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憂鬱な転生【カノンの場合】
42.光と影のその先
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――水の音が聞こえる。
水が流れ、そして時折その飛沫が跳ねる音。この音はなんの音だっただろうか。
(ここは……)
発そうとした声は、雫のしたたりにかき消されて溶けていった。
――なんだっけ。
私は何をしていたんだっけ。ここはどこだったっけ……。
さっき、とぷんと音を鳴らし波紋を立てたのは、魚だったのか、それともここに落ちた自分自身だったのか。それすらもわからない。
身体のすぐ脇を、ぬるりと鱗を虹色に輝かせた古代魚がすり抜けていくのを目で追った。
その先には、楽しそうに泳ぐ無数の彩がふわふわと揺れている。
浮かんでいるのか、沈んでいくのか。
漂う思考はまとまらないまま、また波間に溶けていく。
こうしていると、少しずつ大事な何かが絵の具のように水に溶けて流れ出していくようで、それはきっと悲しいことだとぼんやりと思った。
でもどうしても、そこから思考が繋がらない。
だって身体を包む生ぬるい水の感触は、まるで幸せな午睡から目覚めた時のような温かさで、緩くまとわりついているのだから。
ここはこんなにも、心地いい。
段々と賑やかな色彩達からも離れ、薄く開けている瞳に映るのは色硝子を幾重にも重ねたような、透き通った青だけだった。
優しく、優しく慰める青。
(あぁ……)
息を潜めていれば傷つくこともない、水の底へ。
呼吸など覚えることもなく、ただ潜んでいれば時が過ぎる、あの場所へと。
こうしてこのまま落ちていけば――。
そうして誘われるがままに、ゆっくりと瞼を閉じようとした、その時だった。
「僕はまだ、君の好きなものを聞いていないよ」
「……ッ!」
その声が聴こえた途端、痛い程に心臓の鼓動が跳ねあがった。
咄嗟に叫ぼうとしたが、掠れた喉からでた空気は声にはならずに、ひゅうという音をたてた。
状況を整理することもできない混乱のなか、とにかく藻掻くように飛び起きる。
――今、ここはどこ? 私は、今だれ?
ズキズキと体中が痛む。
荒い息を抑えながら手のひらを見ても、それが誰のものかわからない。
(手……!? 髪、いや顔は)
とにかく鏡を、今自分は一体誰なのか。
あぁ、見つからない。
ここはどこ? 私は一体いま誰なの? カノン? それとも――……!?
「大丈夫かい?」
「!?」
戸口で声を掛けてきたのは、耳に馴染んだ彼の声だった。振り向いてその姿をみとめた途端、力が抜け、思わず声を上げて泣き出しそうになった。
――良かった、私はまだ舞宮カノンだ。
「どうしたの? そんなに慌てて」
そう言うと彼はチェストの上に水の入ったグラスを置いた。そこには水の入った洗面器も置いてある。
――この、水音だったの……? 夢?
怖かった、ものすごく怖かった。
水底に沈んでいく感覚が、まだリアルに残っている。
少しずつ自分たらしめている何かが、溶けでるあの感覚。身体を覆っている何かが、少しずつ消えていくあの感触。
(もう少し遅ければ……)
元の自分に、戻っていたのかもしれない。
説明はつかないけども、確かな予感に震えが走る。
いま元の自分に戻ってしまうことは、どうしようもなく怖い。
「あぁ、大丈夫? ひどい顔色だ」
そう言って城野院はカノンの頬に冷たいタオルを当てた。どくどくと嫌な音を立てていた心臓が、少しだけ撫でつけられる。
そのひんやりとした感触が、カノンをこちらの世界に呼び戻してくれるようで瞼を閉じた。
「眠っていたのは30分くらいかな……、怖い夢でも見た? 目元を冷やしといた方がいいかなと思って、いまタオルを用意していたんだけど」
「目もと……」
言われてみると、少し目元が熱をもって腫れぼったい気がする。
そういえば、涙を流していたかもしれない。
だってとにかく彼の動きに必死にしがみつくことで、精一杯で――。
その瞬間、ほんの少し前のことをありありと思い出して、頬に朱が走った。
「す、すみません! 私寝ちゃって、しかも寝ぼけたりして……」
「ううん、大丈夫。まだそんなに遅くないし。あと1時間くらいしたら送るから、まだ横になっていなよ」
そうしてベッドに横たわるように促される。改めて気が付くと、素肌の上にはバスローブを着せられていた。
――いつの間に……。
白く厚手のバスローブが、しっかりとカノンの身体を包んでいる。
汗も拭われていることに気がついて、改めて恥ずかしくなる。
(うう、どこまで拭かれてるかは確かめられない)
かけられた布団で口元まで覆い隠しながら、ちらりと城野院の姿を仰ぎ見た。
今の城野院はラフにVネックの黒いシャツと、細身のパンツを身に着けている。
これが彼の部屋着なのだろうか。
石鹸の香りがするからシャワーを浴びてきたのだろう。髪を後ろに纏めて緩く結んでいて、後れ毛がなまめかしい。
(ああやって結んでるの、初めて、見た……)
今日見せてくれる彼の姿は、特別なものばかりだった。
そのどれもが夢のようで。
