兵士たちの顔色が変わる。
「だが、俺は断じてユリアンを奴らに渡す気はない!彼は俺の番であると同時に、この国の希望そのものだ!敵の狙いが分かっているのなら、我らが為すべきことは一つ!この地で敵の侵攻を食い止め、王都に指一本触れさせるな!」
王の気迫に満ちた演説に、兵士たちの士気は静かに、しかし確かな熱を帯びて燃え上がった。
その夜、ライオネルは嵐の前の静けさの中、ユリアンへの返書を書き上げた。
『――ユリアン。手紙は読んだ。全て、俺が悪かった。お前を信じることができず、一人で苦しませてしまったことを心から詫びる。
だが、今はもう感傷に浸っている時間はない。
セレスタが、宣戦布告してきた。お前の故郷がお前に牙を剥くという、あまりにも酷な現実を、お前に強いることになってしまう。本当に、すまない。
だが俺は、必ずお前を守る。そして、この戦いを終わらせて、必ずお前の元へ帰る。だから城で、俺を信じて待っていてくれ。
愛している。お前だけを』
その手紙は、王都へと向かう最速の伝令に託された。
北の空を見上げ、ライオネルは心に誓う。
――必ず、生きて帰ると。
しかし王都では――ライオネルの返事が届くより先に、ユリアンは別の、そしてあまりにも重大な決意を胸に秘めていたのだった。
ユリアンの元を飛び出してきてから、一ヶ月以上が過ぎた。彼を自らの制御できない獣性から守りたい、傷つけたくない一心での行動だった。
だが、物理的に距離を置いたことで、ライオネルは思い知らされていた。自分がどれほどユリアンという存在に心身ともに依存し、救われていたのかを……。
ユリアンのいない夜は、まともな眠りが訪れない。
彼の柔らかな肌の温もりも心を安らがせる甘い香りもない寝台は、ひどく冷たく、がらんとして広いだけだ。山積みの軍務報告書に目を通している合間に、ふと彼の穏やかな笑顔が脳裏をよぎり、そのたびに心臓を鷲掴みにされるような痛みが走る。
(――あいつは、今どうしているのだろうか)
その問いは、呪いのように日ごと胸を締めつける。
城のどこかで俺に見捨てられたと泣いていないか。
あるいは、もう俺のことなど忘れ、別の誰かと笑い合っているのではないか……。
想像するだけで、腹の底から黒い嫉妬の炎が燃え上がり、築き上げた理性の壁を焼き尽くさんばかりに感情が暴走する。
会いたい。今すぐにでも馬を駆って城に戻り、あの華奢な体を二度と離さないとばかりに抱きしめ、自分のものだと刻みつけたい。しかし、その激しい衝動は、根深い恐怖とも絡み合っていた。
――脳裏に蘇るのは、実の父が犯した過ちだ。
番の母を愛するあまり、その自由を奪い、愛という名の『鳥籠』に閉じ込め、誰にも会わせようとはしなかった。その息苦しさに耐えかねて、母は心を病み、若くして亡くなった。日に日に光を失っていく母の瞳を、幼いライオネルは無力なまま、ただ見つめることしかできなかった。
自分の中にも、あの父と同じ獣の血が流れている。
愛という名の独占欲でユリアンを縛り付け、彼の輝きを曇らせてしまうのではないか。その恐怖が、心の奥で必死に警鐘を鳴らしていた。だが、理性が制御しきれない部分が、怒りや欲望、そしてあまりにも深い愛情となって、彼の胸を引き裂くのだった。
そんなライオネルの元に、王都からの伝令が到着したのは、凍てつく冬の空気が大地を支配し始めた、砦に来てから二ヶ月が経とうとする頃だった。
伝令が恭しく差し出したのは、ユリアンからの手紙。その優美で懐かしい筆跡を見ただけで、ライオネルの心臓は大きく跳ね上がった。
震える手で封を切り、そこに綴られた言葉を、渇いた喉で水を求めるように貪るように読む。
『――ライオネル。どうか、帰ってきてください』
そこには、ユリアンの切実な想いが、インクの滲みからも伝わってくるほどに溢れていた。
自分の過去を知り、その上で、自分の弱さも醜い独占欲も全てを受け止めたいと。あなたは一人ではない、と。
