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草原
06.しっかり食べて大きくならないと
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食事の途中でうとうとしだしたキアラを抱えて自分のユルトに戻り、先に寝床に寝かせてやってから、ユクガはまた外に出てルイドの世話に取りかかった。
ククィツァのところで与えたが念のため、と飼い葉を置いてやったものの、桶に入れた水にもほとんど興味はないらしい。すぐにだめになるものでもないし、明日の朝にでも飲み食いしてくれればいいだろう。馬具を取ってブラシをかけてやり、足にけがをしていないか点検して、軽く撫でてユルトに入る。
キアラを起こさないようランプの明かりを絞って、できるだけ静かに馬具を片づける。そうしてようやく椅子に落ちついたユクガは、何気なくキアラを見て、靴を脱がせ忘れていたのに気がついた。
ため息を漏らして近づき、小さな靴を脱がせて眉をひそめる。
両足とも、擦れて赤くなっている。
「……ユクガ、さま……?」
寝ぼけた声で起こしてしまったらしいことに気づき、ユクガはそっとキアラの足を離した。
じっとユクガを見上げ、キアラは無防備なままだ。
「足は、痛くないのか」
「あし……」
手をついて起き上がって、キアラがぼんやりと自分の足を見やった。目で見て赤くなっているのだから痛いはずだが、ユクガに顔を戻して困ったような顔をする。
「赤いのが、お気に召しませんか」
また何かがずれている。
小さくため息をついて寝床に座り、ユクガはキアラの赤くなっている足に触れた。キアラが一瞬だけ、潜めた声を漏らす。
「痛むなら言え。全ては気づいてやれない」
「……申し訳ありません……」
「……怒ってはいない」
うなだれたキアラをどうしていいかわからず、ユクガは銀の髪を撫でた。今まで接してきた何よりも、繊細で、弱々しい。嫌なものを嫌と言わず、痛いときに痛いと言えず、どうやって自分を守ってきたのか。
首を振って立ち上がり、物入れの中を探す。確か、擦り傷に効くという軟膏がまだ残っていたはずだ。
キアラは、何でも素直に受け入れる。拒むことを許されなかったか、拒んでも捻じ伏せられたか、あるいは両方だろう。痛みを訴えても何の治療も受けられないなら、声を上げなくなるのも頷ける。
生まれてからずっとそうだったのか、カガルトゥラードに囚われてからなのか、何にせよ忌々しい。
「キアラ」
「はい、ユクガ様」
薬を持って戻ったものの、ユクガは眉を寄せた。
キアラの足の赤みが、引いている。
「……足はどうした」
見ている間にも、痛々しかった擦り傷が薄れて、元通りの白い足が戻ってくる。
「……治りました」
「……普通はそんなふうに治らないだろう」
首を傾げた、ということは、キアラにとってはこれが普通なのだろう。
キアラの傍に膝をつき足に触れても、じっとユクガを見つめてくるだけだ。本当に、痛みもないらしい。
ククィツァも、ファルファーラの白神子がどういう力を持っていたかまでは知らなかったが、これがキアラの力なのだろうか。精霊の祝福というのは、人の想像を遥かに超えている。
「……すぐに治るとしても、どこかが痛むなら俺に言え」
首を傾げたキアラを抱き上げ、ユクガはそのまま椅子に腰かけた。聞きたいことはいくらでもあるし、キアラが起きているなら、会話する場所として寝床は相応しくない。膝の上に乗せても、キアラは大人しくユクガの腕に収まっていた。
「お前が痛い思いをしているのは、俺が嫌だ」
「……ユクガ様が、お嫌なのですか」
「ああ」
「わかりました。お伝えします」
いい子だ、と撫でてやって、ユクガはキアラを胸元に抱えた。
キアラからは、昨日と変わらず不思議といい匂いがする。普通は他人ににおいを嗅がれたら不快だろうが、キアラは無抵抗だった。嫌がる素振りもせず、表情も変わらない。ユクガの行動を、丸ごと受け入れている。
「キアラ」
「はい、ユクガ様」
香りが強いところがある、気がする。うなじの辺りだろうか。キアラには不釣り合いな、あの物々しい首輪が邪魔だ。鍵が見つからず、傷つけるわけにはいかないから壊すこともできなかったせいで、そのままになっている。
「今日は何をしていた?」
