烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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一章

予想外のこと

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 もはや、ここまでだった。
 月夜はがくんと膝を折って床に座り込んだ。

 焦げついた匂いが鼻につく。使用人たちが「火事だ!」と叫びながら水桶を運んで消火作業をしている。火は地下の一部で収まり、すぐに鎮火できたようだ。

 ぼうっとする月夜のもとに、父が近づいてきた。
 月夜は父を見上げる気力さえない。彼が激怒している顔は見なくともわかるからだ。


「もっと早く処分しておくべきだった」

 父の言葉に自分はすでに生き物としても扱われていないのだとわかった。
 今まで生かしてもらっていたことが奇跡なくらいだ。

 まったく愛されていなくても、どれほど酷い仕打ちを受けても、それでも月夜にはまだ父と母に対する希望が消えたわけではなかった。

 月夜は涙を流しながら父に訴えるような目を向ける。しかし、彼は冷酷な表情を崩さず、月夜の腕を掴むと庭に放り投げた。

 すでに硬くなった雪の上に叩きつけられ、冷たい感覚と痛みが全身に走る。
 月夜が顔を上げると、父は使用人に命じた。


「月夜を木に吊るせ」

 どくんと月夜の鼓動が鳴る。
 この空の下でそんなことをされたら、どれほど悲惨な死を遂げるだろう。だが、ぞっとする月夜をよそに両親は平静だった。というよりも、早く死んでくれと言わんばかりの冷たい表情だった。


 縄で縛られて木に吊るし上げられた月夜は強烈な日の光を浴びた。じりじりと焼かれているような感覚に、月夜は呻き声を上げる。

「うあぁ……おばあ、ちゃん……逃げ、られない……」

 ひと思いに刃物で刺してくれたほうが楽なのにと思うが、おそらく父は自分が手を下したくないのだろう。媛地家の呪いなど月夜にはさっぱりわからないが、父はそれを恐れているようだ。

 朦朧とする意識の中で、こちらに罵倒を浴びせる暁未の姿が見えたが、何を言っているのかもはや月夜の耳には届かない。

 視界がだんだん狭まっていく。
 このとき、月夜に残された感情は痛みや悲しみではなかった。


「一度だけでも、会いたかった……」

〈からす〉に会いたかった。

 もうすぐ会えるはずだったのに、こんな形で叶わなくなるとは無念でしかない。月夜は意識を消失する寸前に笑った。最後の力を振りしぼって空を仰ぐ。


「おばあちゃん、待ってて……すぐ、そっちにいくから……」

 月夜が目を閉じると「旦那さま!」と使用人の呼ぶ声がした。そして、そのすぐあとに父のやけに大きな声も響いた。

「急いで月夜を家の中へ入れろ。誰の目にも届かないように隠すんだ」

 月夜はすぐに縄をほどかれ家の中へ運ばれた。


 よくわからないが助かったようだ。目が開かないので、慌ただしく周囲が動きまわる音を耳にするだけだった。
 急に屋敷内の空気が変わったようだった。
 月夜は客間の布団に寝かされて目を閉じたまま聞こえてくる使用人たちの声に耳をすませた。

「まさか、あの上級華族の方が……」
「旦那さまも寝耳に水だったようだわ」

 その会話から察するに来客があったようだ。

「月夜が目覚めたらすぐに着替えをさせなさい」

 母の声がした。しかし、使用人たちは不安げな声を上げる。

「お医者さまに診てもらわなくてよろしいのでしょうか? もし、お嬢さまの意識が戻らなかったら」
「この子は化け物なのよ。医者など必要ないわ」

 母の冷たい声を聞いてすぐ、月夜は意識がなくなった。


 しばらくして目が覚めると、使用人たちが忙しなく動きまわっていた。月夜は具合を訊かれることもなく、ただ身体を起こされ、姿見の前に座らされた。

 ひとりは着物を広げ、ひとりは化粧道具を手に持ち、他の者たちは月夜の着替えを手伝った。
 いつもより多くの使用人がまわりにいて、全員が月夜の世話をしようとする。

「これは、いったい何事なの?」

 月夜が訊ねると、使用人は着替えの準備をしながら答えた。

「お客さまが来られたのです。早く支度をいたしましょう」
「でも、私には関係ないと思うわ」
「いいえ。お客さまは媛地家の方々全員と会われるそうです」

 月夜は首を傾げる。
 今までどのような客が訪れても、両親は決して月夜を表に出さないようにしていたのに、どうなっているのだろう。
 それに、月夜が身につける着物は見たこともないほど高価なものだ。紫の上質な生地に紅い花模様のある振袖である。

 それを着ると、今度は長い髪を一つにまとめて結い上げられ、黄色の紐でぎゅっと結ばれた。
 さらには化粧までされて、姿見には見知らぬ自分が映った。
 仕上げには唇に紅を塗られ、まるで人形のような容姿となった。

 月夜は自分の姿に驚き、感嘆のため息を洩らす。

「お嬢さま、ご案内いたします」

 使用人が今までにないほど丁寧に、月夜を客間まで案内した。
 意味がわからない。けれど今すぐに命を取られることはないようで、それに関しては安心だった。

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