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笑い者
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ここ最近、ハロルドの中でユズリハへの印象は「嫌い」から「悪くない」に変わっていた。からかいは多いが、気を遣わずに話せる。
でも昨夜のようにいきすぎたからかいをする場合もある。今朝、家から出たときにユズリハが門の外に立っていることに気がつき、目が合うと手招きをされたため寄っていった。
昨日のことで謝罪でもするつもりかと思っていたハロルドに「心の準備をしておくからな」と朝一番でからかいを放ったユズリハに朝からずっと苛立っている。
学校にまで持ち込むわけにはいかないと馬車の中でなんとか怒りを鎮めようとしているのになかなか鎮まらない。
自分がどういう立場かわかっていない。ヘインズ家の人間となる立場でなぜあんなにも横柄な態度でいられるのか。
今はウォルター・ヘインズの加護を受けているとしても、それは永遠に今の状況を保証されたものではない。ユズリハならそれぐらいわかっているだろうにハロルドに媚びようとはしないのだ。媚びるどころか、いつもからかう。
「なんで僕があんな女にからかわれなきゃいけないんだ!!」
馬車の中で怒ると御者が驚いた声を上げる。
馬車が止まり、何度か深呼吸を繰り返してから大きな咳払いのあと、馬車を下りた。
「ん?」
降りた先で待ち受けていた雰囲気がいつもと違う。
ハロルドは学校で大人気というわけではないが、それなりの人気がある。成績優秀で顔もそれなりに整っていると。
だから馬車から降りるとまず女子生徒に声をかけられるのだが、今日は違う。どこか遠巻きに見られている感覚。こちらを見ながらヒソヒソと話す集団もいた。
なんなんだと怪訝に思いながらその場を通り過ぎて教室に向かうと入った瞬間にその理由がわかった。
「……おはよう」
ハロルドが入った瞬間に世界の時間が止まったように話し声で賑やかだった教室が水を打ったように静かになった。
挨拶をしても誰からも返ってこない。意味がわからない。なんなんだと立ち尽くしていると友人が駆け寄ってきて肩を組んだ。
「なあ、婚約者がいるってマジ?」
ドクンと心臓が大きく脈を打つ。
なぜ知っているんだ。どこから漏れた。
嫌な予感に耳に心臓がついているのではないかと思うほど心臓の音がうるさい。
「しかも和女って話じゃん」
全て知っているのだ。彼だけではない。このクラスの人間だけではない。この学校の生徒全員がハロルド・ヘインズの婚約者が和女であることを知ってしまったのだ。だからあんな態度を取っていた。
「なあなあ、マジ? マジで和女を婚約者にしたのかよ?」
何も言わないハロルドにしつこく問いかける友人になんと答えるべきか、頭の中で何通りもの返事を考えるもどれ一つとして口から出てこない。
変に思われない返答にしなければならない。真実を口にするべきか。だが、それでは祖父に逆らえず受け入れた弱虫だと思われるかもしれない。
学校生活は穏やかに勝ち組として進んで卒業できるはずだった。兄と違って卒業まで優秀な成績を収め続け、そして主席で卒業するつもりだったのに全てが台無しとなった。
「ど、どこでそんな話を聞いたんだい?」
「俺のダチの兄貴のダチの親族がお前の兄貴の結婚式に出たらしくて、そこでお前の兄貴が言ってたって聞いた」
「へ、へー……」
あの場にいた者たちには兄が口止めをしていたはずなのに、他にも聞いていた者がいたのだ。それを言いふらして彼まで回ってきた。そして彼が言いふらしたのだ。
貴族に噂話をすれば街中に広まるのに一日も必要ないというほど貴族は口が軽い。そして誰を責めても全員が口を揃えてこう言う。
『広めてない。世間話として話しただけ』