「ひる、の間、ですか」
「そうだ」
ユクガとククィツァが出かけた後、イェノアはキアラを抱き上げて、人がたくさんいるところに連れて行った。そこで大勢に声をかけると、何人かが家に戻っていって、服や靴を持ってきてくれた。
それに着替えさせてもらって、イェノアから糸紡ぎや裁縫を教えてもらっていたら昼になったのだが、昼食はうまく食べられなかった。
「にく、のお料理が多くて……」
ヨラガンの食事はほとんどが肉料理だ。においが苦手なキアラは、ほとんど食べられなかった。
「そうしたら、しっかり食べて大きくならないと、ユクガのおよめさんになれないよ、と言われました」
思わずむせて、ユクガはしばらく咳き込んだ。キアラが遠慮がちに胸元を撫でてくるのは、心配しているのだろう。
キアラがオメガだろうというのは、ククィツァへ報告済みで、その場にいた者は知っていることだ。ユクガがアルファだということはそもそも知られているし、存在が希少であっても、オメガなら男であっても子を孕めるというのは誰でも知っている。
だからまあ、ユクガが褒美としてオメガを望んだという話を聞けば、妻に迎えるつもりだろうと思われてもおかしくはない。
「ユクガ様」
「……何だ」
ひとしきり咳が落ちついたユクガを見つめて、キアラが普段と変わらない表情で尋ねてくる。
「私は男ですが、ユクガ様のおよめさんになるのですか」
そういう意味はしっかりわかっているのか、と何かが恨めしくなった。誰かが説明したのかもしれない。
オメガとは何かと以前聞かれた質問にも答えていないし、避けて通れない話ではある。
「……人間には男と女がいるのは知っているな」
「はい」
素直に頷いたキアラに、もう一つの性、アルファ、ベータ、オメガのことについて教えてやる。確かめてはいないが、キアラはおそらくオメガであろうことも。
一通り話を聞いた後、ゆっくりと瞬きをしながら考え込み、キアラがまたユクガを見つめてくる。
「では、私はユクガ様のおよめさんになれますね」
「……キアラ?」
「はい、ユクガ様」
お嫁さんになれますね、とはどういう意味だ。
オメガはアルファと番わなければいけない、という話し方はしなかったはずだし、ユクガがキアラを娶るつもりで連れてきた、という話もしていないはずだ。
後の言葉が続かないユクガに、キアラがこて、と首を傾げる。
「私は、ユクガ様のおよめさんになれませんか?」
「ちが……いや、待て、お前、俺に嫁ぐつもりがあるのか?」
「とつぐ、とは何ですか」
「……嫁になる、という意味だ」
「では、私はユクガ様にとつぐつもりがあります」
膝の上のキアラが、表情はほとんど変わっていないはずなのに、不安げに見える。
「お嫌、ですか」
「……嫌ではない」
困ったことに、嫌とは思っていない。ククィツァたちにもからかわれたが、キアラをやたらと構っている自覚はあるし、例えククィツァであろうと、キアラに他の誰かの臭いがつくのは不快だ。
つまり、ユクガの中にはすでに、キアラを自分のオメガだと思っているところがある。
「私では、いけませんか」
「……お前はまだ、ヒートも来ていない子どもだろう」
実際の年がいくつなのか定かではないが、さすがにこんな子どもに手を出すわけにはいかない。それにキアラは、ヨラガンの子どもと比べても線が細く、華奢で、ユクガが抱こうものなら骨を折るかもしれないし、高熱を出して寝込みそうな気がする。
「ひーと、とは何ですか」
こて、と首を傾げる仕草も、あまりにも幼い。
「……お前の体が大人になったら、子を授かりやすい時期が定期的に来るようになる。それがヒートだ」
発情期、と口にするのははばかられて、ユクガは何とか穏便な言葉で説明することに腐心した。
大人しくユクガの話を聞いていたキアラがそっと体を寄せてきて、目を見張る。
「では、ヒートが来るようになったら、私はユクガ様のおよめさんになれますか」
「……その頃に、まだお前が俺に嫁ぐ意思があったらな」
ユクガのほうにキアラを囲いたい意思はあるが、キアラはまだ他の男も、女も知らないのだ。いくらユクガの下にいようと、他に好いた相手ができたなら、キアラもその相手と添おうとするだろう。
ただ、今の時点で、手放してやれる自信はない。
「……私は、ユクガ様のおよめさんになります」
「……嫌なものは、嫌と言っていいんだぞ」
