白銀オメガに草原で愛を

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戦乱

22.傍にいてくれ

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 寒い、と一瞬思って、ユクガは自分が何かに包まれているのに気がついた。目を開けると、ほのかなランプの明かりに照らされたユルトの幕が見える。

「……ユクガ様?」

 聞こえた声に首を動かすと、すぐ傍にキアラが座っていた。目元に溜まっていた涙がほろ、とこぼれ、そっとユクガに手を伸ばしてくる。

「ユクガ様」

 ユクガの髪を整えるように撫でてくる手つきは優しく、たまに額の辺りに触れる手が少し冷えていた。寒いのかと手を取って温めてやろうとして、唐突に体の痛みを知覚する。
 戦場にいたはずが、寝床に寝かされていて、ユルトにはキアラがいる。もしかすると、集落まで戻されたのだろうか。戦はどうなったのか。

「……痛みますか」

 言葉を発さず顔をしかめたユクガに気づいたのか、キアラが慌てた様子で手を離す。

「今、何か温かいものを」
「キアラ」

 立ち上がろうとする気配を感じ取って、ユクガはキアラを遮った。痛みを無視して上掛けから手を伸ばすと、キアラがそっと両手で包んでくる。やはり手が冷たい。

「……寒いのか」

 キアラの目に涙が盛り上がって、はらはらと泣き始めてしまった。泣くほど寒かったのか。ユクガのいない間に、何かひどい目に遭っていたのだろうか。
 何とか寝床から起き上がり、震えている肩におそるおそる触れる。

「……泣くな」

 いや、泣かないでくれ、のほうがいいのだったか。
 キアラを撫でながら自分の体を見下ろしてみると、鎧は脱がされ、いつもの服を着せられている。帯は少々緩いが、傷を気づかってのことかもしれない。その緩い帯を解いて上衣をはだけさせると、きっちり包帯が巻かれていた。手当はされているようだ。

「申し訳、ありません……」

 ぐすぐすと鼻を鳴らし、ユクガの服が乱れていることに気づいたキアラが丁寧に服を整えてくる。
 見下ろした顔の瞼が少し腫れぼったいことに気がついて、ユクガは口づけたい衝動に駆られ、すぐに断念した。体を曲げるには、痛みが強い。

「責めているわけではない。お前が泣くのを、見たくないだけだ」

 見上げてくる目元を拭ってやり、軽く息をつく。横になるよう勧めるキアラに首を振って、ユクガは傍に来るよう促した。おそるおそる寄ってきた体を抱き寄せ、せいぜいのところで髪に唇を落とす。

「ここは、俺のユルトか?」
「……はい」

 ユクガたちが戦に出ていって、集落では戦いに出たものたちの無事を祈りながら、ほぼ普段通りの生活をしていた。
 そこへ、大けがを負ったユクガが運び込まれてきたのだという。医者による手当は済んでいたが、高熱が出ていて、しばらく目を覚まさなかった。その間、キアラは付きっきりで看病してくれていたらしい。

「……そうか」
「……お休みになってください、ユクガ様。お体に、障りがあってはいけません」

 心から案じてくれているらしいキアラを、これ以上心配させるのも気が引ける。ユクガは大人しく横になったが、キアラの手を掴んで離さなかった。けがが心まで弱らせているのか、愛しい番と離れがたい。
 それを知ってか知らずか、ユクガを宥めるように、キアラはずっと手を撫でてくれていた。柔らかな手が徐々に温もりを取り戻していって、落ちつくと感じるのと同時に、気が立っていたらしいことも自覚する。

「……キアラ」
「はい、ユクガ様」

 傍に座っているキアラは、ランプの明かりでも輝かしく見えた。銀色の髪を結わずにまっすぐ下ろし、薄青に色づいた瞳で、じっとユクガを見つめている。

「……口づけがしたい」
「え……と……」

 キアラを感じたくて、堪らなかった。起き上がって抱きしめるには体が痛み、無論その状態で肌を重ねることなどできるはずもない。子どものように、ただ番に口づけをねだる。
 頬を染め、ふわりと甘い香りを漂わせたキアラが、そっと唇を落としてくる。

「……足りない」

 ちょん、と触れるだけで離れようとした感触に抗議して、うなじに手を回す。傷はすぐ治る体質のはずのキアラにも、噛み痕だけは消えずに残っている。番の証に触れながら小さな舌を絡め取り、ユクガは自分が落ちつくのを待った。
 やはり戦となると、大けがを負って戦線を離れたところで、気は昂るものらしい。

「……ユクガ、さま」

 吐息を漏らすような声にようやく唇を解放してやり、ユクガは隣にうずくまってしまったキアラにも上掛けをわけてやった。

「……ヒート、でないのに、お腹が、寂しいです……」
「……それは俺が悪いな」

 無垢だった体に教え込んでしまったのはユクガで、今小さな体を煽り立てたのもユクガだ。遠慮がちに寄ってきたキアラに腕を回し、また髪に軽く口づける。これ以上手出しをせず大人しく待っていたら、落ちつくだろうか。