悪気はないと言うのだ。
彼もそう。本人に確認が取れていないのに周りに話をして広めた。
それによってハロルド・ヘインズの居場所がなくなることなど考えもしなかったのだ。
「……祖父が……和の国が好きで……勝手に連れてきたんだ。こないだまで僕は彼女が婚約者であることどころか、婚約者がいることさえ知らなかった。というか僕は彼女を婚約者だと認めてない。和女が婚約者なんて恥ずかしすぎる。街を連れ歩けないんだぞ。ありえない。君たちも知ってるだろ、ウォルター・ヘインズの横暴さをさ」
「あのジイさんが勝手に決めたのか。そりゃ逆らえないよな」
「実際、すごく迷惑してるんだ。和女と話してみたけど、大口を開けて笑うし、人を敬うことを知らないし、横柄で、性格は最悪。今すぐ和の国に帰ってほしいぐらいだ」
口が回る回る。身振り手振りを加えるだけで演者っぽくなってしまうが今は仕方ないと饒舌に語るハロルドは自分が望んで選んだわけじゃない。逆らえないんだと事実を話すことにした。こっちのほうがボロが出ない。自分が口にしていることは全て事実で嘘偽りのないもの。笑い者にはするなと願っていたが、友人は吹き出して笑う。
「でもさ、和女が婚約者ってマジないよな」
「わかる。和女って絵でしかみたことないけどブスじゃん。のっぺりしてるし、目が小さい。あんなのが妻とか恥ずかしすぎる。家に帰りたくなくなるわ」
「一緒に暮らしてんの?」
「いや、祖父が別宅を建てたからそこに従者と暮らしてる」
「よかったな! 一緒とか苦痛すぎるだろ」
「ああ、本当によかったと思ってる」
なんとか乗り切れたと一緒になって笑うハロルドだが、教室の後方から聞こえた声が彼に大打撃を与える。
「でもお前は和女と結婚するってことだよな?」
祖父が決めたことだとしても婚約者は婚約者。結婚することが決定しているということ。
そう聞かれると「しない」と言えず「それは……」と口ごもった。
ハッキリ否定しないハロルドに「マジかよ」とヒソヒソ話が始まる。ハロルドを見ながら聞こえない音量で話をしてニヤつきを向ける。
「ヤッバ」
その声だけで一際よく聞こえた。
ハロルドは初めて学校を早退したいと思った。今すぐ教室から飛び出して家に帰りたいと。でも帰れない。帰れば祖父に何を言われるかわからない。
それに、ここで逃げれば余計に笑い者になる。
「結婚するとは決まってないよ。祖父が勝手に婚約者だって連れてきただけだから」
「じゃあ逆らうのか?」
「話し合いはするつもりだよ」
アーリーンが見ている。ここで怯んでは昨夜のダンスでの距離がまた離れてしまう。
なぜクラスの全員にこんなことを話さなければならないんだと思いながらも席について最後まで授業を受けた。
「和女によろしくなー!」
「おい、やめとけって」
ハロルドのことが気に入らなかった者もいる。女子にモテること、成績が優秀であること、顔が良いこと。疎ましく思っていた者たちが次々にそうして声をかける。
早足で駆け抜けていくハロルドは御者に急いで帰るよう伝えた。
家に着いて駆け足で向かうは“ユズリハ邸”
壊さん勢いで玄関を開けて中に入ると頬杖をつきながら本を読むユズリハがいた。
「どうした、そんなに息を切らせて。まだ帷は下りておらぬぞ」
「お前のせいだ!」
「ん?」
鞄を床に叩きつけるハロルドの怒声にユズリハが顔を上げて不思議そうな顔をする。
「僕が和女を婚約者にしたことが学校中にバレた!」
「あなや……」
それがどれほど最悪な事態であるかはユズリハにもわかる。
できるだけ顔は出さないようにしていたし、必要な物はウォルターに告げてヘインズ家の使用人が家の前まで運んでくれていたため外出したことは一度もない。
それでもどこからか情報が漏れてしまったのだと表情を曇らせる。
