一度でいいから、抱いてください!

瑞月

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憂鬱な転生【カノンの場合】

44.君は僕の光

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「あの……じゃあ、また」
「うん、また昼休みに」

 玄関に入る手前で、彼女にヒラヒラと手を振る。
 校門から玄関までの短い時間だったが、今日は朝から会えて実に幸運だった。
 これからは毎朝一緒に登校するというのはどうだろう? これから3年生は登校する日も減っていくだろうから、迎えの車に乗ってもらったとしてもそんなに目立たないと思うんだけれど……。君は嫌がるかな。
 そんなことを考えていると、階段を昇る手前でチラリと彼女が振り返った。
 まだ僕が見つめているとは思っていなかったのか、彼女は目が合うとすぐさま頬を真っ赤に染めて階段を駆け上がっていった。

 ――あー本当にもうっ。
 先日の告白といい、彼女は本当に可愛くて仕方がない。僕はにやける頬を必死に抑えながら、自分の教室に向かって歩き始めた。
 本音を言えば、思いが通じ合った今、すぐにでも身体ごと手に入れたいところだけれど、彼女がそれを望まないと意味がないから。
 今はひたすらに己の忍耐力との勝負をしているところだ。

(こんなことは人生で初めてだな)

 誤解を恐れずに言えば、僕にとって女性とは望むまでもなく、手を伸ばせばそこにあるもので。
 それは既に心を動かされるものではなく、この歳にして、もはや食傷気味と言っても過言ではなかったかもしれない。
 舞宮カノン彼女に対しても、玲央が随分と騒いでいる美少女。数年に一度しか現れない異例の編入生。話題に上るだけあって興味深い子だなという印象だけで。
 話しかけるようになっても、特にそれ以上の印象はなかった。

 ――はずなのに
 彼女は他人に見せる快活な表の顔とは違う、脆さを抱えていた。それに気が付いた時から、目が離せなくなって……。
 音楽を志すのは蕀の道だ。弱さは己で克服するしかない。
 でも君が望むなら僕が導いてあげてもいいよ、なんて傲慢にも思っていたんだ。

(あの日ステージの前に、ブローチが壊れてショックを受けている彼女を見た時は、あぁダメだったんだなと思った)

 ただの学校行事で、公式のコンクールでなかったのが幸いだ。
 この崩れたメンタルのままステージに上がれば、きっと今後に響くトラウマになるかもしれないな、そう思った。まぁそれならそれで仕方ないのかもしれない。
 それなら僕は君を、とびきり優しい言葉で慰めてあげよう。

 でも、君は違った。
 君には僕の慰めなんて必要なかった。

『頑張ったねって言ってください』

 あの時僕は驚いていたんだ。
 君は僕がいないと、僕が導かないとだめなのかと勝手に思いこんでいたことに気が付いて、恥ずかしかった。

 演奏が始まってすぐ音を外した時は、このまま崩れてしまうのかなって、「あぁやっぱり」って思ってしまった。

 でも、君はあの時、笑った。
 その後、これまでのどんな時よりも楽しそうに君は奏でて見せた。

 気が付くと、涙がこぼれていた。あんまりにその姿が、堂々として、美しかったから。
 君は僕が思うよりも、僕なんかよりもずっと、強いひとだった。

「じょ、城野院さまっ、おはようございます!」
「あぁ、おはよう」
「……? なんかご機嫌良さそうですね……?」
「ふふ、そう?」

 きゃあきゃあと騒ぐ女生徒と挨拶を交わす。
 ああいうのは、振り払っても付きまとってくるから、適当なところで相手にしておいた方がいい。
 遠巻きにしている一人だと思うけれど、まるで顔が覚えられないな……。僕って興味がないものに割く脳のリソースが全くないんだよねぇ。

 城野院の家に生まれて、僕は誰のことも、自分自身ですら信じることができず、暗闇を彷徨っているような日々だった。
 古いしきたりに雁字搦めに縛られた家。
 歳の離れた兄と姉、そして身体の弱い妹。
 兄は当主の後を継ぐべく、幼いころから城野院の全てを叩きこまれ、そしてそれを背負って立っていた。
 姉は道を定められるのを厭い、医師の道を志している。
 僕はといえば、父の事業を継ぐのか、それとも音楽の道を志すのかも、まだ決めかねているところで。
 兄のようにも、姉のようにも生きられない弱さを、学生という身分で隠していた。

 僕みたいな人間には、凛と立つ君は眩しすぎた。
 ――でも、今は君のように僕も強くありたいと、心からそう思う。


「あー城野院おっはよー!」
「おはよう、玲央くん」
「おはよ、って……城野院」
「おはよう、瑠依くん。なんだい、変な顔して」

 僕と目が合った瑠依が、目を見開いたまま、ピタリと動作を止めた。そんな瑠依に気が付き、玲央もこちらへと身体を向ける。

「なんか城野院が、見たことない顔してる……」
「えー? って本当だ……、何その顔……」
「ふふ、二人ともひどいねぇ。僕はいつも通りだよ?」

 二人はまるで幽霊でも見たかのようにして、顔を見合わせた。
 そして恐る恐るといった様子で瑠依が口を開く。

「城野院がこんな顔してるって何……、え、まさか彼女、でも出来た、とか?」
「えーマジでー!? 城野院なんて女の子と遊ぶっていうよりか、女の子で遊ぶって感じなのに、特定の子となんて付き合えんの?」

