一度でいいから、抱いてください!

瑞月

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憂鬱な転生【カノンの場合】

21.魔法のブローチ

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「あー……おかしい……」

 自分自身を、ヒロインだと縛り付けていたのは、世界ではなく、自分自身だったなんて――……。
 どうしてもこみ上げてくる笑みにお腹を抱えるようにすると、ふと、今日のドレスが目に入る。
 まるで海の波のように、水色のシフォンの層を幾重にも重ねたドレス。裾にはキラキラとクリスタルのビーズが反射している。

「ふふっ。この水色のドレス、全然私に似合ってない」

 オレンジの髪、この健康的な肌には、きっともっと鮮やかな色が似合っただろう。素直にそう思った。

 ――たしかにシックに黒も良かったかもしれないな。以前の私が黒を着ると『陰気くさい』なんて言われて避けてたっけ。……今なら、似合うかな。

「そうか? いいんじゃねぇの。ほら、あれ……あ、クリオネみたいで」
「く、クリオネ……!? あはははは、ひどい! でも、確かに」

「クリオネかわいいじゃん?」そんな時雨の真面目な声にまた笑いが込み上げてきて、涙が滲んだ眦を指先で拭おうとした。その時だった。
 左の胸元に付けたはずの、星屑のブローチがないことに気が付いたのは――。

「ない……!? え、どうして、え……」
「あぁ? どうしたんだ?」
「ないの! 私のいつも付けていたブローチ! え、なんで……どうしよう……」

 頭が真っ白になる。今日確かに持ってきていたのは間違いない。カバンやヴァイオリンケースの中を乱暴に探る。何故、なぜ、どうして? まさか、落とした……!?

 ――あれがないと、人前で演奏なんてできない……!!

 血の気が引くというのは、まさにこういうことなのかと、やけに冷静に焦る姿を俯瞰に見下ろす自分がいた。
 手が、身体が小刻みに震えて、止まらない。

「落ち着けって、今日付けてきてたのか?」
「うん……、たしかにさっきまで……え、どうしよう……。あ、トイレ!? トイレの鏡の前で、位置を調整した……はず、ちょっとトイレ見てくる!」
「舞宮っ! 俺たちの番、もうすぐだぞ!」

「だめなの! 私、あれがないと、演奏できないの……!」

 そう言って、走り出した。
 ――ブローチの魔法の力なしに、人前に立つことなんてできる訳がない……!!
 それは泣き声にも似た悲痛な叫びだった。


 ◇◇◇◇◇

 廊下の隅々に視線を走らせながら、早歩きでカノンは先ほど歩いていた道を戻っていた。
 履きなれないパンプスは、その乱暴な足取りに、爪先に鈍い痛みを与えていたが、そんなことを今は気にしている場合ではない。

 ――見つけなくちゃ……!

 見つからなかったらどうしよう、そう頭を過るたびに、その顔色からはますます血の気が引いていった。
 その時、ふと下に向けていた視界に黄色のエナメルのパンプスが目に入った。顔をあげようとしたのと同時に、つんときつい百合の花の香りが鼻をついた。

「カノンちゃん? どうしたの?」
「ひだか、さん」

 それは、黄色いドレスに身を包み、丸い大きな眼鏡の奥に、好奇心いっぱいの瞳を輝かせたゲームにも登場した人物、日高凛子だった。
 凛子はコンサートの後に演者に渡すのであろう花束を抱えて、そこに立っていた。焦るカノンをよそに、いつものようなこちらを探るような視線を走らせる凛子に、カノンは舌打ちしたい気持ちをこらえて奥歯を噛み締めた。

「……うん、ちょっと落とし物、しちゃったみたいで」
「え!? 大変! 私も探すよ! カノンちゃんこの後出番でしょう? 何落としたの? 大事なもの?」
「いや、え、と」

 言い淀むカノンをよそに、凛子は真摯な様子で周囲を探し始めた。ハッキリと拒絶できなかったのも悪かったとは思うが、今は凛子に付き合っているような場合ではないというのに。
 地団駄を踏みたくなるような焦燥に駆られて、カノンは半ば強引に凛子の肩を引き寄せた。そんな鬼気迫るカノンの様子に凛子はキョトンと瞳を瞬かせた。

「あの、日高さん――」

「凛子なにしてんの?」
「――あ、葵ちゃん」

 ――この忙しいのに、今度は誰が……ッ

 カノンが声の方に振り返ると、そこには凛子が葵ちゃんと呼んだ同級生の女子達が立っていた。
 その顔触れは、以前からカノンに対して辛辣な視線を投げかける、先日体育館で影口を言って彩音に窘められていた面々だった。
 知らず身体が強張る。
 あの日感じた感情を思い出すよりも先に、内臓が重く苦しくなるような感覚がカノンの鳩尾に広がった。

「カノンちゃんが落とし物をしたって言うから、探してたとこなの」
「ふーん……。でも凛子、そのお花急いでたんじゃないの? さっき先生に頼まれていたやつでしょう?」
「あっ」

 凛子が視線をさ迷わせている様子に、その場を見守っていたカノンは口を開いた。

「あの日高さん、私、自分で探せるから。探してくれて、ありがとう」
「カノンちゃん……、大丈夫?」
「うん」

 ブローチを探しに駆け出したい気持ちを抑えて、カノンは凛子たちに微笑みを向けた。

「じゃあ……。カノンちゃん、時雨くんとの演奏頑張ってね!」
「えぇ、ありがとう」

 カノンは頭の中で、先ほど無くしていたと気が付いた時までに行動していたルートをぐるぐるとなぞっていた。多分、この先のトイレにあるはずだ、と思う。
 もしなかったらどうしよう。ヒロインでもないただの一生徒である自分は、ブローチまで失ってしまったらどうなってしまうのか、わからない。

 そうして廊下の先に視線を走らせたカノンに、すれ違いざまその少女たちはクスクスと忍び笑いをこぼしながら、カノンにだけわかるように呟いた。

「……調子に乗ってるからよ」

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