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憂鬱な転生【カノンの場合】
45.ベストエンディング
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やばいやばいやばい。
もう遅れちゃう、まずい。
一応玄関の前の鏡で全身をチェックしてみるけれど、もう直す時間がないから見るだけ無駄だった。
白のニットワンピに合わせて髪はポニーテールにしてみたけれど、後れ毛がいまいち……。うーん今日のこのリップじゃあ子どもっぽすぎたかも?
あぁでも、もう直してる時間ないし。
「姉ちゃん! ほらフォーク忘れてるって!」
諦めて玄関の扉を開けようとした私を、奏くんの声が追いかけてきた。
手元のランチボックスを半分開けて確認すると、確かにフォークが入っていない。
「え? あーごめん奏くん! ありがと~!」
「……ったく。ローストビーフのグレービーソースも小分けにしてたやつちゃんと入れてる? 忘れてない?」
「あ……」
「はぁ? ちょっと信じらんないんだけど! 僕がどれだけ手間暇かけたと……」
「ごめーん! もう時間だから行くねー!」
焦れた私はフォークとソースを受け取ると、まだ時間のかかりそうだった奏くんを遮って、もう一度ドアに手をかけた。もう時間をかなり押している。このままいくとルイ先輩と待ち合わせの時間に、良くて5分遅れといったところだ。
ルイ先輩をお待たせする訳には!!
……と駆け出そうと思ったところで、もう一度頬を膨らませているエプロン姿の奏くんを振り返った。
今日私のお弁当つくりを手伝ってくれていた奏くんは、黒猫のシルエットが描かれたエプロンを纏って、前髪をピンで片側に寄せて留めて、襟足は小さく縛っている。
今日ずっと思ってたけど、エプロン姿本当かわいい! スクショ間違いなしの満点の立ち姿! SSR!
「……っと、本当にいつもありがとう。奏くんのおかげだよ、楽しんでくるね。大好き!」
「は、な、は!? 何歳だとおもっ」
赤くなった奏くんを後目に、私は今度こそ扉の向こうへと駆けだした。
◇◇◇◇◇
「彩音ちゃーん」
「ルイせんぱーいっ! すみません、お、遅れました……!」
「大丈夫だよ、時間通りだよ? っていうか、そんなに走らなくても俺待ってたのに」
「ぜぇ……いえいえいえ、先輩の貴重なお時間もったいないですから! ギリギリですみませんでした!」
ルイ先輩は目を細めて、私の頬に汗で張り付いていたらしい、髪をそっとよけてくれた。
私は愛しいそのひとに向かって、あがる息を必死に抑えて微笑んだ。
ルイ先輩は今日黒のベロアのジャケットを羽織って、細身のパンツ姿。あ、私が前に贈った革のアクセもつけてくれてる……。
今日はゲームの中で定番のデートスポットである並木道をお散歩の予定なのだ。今は早咲きの桜がちらほら見えている。
もう再来週には卒業式。
大学入学を間近に控え、忙しいルイ先輩とはなかなかゆっくり会うこともできなかったから、今日はとっても貴重な時間。
私は自然と緩む頬を抑えきれず、だらしない程の笑顔でルイ先輩を見上げた。
「今日すっごく楽しみにしてました。お弁当も用意してきたんで、あとで一緒に食べましょうね」
「わ、本当に? お弁当すごく嬉しいなぁ」
「味も奏くんの保証付きですから、大丈夫ですよ」
「へぇ! 楽しみだなー」
私はルイ先輩に向かって、ランチボックスを顔の横に掲げて見せた。
お弁当の中は、奏くん特製のローストビーフに、奏くんの秘伝のポテトサラダ、奏くん自慢のサンドウィッチにお手製ピクルスに……。
あ、今度ピクルスの隠し味に何入れてるのか聞いとかなきゃ。ほのかな甘みが本当に美味しいんだもの。
そうしてゆっくりと一歩ずつ踏み出したところで、ルイ先輩の足が止まった。
「? どうしたんですか?」
「いや……なんか、覚えのある悪寒を感じるなって思って……」
ルイ先輩は両腕で身体を抱きしめるようにして、ブルっと身震いをしてみせた。え? 気配? 風邪?