「ユクガ様のおよめさんになることは、嫌なものではありません」
きっぱりと言い切ったキアラの顔はおそらく、わずかに口角が上がっていた。
ククィツァのところで与えたが念のため、と飼い葉を置いてやったものの、桶に入れた水にもほとんど興味はないらしい。すぐにだめになるものでもないし、明日の朝にでも飲み食いしてくれればいいだろう。馬具を取ってブラシをかけてやり、足にけがをしていないか点検して、軽く撫でてユルトに入る。
キアラを起こさないようランプの明かりを絞って、できるだけ静かに馬具を片づける。そうしてようやく椅子に落ちついたユクガは、何気なくキアラを見て、靴を脱がせ忘れていたのに気がついた。
ため息を漏らして近づき、小さな靴を脱がせて眉をひそめる。
両足とも、擦れて赤くなっている。
「……ユクガ、さま……?」
寝ぼけた声で起こしてしまったらしいことに気づき、ユクガはそっとキアラの足を離した。
じっとユクガを見上げ、キアラは無防備なままだ。
「足は、痛くないのか」
「あし……」
手をついて起き上がって、キアラがぼんやりと自分の足を見やった。目で見て赤くなっているのだから痛いはずだが、ユクガに顔を戻して困ったような顔をする。
「赤いのが、お気に召しませんか」
また何かがずれている。
小さくため息をついて寝床に座り、ユクガはキアラの赤くなっている足に触れた。キアラが一瞬だけ、潜めた声を漏らす。
「痛むなら言え。全ては気づいてやれない」
「……申し訳ありません……」
「……怒ってはいない」
うなだれたキアラをどうしていいかわからず、ユクガは銀の髪を撫でた。今まで接してきた何よりも、繊細で、弱々しい。嫌なものを嫌と言わず、痛いときに痛いと言えず、どうやって自分を守ってきたのか。
首を振って立ち上がり、物入れの中を探す。確か、擦り傷に効くという軟膏がまだ残っていたはずだ。
キアラは、何でも素直に受け入れる。拒むことを許されなかったか、拒んでも捻じ伏せられたか、あるいは両方だろう。痛みを訴えても何の治療も受けられないなら、声を上げなくなるのも頷ける。
生まれてからずっとそうだったのか、カガルトゥラードに囚われてからなのか、何にせよ忌々しい。
「キアラ」
「はい、ユクガ様」
薬を持って戻ったものの、ユクガは眉を寄せた。
キアラの足の赤みが、引いている。
「……足はどうした」
見ている間にも、痛々しかった擦り傷が薄れて、元通りの白い足が戻ってくる。
「……治りました」
「……普通はそんなふうに治らないだろう」
首を傾げた、ということは、キアラにとってはこれが普通なのだろう。
キアラの傍に膝をつき足に触れても、じっとユクガを見つめてくるだけだ。本当に、痛みもないらしい。
ククィツァも、ファルファーラの白神子がどういう力を持っていたかまでは知らなかったが、これがキアラの力なのだろうか。精霊の祝福というのは、人の想像を遥かに超えている。
「……すぐに治るとしても、どこかが痛むなら俺に言え」
首を傾げたキアラを抱き上げ、ユクガはそのまま椅子に腰かけた。聞きたいことはいくらでもあるし、キアラが起きているなら、会話する場所として寝床は相応しくない。膝の上に乗せても、キアラは大人しくユクガの腕に収まっていた。
「お前が痛い思いをしているのは、俺が嫌だ」
「……ユクガ様が、お嫌なのですか」
「ああ」
「わかりました。お伝えします」
いい子だ、と撫でてやって、ユクガはキアラを胸元に抱えた。
キアラからは、昨日と変わらず不思議といい匂いがする。普通は他人ににおいを嗅がれたら不快だろうが、キアラは無抵抗だった。嫌がる素振りもせず、表情も変わらない。ユクガの行動を、丸ごと受け入れている。
「キアラ」
「はい、ユクガ様」
香りが強いところがある、気がする。うなじの辺りだろうか。キアラには不釣り合いな、あの物々しい首輪が邪魔だ。鍵が見つからず、傷つけるわけにはいかないから壊すこともできなかったせいで、そのままになっている。
「今日は何をしていた?」
「ひる、の間、ですか」
「そうだ」
ユクガとククィツァが出かけた後、イェノアはキアラを抱き上げて、人がたくさんいるところに連れて行った。そこで大勢に声をかけると、何人かが家に戻っていって、服や靴を持ってきてくれた。