 こうしてキアラと穏やかに暮らしていられれば、それで十分だと思う。だが、戦はまだ収まっていないだろう。すぐの戦線復帰は難しいが、あまり長く療養しているわけにもいかない。ユクガ一人がいないだけで戦況が大きく変わることはないだろうとは思っても、あの黒髪の傭兵団が気にかかる。
 考えを巡らせていた胸元にそっと手を寄せられて、ユクガは答えるように視線を落とした。

「……また、戦に行かれるのですか」
「治ればな」

 形のいい口が、きゅっと結ばれる。わなないた唇が何度か開け閉めされて、あきらめたように目が伏せられた。

「……ユクガ様が、行ってしまわれるのは、嫌、です」

 それに答えず、ユクガはただキアラのうなじを撫でた。おそらくキアラも、叶わないものと知って口にしている。
 そうしてしばらくユクガに撫でられていたキアラが、すっと視線を向けてきた。

「ユクガ様」
「何だ」

 いつのまに、こんな凛々しい表情もできるようになっていたのか、と思う。ふわふわと穏やかな春の草原のよう、と評していたのは、ジュアンだったか。

「……私の血を、飲んでください」
「だめだ」

 キアラのうなじを撫でながらもユクガが即答すると、くしゃ、とキアラの顔が歪んだ。

「……それでは、私は、何のお役にも立てません……」

 また言い方を誤ったらしい。傷つけたいわけではない。

「……お前に傷を負ってほしくない」

 カガルトゥラードの隠し部屋で、キアラが利用されていたのは明白だ。血を飲みさえすればどんなけがも病も治るというのは確実に有用で、その力を欲しがるものは多いだろう。医者でも手の施しようがないけがや病など、いくらでもある。
 ただ、すぐに治る、痕も残らないといっても、血を取るために傷つけられたとき、キアラに痛みがあるのも確かだ。この柔らかく白い肌に傷口が開いて、赤い血が滴っているところを想像しただけでぞっとする。
 ユクガの傷はユクガが負っていればいいもので、キアラに肩代わりをさせたいとは思わない。役に立つ、立たないなどではないのだ。

「でも、ユクガ様は、ひどい、おけがで、お辛そう、で……っ」

 また泣かせてしまった。いくらでもあふれてくるらしいキアラの涙を、ひたすら拭ってやる。

「……お前の気持ちは、嬉しい、と思っている」

 何と言ってキアラの心を慰撫すればいいのか、ユクガにもよくわからなかった。
 ユクガを癒やしたいというキアラの気持ちは、嬉しいと思う。キアラがけがをしていて、もしユクガに同じような力があったとしたら、同じ行動を取るかもしれない。

「ただ、己を傷つけてほしくない。お前が俺のけがに心を痛めてくれるように、お前がけがをすれば俺の心が痛む。俺の役に立つなどと、そんなことは考えなくていい。お前が俺の妻として、番として、俺の傍で、健やかであってくれるだけでいい」

 例えキアラが、あの頃のように自分では何をしていいかわからない雛鳥のままであったとしても、ユクガは変わらず傍に置いていたと思う。傷を治す力があるからといって、連れ帰ったわけではない。

「……お役に、立ちたい、です」
「キアラ……」

 ぐす、と鼻を鳴らしてなおも主張するキアラに、ユクガは言葉が出なくなった。元々口が達者なほうではない。

「……初めて、ユクガ様にお会いしたとき、びっくり、したのです」

 ごしごしと目元を擦ろうとするキアラの手を止め、そっと涙を拭ってやる。銀の睫毛が濡れそぼって、ランプの光を淡く反射しているように見えた。

「初めて、なのに……お傍に……ユクガ様のお傍に、いることのほうが……正しい、ような気がして……」

 ただ、あの部屋にいて、キアラの力を求める人に惜しまず与えるのが仕事だと言われていたから、変だと思った。けれど、命をよこせと言われても、この人になら差し出してもよかろうと思った。
 懸命に、キアラの知っている限りの言葉で伝えてくる内容は、ユクガが特別なのだと訴えている。

「……運命の番、というのがあるそうだ」
「うんめいの、つがい、ですか」

 互いにどうあっても惹かれ合う、たった一人の相手。
 そのことを告げると、腫れぼったくなった目のキアラが、ふにゃりと笑った。

「……では、ユクガ様が、私の運命の番です」

 ちゅ、と触れるだけの口づけを贈られたものの、ユクガは言葉もなくじっとキアラを見つめていた。

 運命の番だと、ユクガがはっきりと感じた瞬間はない。
 ただ、初めてキアラと会ったときに手を放すまいと思ったし、キアラから漂う香りはいつもかぐわしい。それが運命の番を表しているのだとしたら、無意識に感じ取っていたのだろうか。

「私の、大切な番の……ユクガ様の、力に、なりたいです」

 黙ったままのユクガを撫でる手は優しく、キアラの薄く色づいた瞳はまっすぐユクガを見つめていた。
 その手を取って口づけ、ユクガも視線を返す。

「……傍にいてくれ、キアラ」
「……はい」

 ユクガがうとうとと眠りに落ちるまで、キアラの手はずっと優しくユクガを撫でていた。
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