ルイ先輩の顔を見上げると、ルイ先輩が周囲へうろつかせた視線が、一点で止まった。
その視線の先を辿ると――。
「あれ? あれってカノンちゃんと……城野院先輩ですか?」
「これか……。うーんと、本当だね?」
「え、え、城野院先輩ってば、髪切ってないです!?」
私たちのいる並木道の道路を挟んだ向こう側、隣の美術館に行くのだろう仲良く手を繋いだ二人。
女の子は、ここから見てもとっても可愛らしい、あれは舞宮カノンちゃんに違いない。そしてもう一人の男性は、本来なら背中まで長く伸びていたはずの髪を、肩に付くか付かないかというほどの長さに切りそろえ、うなじで一つに結んでいる。
「あー、なんかこの間久しぶりに学校に来た時、もう切ることにしたとかなんとか言ってたけど……」
「それマジですか!?」
「ま……? ま、マジみたいだけど?」
(城野院先輩が髪を切る!!!???)
私は叫びだしそうになるのを、必死で抑えた。
勿論この光景をみることができたことへの歓喜の雄叫びだ。
ゲームの中で城野院先輩が髪を切る展開になるルートが一つだけある。十年の歴史を誇る聖なる音を紡ぐ鐘シリーズの中で、無印で発売された一番初期の城野院先輩のベストエンディングだ。
ハッピーエンドで長髪キャラの髪を切るなんていう、長髪キャラを愛するファンたちを愚弄するといってもいい公式の行動に、もちのろんで大ブーイング。その後ハードが移植されたときにはその描写はなくなっていた。
古参ファンたちの間では伝説の、あの「城野院様断髪事件」である。
でも私はそのエンディングはとても好きだったのだ。
『どうして、先輩は髪を伸ばしているんですか?』
その選択肢を選ぶことから始まる、城野院先輩の過去の話と、両親や兄弟との軋轢と葛藤。
城野院先輩は4人兄弟。
家業を継ぐ予定のお兄さん、医師の道を志す苛烈な性格のお姉さん。
そして先輩は、先輩と瓜二つの病弱な妹さんに変わって、茶会や一族の行事に出向くことがある。その時に女装し日本髪を結うための長髪だったのだ。
そのエピソードを語る城野院先輩が、いつものクールでヤンデレなイメージとは全く違ってて!!
ルイ先輩に青春を捧げた私とはいえ感動してしまって、城野院先輩に囲われるのもいいな……と思ったものだ。
(カノンちゃんが城野院先輩ルートの時は少し心配もしたけれど)
――きっとこの世界のカノンちゃんなら大丈夫なんだろうなって思う。
当初は私と同じ転生者で、攻略対象全員落とすつもりの猛者なのかと恐れおののきもしたけれど、彼女の胸からブローチが消えたことでその可能性も消失した。
全攻略対象を狙うようなこのゲームをやりこんでいるひとだったら、隠し友情パロメーターを知らないはずがない。
隠しパロメーターは、リンリンことサポートキャラの日高凛子。
彼女との親密度が上がらない場合、モブ女生徒にブローチを壊されてしまう事件が起こり、その後のコンサートイベントは失敗してしまう。
しかもブローチは、その時最も親密度が高いキャラが持ち去り、そのままそのキャラとブローチは戻ってくることはない。
当然ゲームはそのまま中途エンド。
実は日高凛子は、誰よりも攻略しなければならないキャラなのだ。
でも親密度は上がりやすいから、よっぽどのことがない限り、リンリンパロメーターが低くなることはない。
――はずなんだけど。
カノンちゃんはリンリンパロメーターをよくもあんなに低く保つことができたもんだなぁ、と思う。
きっとボタンの掛け違えがあったのか、意思疎通がうまくいかなかったんだなぁ。
その証拠に、私がリンリンに「カノンちゃんは貴方と仲良くしたいって言っていた」ということに少し色を付けて伝えただけで、あの勢いだったし。
そしてヤンデレみがあって束縛が強いドSなはずの城野院先輩が、カノンちゃんに休日に自分の色である黒を着せないのも驚きだ。
2の後に出たファンディスクでは、ヒロインの為に部屋を一室借りて、彼女のために洋服に楽器に化粧品に恐らく下着に至るまで、誂えたもので埋め尽くしていたのに。
……その時のスチルの端には何故か手錠もあったのを見逃してはいない。
