白銀オメガに草原で愛を

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戦乱

23.鷹の目の男

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 十日余り経ち、ユクガは再びルイドを駆って戦場に舞い戻っていた。
 通常ならかなりの療養を強いられていた傷だと思うが、キアラの傍にいるだけでも治りがよくなるものなのか、傷はきれいに塞がり、動かした際の軽い痛みを残すだけになっている。しかし詮索されても困るので、ユクガは包帯を体に巻いたままにしておいた。痛みが残っているのは事実ではあるし、戦っているうちに細かな傷も増え、結局は手当てされた箇所が減ることはない。

 カガルトゥラードの攻勢は激しさを増し、ユクガが離れている間に少しずつ戦線は押し込まれていたようだった。ジュアンによれば、ヨラガンとカガルトゥラード、それぞれの代表による話し合いの場も何度か作られたが、すべて決裂しているという。カガルトゥラードの要求は草原の大幅な割譲と神子の引き渡しだそうだが、少なくとも草原を明け渡すことについて、要求を呑むものがいるわけもない。
 ただ、神子の引き渡しについては、一枚岩とは言い難いのが現実だろう。大半のものにとっては、キアラは何の関わりもない、元々は草原の民ですらない存在だ。草原は渡せないのだからそちらだけでも呑んでやって、とっととカガルトゥラードを引き下がらせろ、というものもいたと聞いている。
 ククィツァがどうしたのか本人からは聞いていないが、差し出せと言われて自分の家族を差し出せるやつだけ言えとか何とか、あれだけ激昂するのは初めて見た、というのがジュアンの話だ。

 退却の合図が鳴って、徐々に両軍の間が離れていく。倒れているものに声をかけ、反応があれば担いででも連れ帰るヨラガンに対し、カガルトゥラードの兵は捨て置かれたままだ。まだ息のあるものもいるだろうに、とは思うものの、ユクガも馬首を返して自陣に引き上げた。

 もしキアラがここにいれば、分け隔てなくカガルトゥラードの打ち捨てられた兵たちも助けようとするのだろうか。

「ユクガ様、おけがは」
「……かすり傷だ。損害は」
「今まとめています」

 ジュアンと短くやりとりすると、ユクガは鎧を脱いで剣だけ携えた。ルイドの世話や装備品の手入れはひとまず人に任せ、徒歩で本陣に向かう。日の傾きからして、今日はこれ以上の戦闘は起きない。

 ククィツァが今何を考えているのか、知りたかった。少なくとも、無策でこのままぶつかり合っていても、いずれ貧して負けるだけだろうというのは、ユクガにすらわかる。ククィツァがそれを気づいていないはずもないし、今の状況をどれほど続けるつもりなのか、見通しが知りたい。

「ククィツァ、いるか」
「おう」

 咎められる様子がなかったので、ユクガは気にせず陣幕の中へ入った。せわしなく立ち働いているものたちをしり目に、ククィツァは床几にかけて何かに見入っている。

「……きついな」
「そうなんだよな」

 白と黒の石が、おそらく今いる戦場に見立てた紙の上に広げられていた。数が少なく見える黒い石がヨラガンの軍勢で、白がカガルトゥラード勢だろう。カガルトゥラード側の正確な人数は把握しきれていないらしいが、傭兵まで雇っている分、ヨラガンよりは頭数が多いだろうし、戦場でぶつかった印象とも一致する。
 その石による見立てであっても、ヨラガンの陣は薄く、カガルトゥラードの軍勢は果てしなく送り込まれているように見えた。

「……戦場を誘導できればな」
「本気で言ってるか?」
「いや」

 ほぼ遮るもののない平地で、伏兵が潜めるような茂みや森もない。これならヨラガンとしても、伏兵の心配をしなくていいという利点はある。
 しかしそれは、言い換えれば純粋な物量がものをいう状況だということだ。ヨラガンは兵力が劣る分、当然のことながら一点突破などもってのほかだし、囮を置いて敵兵をおびき出し、横からの攻撃で叩く、といった戦法も取りづらい。囮になったものは確実に死を免れないから、敵を殲滅できればいいが、そうでなければ自分たちの戦力をただ減らすだけになってしまう。
 戦地が定まった時点で苦しい戦いなのは予想できていたが、想像以上に、カガルトゥラードに手を焼くことになっていた。

