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三章
すくいの手
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月夜は以前のこともあるので、迂闊に彼に抵抗することができない。だから、事実をありのままに伝えることにした。
「ごめんなさい、干野川さん。私にはもう婚約者がいるのです。だから、どうあってもあなたの求婚を受け入れることはできません」
その言葉に干野川の顔が豹変した。目が吊り上がり、口もとは大きくへの字に曲がっている。
彼は低く唸るような声を発した。
「うるさいな。いちいち僕に逆らうなよ。お前より格上の家柄だぞ」
びくりと怯える月夜を見た彼は、口から長い舌を見せてにんまり笑った。
「僕を舐めるなよ。お前なんか簡単に殺せるんだぞ。僕は蛇族だからな」
月夜が震えながら後ずさりすると、干野川はずいっと接近してきた。
彼はぎょろりとした目で月夜に顔を近づける。
「今後干野川家の発展ために子を多く作る必要がある。妖力の強いお前はより強い子を産むことができるだろう」
舌なめずりをする干野川に、月夜は猛烈な嫌悪感が膨れ上がった。
「さあ、僕と一緒に来い」
「嫌っ! 放して!」
周囲はざわめいているが、誰も助けに入ろうとはしない。巻き込まれたくないという空気が月夜にも伝わってくる。これが華やかな社交界の現実なのだろう。
月夜はぐっと歯噛みして、涙が出そうになるのを堪える。怖気づいてはいけないと何度も自分に言い聞かせるも、足は震えて動かなかった。
月夜が弱々しくなったのを見て、干野川はさらに強気になった。彼は恍惚の笑みを浮かべながら月夜を見下ろして言う。
「いいね、その表情。僕の大好物だ。やはり女は弱くあり、男に平伏して生きるべきだ。おとなしく言うことを聞けば、可愛がってやるぞ」
月夜にはどうすればいいか判断がつかなかった。感情的に妖力を使えば、前回よりも干野川を傷つけてしまうだろう。けれど、会話が通じる相手でもない。
「ごめんなさい。許してください」
泣きそうになる月夜に向かって干野川は周囲に聞こえるように声を上げた。
「僕はこの娘に傷モノにされた。見てくれ。この顔の傷を! おかげで僕は結婚相手に逃げられた。こんな屈辱があるだろうか!」
周囲がざわつく。その声が月夜をさらに恐怖に陥れた。
初めての社交の場で緊張しながらもうまくやれていると思っていたが、このままでは周囲からの信用を失ってしまう。
縁樹にも迷惑をかけてしまうことになる。
急に周囲の目が恐ろしくなり、足がすくんで身体が動かなくなった。頭が混乱して手が震え、声も出せなくなった。
干野川がにやにやしながら月夜を見下ろして言い放つ。
「さあ、お前はもう逃げられない。おとなしく僕のものになれ」
月夜は顔を上げてまっすぐ干野川を見つめた。
呼吸が荒くなっていく。身体の奥に熱がこもって血がわき立つような感覚が広がる。これは今までに何度か経験した自衛本能の兆しだった。
自分の腕を掴む干野川の腕を、もう片方の腕で掴んで爪を立てる。すると、干野川は「うぎっ」と唸るような声を発し、表情を歪めた。
月夜は平静を失い、ただ目の前にある敵を排除するために妖力を解放しようとした。
しかし次の瞬間、別の声で月夜は目が覚める。
「おい、蛇。汚い手で俺の婚約者に触るなよ」
周囲が一斉に注目した先に縁樹が立っていた。
月夜は我に返り、妖力を抑えて干野川から手を放した。すると干野川は自分の腕をかかげて大袈裟に声を上げた。
「ああああっ! 僕の腕が怪我をした! この娘が僕にまた傷をつけたぞ!」
干野川の腕には深く食い込んだ爪痕が見える。
狼狽える月夜のそばに縁樹が近寄り、干野川の盾になった。
その様子を見た干野川が激昂し、声を荒らげた。
「婚約者だって? ふざけるな! その娘は僕に二度も傷をつけたんだぞ。責任を取れ!」
「知るか。お前が無理やり連れていこうとしたんだろ」
「くそっ! 婚約者ならその暴力女を管理しておけ! 貴様はどこの家門だ? 僕の顔の傷も含めて責任を取らせてやる」
「烏波巳。本家の当主だ」
「はあ?」
干野川は眉をひそめて怪訝な顔をしたあと、再びにやりと口角を上げた。
「烏波巳だって? あの分裂した一族か。はははっ! 今まで姿をくらませていた烏波巳の当主がのこのこ出てきて婚約者? 笑わせるなあ」
干野川が腹を抱えて笑っているあいだ、縁樹は興味をなくしたように彼を無視して月夜に声をかけた。
「大丈夫? ひとりにしてすまなかった」
「ありがとう、縁樹さん」
「もう帰ろうか。用事は済んだしな」
「うん」
ふたりが会話をしていると、干野川が笑い顔から一変し、眉を吊り上げて激昂した。