「お前が僕の婚約者だから! お前が和女だから! お前なんかが来たから笑い者にされるんだ! 僕は普通の婚約者がよかったのに! お前なんかじゃなくて、アーリーンがよかったんだ! なんでお前なんだよ! なんでお前が僕の婚約者なんだよ!!」
「すまぬな」
「謝るぐらいなら帰ってくれよ!! 今すぐ祖父を説得して婚約破棄してくれ!! お前ならできるだろ!!」
「そうじゃな。わらわならウォルターを説得できる」
「ならやってくれ! 今すぐ! 今すぐ祖父の所に行ってやっぱり帰ると言ってくれよ!!」
響き渡る怒声に含まれる必死さがハロルドの心の内を表しており、表情は子が親に縋り付くような酷いもので、ユズリハは俯いて目を閉じる。
すぐに「わかった」と言わないユズリハに苛立ってテーブルを叩くとユズリハの肩が大きく跳ねた。
「やめろ」
シキのいつもとは違う静かだが低い声色にハロルドが顔を上げて睨みつける。
「自分が断れないから今の状況があんだろ。嫌なら自分の言葉で断りな。笑い者にされたくねぇから和女の婚約者は認めねぇってウォルターのジイさんにもダイゴロウの旦那にもテメェの言葉で話せばいいだけだろ。こいつに当たるな」
「こいつが断ればよかったんだ!! それがなんで僕のせいになる!!」
「嫌がってんのがテメェだからだろ。人の口に戸は立てられねぇ。ウォルター・ヘインズの客だと思われていた女が残ってりゃ見てた奴は大体想像がつくだろ。バレちゃ困るから父親の見送りに行くなって言わなかった時点でテメェの責任なんだよ」
「そんなこと言えるわけないだろ! 祖父がいたんだぞ!!」
「だったらこいつに頭下げてでもそう頼むべきだったんじゃねぇのか?」
「ッ!」
シキも決して怒鳴り返すことはしない。ハロルドだけが怒声を上げて拳を震わせている。
「反省せずに人のせいにするのは楽だよな。人のせいにすりゃ自分は悪くないと思える。ましてや責めた相手が怒らないとくりゃあ尚更だ」
「僕は和の国には興味ない! お前を婚約者として受け入れたくなかった! 形だけでもお前が正妻なんて嫌なんだよ!!」
「だったらお前が怯えて縮こまるほど怖い祖父にそう言え。殴られる覚悟でそう言えばいいだろ」
「なんで僕が──」
「そんな根性もねぇくせに女には強く出るのかよ。それこそ笑い者だな」
嘲笑するシキの表情にカッとなったハロルドが手を振り上げるも上で止まる。振り下ろす場所がないのではない。振り下ろすことが、振り上げたこと自体が間違いだと気付いて下せなかった。
その拳を見上げてからハロルドを見るユズリハの表情はなんとも言えない複雑なもので、いつものユズリハの表情ではない。それを見たハロルドは目を閉じ、ゆっくりと拳を下ろした。
「バレねぇと思ってたお前が甘いんだよ」
「シキ、もうやめよ」
「お前さんが言い返さねぇから言ってやってんだろ」
「頼んでおらぬ」
「こういう奴は黙ってると付け上がるだけだぞ」
「シキ、やめよ」
両手を上げて溜息をつくシキはそのまま壁にもたれかかって腕を組んだ。目はハロルドに向けたまま。
「帰る」
床に叩きつけた鞄を拾い上げるとユズリハの顔を見ようともせずそのまま帰っていった。
「俺はウォルターのジイさんに告げ口すべきだと思うがね」
静かにかぶりを振るユズリハに「もう聞こえてるか」と呟くシキの言葉を否定しなかった。
洋館と違い、常に障子を開けっぱなしにしているこの家の中で大笑いすれば、怒鳴れば、全て外へと丸聞こえになってしまう。
家を訪ねるウォルターがよく『昨日は楽しかったか?』と聞いてくるのが証拠だ。
今の時期、雨でも降らない限りは外の風を取り入れるために窓を開けていると言っていた。今日も雨は降っていない。今日だけ例外に閉まっているということはないだろう。
これまで祖父には言えなかった言葉を叫んだハロルドが祖父に会えばどうなるか、想像するだけで申し訳ない気持ちになる。
「余計な口出しはするな」
「ああいうクソガキは嫌いでね」
