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17.新しいはじまり
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――お、重い。
胸の上にのしかかる小さな重みで目を覚ますと、朝の光の中、リズがこちらを覗き込んでいた。
ふわふわの金髪が揺れ、瞳がキラキラしている。
「お母さま、起きた?」
思わず抱きしめたくなる破壊力。そのすぐ後ろで、控えめにルーシーとメリッサが頭を下げた。
「申し訳ありません、お嬢様がどうしても“今すぐ起こすの”と……許可なく入ってしまいました」
「いいわ、気にしないで。私もちょっと寝すぎちゃったわ。リズ、ご飯は食べた?」
「まだ。お母さまと一緒」
ぴょこんと手をあげるリズ。かわいい、でも重い……でもかわいい。
「そう、じゃあ私は支度をするから、先に行っていて。ルーシー、お願いね」
「はい、かしこまりました」
ルーシーがリズの手を引き、部屋を出ていく。
その背中を見送りつつ、私はメリッサに手伝ってもらい急いで身支度を整え、ホールへ向かった。
広いホールに足を踏み入れた瞬間、香ばしいパンの匂いと、スープの湯気がふわりと鼻をくすぐる。
白いテーブルクロスの上には、すでに温かい朝食が並べられていた。焼きたてのクロワッサン、オムレツ、淡い色のコンソメスープ。
「アイラ、よく眠れなかったのかい?」
朗らかな声がして顔を上げると、レオナール様が満面の笑みでこちらを見ていた。
ご機嫌なのが、もう隠しようもないほどに伝わってくる。
「目の下にくまができてるよ。一緒だね、私も嬉しくて眠れなかった」
私はあなたと違って、徹夜で日記を読み漁っていただけなんです。
とは言えず、曖昧な微笑みだけを返す。
スープをそっと口に運ぶと、温かさが喉を通り過ぎていき、ぼんやりしていた頭の輪郭がようやく現実に戻ってくる。
リズはというと、パンをちいさな口で一生懸命かじっている。口の端にパンくずをつけたまま、こちらを見上げてにこり。
それを見たラルは、マナーよくカラトリーを使いながらも、リズのこぼすパンくずが気になるらしく、さりげなくリズの前に皿を寄せてあげている。
ルーシーは静かにお茶を注ぎ、そしてレオナール様は、朝日より眩しい笑顔で、「これが幸せだ」と言いたげに家族全員を目で追っている。
なんだか、平和だわ。
そうだ。
「レオナール様、つかぬことを伺いますが、王太子殿下とは同級生なのですわよね。仲はどうでしたの?」
私が思い切って問いかけると、レオナール様は肩をすくめ、懐かしそうに目を細めた。
「仲? よかったよ。王太子殿下とセルジュ・アーガントン、コリン・ライクスバート。四人でつるんでいたよ。コリンは辺境伯だから、今はなかなか会えないけどね」
ララが書いていた攻略対象全員だわ。
「君が意識がないとき、王太子殿下もセルジュも、ずいぶん心配していたよ。いや、目覚めるまで休むんだ、と根回しをしてくれていたのも彼らなんだ」
ああ、だから大丈夫って言っていたのね。
「お見舞いにも来たがっていたけれど……どうする? 伝えておこうか」
「記憶がない身ですもの。申し訳ないのですが、お断りをお願いいたしますわ」
ほんの一瞬だけ間を置いて、なるべく穏やかに伝える。けれど内心は真逆だ。
――絶対に来ないでほしい。
来られたら困る。というより、捕食者に狙われる危険がある。
それに、友人の“愛人”とされている女の見舞いに、どうしてそんなに顔を出したがるのか。
こんな状況で顔を出すということは、ララにまだ好意がある可能性すらある。
そんなの、冗談じゃないわ。
巻き込まれたら最後、面倒が押し寄せてくる未来しか見えない。
コリン・ライクスバートに関する日記も、急いで読まなくては。
レオナール様は、私の拒否の裏にある本音など露ほども知らないという顔で朗らかに笑った。
「今日も君との婚姻の書類を提出したあとは、二人に報告するつもりだ。きっと喜んでくれる」
“喜ぶ”という響きが、余計に不穏に聞こえる。
「……ええ、ぜひ。どんな反応だったか教えてくださいませ。そういえば、王太子妃殿下も同級生ですよね? お会いになることも?」
「王太子妃も、コリンの妻、ミレイユもだね。時々、君のことを聞かれるよ。君たちは仲がよかったようには見えなかったのに不思議だね」