(ちなみにその時の台詞は「君がこの鳥籠から逃げ出したくならないように色々揃えたんだよ? だからここでだけ美しく囀っていて」だった。ヤンデレは二次元なら許せる、つまり二次元でしか許せない)
……でも、今日のカノンちゃんは、明るいクリーム色のワンピースを着て笑っている。
「……幸せそうですね……」
穏やかに、それでいて傍から見ても如何にも幸せそうに手を繋ぐ彼らの姿に、万感の思いが去来し、私は思わずそう呟いていた。
チートアイテムのブローチなしにコンサートを成功させたヒロイン。
ヤンデレ城野院先輩を、闇堕ちさせずに、あんなに穏やかに微笑ませるカノンちゃん。
本物のヒロインは色んな理を超えていく。そういうことなのだ。
「彩音ちゃん?」
「すごい……私、伝説の一ページに立ち会っている……」
「は?」
「私……本当にファンで良かった……! こんな光景を目にすることができるなんて!」
「ファン? え、まさか城野院の!?」
「皆のです! ルイ先輩! 私すっごく幸せです!!」
「えぇ? あ~~もうよくわかんないけど、良かったね?」
「はい!!!」
あんまりにも綺麗な二人なんで写真撮っちゃおうかなって過ったけれど、美しい二人のレアなスチル顔負けの素晴らしい姿は、脳内に記憶するに留めよう。
天気はいいし、ルイ先輩は今日も素敵すぎるし、奏くんに手伝ってもらったお弁当は美味しいこと間違いないし、今日もとってもいい日だなぁ。
私はルイ先輩の腕にぎゅっと抱き着いた。
ルイ先輩はちょっとびっくりしたような表情をしたけれど、微笑んでくれた。お弁当を任せて、またゆっくりと歩みだす。
「私たちも幸せそうに見えてるんでしょうか?」
「うん? 俺は幸せだけど?」
「ふふっ」
この世界にこれて、彩音で、本当に良かった。
――いつまで彩音でいられるのか悩んだりもしたけれど、いつか私に戻ってしまうかもしれないなんて言って怯えているのは、明日死ぬかもしれないと思って生きることと同じだと気が付いたから。
怯えたところで、起こるかもしれないことは変わらないし、それまでやるべきことも変わらない。
私は一寸先の闇よりも、光を信じたい。
何があるかわからないからこそ、今の私のやるべきことは、彩音として思いっきり楽しむことしかないのだ。
「ルイ先輩、大好きです」
こそっとそう呟いて、先輩の顔を見上げると、顔はそらされていて表情はわからないけれど、右耳は真っ赤に染まっているのが見えた。
あーもう! 本当に幸せ!
もう遅れちゃう、まずい。
一応玄関の前の鏡で全身をチェックしてみるけれど、もう直す時間がないから見るだけ無駄だった。
白のニットワンピに合わせて髪はポニーテールにしてみたけれど、後れ毛がいまいち……。うーん今日のこのリップじゃあ子どもっぽすぎたかも?
あぁでも、もう直してる時間ないし。
「姉ちゃん! ほらフォーク忘れてるって!」
諦めて玄関の扉を開けようとした私を、奏くんの声が追いかけてきた。
手元のランチボックスを半分開けて確認すると、確かにフォークが入っていない。
「え? あーごめん奏くん! ありがと~!」
「……ったく。ローストビーフのグレービーソースも小分けにしてたやつちゃんと入れてる? 忘れてない?」
「あ……」
「はぁ? ちょっと信じらんないんだけど! 僕がどれだけ手間暇かけたと……」
「ごめーん! もう時間だから行くねー!」
焦れた私はフォークとソースを受け取ると、まだ時間のかかりそうだった奏くんを遮って、もう一度ドアに手をかけた。もう時間をかなり押している。このままいくとルイ先輩と待ち合わせの時間に、良くて5分遅れといったところだ。
ルイ先輩をお待たせする訳には!!
……と駆け出そうと思ったところで、もう一度頬を膨らませているエプロン姿の奏くんを振り返った。
今日私のお弁当つくりを手伝ってくれていた奏くんは、黒猫のシルエットが描かれたエプロンを纏って、前髪をピンで片側に寄せて留めて、襟足は小さく縛っている。
今日ずっと思ってたけど、エプロン姿本当かわいい! スクショ間違いなしの満点の立ち姿! SSR!