「そなたにもそんな頃があったじゃろう」
「俺は教育を受けてたんでね」
「嘘つきめ」
「お前さんもな」
父親への手紙のことを言っているのだろうことはわかっており、肩を竦めるだけで言葉は返さなかった。
でも昨夜のようにいきすぎたからかいをする場合もある。今朝、家から出たときにユズリハが門の外に立っていることに気がつき、目が合うと手招きをされたため寄っていった。
昨日のことで謝罪でもするつもりかと思っていたハロルドに「心の準備をしておくからな」と朝一番でからかいを放ったユズリハに朝からずっと苛立っている。
学校にまで持ち込むわけにはいかないと馬車の中でなんとか怒りを鎮めようとしているのになかなか鎮まらない。
自分がどういう立場かわかっていない。ヘインズ家の人間となる立場でなぜあんなにも横柄な態度でいられるのか。
今はウォルター・ヘインズの加護を受けているとしても、それは永遠に今の状況を保証されたものではない。ユズリハならそれぐらいわかっているだろうにハロルドに媚びようとはしないのだ。媚びるどころか、いつもからかう。
「なんで僕があんな女にからかわれなきゃいけないんだ!!」
馬車の中で怒ると御者が驚いた声を上げる。
馬車が止まり、何度か深呼吸を繰り返してから大きな咳払いのあと、馬車を下りた。
「ん?」
降りた先で待ち受けていた雰囲気がいつもと違う。
ハロルドは学校で大人気というわけではないが、それなりの人気がある。成績優秀で顔もそれなりに整っていると。
だから馬車から降りるとまず女子生徒に声をかけられるのだが、今日は違う。どこか遠巻きに見られている感覚。こちらを見ながらヒソヒソと話す集団もいた。
なんなんだと怪訝に思いながらその場を通り過ぎて教室に向かうと入った瞬間にその理由がわかった。
「……おはよう」
ハロルドが入った瞬間に世界の時間が止まったように話し声で賑やかだった教室が水を打ったように静かになった。
挨拶をしても誰からも返ってこない。意味がわからない。なんなんだと立ち尽くしていると友人が駆け寄ってきて肩を組んだ。
「なあ、婚約者がいるってマジ?」
ドクンと心臓が大きく脈を打つ。
なぜ知っているんだ。どこから漏れた。
嫌な予感に耳に心臓がついているのではないかと思うほど心臓の音がうるさい。
「しかも和女って話じゃん」
全て知っているのだ。彼だけではない。このクラスの人間だけではない。この学校の生徒全員がハロルド・ヘインズの婚約者が和女であることを知ってしまったのだ。だからあんな態度を取っていた。
「なあなあ、マジ? マジで和女を婚約者にしたのかよ?」
何も言わないハロルドにしつこく問いかける友人になんと答えるべきか、頭の中で何通りもの返事を考えるもどれ一つとして口から出てこない。
変に思われない返答にしなければならない。真実を口にするべきか。だが、それでは祖父に逆らえず受け入れた弱虫だと思われるかもしれない。
学校生活は穏やかに勝ち組として進んで卒業できるはずだった。兄と違って卒業まで優秀な成績を収め続け、そして主席で卒業するつもりだったのに全てが台無しとなった。
「ど、どこでそんな話を聞いたんだい?」
「俺のダチの兄貴のダチの親族がお前の兄貴の結婚式に出たらしくて、そこでお前の兄貴が言ってたって聞いた」
「へ、へー……」
あの場にいた者たちには兄が口止めをしていたはずなのに、他にも聞いていた者がいたのだ。それを言いふらして彼まで回ってきた。そして彼が言いふらしたのだ。
貴族に噂話をすれば街中に広まるのに一日も必要ないというほど貴族は口が軽い。そして誰を責めても全員が口を揃えてこう言う。
『広めてない。世間話として話しただけ』
悪気はないと言うのだ。
彼もそう。本人に確認が取れていないのに周りに話をして広めた。
それによってハロルド・ヘインズの居場所がなくなることなど考えもしなかったのだ。