そして、予言の真実と自分こそがその番であったこと、国に災いが迫っているかもしれないことまで、包み隠さず記されていた。
手紙を読み終えたライオネルは、その場に立ち尽くした。
「なんという……愚か者だ、俺は……」
声にならない呟きが、がらんとした執務室に虚しく響いた。ユリアンは、自分が思うよりずっと強く、そして深い愛で、自分を丸ごと包み込もうとしてくれていた。それなのに、自分は勝手に絶望し、彼を信じることもできずに逃げ出してしまったのだ。怒りにも似た激しい後悔が、心臓を締め付ける。だが、もう迷いはなかった。
「――すぐに、王都へ戻る!出立の準備をせよ!」
ライオネルは、即座に叫んだ。
今すぐ、あいつの元へ帰らなければ。そして今度こそ、回りくどい言い訳などではなく、素直な言葉で、この愛を伝えなければ。
北の砦で過ごした孤独な日々の中で抱え続けていた葛藤と後悔が、ユリアンの切実な言葉によって雪解け水のように流れ出し、やがて揺るぎない決意へと変わっていく。
「もう二度と、お前から逃げたりはしない」
そう囁くように自分に言い聞かせ、ライオネルは荒々しい手つきで出立の準備を始めた。
凍える北の風を背に受けながらも、彼の琥珀の瞳は、ユリアンという確かな光を見据えて力強く燃えていた。
しかし、その決意と希望は、第二の伝令の到着によって、無残にも打ち砕かれる。
ライオネルが出立の鎧を身に着けようとしていたまさにその時、血相を変えて駆け込んできた伝令がもたらしたのは、隣国セレスタの、一方的な宣戦布告の報せだった。
セレスタ――それは、ユリアンの故郷。その国が、今、牙を剥いてこの国に襲いかかってこようとしている。
「――なぜだ!?」
ユリアンの手紙に書かれていた「大いなる災い」とは、このことだったのか。
王都に戻るどころではない。敵は、もう目の前に迫っているのだ。
「ユリアン……!」
ライオネルは、愛しい番の名を呼び、きつく拳を握りしめた。あいつは今、王都で、この報せを聞いてどれほど不安に震えているだろう。俺が、俺だけが、あいつを守らなくてはならないのに……。
ライオネルは一瞬で個人的な感情を獣の理性で押し殺すと、王としての冷徹な貌に戻り、限られた護衛団に即座に指示を飛ばした。
「全軍、迎撃態勢に入れ!砦の防備を最大限まで固めろ!」
彼の厳然とした声に、砦の空気が一気に張り詰める。どよめく側近たちを前に、ライオネルは続けた。
「セレスタの狙いは、この俺の首、そして、俺の番であるユリアンだ。奴らは、ユリアンが予言の番であることを、どこかから嗅ぎつけたに違いない。
ユリアンを奪い、その力を利用して、この大陸全土を支配するつもりだろう。
故郷を盾にすればユリアンが抵抗できぬと踏んだのだ。卑劣な!」
その言葉に、護衛団の兵士たちの顔色が変わる。
「だが、俺は断じてユリアンを奴らに渡す気はない!彼は俺の番であると同時に、この国の希望そのものだ!敵の狙いが分かっているのなら、我らが為すべきことは一つ!この地で敵の侵攻を食い止め、王都に指一本触れさせるな!」
王の気迫に満ちた演説に、兵士たちの士気は静かに、しかし確かな熱を帯びて燃え上がった。
その夜、ライオネルは嵐の前の静けさの中、ユリアンへの返書を書き上げた。
『――ユリアン。手紙は読んだ。全て、俺が悪かった。お前を信じることができず、一人で苦しませてしまったことを心から詫びる。
だが、今はもう感傷に浸っている時間はない。
セレスタが、宣戦布告してきた。お前の故郷がお前に牙を剥くという、あまりにも酷な現実を、お前に強いることになってしまう。本当に、すまない。
だが俺は、必ずお前を守る。そして、この戦いを終わらせて、必ずお前の元へ帰る。だから城で、俺を信じて待っていてくれ。
愛している。お前だけを』
その手紙は、王都へと向かう最速の伝令に託された。
北の空を見上げ、ライオネルは心に誓う。
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