「……っと、本当にいつもありがとう。奏くんのおかげだよ、楽しんでくるね。大好き!」
「は、な、は!? 何歳だとおもっ」
赤くなった奏くんを後目に、私は今度こそ扉の向こうへと駆けだした。
◇◇◇◇◇
「彩音ちゃーん」
「ルイせんぱーいっ! すみません、お、遅れました……!」
「大丈夫だよ、時間通りだよ? っていうか、そんなに走らなくても俺待ってたのに」
「ぜぇ……いえいえいえ、先輩の貴重なお時間もったいないですから! ギリギリですみませんでした!」
ルイ先輩は目を細めて、私の頬に汗で張り付いていたらしい、髪をそっとよけてくれた。
私は愛しいそのひとに向かって、あがる息を必死に抑えて微笑んだ。
ルイ先輩は今日黒のベロアのジャケットを羽織って、細身のパンツ姿。あ、私が前に贈った革のアクセもつけてくれてる……。
今日はゲームの中で定番のデートスポットである並木道をお散歩の予定なのだ。今は早咲きの桜がちらほら見えている。
もう再来週には卒業式。
大学入学を間近に控え、忙しいルイ先輩とはなかなかゆっくり会うこともできなかったから、今日はとっても貴重な時間。
私は自然と緩む頬を抑えきれず、だらしない程の笑顔でルイ先輩を見上げた。
「今日すっごく楽しみにしてました。お弁当も用意してきたんで、あとで一緒に食べましょうね」
「わ、本当に? お弁当すごく嬉しいなぁ」
「味も奏くんの保証付きですから、大丈夫ですよ」
「へぇ! 楽しみだなー」
私はルイ先輩に向かって、ランチボックスを顔の横に掲げて見せた。
お弁当の中は、奏くん特製のローストビーフに、奏くんの秘伝のポテトサラダ、奏くん自慢のサンドウィッチにお手製ピクルスに……。
あ、今度ピクルスの隠し味に何入れてるのか聞いとかなきゃ。ほのかな甘みが本当に美味しいんだもの。
そうしてゆっくりと一歩ずつ踏み出したところで、ルイ先輩の足が止まった。
「? どうしたんですか?」
「いや……なんか、覚えのある悪寒を感じるなって思って……」
ルイ先輩は両腕で身体を抱きしめるようにして、ブルっと身震いをしてみせた。え? 気配? 風邪?
ルイ先輩の顔を見上げると、ルイ先輩が周囲へうろつかせた視線が、一点で止まった。
その視線の先を辿ると――。
「あれ? あれってカノンちゃんと……城野院先輩ですか?」
「これか……。うーんと、本当だね?」
「え、え、城野院先輩ってば、髪切ってないです!?」
私たちのいる並木道の道路を挟んだ向こう側、隣の美術館に行くのだろう仲良く手を繋いだ二人。
女の子は、ここから見てもとっても可愛らしい、あれは舞宮カノンちゃんに違いない。そしてもう一人の男性は、本来なら背中まで長く伸びていたはずの髪を、肩に付くか付かないかというほどの長さに切りそろえ、うなじで一つに結んでいる。
「あー、なんかこの間久しぶりに学校に来た時、もう切ることにしたとかなんとか言ってたけど……」
「それマジですか!?」
「ま……? ま、マジみたいだけど?」
(城野院先輩が髪を切る!!!???)
私は叫びだしそうになるのを、必死で抑えた。
勿論この光景をみることができたことへの歓喜の雄叫びだ。
ゲームの中で城野院先輩が髪を切る展開になるルートが一つだけある。十年の歴史を誇る聖なる音を紡ぐ鐘シリーズの中で、無印で発売された一番初期の城野院先輩のベストエンディングだ。
ハッピーエンドで長髪キャラの髪を切るなんていう、長髪キャラを愛するファンたちを愚弄するといってもいい公式の行動に、もちのろんで大ブーイング。その後ハードが移植されたときにはその描写はなくなっていた。
古参ファンたちの間では伝説の、あの「城野院様断髪事件」である。
でも私はそのエンディングはとても好きだったのだ。
『どうして、先輩は髪を伸ばしているんですか?』
その選択肢を選ぶことから始まる、城野院先輩の過去の話と、両親や兄弟との軋轢と葛藤。
城野院先輩は4人兄弟。
家業を継ぐ予定のお兄さん、医師の道を志す苛烈な性格のお姉さん。
そして先輩は、先輩と瓜二つの病弱な妹さんに変わって、茶会や一族の行事に出向くことがある。その時に女装し日本髪を結うための長髪だったのだ。
そのエピソードを語る城野院先輩が、いつものクールでヤンデレなイメージとは全く違ってて!!