「……祖父が……和の国が好きで……勝手に連れてきたんだ。こないだまで僕は彼女が婚約者であることどころか、婚約者がいることさえ知らなかった。というか僕は彼女を婚約者だと認めてない。和女が婚約者なんて恥ずかしすぎる。街を連れ歩けないんだぞ。ありえない。君たちも知ってるだろ、ウォルター・ヘインズの横暴さをさ」
「あのジイさんが勝手に決めたのか。そりゃ逆らえないよな」
「実際、すごく迷惑してるんだ。和女と話してみたけど、大口を開けて笑うし、人を敬うことを知らないし、横柄で、性格は最悪。今すぐ和の国に帰ってほしいぐらいだ」
口が回る回る。身振り手振りを加えるだけで演者っぽくなってしまうが今は仕方ないと饒舌に語るハロルドは自分が望んで選んだわけじゃない。逆らえないんだと事実を話すことにした。こっちのほうがボロが出ない。自分が口にしていることは全て事実で嘘偽りのないもの。笑い者にはするなと願っていたが、友人は吹き出して笑う。
「でもさ、和女が婚約者ってマジないよな」
「わかる。和女って絵でしかみたことないけどブスじゃん。のっぺりしてるし、目が小さい。あんなのが妻とか恥ずかしすぎる。家に帰りたくなくなるわ」
「一緒に暮らしてんの?」
「いや、祖父が別宅を建てたからそこに従者と暮らしてる」
「よかったな! 一緒とか苦痛すぎるだろ」
「ああ、本当によかったと思ってる」
なんとか乗り切れたと一緒になって笑うハロルドだが、教室の後方から聞こえた声が彼に大打撃を与える。
「でもお前は和女と結婚するってことだよな?」
祖父が決めたことだとしても婚約者は婚約者。結婚することが決定しているということ。
そう聞かれると「しない」と言えず「それは……」と口ごもった。
ハッキリ否定しないハロルドに「マジかよ」とヒソヒソ話が始まる。ハロルドを見ながら聞こえない音量で話をしてニヤつきを向ける。
「ヤッバ」
その声だけで一際よく聞こえた。
ハロルドは初めて学校を早退したいと思った。今すぐ教室から飛び出して家に帰りたいと。でも帰れない。帰れば祖父に何を言われるかわからない。
それに、ここで逃げれば余計に笑い者になる。
「結婚するとは決まってないよ。祖父が勝手に婚約者だって連れてきただけだから」
「じゃあ逆らうのか?」
「話し合いはするつもりだよ」
アーリーンが見ている。ここで怯んでは昨夜のダンスでの距離がまた離れてしまう。
なぜクラスの全員にこんなことを話さなければならないんだと思いながらも席について最後まで授業を受けた。
「和女によろしくなー!」
「おい、やめとけって」
ハロルドのことが気に入らなかった者もいる。女子にモテること、成績が優秀であること、顔が良いこと。疎ましく思っていた者たちが次々にそうして声をかける。
早足で駆け抜けていくハロルドは御者に急いで帰るよう伝えた。
家に着いて駆け足で向かうは“ユズリハ邸”
壊さん勢いで玄関を開けて中に入ると頬杖をつきながら本を読むユズリハがいた。
「どうした、そんなに息を切らせて。まだ帷は下りておらぬぞ」
「お前のせいだ!」
「ん?」
鞄を床に叩きつけるハロルドの怒声にユズリハが顔を上げて不思議そうな顔をする。
「僕が和女を婚約者にしたことが学校中にバレた!」
「あなや……」
それがどれほど最悪な事態であるかはユズリハにもわかる。
できるだけ顔は出さないようにしていたし、必要な物はウォルターに告げてヘインズ家の使用人が家の前まで運んでくれていたため外出したことは一度もない。
それでもどこからか情報が漏れてしまったのだと表情を曇らせる。
「お前が僕の婚約者だから! お前が和女だから! お前なんかが来たから笑い者にされるんだ! 僕は普通の婚約者がよかったのに! お前なんかじゃなくて、アーリーンがよかったんだ! なんでお前なんだよ! なんでお前が僕の婚約者なんだよ!!」
