顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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パーティー

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「ハロルドさんに迎えに来ていただけるなんて嬉しいです」
「僕はちょっと緊張してるよ。君がいつもとは違う美しさを纏っているから」
「まあ、そんな。今日はお母様が張り切って仕上げてくれたんです」
「よく似合ってるよ」

 自分でもキザな台詞だとは思った。これをユズリハが聞けば品なく大口を開けて大笑いされただろうとも。
 でもアーリーンは喜んだ。頬を染め、愛らしいはにかみと共に少し上目遣いを向けている。それだけでハロルドは口元が緩んでしまう。
 互いにめかしこんだ二人が狭い馬車の中で見つめ合う。それほど長い時間ではないが、二人にとって無言で想いを伝え合う時間としては充分なものだった。

「君にプレゼントがあるんだ」

 馬車のポケットに隠していた箱を取り出して中を見せると驚きと喜びが混ざった表情を見せる。

「まあ、髪飾り!」

 自分で選んで自分の金で買った初めてのプレゼント。

「今日の髪飾りも素敵だけど、これは……」

 頭の中でユズリハが言えと言った言葉を思い出すが、口にはしなかった。ユズリハのアドバイスに従ってアーリーンにチェックメイトをかけるのはどうにも癪だった。
 自分には自分のやり方がある。自分のやり方でチェックメイトをかけてこそ意味があるのだ。

「君の美しさを引き立てる物になればいいんだけど」

 少し卑屈だったかと失敗を否めない感じに少し顔を歪めながらアーリーンの反応を待った。

「こんなに素晴らしい物をよろしいのですか?」
「もちろんだ。会場では渡せないから今ここで渡しておくよ。会場での君はきっと人気者だろうからね」
「そんなことありません。だから、ダンス、申し込んでくださいね?」
「もちろんだよ」

 嬉しそうに笑って髪飾りをハロルドが贈った物に変えると母親に選んでもらった物をシートに置いた。
 両手で口元を隠しながら幸せそうに微笑む愛らしさに何度も「これだよ」と力強く心の中で叫ぶ。
 パーティーで一人の女性を独占することは禁じられている。紳士的にマナーを守って行動しなければならない。だからハロルドが迎えに行ったとしてもハロルドに独占権はない。
 だが、一緒に来たということは周りに見せつけることができる。馬車の中で二人きりで会話することも、見つめ合うことも、こうしてプレゼントを送ることだってできる。
 他の男にはできないことだと優越感に浸れた。

「さあ、お手をどうぞ」

 先に馬車を降りて手を差し出すと軽く添えられてから少しだけ握られる。ゆっくりと馬車から降りてくるアーリーンが天使のように見え、ハロルドこそ背中に羽が生えたように舞い上がっていた。
 通い慣れた学校がパーティーのために飾りつけられ顔を変える。花道になっている廊下を進んでいけば煌びやかな雰囲気を纏った会場へと入る。
 そこでアーリーンと一度離れる。令嬢たちは母親の監視の下、淑女としての行動を欠かしてはならず、男に寄り添っているなど貴族令嬢失格であるため令嬢たちの輪へと入っていく。
 多くの令嬢たちが自慢のドレスに身を包み、一番美しい姿を見せてダンスの誘いを待っている。
 貴族が集まるこの学校にいれば婚約者を探すのもさほど苦労はない。だから母親たちの目も一段と厳しくなっていた。
 母親と娘は一心同体。母親が目をつけた男性に視線と仕草でアピールしなければならない令嬢の苦労を目にしながらハロルドは男に生まれて良かったと思った。

「踊ってくださる?」
「もちろんです」

 女性から差し出された手を紳士は断らない。パーティーの主役は女性であって男性ではない。好みじゃなくともダンスを踊ることはしなければならないのだ。
 アーリーンと一番に踊りたかったが、アーリーンはまだ友人とお喋り中。ハロルドが他の女性に誘われたことに気付きはしたが、割って入ることができないため視線だけ絡ませてすぐに友人へと顔を向けた。
 ハロルドはお世辞にもスポーツが得意とは言えない。乗馬は好きだが、ポロは苦手。テニスもゴルフも一度だって兄に勝てたことはない。ダンスも本当は苦手な分野。

「お上手ですのね」
「ありがとうございます」

 アーリーンと踊るために家庭教師をつけてまで必死に練習してきたダンスが褒められるのは嬉しい。これでアーリーンと踊る不安はなくなった。
 優雅な音楽に合わせて踊ることを楽しいと思えたのは初めてで笑顔になれた。

「楽しみにしていますね」

 案の定アーリーンは人気で、手首から下げているダンスの予約カードはすぐ満杯となった。
 ハロルドの名前は一番上に。ズルいとわかってはいるが、馬車の中で書き込ませてもらった。
 寄ってくる男性にカードを見せてダンスの誘いを断りながら寄ってくるアーリーンが差し出す手を取ってすぐダンスに入る。左右に揺れるこの時間、間近で見つめ合っていても誰も茶化しはしない。

「ハロルドさん」
「やあ、アーリーン」

 今すぐにでもキスができそうだと優雅な音楽が作り出すロマンチックなムードにそうしてしまいたい衝動に駆られながらも人が多すぎることがファーストキスのロマンを欠いていく。

