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第4話|庇われる子
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午後の応接は滞りなく進んだ。
三家の子息は礼儀正しく、ルイもまた落ち着いて応対している。まだ八歳とは思えないほど、言葉を選び、視線を外さない。教師が小さく頷くのが見えた。
その時、廊下の奥から乾いた音が響いた。
何かが倒れる音と、小さな悲鳴。
私は席を立ち、応接間を出る。
廊下の先で若い侍女が尻餅をついていた。足元には割れた花瓶。水が絨毯に広がっている。その前に立っているのは、あの少年だった。飾り棚から持ち出したらしい模造の短剣を手にしている。
悪びれる様子はない。
「触れてはならないと申し上げました」
静かに告げると、少年は唇を尖らせた。
「だって、つまらない」
侍女は蒼白になって頭を下げる。
「申し訳ございません、奥様。私が目を離した隙に……」
「怪我は」
「ございません」
それならばよい、と私は頷いた。
「離れへ戻りなさい」
そう告げようとした瞬間、背後から軽い声が割り込む。
「大げさだな」
振り返ると、夫が立っていた。いつ戻ったのか。少年は嬉しそうに駆け寄る。
「父上!」
夫はその頭を撫でながら笑う。
「子どもが少し騒いだだけだろう。これくらいで叱るな」
私は割れた花瓶と濡れた絨毯、そして震える侍女へ視線を落とした。
「本邸は遊び場ではありません」
穏やかに告げる。
「本邸も公爵家の屋敷だ。息子がいて何が悪い」
その言葉に、空気がわずかに固まった。
息子。
誰のことを指しているのかは明白だった。
夫は気づいていない。言葉の重さにも、ここが本邸であるという意味にも。
私は視線を伏せる。
「……承知いたしました」
侍女に片付けを指示すると、少年は父の背に隠れるようにしてこちらを見た。その目に怯えはない。ただ、守られることを知っている者の余裕がある。
応接間の扉の隙間から、他家の子息たちの視線がこちらを窺っていた。
気づいていないのは、夫だけだ。
「行くぞ」
夫は少年の肩を抱き、離れの方へ歩いていく。
その背中を見送りながら、私は思う。
叱るべきなのは子どもではない。境界を曖昧にしている大人のほうだ。
けれど何も言わない。
言っても変わらないことを、もう知っているから。
ただ、本邸に立つべきなのは誰か。その揺らぎを、今日もまた多くの目が見ていた。
三家の子息は礼儀正しく、ルイもまた落ち着いて応対している。まだ八歳とは思えないほど、言葉を選び、視線を外さない。教師が小さく頷くのが見えた。
その時、廊下の奥から乾いた音が響いた。
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静かに告げると、少年は唇を尖らせた。
「だって、つまらない」
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それならばよい、と私は頷いた。
「離れへ戻りなさい」
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「大げさだな」
振り返ると、夫が立っていた。いつ戻ったのか。少年は嬉しそうに駆け寄る。
「父上!」
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「子どもが少し騒いだだけだろう。これくらいで叱るな」
私は割れた花瓶と濡れた絨毯、そして震える侍女へ視線を落とした。
「本邸は遊び場ではありません」
穏やかに告げる。
「本邸も公爵家の屋敷だ。息子がいて何が悪い」
その言葉に、空気がわずかに固まった。
息子。
誰のことを指しているのかは明白だった。
夫は気づいていない。言葉の重さにも、ここが本邸であるという意味にも。
私は視線を伏せる。
「……承知いたしました」
侍女に片付けを指示すると、少年は父の背に隠れるようにしてこちらを見た。その目に怯えはない。ただ、守られることを知っている者の余裕がある。
応接間の扉の隙間から、他家の子息たちの視線がこちらを窺っていた。
気づいていないのは、夫だけだ。
「行くぞ」
夫は少年の肩を抱き、離れの方へ歩いていく。
その背中を見送りながら、私は思う。
叱るべきなのは子どもではない。境界を曖昧にしている大人のほうだ。
けれど何も言わない。
言っても変わらないことを、もう知っているから。
ただ、本邸に立つべきなのは誰か。その揺らぎを、今日もまた多くの目が見ていた。
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