 ――おい、そこのワンコロ。随分な言い草だねぇ。
 彼女に逢うまでは、まぁそういう時期もあったかもしれない。それはぽっかりと穴の開いた箱に水を注ぐ空しい作業だった。
 だが、もしそれを彼女の前で言ったら、どう仕置きをしてやろうか?
 そう思ったところで、敏い犬はこちらが醸し出した空気に気が付いたようで、ぱっと瑠依の後ろに身を隠した。ふん、実に空気を感じる能力に長けていること。

「玲央くん随分な言い草だねぇ。――まぁ、僕にも初めての春が来た、とだけ言っておこうかな?」

 腕を組み、顎に指先をかけて上目遣いに二人を見上げて首を傾げて見せると、二人の表情はいよいよ強張った。
 失礼なことこの上ない。

「僕のことよりも瑠依くん、君チャリティーコンサートの時すごかったそうじゃないか。神崎さんを控室から攫ったんだろう?」
「うぅっ、そ、それは言わないで……。後から、なんてことしたんだろうって、すごく反省したんだから……」
「コンサートの時は、瑠依と彩音ちゃんの話で持ち切りだったもんなー。悔しいけどすっごいお似合いだし、誰もなんも言えないけどさー。……っていうか、そういや瑠依って」
「うん?」
「あの日彩音ちゃん瑠依ん家に泊まったって、奏から聞いたけど……。え、もしかして、あの彩音ちゃんと、もう……してる、のか?」
「!! は、はぁ!? 何を朝から言っちゃってんの玲央! そういうのやめてくれる、答える訳ないじゃん!」

 真っ赤になって肯定も否定もしない。ちらりと玲央を見遣ると、玲央はふいっと目配せをしてきた。

「あー……」
「な、なに、その目!」

「やったな」
「やってるね」

「お、俺なにも言ってないかんね! 絶対に言わないかんね! そういうのやめてくれる!?」

 慌てふためく真っ赤な瑠依の顔が何よりも物語っていた。
 それを見て玲央は「だよねぇ……」と遠い目でどこか遠くを見つめている。もちろん根掘り葉掘り聞くような無粋なことはするつもりはないが、彼とは小学生の時からの付き合いだ。
 これまでの人生を全て音楽に捧げてきた彼のこれまでを知っているだけに、一つ気になっていることが……。

「瑠依くん、君の神崎さんとの初体験のことを聞くようなことはしないよ。ただ君はそういったことに本当に疎かっただろうから。僕の助言が奏功していると良いのだけれど」
「だ・だだだだから! そういうのやめてくれる!?」

 まぁ、幸せで何より、だね。


 ◇◇◇◇◇


「先輩、それじゃあまたお昼に」
「うん、カノン。またね」
「……はい」

 僕が名前を呼ぶと、面白いように顔を赤くするカノンを玄関で見送った。
 何度かこちらを恥ずかしそうに、嬉しそうに振り返りつつも進む彼女の後姿を見送っていると、胸の奥が温かくなるのを感じて、頬が緩む。

 こんな風に芳しい香りの湯に頭の天辺まで浸かるような、こんな甘く温かい想いを抱く日がくるなんて。
 彼女の存在は、これまでとは違う僕を引き出し、眩しい世界へと手を引き導いてくれる。

「はよー、城野院! 見たよーカノンちゃんと仲良さそうじゃーん! くっそー」
「おはよう、城野院」

 背後から二人の友人から声がかかる。
 学園内でこんな風に気楽に話しかけてくるといえば、二人しかない。
 友人の声に導かれ振り返ると、僕の顔を見た二人はピシッと音が聞こえるかのように、わかりやすく動きをとめた。

「あぁ、おはよう。……ふふ、どうしたんだい? 二人とも変な顔をして」

「……え、瑠依ぃ。こ、この城野院の色気、なに? 凄すぎて怖いんだけど」
「俺も城野院とは付き合い長いけど、こんなの初めて見た……」

 ――色気?
 あぁ、言われてみれば、知らずに抑えていたものが溢れ出しているかもしれない。
 だって、この天にも昇る素晴らしい気持ちを知ってしまったんだから。
 これ以上ない程に愛しい優しい気持ちを差し出して、そして受け取って。
 僕のこれまでのセックスは、ただの行為だった。昨日のそれは、これまでとは全く違う。
 本当を知ってしまうと、色々わかってしまうものなのだと、改めて感じる。

 ちらりと視線を周囲に巡らせると、いつも遠巻きにしている女生徒たちも、遠目にも赤面して凍り付いている子がいるようだ。
 本当なら、叫びだしたいくらいに嬉しいんだ。スキップし始めないだけ、まぁ、これくらいは許してほしい。
 僕は髪をかきあげると、二人にむかって微笑んだ。

「君達は僕のことをなんだと思ってるんだい。まぁこれまでの僕と違うといえば……、真実の愛に触れて生まれ変わった、とだけ言っておこうかな?」

 いつかのように小首を傾げて微笑み返すと、いよいよもって二人はこの世ならざる者を見てしまったかのような表情をしている。だからなんなんだい、その顔は。

「……やったのか……」
「やったんだね……」

「ふふふ、下世話だねぇ。想像にお任せするよ」

 出口もわからず彷徨っていた穴の中から、ようやく這い出したかのような気分なんだ。
 君と共に歩みたい。
 僕が作りたいのは、君を閉じこめる鳥籠ではなく、いつでも戻ってきて安らげる場所なんだ。

 君が僕を呼ぶなら、夢の中だろうと君を探しに行くと誓うよ。
 だからどうか、この手を離さないで。

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