ルイ先輩に青春を捧げた私とはいえ感動してしまって、城野院先輩に囲われるのもいいな……と思ったものだ。
(カノンちゃんが城野院先輩ルートの時は少し心配もしたけれど)
――きっとこの世界のカノンちゃんなら大丈夫なんだろうなって思う。
当初は私と同じ転生者で、攻略対象全員落とすつもりの猛者なのかと恐れおののきもしたけれど、彼女の胸からブローチが消えたことでその可能性も消失した。
全攻略対象を狙うようなこのゲームをやりこんでいるひとだったら、隠し友情パロメーターを知らないはずがない。
隠しパロメーターは、リンリンことサポートキャラの日高凛子。
彼女との親密度が上がらない場合、モブ女生徒にブローチを壊されてしまう事件が起こり、その後のコンサートイベントは失敗してしまう。
しかもブローチは、その時最も親密度が高いキャラが持ち去り、そのままそのキャラとブローチは戻ってくることはない。
当然ゲームはそのまま中途エンド。
実は日高凛子は、誰よりも攻略しなければならないキャラなのだ。
でも親密度は上がりやすいから、よっぽどのことがない限り、リンリンパロメーターが低くなることはない。
――はずなんだけど。
カノンちゃんはリンリンパロメーターをよくもあんなに低く保つことができたもんだなぁ、と思う。
きっとボタンの掛け違えがあったのか、意思疎通がうまくいかなかったんだなぁ。
その証拠に、私がリンリンに「カノンちゃんは貴方と仲良くしたいって言っていた」ということに少し色を付けて伝えただけで、あの勢いだったし。
そしてヤンデレみがあって束縛が強いドSなはずの城野院先輩が、カノンちゃんに休日に自分の色である黒を着せないのも驚きだ。
2の後に出たファンディスクでは、ヒロインの為に部屋を一室借りて、彼女のために洋服に楽器に化粧品に恐らく下着に至るまで、誂えたもので埋め尽くしていたのに。
……その時のスチルの端には何故か手錠もあったのを見逃してはいない。
(ちなみにその時の台詞は「君がこの鳥籠から逃げ出したくならないように色々揃えたんだよ? だからここでだけ美しく囀っていて」だった。ヤンデレは二次元なら許せる、つまり二次元でしか許せない)
……でも、今日のカノンちゃんは、明るいクリーム色のワンピースを着て笑っている。
「……幸せそうですね……」
穏やかに、それでいて傍から見ても如何にも幸せそうに手を繋ぐ彼らの姿に、万感の思いが去来し、私は思わずそう呟いていた。
チートアイテムのブローチなしにコンサートを成功させたヒロイン。
ヤンデレ城野院先輩を、闇堕ちさせずに、あんなに穏やかに微笑ませるカノンちゃん。
本物のヒロインは色んな理を超えていく。そういうことなのだ。
「彩音ちゃん?」
「すごい……私、伝説の一ページに立ち会っている……」
「は?」
「私……本当にファンで良かった……! こんな光景を目にすることができるなんて!」
「ファン? え、まさか城野院の!?」
「皆のです! ルイ先輩! 私すっごく幸せです!!」
「えぇ? あ~~もうよくわかんないけど、良かったね?」
「はい!!!」
あんまりにも綺麗な二人なんで写真撮っちゃおうかなって過ったけれど、美しい二人のレアなスチル顔負けの素晴らしい姿は、脳内に記憶するに留めよう。
天気はいいし、ルイ先輩は今日も素敵すぎるし、奏くんに手伝ってもらったお弁当は美味しいこと間違いないし、今日もとってもいい日だなぁ。
私はルイ先輩の腕にぎゅっと抱き着いた。
ルイ先輩はちょっとびっくりしたような表情をしたけれど、微笑んでくれた。お弁当を任せて、またゆっくりと歩みだす。
「私たちも幸せそうに見えてるんでしょうか?」
「うん? 俺は幸せだけど?」
「ふふっ」
この世界にこれて、彩音で、本当に良かった。
――いつまで彩音でいられるのか悩んだりもしたけれど、いつか私に戻ってしまうかもしれないなんて言って怯えているのは、明日死ぬかもしれないと思って生きることと同じだと気が付いたから。
怯えたところで、起こるかもしれないことは変わらないし、それまでやるべきことも変わらない。
私は一寸先の闇よりも、光を信じたい。
何があるかわからないからこそ、今の私のやるべきことは、彩音として思いっきり楽しむことしかないのだ。
「ルイ先輩、大好きです」
こそっとそう呟いて、先輩の顔を見上げると、顔はそらされていて表情はわからないけれど、右耳は真っ赤に染まっているのが見えた。
あーもう! 本当に幸せ!
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