【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう

楽歩

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18.リズが摘んだ色

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「先生、ラファエル・ウェストレイになりました。これからもどうぞよろしくお願いいたします」


 窓辺の光がさわやかに差し込む書斎で、ラルはまるで舞踏会の本番かのように深々と一礼した。

 まあ、新しいパターンの自己紹介だわ。メリッサが小さく拍手をしている。

 子供の成長は本当に早いものね。


「ラファエル・ウェストレイくんになったのですね。改めて、よろしくお願いいたしますね」

「はい」


 ラルは少し照れながら返事をして、背筋をぴんと伸ばし直した。


「先生、私はアイラ・ウェストレイです。こちらはクラリス・ウェストレイ。ご存知かもしれませんが、私は記憶を失っておりまして……日常生活には困っておりませんが、もし失礼がありましたら申し訳ありません。どうぞよろしくお願いいたします」


 私は優雅にカーテシーをした。

 隣のリズも、ちょこん……と膝を曲げ、なぜか私より可憐な所作で真似をする。ルーシーが小さく拍手をしている。

 うちの子、ポテンシャル高すぎでは?



「ご丁寧にありがとうございます、奥様。ロバート・デイヴィスと申します。実はレオナール様が幼い頃に家庭教師をしておりまして。その縁で、ラファエル様の家庭教師も引き受けております」


 50代ほどのロバート先生は、声までふわふわ柔らかい。

 “愛人の息子の家庭教師って、もっとこう……なんて、失礼極まりない想像をしていた私を殴りたい。

 とても誠実そうだわ。


「記憶を失っておられるとは初耳でしたが……確かに、イメージが以前とは少し違いますね」

 

 彼は紳士。“違いますね”と言いながら、顔の表情は笑顔のまま動かない。


 できるわ、この人。絶対に余計口を滑らせない人。信頼できるわ。



「先生、お邪魔はいたしませんので、勉強の様子を拝見していてもよろしいでしょうか?」

「はい、どうぞ。ご心配でしょうから、心ゆくまでご覧ください」



 ラルが「見てて!」と言わんばかりに張り切った顔をする。

 学習が始まると、ロバート先生の優しい声が、部屋に広がっていった。

 その穏やかな口調は、どこかレオナール様とラルに似ている。

 ああ、この方の教育のおかげだったのね。妙に納得。

 リズは最初こそ真剣にラルを観察していたが、やがて小さくため息をつき、ルーシーの袖をちょこんと引っ張った。

 完全に「飽きた」の合図。

 ルーシーが苦笑しながら手を引いて庭に連れ出す。

 静かになったところで、私はそっと言った。



「先生。ラルがこんなにいい子に育ったのも先生のおかげ……今日、そう思いましたわ」


 ロバート先生が「えっ?」という顔をした。

 驚き方が控えめなのがまた上品。

 ラルの“あの女”発言は、どう考えてもララの機嫌取り。ほかの人には一切言ってないはず。

 可愛らしさと性格の良さは、絶対この先生の影響よね


「実はラファエル君のことは、生まれたときから知っておりましてね。大きくなるにつれ、その、心配になってしまいまして」


 ええ、先生。

 “ララの影響”がですわね。

 皆まで言わなくてもわかっております。


「レオナール様は、幼い頃にご両親を亡くされ、早くに伯爵になられました。素直なところや純粋なところは誇るべき点なのですが、いかんせん、貴族としては心配な面もありまして。学問だけでなく、そちらも教えるべきだったと後悔しております」


 ええ、先生。それも、わかっておりますわ。


 レオナール様、ララに引っかかりましたものね。そりゃあ心配になるでしょう。


「ラファエル君はレオナール様と気質が似ております。私が、何とかせねばと不躾ながら、そう思ってお引き受けしたのです」

 なんてありがたい方なの。


「先生は、家庭教師が専業ではございませんよね? 普段は何を?」


 家名があるくらいですもの。ほかに仕事をお持ちのはずだわ


「実は、学者をしておりまして。最近、本も数冊出しました。もっぱら研究ばかりしております」


 ロバート。
 ロバート・デイヴィス。
 え? ロバート・デイヴィス!?

 ま、まさか——。


「せ、先生。もしかして……薬草学の学者でしょうか?」

「よくご存じで。あまり知られていないのですよ」

「いえ、存じ上げておりますとも! 先生が学生時代に書かれた論文も読みました! 本まで出されたのですか? 私、本当は学院に入って先生のように薬草学を研究するのを……もう、本当に楽しみにしていたのです。でもその頃の記憶がなく、おそらく勉強もしておりません……」

 言いながら、涙ぐみそうになる。

 ああ、私の青春、どこへ行ったのかしら……。


「そうだったのですか。それはお気の毒に。失った時間は戻りませんが、次に来るときでよければ、私が書いた本を持ってきましょうか?」

「ほ、本当ですか!? ああ、神様っていらしたのですね! ここ数日、存在を疑うような真似をしておりました。ぜひ、楽しみにしております!」



 ああ、なんてことでしょう。

 今日は幸運な日だわ。先生から後光がさして見える気がする。 



「本を読んで分からないところがあれば、ラルの勉強の合間でもよろしければ、お聞きしても?」

「ええ、もちろん。むしろ喜びです」

 ああ、先生。素敵な方だわ。



 コンコンコン。



「お母様、終わった?」

 リズが、片手いっぱいにお花を握りしめて入ってきた。



「お兄様の勉強はまだよ。集中できるように、一緒にお部屋から出ましょうか?」

「はい、どうぞ」


 どうぞ?

 ああ、お花をくれると言うことね。


「これは?」

「お母様に、おみやげ!」

 リズが誇らしげに花束を差し出す。

 ルーシーを見ると、柔らかく微笑みながら補足してくれた。


「お庭で庭師からもらいました。『お母様の髪と同じ色のお花を集める』と、リズ様が一生懸命指示を出しておりまして」

 まあ。


「リズ、ありがとう。とっても素敵なお花ね。お部屋に飾りたいから、一緒に行きましょうね」

「はい!」


 リズは、花のように笑って、私の手をぎゅっと握った。
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