それに着替えさせてもらって、イェノアから糸紡ぎや裁縫を教えてもらっていたら昼になったのだが、昼食はうまく食べられなかった。
「にく、のお料理が多くて……」
ヨラガンの食事はほとんどが肉料理だ。においが苦手なキアラは、ほとんど食べられなかった。
「そうしたら、しっかり食べて大きくならないと、ユクガのおよめさんになれないよ、と言われました」
思わずむせて、ユクガはしばらく咳き込んだ。キアラが遠慮がちに胸元を撫でてくるのは、心配しているのだろう。
キアラがオメガだろうというのは、ククィツァへ報告済みで、その場にいた者は知っていることだ。ユクガがアルファだということはそもそも知られているし、存在が希少であっても、オメガなら男であっても子を孕めるというのは誰でも知っている。
だからまあ、ユクガが褒美としてオメガを望んだという話を聞けば、妻に迎えるつもりだろうと思われてもおかしくはない。
「ユクガ様」
「……何だ」
ひとしきり咳が落ちついたユクガを見つめて、キアラが普段と変わらない表情で尋ねてくる。
「私は男ですが、ユクガ様のおよめさんになるのですか」
そういう意味はしっかりわかっているのか、と何かが恨めしくなった。誰かが説明したのかもしれない。
オメガとは何かと以前聞かれた質問にも答えていないし、避けて通れない話ではある。
「……人間には男と女がいるのは知っているな」
「はい」
素直に頷いたキアラに、もう一つの性、アルファ、ベータ、オメガのことについて教えてやる。確かめてはいないが、キアラはおそらくオメガであろうことも。
一通り話を聞いた後、ゆっくりと瞬きをしながら考え込み、キアラがまたユクガを見つめてくる。
「では、私はユクガ様のおよめさんになれますね」
「……キアラ?」
「はい、ユクガ様」
お嫁さんになれますね、とはどういう意味だ。
オメガはアルファと番わなければいけない、という話し方はしなかったはずだし、ユクガがキアラを娶るつもりで連れてきた、という話もしていないはずだ。
後の言葉が続かないユクガに、キアラがこて、と首を傾げる。
「私は、ユクガ様のおよめさんになれませんか?」
「ちが……いや、待て、お前、俺に嫁ぐつもりがあるのか?」
「とつぐ、とは何ですか」
「……嫁になる、という意味だ」
「では、私はユクガ様にとつぐつもりがあります」
膝の上のキアラが、表情はほとんど変わっていないはずなのに、不安げに見える。
「お嫌、ですか」
「……嫌ではない」
困ったことに、嫌とは思っていない。ククィツァたちにもからかわれたが、キアラをやたらと構っている自覚はあるし、例えククィツァであろうと、キアラに他の誰かの臭いがつくのは不快だ。
つまり、ユクガの中にはすでに、キアラを自分のオメガだと思っているところがある。
「私では、いけませんか」
「……お前はまだ、ヒートも来ていない子どもだろう」
実際の年がいくつなのか定かではないが、さすがにこんな子どもに手を出すわけにはいかない。それにキアラは、ヨラガンの子どもと比べても線が細く、華奢で、ユクガが抱こうものなら骨を折るかもしれないし、高熱を出して寝込みそうな気がする。
「ひーと、とは何ですか」
こて、と首を傾げる仕草も、あまりにも幼い。
「……お前の体が大人になったら、子を授かりやすい時期が定期的に来るようになる。それがヒートだ」
発情期、と口にするのははばかられて、ユクガは何とか穏便な言葉で説明することに腐心した。
大人しくユクガの話を聞いていたキアラがそっと体を寄せてきて、目を見張る。
「では、ヒートが来るようになったら、私はユクガ様のおよめさんになれますか」
「……その頃に、まだお前が俺に嫁ぐ意思があったらな」
ユクガのほうにキアラを囲いたい意思はあるが、キアラはまだ他の男も、女も知らないのだ。いくらユクガの下にいようと、他に好いた相手ができたなら、キアラもその相手と添おうとするだろう。
ただ、今の時点で、手放してやれる自信はない。
「……私は、ユクガ様のおよめさんになります」
「……嫌なものは、嫌と言っていいんだぞ」
「ユクガ様のおよめさんになることは、嫌なものではありません」
きっぱりと言い切ったキアラの顔はおそらく、わずかに口角が上がっていた。
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