身体の奥でじんじんと訴えるこの熱がなければ、あれは夢だったのだと納得していたかもしれない。
水が流れ、そして時折その飛沫が跳ねる音。この音はなんの音だっただろうか。
(ここは……)
発そうとした声は、雫のしたたりにかき消されて溶けていった。
――なんだっけ。
私は何をしていたんだっけ。ここはどこだったっけ……。
さっき、とぷんと音を鳴らし波紋を立てたのは、魚だったのか、それともここに落ちた自分自身だったのか。それすらもわからない。
身体のすぐ脇を、ぬるりと鱗を虹色に輝かせた古代魚がすり抜けていくのを目で追った。
その先には、楽しそうに泳ぐ無数の彩がふわふわと揺れている。
浮かんでいるのか、沈んでいくのか。
漂う思考はまとまらないまま、また波間に溶けていく。
こうしていると、少しずつ大事な何かが絵の具のように水に溶けて流れ出していくようで、それはきっと悲しいことだとぼんやりと思った。
でもどうしても、そこから思考が繋がらない。
だって身体を包む生ぬるい水の感触は、まるで幸せな午睡から目覚めた時のような温かさで、緩くまとわりついているのだから。
ここはこんなにも、心地いい。
段々と賑やかな色彩達からも離れ、薄く開けている瞳に映るのは色硝子を幾重にも重ねたような、透き通った青だけだった。
優しく、優しく慰める青。
(あぁ……)
息を潜めていれば傷つくこともない、水の底へ。
呼吸など覚えることもなく、ただ潜んでいれば時が過ぎる、あの場所へと。
こうしてこのまま落ちていけば――。
そうして誘われるがままに、ゆっくりと瞼を閉じようとした、その時だった。
「僕はまだ、君の好きなものを聞いていないよ」
「……ッ!」
その声が聴こえた途端、痛い程に心臓の鼓動が跳ねあがった。
咄嗟に叫ぼうとしたが、掠れた喉からでた空気は声にはならずに、ひゅうという音をたてた。
状況を整理することもできない混乱のなか、とにかく藻掻くように飛び起きる。
――今、ここはどこ? 私は、今だれ?
ズキズキと体中が痛む。
荒い息を抑えながら手のひらを見ても、それが誰のものかわからない。
(手……!? 髪、いや顔は)
とにかく鏡を、今自分は一体誰なのか。
あぁ、見つからない。
ここはどこ? 私は一体いま誰なの? カノン? それとも――……!?
「大丈夫かい?」
「!?」
戸口で声を掛けてきたのは、耳に馴染んだ彼の声だった。振り向いてその姿をみとめた途端、力が抜け、思わず声を上げて泣き出しそうになった。
――良かった、私はまだ舞宮カノンだ。
「どうしたの? そんなに慌てて」
そう言うと彼はチェストの上に水の入ったグラスを置いた。そこには水の入った洗面器も置いてある。
――この、水音だったの……? 夢?
怖かった、ものすごく怖かった。
水底に沈んでいく感覚が、まだリアルに残っている。
少しずつ自分たらしめている何かが、溶けでるあの感覚。身体を覆っている何かが、少しずつ消えていくあの感触。
(もう少し遅ければ……)
元の自分に、戻っていたのかもしれない。
説明はつかないけども、確かな予感に震えが走る。
いま元の自分に戻ってしまうことは、どうしようもなく怖い。
「あぁ、大丈夫? ひどい顔色だ」
そう言って城野院はカノンの頬に冷たいタオルを当てた。どくどくと嫌な音を立てていた心臓が、少しだけ撫でつけられる。
そのひんやりとした感触が、カノンをこちらの世界に呼び戻してくれるようで瞼を閉じた。
「眠っていたのは30分くらいかな……、怖い夢でも見た? 目元を冷やしといた方がいいかなと思って、いまタオルを用意していたんだけど」
「目もと……」
言われてみると、少し目元が熱をもって腫れぼったい気がする。
そういえば、涙を流していたかもしれない。
だってとにかく彼の動きに必死にしがみつくことで、精一杯で――。
その瞬間、ほんの少し前のことをありありと思い出して、頬に朱が走った。
「す、すみません! 私寝ちゃって、しかも寝ぼけたりして……」
「ううん、大丈夫。まだそんなに遅くないし。あと1時間くらいしたら送るから、まだ横になっていなよ」
そうしてベッドに横たわるように促される。改めて気が付くと、素肌の上にはバスローブを着せられていた。
――いつの間に……。
白く厚手のバスローブが、しっかりとカノンの身体を包んでいる。
汗も拭われていることに気がついて、改めて恥ずかしくなる。
(うう、どこまで拭かれてるかは確かめられない)
かけられた布団で口元まで覆い隠しながら、ちらりと城野院の姿を仰ぎ見た。
今の城野院はラフにVネックの黒いシャツと、細身のパンツを身に着けている。
これが彼の部屋着なのだろうか。
石鹸の香りがするからシャワーを浴びてきたのだろう。髪を後ろに纏めて緩く結んでいて、後れ毛がなまめかしい。
(ああやって結んでるの、初めて、見た……)
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そのどれもが夢のようで。
身体の奥でじんじんと訴えるこの熱がなければ、あれは夢だったのだと納得していたかもしれない。
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