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20 二人目の手
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家庭教師の授業を三週間受けると、私の発音も改善されてきた。
「フェリシティ王女は優秀だな。こんなに早く帝国語を習得するとは」
「本で読んだ知識だけはあったの。でも発音はめちゃくちゃだったわ。恥ずかしい」
「いや。文法も単語も全て覚えているからこそ、上達が早いんだ。こうして教えるのも、あと少しだと思うと、寂しいな」
ジンは紅茶を一口飲んで、黒い瞳で私をじっと見つめた。
ルリにお茶とお菓子を盗ってきてもらった。
かわいそうな王女の扱いをされるのは、もううんざり。
同情なんかいらない。
魔物トカゲの事件以来、ジンは私に敬語を使わなくなった。すっかり気安い間柄になってしまった。
油断はしない。そう心に決めていたのに。
なぜか、彼との距離が近くなった。
見捨てられた孤独な王女の警戒心を解くのは、彼にはとても簡単なことなのだろう。
「このレモンパイはうまいな。帝国人でもこの味は出せない。ここの料理人は腕がいいな」
それを作ったのは、レドリオン家が雇っている帝国出身の料理人だけどね。最近料理が突然消えるんで、気味が悪いから帝国に帰りたいって言ってる。って、ルリが盗み聞きしてきた。
ジンはレモン味が特に好きみたいね。紅茶にもレモンを添えてあげたわ。
「こうして、二人きりで過ごすのは楽しい」
レモンパイの皿を空にしたジンは、本を開いた私の手の上に自分の手を重ねた。私より体温の高い大きな手。少しかさついている。
男女が二人きりで部屋にこもっている。
女性の貞操に厳しい帝国人からすると、不純な交際関係にあると思われるかもしれない。
それは王国でも同じこと。すぐに手を振り払わなきゃいけない。
「家庭教師をするのは初めてだったが、楽しい時間だった。契約期間が終わっても、時々会いに来たい。いいか?」
彼はレドリオン家の料理人の作った菓子が気に入ったのだろうか。それとも、捨てられた王女を手なづけようとしている?
「良くないわ。私には婚約者がいるの」
もしかして、もっと治癒石をもらえると思ってるの?
聖女の遺産は、もうなくなったと告げたのに。
「それは残念だ。だが、婚約者は全然会いに来てないだろう?」
ジンは私の手を取って、両手で包み込んだ。
「定期的に、お茶会をしているわ」
この大きな手を、払いのけないといけない。
「あなたには婚約者はいないの?」
ジンは私の手を彼の顔に近づけた。
薄い唇が手の甲に近づいて、そっと触れた。
「婚約者は、いないな」
彼は含みを持たせたように私の目を見て笑いかけた。
「気になるか?」
「いいえ」
すぐに否定する。きっとジンは女性に不自由していないと思う。こういう会話は日常的に行われてるのよ。
「なあ、王女様。俺と一緒に帝国に来ないか?」
「いいえ」
さりげないふうを装って言われた言葉にも、すぐ否定で答える。騙されちゃいけない。彼が求めているのは何?
「王女だっていうのに、こんなところに閉じ込められて、虐げられている。俺と一緒に帝国で暮らそう。帝国語は完璧になったし、それに」
「いいえ! 私は王女よ。愛する国民を見捨てることはできないわ!」
今度はかなり強く否定する。
この国の王女であること。それだけが私の誇りなのだから。それがなくなったら、私は何のために生きればいいの?
