婚約破棄された令嬢、気づけば宰相副官の最愛でした

藤原遊

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第六章 仮面の向こうに

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会議の余韻を残したまま、私はクリストファー様とともに執務室へ戻った。
重い扉を閉じた途端、耳にまとわりついていたざわめきが途切れ、室内は息苦しいほどの静けさに包まれる。
磨き込まれた机の上に積み重ねられた文書と、ランプの炎が揺らす橙の影。
壁の時計が刻む針の音がやけに大きく響き、さっきまでの緊迫をまだ引きずっているようだった。

椅子に腰を下ろしたクリストファー様は、背もたれに深く預け、長く息を吐く。
美しい笑みは形の上ではそこにあった。
だが、それが張り付いた仮面にすぎないことを、私はもう知っている。
会議の場で彼がどれほど冷徹に矛を振るい、言葉で人を追い詰めたのかを見てしまったから。
その笑顔の裏に潜む疲弊も孤独も、今は痛いほど伝わってきた。

私は机の端に手を置き、そっと声を洩らす。

「……私、今日、あなたの隣に立てていたのですね」

思っていた以上に声は震えていた。
けれど抑えられなかった。
あの場で守られるだけの存在ではなく、共に証を示し、国のために動けたこと――それが胸の奥を強く満たしていた。

クリストファー様がゆっくりと顔を上げ、私をまっすぐに見つめる。
静かな眼差しの奥に、揺らぎが走ったのを私は見逃さなかった。

「……よくやってくれました。あなたがいなければ、今日の場は収められなかった」

低く落とされた声は、いつもの副官の口調とは違っていた。
評価でも指示でもなく、心の底からの言葉。
それを聞いただけで胸が熱くなり、目の奥がじんと滲む。

だが、彼はすぐに視線を伏せる。
机の上で握られた拳が小さく震え、その横顔に深い影が落ちた。

「……それでも、私の傍にあれば危険に巻き込まれる。私は……また大切なものを失うかもしれない」

苦悩のにじむ声音だった。
過去の痛みが、まだ彼を縛り付けている。
冷徹さの裏に隠されたその恐れを、私は確かに感じ取った。

私は首を振り、言葉を絞り出す。

「それでも……私はあなたの隣にいたい。あの場で共に立てたことが誇らしかったから。
あなたとなら、何度でも立ち向かえます」

沈黙が訪れた。
ランプの炎が揺れ、机の影が長く伸びて、時が止まったかのように思えた。
彼はしばらく動かず、ただ深い呼吸を繰り返す。
その沈黙の重みが、返って彼の揺らぎを雄弁に物語っていた。

やがて、ゆっくりと立ち上がる気配がした。
私の前に歩み寄り、伸ばされた手が私の指を包む。
その掌は温かく、しかし微かに震えていた。

「……私は副官としてではなく、一人の男としてあなたに願いたい」

顔を上げた彼の笑みは、仮面ではなかった。
苦しみを越えて、それでも真摯に差し出す覚悟がそこにあった。

「セラフィーナ嬢。……生涯を共にしていただけますか」

言葉が胸に突き刺さり、息が詰まる。
仮面を外したその瞳には迷いも恐れもなく、ただ私への想いだけが宿っていた。
鼓動が痛いほどに早まり、私は声を返すことすら忘れ、ただその瞳に引き込まれていった。
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