ええ、本当に不思議。不思議を通り越して恐怖。
わざわざご自身の夫の友人の愛人について質問なんてしないはず。
それなのに私の話題が出るってことは……嫌われて、いえ、いまだに恨まれている可能性がある。
ああ、火の粉が、こちらに飛んでくる未来が見える。はっきりと。
全力で回避しなくては。
レオナール様が、そんな私の脳内大騒ぎなどまったく知らぬ顔で首をかしげた。
「ところで、どうしたんだい急にそんなことを」
「え、ええ。私も今日から伯爵夫人ですわ。これからは関わることが増えますもの。失礼があっては困りますし伯爵家が恥をかかないように」
ラルにも、リズにも、迷惑がかかってはいけないわ。
「そうなんだね! 今は時間がないから、夜にでも続きの話をしよう」
声が、やけに弾んでいた。
「ぜひ」
そう返した瞬間、レオナール様はぱっと表情を明るくして立ち上がる。
支度を整える手つきひとつまで軽やかで、コートを羽織る動作に至っては、もう浮かれているのが隠せていない。
「じゃあ行ってくるよ、アイラ!」
足取りも妙に軽い。
扉を開ける直前、もう一度こちらを振り返ってにこりと笑う。その笑顔が眩しいのは、朝日ではなく機嫌のせいね。
「……いってらっしゃいませ」
扉が閉まった瞬間、私はふうっと息をついた。ふと、ラルが私のドレスをそっと引っ張った。
「お母様、今日は家庭教師の先生がいらっしゃいますので、リズの面倒をお願いできますか?」
ふふ、兄というより保護者のような台詞ね。
それにしても家庭教師?
そうよね、年齢的に家庭教師がつくのも当然。今までは、私が倒れていたこともあり、きっと授業も止まっていたのだろう。
「ラル、家庭教師の先生が来たら、ラファエル・ウェストレイと改めて自己紹介なさいね」
「ラファエル・ウェストレイ?」
少し戸惑うラルの手を取る。
「ええ。今日から、私とあなたはウェストレイ家の者よ」
「そうなんだ! リズ! クラリス・ウェストレイとラファエル・ウェストレイ、一緒だよ!」
ぱあっと嬉しそうに声を上げるラル。
でも、リズはきょとんとしたまま。
そうね。私自身も、新しい名で家庭教師の先生へご挨拶をしなければならないわ。
胸の上にのしかかる小さな重みで目を覚ますと、朝の光の中、リズがこちらを覗き込んでいた。
ふわふわの金髪が揺れ、瞳がキラキラしている。
「お母さま、起きた?」
思わず抱きしめたくなる破壊力。そのすぐ後ろで、控えめにルーシーとメリッサが頭を下げた。
「申し訳ありません、お嬢様がどうしても“今すぐ起こすの”と……許可なく入ってしまいました」
「いいわ、気にしないで。私もちょっと寝すぎちゃったわ。リズ、ご飯は食べた?」
「まだ。お母さまと一緒」
ぴょこんと手をあげるリズ。かわいい、でも重い……でもかわいい。
「そう、じゃあ私は支度をするから、先に行っていて。ルーシー、お願いね」
「はい、かしこまりました」
ルーシーがリズの手を引き、部屋を出ていく。
その背中を見送りつつ、私はメリッサに手伝ってもらい急いで身支度を整え、ホールへ向かった。
広いホールに足を踏み入れた瞬間、香ばしいパンの匂いと、スープの湯気がふわりと鼻をくすぐる。
白いテーブルクロスの上には、すでに温かい朝食が並べられていた。焼きたてのクロワッサン、オムレツ、淡い色のコンソメスープ。
「アイラ、よく眠れなかったのかい?」
朗らかな声がして顔を上げると、レオナール様が満面の笑みでこちらを見ていた。
ご機嫌なのが、もう隠しようもないほどに伝わってくる。
「目の下にくまができてるよ。一緒だね、私も嬉しくて眠れなかった」
私はあなたと違って、徹夜で日記を読み漁っていただけなんです。
とは言えず、曖昧な微笑みだけを返す。
スープをそっと口に運ぶと、温かさが喉を通り過ぎていき、ぼんやりしていた頭の輪郭がようやく現実に戻ってくる。
リズはというと、パンをちいさな口で一生懸命かじっている。口の端にパンくずをつけたまま、こちらを見上げてにこり。
それを見たラルは、マナーよくカラトリーを使いながらも、リズのこぼすパンくずが気になるらしく、さりげなくリズの前に皿を寄せてあげている。
ルーシーは静かにお茶を注ぎ、そしてレオナール様は、朝日より眩しい笑顔で、「これが幸せだ」と言いたげに家族全員を目で追っている。
