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舞踏会も終盤に差し掛かり、演奏は緩やかに抑えられた音へと変わっていた。
客人の数も次第に減り、空気がやわらかくほどけていく中、リリーナは庭に面した回廊の隅で、ひとときの静けさを吸い込んでいた。
白銀の光が庭に降り注ぎ、花々の輪郭を縁取っている。
その景色は確かに美しかったが、胸の内を晴らしてはくれなかった。
「……静かだな」
不意に、背後から兄の声がした。
振り返ると、ヴァルセリオスが一人、杯を片手に歩いてくるところだった。
「兄上。お疲れでは?」
「この程度で疲れるようなら、戦場には立てんよ」
言葉は軽く、表情にも笑みがあった。
だが、その目の奥には疲労の色が消え残っている。
「……少し、歩かないか?」
リリーナは頷き、二人で回廊をゆっくりと歩き始めた。
聞こえるのは風に揺れる枝の音と、遠くから届く舞踏会の残響だけ。
「リリーナ」
「はい」
「……俺は、王には向かんと思う」
足を止め、兄がぽつりと零した言葉は、リリーナの心をわずかに揺らした。
「戦場に出れば、民を守るために剣を振るう。
それが当然だと思っていた。……けれど、城に戻ってきてみれば、
今度は誰かのためではなく、“誰の上に立つべきか”を問われる」
彼は杯を口に運び、ひと息に飲み干した。
「俺は……剣を振るうことでしか、自分の存在意義を感じられないんだ。
父上のような王には、なれそうにない」
「……兄上」
リリーナは視線を伏せた。
その言葉は、安堵にも似た温かさを持って胸に届いた。
(兄上が玉座に興味を持たないのなら……ユリアンを守れる可能性が、少しでも広がる)
けれど同時に、違和感も残った。
(それでも兄上は、担ぎ上げられてしまう。
本人の意思など、貴族たちには関係ない)
「ですが、兄上には民が見えておいでです。
それがあるなら、王としての資質は……」
言いかけたところで、彼がそっと手を上げて制した。
「……言葉にしてくれるだけで、充分だ。
俺には、それで十分なんだ」
優しく、けれどどこか寂しげな笑みを残して、ヴァルセリオスは回廊を離れていった。
その背を見送りながら、リリーナは胸の内に鋭い痛みを感じていた。
(優しい兄上。
けれど、その優しさを知っているからこそ、彼を政争の渦に巻き込みたくない)
「……ふうん。仲良し兄妹の、いい時間だったかしら?」
控えめな足音と共に、横合いから声が差し込んだ。
「……カミラ。来ていたのね」
「ええ。今夜は裏方としてのお勤めだから、目立たない場所ばかりいたけど」
飴色の髪を夜風にさらしながら、カミラは扇をひらひらと仰ぐ。
「ヴァルセリオス殿下。随分と人気があるわね」
「……舞踏会の主役ですから」
「その言い方、あなたらしいわ」
ひとつ、カミラが扇を閉じて、真剣な眼差しで言った。
「第一王子を担ごうとする動き、あちこちで加速しているわ。
とくに戦場帰りの英雄って肩書きはね、庶民の好感度も抜群」
「……ええ、分かっています」
「あなた、止める気?」
「……止めるというより、“逸らす”つもりよ」
そう答えたリリーナの表情は穏やかで、けれど氷のように静かだった。
「……本当に、あなたって子は」
カミラはため息をついた。
「私たち、いつまでこうやって味方でいられるか分からないけど……
少なくとも、今はあなたの味方でいるわ。リリーナ」
「ありがとう。今だけでも、十分」
二人の間を夜風が吹き抜ける。
遠くではまだ音楽が鳴っていた。
だが、宴は終わる。
光があるなら、影もまた伸びてゆく。
リリーナは静かにその先を見据えていた。
客人の数も次第に減り、空気がやわらかくほどけていく中、リリーナは庭に面した回廊の隅で、ひとときの静けさを吸い込んでいた。
白銀の光が庭に降り注ぎ、花々の輪郭を縁取っている。
その景色は確かに美しかったが、胸の内を晴らしてはくれなかった。
「……静かだな」
不意に、背後から兄の声がした。
振り返ると、ヴァルセリオスが一人、杯を片手に歩いてくるところだった。
「兄上。お疲れでは?」
「この程度で疲れるようなら、戦場には立てんよ」
言葉は軽く、表情にも笑みがあった。
だが、その目の奥には疲労の色が消え残っている。
「……少し、歩かないか?」
リリーナは頷き、二人で回廊をゆっくりと歩き始めた。
聞こえるのは風に揺れる枝の音と、遠くから届く舞踏会の残響だけ。
「リリーナ」
「はい」
「……俺は、王には向かんと思う」
足を止め、兄がぽつりと零した言葉は、リリーナの心をわずかに揺らした。
「戦場に出れば、民を守るために剣を振るう。
それが当然だと思っていた。……けれど、城に戻ってきてみれば、
今度は誰かのためではなく、“誰の上に立つべきか”を問われる」
彼は杯を口に運び、ひと息に飲み干した。
「俺は……剣を振るうことでしか、自分の存在意義を感じられないんだ。
父上のような王には、なれそうにない」
「……兄上」
リリーナは視線を伏せた。
その言葉は、安堵にも似た温かさを持って胸に届いた。
(兄上が玉座に興味を持たないのなら……ユリアンを守れる可能性が、少しでも広がる)
けれど同時に、違和感も残った。
(それでも兄上は、担ぎ上げられてしまう。
本人の意思など、貴族たちには関係ない)
「ですが、兄上には民が見えておいでです。
それがあるなら、王としての資質は……」
言いかけたところで、彼がそっと手を上げて制した。
「……言葉にしてくれるだけで、充分だ。
俺には、それで十分なんだ」
優しく、けれどどこか寂しげな笑みを残して、ヴァルセリオスは回廊を離れていった。
その背を見送りながら、リリーナは胸の内に鋭い痛みを感じていた。
(優しい兄上。
けれど、その優しさを知っているからこそ、彼を政争の渦に巻き込みたくない)
「……ふうん。仲良し兄妹の、いい時間だったかしら?」
控えめな足音と共に、横合いから声が差し込んだ。
「……カミラ。来ていたのね」
「ええ。今夜は裏方としてのお勤めだから、目立たない場所ばかりいたけど」
飴色の髪を夜風にさらしながら、カミラは扇をひらひらと仰ぐ。
「ヴァルセリオス殿下。随分と人気があるわね」
「……舞踏会の主役ですから」
「その言い方、あなたらしいわ」
ひとつ、カミラが扇を閉じて、真剣な眼差しで言った。
「第一王子を担ごうとする動き、あちこちで加速しているわ。
とくに戦場帰りの英雄って肩書きはね、庶民の好感度も抜群」
「……ええ、分かっています」
「あなた、止める気?」
「……止めるというより、“逸らす”つもりよ」
そう答えたリリーナの表情は穏やかで、けれど氷のように静かだった。
「……本当に、あなたって子は」
カミラはため息をついた。
「私たち、いつまでこうやって味方でいられるか分からないけど……
少なくとも、今はあなたの味方でいるわ。リリーナ」
「ありがとう。今だけでも、十分」
二人の間を夜風が吹き抜ける。
遠くではまだ音楽が鳴っていた。
だが、宴は終わる。
光があるなら、影もまた伸びてゆく。
リリーナは静かにその先を見据えていた。
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