「僕を無視するんじゃない! 貴様ら何様のつもりだ!」
「ごめんなさい、干野川さん。私にはもう婚約者がいるのです。だから、どうあってもあなたの求婚を受け入れることはできません」
その言葉に干野川の顔が豹変した。目が吊り上がり、口もとは大きくへの字に曲がっている。
彼は低く唸るような声を発した。
「うるさいな。いちいち僕に逆らうなよ。お前より格上の家柄だぞ」
びくりと怯える月夜を見た彼は、口から長い舌を見せてにんまり笑った。
「僕を舐めるなよ。お前なんか簡単に殺せるんだぞ。僕は蛇族だからな」
月夜が震えながら後ずさりすると、干野川はずいっと接近してきた。
彼はぎょろりとした目で月夜に顔を近づける。
「今後干野川家の発展ために子を多く作る必要がある。妖力の強いお前はより強い子を産むことができるだろう」
舌なめずりをする干野川に、月夜は猛烈な嫌悪感が膨れ上がった。
「さあ、僕と一緒に来い」
「嫌っ! 放して!」
周囲はざわめいているが、誰も助けに入ろうとはしない。巻き込まれたくないという空気が月夜にも伝わってくる。これが華やかな社交界の現実なのだろう。
月夜はぐっと歯噛みして、涙が出そうになるのを堪える。怖気づいてはいけないと何度も自分に言い聞かせるも、足は震えて動かなかった。
月夜が弱々しくなったのを見て、干野川はさらに強気になった。彼は恍惚の笑みを浮かべながら月夜を見下ろして言う。
「いいね、その表情。僕の大好物だ。やはり女は弱くあり、男に平伏して生きるべきだ。おとなしく言うことを聞けば、可愛がってやるぞ」
月夜にはどうすればいいか判断がつかなかった。感情的に妖力を使えば、前回よりも干野川を傷つけてしまうだろう。けれど、会話が通じる相手でもない。
「ごめんなさい。許してください」
泣きそうになる月夜に向かって干野川は周囲に聞こえるように声を上げた。
「僕はこの娘に傷モノにされた。見てくれ。この顔の傷を! おかげで僕は結婚相手に逃げられた。こんな屈辱があるだろうか!」
周囲がざわつく。その声が月夜をさらに恐怖に陥れた。
初めての社交の場で緊張しながらもうまくやれていると思っていたが、このままでは周囲からの信用を失ってしまう。
縁樹にも迷惑をかけてしまうことになる。
急に周囲の目が恐ろしくなり、足がすくんで身体が動かなくなった。頭が混乱して手が震え、声も出せなくなった。
干野川がにやにやしながら月夜を見下ろして言い放つ。
「さあ、お前はもう逃げられない。おとなしく僕のものになれ」
月夜は顔を上げてまっすぐ干野川を見つめた。
呼吸が荒くなっていく。身体の奥に熱がこもって血がわき立つような感覚が広がる。これは今までに何度か経験した自衛本能の兆しだった。
自分の腕を掴む干野川の腕を、もう片方の腕で掴んで爪を立てる。すると、干野川は「うぎっ」と唸るような声を発し、表情を歪めた。
月夜は平静を失い、ただ目の前にある敵を排除するために妖力を解放しようとした。
しかし次の瞬間、別の声で月夜は目が覚める。
「おい、蛇。汚い手で俺の婚約者に触るなよ」
周囲が一斉に注目した先に縁樹が立っていた。
月夜は我に返り、妖力を抑えて干野川から手を放した。すると干野川は自分の腕をかかげて大袈裟に声を上げた。
「ああああっ! 僕の腕が怪我をした! この娘が僕にまた傷をつけたぞ!」
干野川の腕には深く食い込んだ爪痕が見える。
狼狽える月夜のそばに縁樹が近寄り、干野川の盾になった。
その様子を見た干野川が激昂し、声を荒らげた。
「婚約者だって? ふざけるな! その娘は僕に二度も傷をつけたんだぞ。責任を取れ!」
「知るか。お前が無理やり連れていこうとしたんだろ」
「くそっ! 婚約者ならその暴力女を管理しておけ! 貴様はどこの家門だ? 僕の顔の傷も含めて責任を取らせてやる」
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「はあ?」
干野川は眉をひそめて怪訝な顔をしたあと、再びにやりと口角を上げた。
「烏波巳だって? あの分裂した一族か。はははっ! 今まで姿をくらませていた烏波巳の当主がのこのこ出てきて婚約者? 笑わせるなあ」
干野川が腹を抱えて笑っているあいだ、縁樹は興味をなくしたように彼を無視して月夜に声をかけた。
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「ありがとう、縁樹さん」
「もう帰ろうか。用事は済んだしな」
「うん」
ふたりが会話をしていると、干野川が笑い顔から一変し、眉を吊り上げて激昂した。
「僕を無視するんじゃない! 貴様ら何様のつもりだ!」
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