なんだか、平和だわ。
そうだ。
「レオナール様、つかぬことを伺いますが、王太子殿下とは同級生なのですわよね。仲はどうでしたの?」
私が思い切って問いかけると、レオナール様は肩をすくめ、懐かしそうに目を細めた。
「仲? よかったよ。王太子殿下とセルジュ・アーガントン、コリン・ライクスバート。四人でつるんでいたよ。コリンは辺境伯だから、今はなかなか会えないけどね」
ララが書いていた攻略対象全員だわ。
「君が意識がないとき、王太子殿下もセルジュも、ずいぶん心配していたよ。いや、目覚めるまで休むんだ、と根回しをしてくれていたのも彼らなんだ」
ああ、だから大丈夫って言っていたのね。
「お見舞いにも来たがっていたけれど……どうする? 伝えておこうか」
「記憶がない身ですもの。申し訳ないのですが、お断りをお願いいたしますわ」
ほんの一瞬だけ間を置いて、なるべく穏やかに伝える。けれど内心は真逆だ。
――絶対に来ないでほしい。
来られたら困る。というより、捕食者に狙われる危険がある。
それに、友人の“愛人”とされている女の見舞いに、どうしてそんなに顔を出したがるのか。
こんな状況で顔を出すということは、ララにまだ好意がある可能性すらある。
そんなの、冗談じゃないわ。
巻き込まれたら最後、面倒が押し寄せてくる未来しか見えない。
コリン・ライクスバートに関する日記も、急いで読まなくては。
レオナール様は、私の拒否の裏にある本音など露ほども知らないという顔で朗らかに笑った。
「今日も君との婚姻の書類を提出したあとは、二人に報告するつもりだ。きっと喜んでくれる」
“喜ぶ”という響きが、余計に不穏に聞こえる。
「……ええ、ぜひ。どんな反応だったか教えてくださいませ。そういえば、王太子妃殿下も同級生ですよね? お会いになることも?」
「王太子妃も、コリンの妻、ミレイユもだね。時々、君のことを聞かれるよ。君たちは仲がよかったようには見えなかったのに不思議だね」
ええ、本当に不思議。不思議を通り越して恐怖。
わざわざご自身の夫の友人の愛人について質問なんてしないはず。
それなのに私の話題が出るってことは……嫌われて、いえ、いまだに恨まれている可能性がある。
ああ、火の粉が、こちらに飛んでくる未来が見える。はっきりと。
全力で回避しなくては。
レオナール様が、そんな私の脳内大騒ぎなどまったく知らぬ顔で首をかしげた。
「ところで、どうしたんだい急にそんなことを」
「え、ええ。私も今日から伯爵夫人ですわ。これからは関わることが増えますもの。失礼があっては困りますし伯爵家が恥をかかないように」
ラルにも、リズにも、迷惑がかかってはいけないわ。
「そうなんだね! 今は時間がないから、夜にでも続きの話をしよう」
声が、やけに弾んでいた。
「ぜひ」
そう返した瞬間、レオナール様はぱっと表情を明るくして立ち上がる。
支度を整える手つきひとつまで軽やかで、コートを羽織る動作に至っては、もう浮かれているのが隠せていない。
「じゃあ行ってくるよ、アイラ!」
足取りも妙に軽い。
扉を開ける直前、もう一度こちらを振り返ってにこりと笑う。その笑顔が眩しいのは、朝日ではなく機嫌のせいね。
「……いってらっしゃいませ」
扉が閉まった瞬間、私はふうっと息をついた。ふと、ラルが私のドレスをそっと引っ張った。
「お母様、今日は家庭教師の先生がいらっしゃいますので、リズの面倒をお願いできますか?」
ふふ、兄というより保護者のような台詞ね。
それにしても家庭教師?
そうよね、年齢的に家庭教師がつくのも当然。今までは、私が倒れていたこともあり、きっと授業も止まっていたのだろう。
「ラル、家庭教師の先生が来たら、ラファエル・ウェストレイと改めて自己紹介なさいね」
「ラファエル・ウェストレイ?」
少し戸惑うラルの手を取る。
「ええ。今日から、私とあなたはウェストレイ家の者よ」
「そうなんだ! リズ! クラリス・ウェストレイとラファエル・ウェストレイ、一緒だよ!」
ぱあっと嬉しそうに声を上げるラル。
でも、リズはきょとんとしたまま。
そうね。私自身も、新しい名で家庭教師の先生へご挨拶をしなければならないわ。
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