「だが……、王女様は……。いや……。何かあったら、俺が助けてやる。大事な生徒だからな。覚えておいてほしい」
私の拒絶に気を悪くする風もなく、彼は私を真剣に見つめた。
真っ黒な瞳が私を映している。
私を連れ出そうと手を差し伸べるのは、彼で二人目だった。愛するアスラン様の願いは、涙を流して断った。
全てを捨ててまで、私を助けようとしてくれたのに……。
アスラン様と違って、ジンは信用できない。
彼のことを何も知らないから。
それでも、私の手はまだ彼の手の中にある。
簡単に払いのけることはできるのに、なぜか、そうしようと思わなかった。
「フェリシティ王女は優秀だな。こんなに早く帝国語を習得するとは」
「本で読んだ知識だけはあったの。でも発音はめちゃくちゃだったわ。恥ずかしい」
「いや。文法も単語も全て覚えているからこそ、上達が早いんだ。こうして教えるのも、あと少しだと思うと、寂しいな」
ジンは紅茶を一口飲んで、黒い瞳で私をじっと見つめた。
ルリにお茶とお菓子を盗ってきてもらった。
かわいそうな王女の扱いをされるのは、もううんざり。
同情なんかいらない。
魔物トカゲの事件以来、ジンは私に敬語を使わなくなった。すっかり気安い間柄になってしまった。
油断はしない。そう心に決めていたのに。
なぜか、彼との距離が近くなった。
見捨てられた孤独な王女の警戒心を解くのは、彼にはとても簡単なことなのだろう。
「このレモンパイはうまいな。帝国人でもこの味は出せない。ここの料理人は腕がいいな」
それを作ったのは、レドリオン家が雇っている帝国出身の料理人だけどね。最近料理が突然消えるんで、気味が悪いから帝国に帰りたいって言ってる。って、ルリが盗み聞きしてきた。
ジンはレモン味が特に好きみたいね。紅茶にもレモンを添えてあげたわ。
「こうして、二人きりで過ごすのは楽しい」
レモンパイの皿を空にしたジンは、本を開いた私の手の上に自分の手を重ねた。私より体温の高い大きな手。少しかさついている。
男女が二人きりで部屋にこもっている。
女性の貞操に厳しい帝国人からすると、不純な交際関係にあると思われるかもしれない。
それは王国でも同じこと。すぐに手を振り払わなきゃいけない。
「家庭教師をするのは初めてだったが、楽しい時間だった。契約期間が終わっても、時々会いに来たい。いいか?」
彼はレドリオン家の料理人の作った菓子が気に入ったのだろうか。それとも、捨てられた王女を手なづけようとしている?
「良くないわ。私には婚約者がいるの」
もしかして、もっと治癒石をもらえると思ってるの?
聖女の遺産は、もうなくなったと告げたのに。
「それは残念だ。だが、婚約者は全然会いに来てないだろう?」
ジンは私の手を取って、両手で包み込んだ。
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この大きな手を、払いのけないといけない。
「あなたには婚約者はいないの?」
ジンは私の手を彼の顔に近づけた。
薄い唇が手の甲に近づいて、そっと触れた。
「婚約者は、いないな」
彼は含みを持たせたように私の目を見て笑いかけた。
「気になるか?」
「いいえ」
すぐに否定する。きっとジンは女性に不自由していないと思う。こういう会話は日常的に行われてるのよ。
「なあ、王女様。俺と一緒に帝国に来ないか?」
「いいえ」
さりげないふうを装って言われた言葉にも、すぐ否定で答える。騙されちゃいけない。彼が求めているのは何?
「王女だっていうのに、こんなところに閉じ込められて、虐げられている。俺と一緒に帝国で暮らそう。帝国語は完璧になったし、それに」
「いいえ! 私は王女よ。愛する国民を見捨てることはできないわ!」
今度はかなり強く否定する。
この国の王女であること。それだけが私の誇りなのだから。それがなくなったら、私は何のために生きればいいの?
「だが……、王女様は……。いや……。何かあったら、俺が助けてやる。大事な生徒だからな。覚えておいてほしい」
私の拒絶に気を悪くする風もなく、彼は私を真剣に見つめた。
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全てを捨ててまで、私を助けようとしてくれたのに……。
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それでも、私の手はまだ彼の手の中にある。
簡単に払いのけることはできるのに、なぜか、そうしようと思わなかった。
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