「北に打診はしてみたが、望み薄だ。ない頭使いすぎて熱出そうだぜ」

 おどけるように首を振って、ククィツァが立ち上がった。表情は明るく動作も軽快に見えたが、どこか疲れは感じられる。労わりたいと思うのに、こういうときに適切な言葉がすぐ思いつかないのがもどかしい。
 しかしユクガが何か言う前に、ククィツァの手がユクガの肩に乗った。

「たぶん、どっかで譲歩はしなきゃなんねぇ。けど、俺はキアラを差し出すつもりはないからな。お前もあきらめんなよ」

 気を張っているように、見えていただろうか。
 ぐっと口を引き結び、ユクガはただ頷いた。苦笑したククィツァの腕が体に回ってきて、ぽんぽんと背中を叩かれる。

「なんつー顔してんだ、兄弟」

 もしかすると、一人きりでキアラを連れて逃げなければいけないかもしれない、と考えたことはあった。それがカガルトゥラードを敵に回すだけならまだしも、ククィツァや、イェノアや、ジュアンや、言葉を交わしたことのある、あるいは顔も知らないかもしれないが、ヨラガンの民を敵と定めなければならないのだとしたら、苦しいとも思った。

 逃げようと思えば、おそらく逃げられる。しかし、いくらキアラと一緒にいようとも、そのあとの自分が笑っている光景が想像できない。

 キアラは何にも代え難い愛しい存在だが、だからといってすべてを天秤にかけられるほど、ユクガは己の強さに自信がなかった。

「……すまん」
「頼むぜ、お前は俺が頼りにしてる大将軍様なんだからな」
「……何だそれは」
「お前、ちょっとした有名人になってんだよ。鷹の目の大将軍ってな」

 鷹の目の男には気をつけろ、などとカガルトゥラードの陣内でささやかれているらしい。道理で最近は囲まれやすいわけだ、とユクガは顔をしかめた。ここのところ、カガルトゥラード兵と相対すると、必ず数人がかりで襲われる。

「こちらは手負いなんだが」
「全っ然手負いに見えねぇけどな」

 もう一度ぽんぽんと背中を叩いて、ククィツァの体が離れていった。生まれた日は数日しか違わないはずなのに、ククィツァはいつも、頼りになる兄のようにユクガの傍らに立っていてくれる。

 高ぶった気持ちを落ちつかせるように剣を握り、ユクガは一度ゆっくりと瞬きをした。改めて顔を合わせたククィツァは、いつも通りの顔に見える。戦場の後ろのほうにいて実戦には参加していないとはいえ、同じように疲れているだろうに、それを感じさせない胆力がどこから出てくるのか。
 視界が少し眩しいような気がして、ユクガはもう一度瞬きをした。

「……俺には戦略などわからん」

 軽く眉を上げたククィツァに、続きを促される。

「だから、お前の思う通りに俺を使え。必ず切り拓いてやる」

 特効薬のような打開策は、おそらくない。
 だが、抗わない選択肢はないし、ユクガにできることといえば弓を射ること、剣を振るうこと、ルイドとともに駆けることだ。ククィツァが考え抜いた策を、やり抜いてみせる力くらいはあるだろう。

「……頼りにしてるぜ」

 頷き合って、ユクガは本陣を出た。陣幕が並び明かりが灯されている間を進むと、それぞれに馬の世話や装備の手入れをしているのが見える。傷の手当てをしているものがいないのは、残っているのは軽傷の人間ばかりで、重傷者は後方の救護用天幕に運ばれたからだろう。
 食事の支度をしているのだろうにおいもどこからか漂ってきて、ユクガは小さくため息をついた。何をしていても腹は減るし、腹が満ち足りていなければいい動きはできない。
 たまにはジュアンを誘って食べるかと表情を和らげ、ユクガは自陣に急いだ。
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