「すまぬな」
「謝るぐらいなら帰ってくれよ!! 今すぐ祖父を説得して婚約破棄してくれ!! お前ならできるだろ!!」
「そうじゃな。わらわならウォルターを説得できる」
「ならやってくれ! 今すぐ! 今すぐ祖父の所に行ってやっぱり帰ると言ってくれよ!!」
響き渡る怒声に含まれる必死さがハロルドの心の内を表しており、表情は子が親に縋り付くような酷いもので、ユズリハは俯いて目を閉じる。
すぐに「わかった」と言わないユズリハに苛立ってテーブルを叩くとユズリハの肩が大きく跳ねた。
「やめろ」
シキのいつもとは違う静かだが低い声色にハロルドが顔を上げて睨みつける。
「自分が断れないから今の状況があんだろ。嫌なら自分の言葉で断りな。笑い者にされたくねぇから和女の婚約者は認めねぇってウォルターのジイさんにもダイゴロウの旦那にもテメェの言葉で話せばいいだけだろ。こいつに当たるな」
「こいつが断ればよかったんだ!! それがなんで僕のせいになる!!」
「嫌がってんのがテメェだからだろ。人の口に戸は立てられねぇ。ウォルター・ヘインズの客だと思われていた女が残ってりゃ見てた奴は大体想像がつくだろ。バレちゃ困るから父親の見送りに行くなって言わなかった時点でテメェの責任なんだよ」
「そんなこと言えるわけないだろ! 祖父がいたんだぞ!!」
「だったらこいつに頭下げてでもそう頼むべきだったんじゃねぇのか?」
「ッ!」
シキも決して怒鳴り返すことはしない。ハロルドだけが怒声を上げて拳を震わせている。
「反省せずに人のせいにするのは楽だよな。人のせいにすりゃ自分は悪くないと思える。ましてや責めた相手が怒らないとくりゃあ尚更だ」
「僕は和の国には興味ない! お前を婚約者として受け入れたくなかった! 形だけでもお前が正妻なんて嫌なんだよ!!」
「だったらお前が怯えて縮こまるほど怖い祖父にそう言え。殴られる覚悟でそう言えばいいだろ」
「なんで僕が──」
「そんな根性もねぇくせに女には強く出るのかよ。それこそ笑い者だな」
嘲笑するシキの表情にカッとなったハロルドが手を振り上げるも上で止まる。振り下ろす場所がないのではない。振り下ろすことが、振り上げたこと自体が間違いだと気付いて下せなかった。
その拳を見上げてからハロルドを見るユズリハの表情はなんとも言えない複雑なもので、いつものユズリハの表情ではない。それを見たハロルドは目を閉じ、ゆっくりと拳を下ろした。
「バレねぇと思ってたお前が甘いんだよ」
「シキ、もうやめよ」
「お前さんが言い返さねぇから言ってやってんだろ」
「頼んでおらぬ」
「こういう奴は黙ってると付け上がるだけだぞ」
「シキ、やめよ」
両手を上げて溜息をつくシキはそのまま壁にもたれかかって腕を組んだ。目はハロルドに向けたまま。
「帰る」
床に叩きつけた鞄を拾い上げるとユズリハの顔を見ようともせずそのまま帰っていった。
「俺はウォルターのジイさんに告げ口すべきだと思うがね」
静かにかぶりを振るユズリハに「もう聞こえてるか」と呟くシキの言葉を否定しなかった。
洋館と違い、常に障子を開けっぱなしにしているこの家の中で大笑いすれば、怒鳴れば、全て外へと丸聞こえになってしまう。
家を訪ねるウォルターがよく『昨日は楽しかったか?』と聞いてくるのが証拠だ。
今の時期、雨でも降らない限りは外の風を取り入れるために窓を開けていると言っていた。今日も雨は降っていない。今日だけ例外に閉まっているということはないだろう。
これまで祖父には言えなかった言葉を叫んだハロルドが祖父に会えばどうなるか、想像するだけで申し訳ない気持ちになる。
「余計な口出しはするな」
「ああいうクソガキは嫌いでね」
「そなたにもそんな頃があったじゃろう」
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