「ハロルドさんと踊ることができて本当に嬉しいです」
「僕もだよ、アーリーン。今日、君と踊るこの瞬間をずっと楽しみにしてたんだ」

 夢のような時間だった。手を取り合って見つめ合って好きな女性と踊る。これこそハロルドが望んだ幸せな人生の一ページ。ユズリハとでは絶対に築けないもの。
 だからこそあっという間に過ぎてしまう。まだ一時間も経っていないように感じるほど時間の流れは早く、帰りは母親と一緒に帰るアーリーンを馬車まで見送ってからハロルドも家に帰った。
 この幸せな気分のままでいたい。家に帰れば祖父に会う。会ったら「ハメは外していないだろうな?」と威圧的に聞かれる。この最高な気分を一瞬で最低な気分にまで落とす祖父には会いたくないとそのまま“ユズリハ邸”に向かった。

「入ってもいいか?」
「夜の帳もすっかり下りておるというのにどうした?」
「今すごく良い気分だから暴君に会いたくないんだ」
「それは何よりじゃな」

 上がれと言えば靴を脱いで上がる。そして用意された椅子ではなく座布団に座ることにすっかり慣れたハロルドは尻が痛いと文句を言うこともなくなった。
 今日はよほど気分が良いのか、縁側に出て庭で一番大きな木を眺める。

「宴は楽しかったか?」
「最高だった。紳士はガツガツいくのは品がないと思われるからな。こうやってチャンスを物にすることに力を入れるんだ」
「贈り物は喜んでいたか?」
「ああ。すぐに付けてくれた」
「よかったのう。失敗していたらと想像し、慰めの言葉まで考えていたのじゃが……必要なかったな」
「余計なお世話だ」

 楽しげに笑うユズリハのからかいだとわかるからハロルドも笑って返す。
 和の国のことはあまり好きではない。今もそれは変わらないが、美しく整えられた庭を見ると別世界にいるようで不思議と落ち着く。胸いっぱいに空気を吸い込んで深呼吸さえしたくなるほど。

「なんで池の上に橋をかけるんだ?」
「風情じゃ」
「魚が見えにくいんじゃないか?」
「ジロジロと見る物ではないからな」

 広大な敷地内の半分は庭として取っている。大きな木があり、池があって花壇がある。玄関から横にそれて庭へと向かう地面には一定間隔で大きな石が埋め込まれ、道ができている。その横には和の国のランプがあり、足元を照らす。昼間とは違う顔を見せる幻想的とも呼べる庭を眺めていると心地良い風が吹いてきて、それがまたハロルドの気分を良くする。

「アーリーンにも見せてやりたい」
「和の国の物をか? 笑われるぞ」
「見せるとは言ってないだろ」
「そなたもついに和の国の良さがわかるようになってきたか。成長したのう。わらわは感動で涙が……」

 またいつもの泣き真似をするユズリハを横目で見ては否定はしなかった。ハロルドは今、この景色を純粋に美しいと思っている。
 ヘインズ家の庭は昼間こそ美しいが、夜は美しさの欠片もない。ここは反対で、夜こそ美しさを発揮する。

「夜に来るのも悪くないな」
「随分と大胆な宣言をするものじゃな」
「なんでだ? まだ寝る時間じゃないだろ?」

 まだ夜の十時を回ったところ。ハロルドはいつも日付が変わる頃まで起きているため十時に寝るのは早すぎる。ユズリハもまだ起きているし問題はないはずだと問うと「わらわはかまわぬのだが……」と含みを持った言い方に見合う笑みを浮かべたユズリハが続ける。

「わらわの国では夜の帷が下りてから男が女の家を訪ねるのは夜這いを意味する」
「……は?」
「わらわ、まだ心の準備ができておらぬ故、そのように大胆な発言をされると困ってしまう」

 着物の袖で鼻から下を隠すユズリハの目は困るなどと思ってはいないだろう目をしている。

「ぼ、僕はそんなつもり一切ないからな! そんなつもりで言ったんじゃない!」
「おや、そうなのか?」
「大体それは和の国のことだろ!」
「こっちは違うのか?」
「こっちはそもそも夜に令嬢の家に訪ねたりはしないんだ!」

 紳士は訪ねたりしないが、夜に恋人と家を抜け出す令嬢がいないわけではない。
 親の監視下では絶対にできないことをするために夜の逢瀬を楽しむ者がいるのも確かだが、ハロルドはそんなことに憧れはしない。アーリーンとは清純な恋をしたいのだ。

「お前のことはそんな目で見てないからこうして夜に立ち寄ったんだ! 勘違いするな!」
「そうムキになるな。ほんの冗談じゃ」
「そんなつまらない冗談言うな!」
「つまらぬ冗談にムキになるな」
「ッ~~~~~! お前は本当に可愛くないな! アーリーンを見習え!」
「これがわらわじゃ。残念じゃったな」

 最高の気分が台無しになった。最近は上手くいっていたから最悪の気分にはならないと思っていたのに、やはり最低だと憤慨するハロルドにユズリハは相変わらず大笑いする。
 今まで馬鹿にしてくる相手は兄だけだったのに、勝手に嫁いできた婚約者にまで馬鹿にされるのはあまりにも屈辱。仮にも夫となる相手を敬うことさえしない女が婚約者なんてと怒りながら帰っていく後ろ姿を見送れば一部始終を聞いていたシキがいつの間にか縁側に腰かけていた。

「あまりからかってやりなさんな」
「反応が可愛くてつい、な」
「ま、婚約者の前で他の女の名前を出すような無神経な男には妥当な対応か」
「そう言ってやるな」

 幸せならそれでいいじゃないかとハロルドの幸せを応援しようとするユズリハにシキは肩を竦めて横になった。
 薄手の毛布を持ってきてかけてやるユズリハに感謝は言わず微笑みながら目を閉じる。

「風邪ひくでないぞ」
「あいあい」

 縁側で眠ると気持ちいいだろうと思いながらも風邪をひいてはならないとユズリハは自分の寝室へと戻っていった。
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