私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊

文字の大きさ
5 / 10

第5話|ルイ

しおりを挟む
ルイは、私の実子であり、公爵家の正統な嫡子だ。

八歳になったばかりだが、次期公爵としての教育はすでに始まっている。

朝の礼拝、基礎学問、歴史、算術。午後は馬術や剣術の基礎。
まだ幼いとはいえ、嫡子に許される猶予は長くない。

「本日の課題、終わりました」

夕刻、彼は執務室へ顔を出した。
書類を抱え、一礼するその姿は年齢よりも落ち着いて見える。

私は受け取り、答案に目を通す。

歴史の設問は簡潔で正確。
算術も誤りはない。
ただ正しいだけでなく、理由が書かれている。

「どうして、この戦で敗れたと思いますかと問われましたので、補給線が長すぎたからだと」

「理由は」

「兵は勇敢でも、食糧が尽きれば勝てません」

私は顔を上げた。

理解している。暗記ではない。

「よく考えましたね」

そう告げると、ルイはほんのわずかに目を細めた。
声を上げて喜ぶことはない。だが、評価を待っている。

それがまだ子どもなのだと分かる。

「本日の応接も、滞りありませんでした」

「見ていたのですか」

「はい。他家の子息は、私より母上をよく見ていました」

その言い方に、わずかに息が詰まる。

「そのようなことは口にしてはいけません」

「申し訳ありません」

素直に頭を下げる。

叱責としてではなく、心得として受け止める顔だった。

「ですが」

ルイは続ける。

「母上がいれば、公爵家は困りません」

何気ない口調だった。

母への信頼。
それだけの言葉。

私は一瞬、返す言葉を探す。

「あなたがいるからこそ、私は困りません」

そう告げると、ルイは控えめに笑った。

その笑みには遠慮がある。

「父上は、今日も離れにいらっしゃいますか」

問いは淡々としていた。

非難も、寂しさも、表には出さない。

「そうです」

「分かりました」

それだけで終わる。

父を待つ様子はない。
嫡子である自分が、当主に顧みられていないことを、もう理解しているのだ。

私は思う。

八歳の子どもが、ここまで静かであるべきなのだろうかと。

「母上」

呼ばれて顔を上げる。

「次期公爵として、私は相応しくありますか」

胸の奥が、わずかに締めつけられる。

「あなたは公爵家の嫡子です」

揺らぐべきではない事実だ。

「相応しいかどうかは努力で決まります。あなたは努力を怠っていません」

ルイは静かに頷いた。

「では、続けます」

その横顔には誇りがある。

本来なら、この子が守られるべき立場なのだ。

私は机の上の書類を閉じる。

守るべきものは、はっきりしている。

それだけは、揺らがない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。 誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。 無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。 ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。 「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。 アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。 そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?! ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

【完結】離婚しましょうね。だって貴方は貴族ですから

すだもみぢ
恋愛
伯爵のトーマスは「貴族なのだから」が口癖の夫。 伯爵家に嫁いできた、子爵家の娘のローデリアは結婚してから彼から貴族の心得なるものをみっちりと教わった。 「貴族の妻として夫を支えて、家のために働きなさい」 「貴族の妻として慎みある行動をとりなさい」 しかし俺は男だから何をしても許されると、彼自身は趣味に明け暮れ、いつしか滅多に帰ってこなくなる。 微笑んで、全てを受け入れて従ってきたローデリア。 ある日帰ってきた夫に、貞淑な妻はいつもの笑顔で切りだした。 「貴族ですから離婚しましょう。貴族ですから受け入れますよね?」 彼の望み通りに動いているはずの妻の無意識で無邪気な逆襲が始まる。 ※意図的なスカッはありません。あくまでも本人は無意識でやってます。

今さら戻ってこいと言われても、私なら幸せに暮らしてますのでお構いなく

日々埋没。
恋愛
 伯爵家の令嬢であるエリシュは周囲の人間から愛されて育ってきた。  そんな幸せなエリシュの人生が一変したのは、森で倒れていたとある少女を伯爵家の養子として迎え入れたことが発端だった。  そこからエリシュの地獄の日々が始まる。  人形のように愛くるしい義妹によって家族や使用人たちがエリシュの手から離れていった。  更には見にくい嫉妬心から義妹に嫌がらせしているという根も葉もない噂を流され、孤立無援となったエリシュに残された最後の希望は婚約者との結婚だけだった。  だがその希望すら嘲笑うかのように義妹の手によってあっさりとエリシュは婚約者まで奪われて婚約破棄をされ、激怒した父親からも勘当されてしまう。  平民落ちとなったエリシュは新たな人生を歩み始める。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

処理中です...